京都大学工学部工業化学科化学プロセス工学コース4回生対象のプロジェクト科目「プロセス設計」の発表会が7月3日に開催された.このプロセス設計では,4回生が2〜3名でグループを構成し,グループごとに化学プロセスなどの設計を行う.いわば,化学工学に関連する学部教育の集大成となる重要な科目だ.シラバスの学習目標には,「化学工学および関連分野の知識を総合的に活用し,プロセスの基本的な設計計算をできるようになること」と書かれている.

具体的には,ある化学物質を年間10万トン製造するなどの目標を掲げ,その製造に必要となる反応器,蒸留塔,熱交換機などを設計する.その際,エネルギー消費量の抑制と装置コストの抑制という相反する要求に折り合いを付け,各主要装置の設計条件や操作条件を最適化する.設計結果は報告書としてまとめるとともに,全教員が出席する発表会において,その概要を発表する.

さて,その発表会であるが,各グループの持ち時間は質疑応答を含めて20分で,朝9時過ぎから夕方5時前までかけて行われる.学部生にとっては,スライドを使用しての本格的な発表は,このプロセス設計が最初の経験となる.そのためもあって,発表直前までスライドを修正したり,発表練習をしたり,あるいは,設計結果に関する再検討を行ったりということになる.

ここで問題となるのは,自分たちのグループの出番まで,研究室で自分たちの発表のことばかりを考え,自分たちの発表が終わると,その開放感と達成感から研究室に戻って喜びを噛みしめるという習慣だ.つまり,他のグループの発表を聞かないのが伝統となってしまっていることだ.

これまで,なぜか,この習慣が放置されてきた.発表会には教員だけでなく学生も全員参加するのが当然だと思うのだが,そう思うのは私だけなのだろうか.ずっと放置されてきたことを考えると,不思議なことだが,そうなのだろう.

初めて本格的な発表を経験する学生たちにとって,自分が発表することの重要さは言うまでもないが,他の学生の発表を聞くことも同程度に重要であると考える.それは,他グループの発表を聞くことによって,プロセス設計の内容そのもの,スライドの作り方や話し方を含めたプレゼンテーションの仕方,そして質疑応答での態度や答え方について,自分たちの発表を省みることができるようになるからだ.これをしないと,いくら良い経験だと言ってみたところで,所詮は「やりっぱなし」でしかなく,実力の向上は大して期待できない.他人の発表を聞くことで,自分の発表の良いところや悪いところに気付くことができて,それが次のステップに繋がる.まさに,人のふり見て我がふり直せ,である.

このような想いから,学生にプロセス設計発表会に出席してもらう方法を考えた.もちろん,出席しても居眠りしていたのでは意味が無く,他グループの発表を聞いて,その良い点と悪い点を意識してもらうことが必要になる.そこで,学生一人一人に,全てのグループの発表を評価してもらうことにした.具体的には,プロセス設計の内容,発表,質疑応答の3項目について4段階評価してもらうとともに,一言コメントを書いてもらうことにした.そして,その結果をプロセス設計発表会終了後にフィードバックすることにした.この方法であれば,単に学生にプロセス設計発表会への出席を促すだけでなく,学生自身のレベルアップにも繋がると期待できる.

ところが,大学というところは,准教授なんて下っ端に決定権は何もない.上述のように,学生に相互評価をしてもらうことについても,教授会で了承していただく必要がある.そこで問題になったのが,「学生が評価する」という点だ.評価は教員がすることであり,学生がすることではないということなのだろう.それでも,今回の試みは最終的な成績には何も関係ないことを明確にすることで,学生による相互評価は認められた.

7月3日に開催されたプロセス設計発表会で,学生による相互評価を実施した.昨年度までは自分たちの発表だけすれば良かったのに,今年から発表会にずっと出席することを義務づけられ,面食らった学生も多かったことと思う.それでも,他グループの発表を評価することで,どのような発表が良く,どのような発表が悪いのかを実感できたはずだ.きっと卒論発表にも繋がるだろう.

実は,今回の作戦は,プロセス設計発表会に限らない,もっと深い問題意識に端を発している.それは,自分の発表だけすれば他はどうでもよいという態度を教員が黙認しているということは,プロセス設計発表会のみならず,例えば学会においても,自分の発表さえやれば後は観光に行こうが何をしていようが構わないと学生に教えているようなものだという点だ.実際,学会終了後に研究室の学生から,「○○研究室の学生はずっと観光してましたよ」などという話を聞いたりする.他の研究室のことにまで口を挟む気は毛頭無いが,そこには教育に対するスタンスが現れていると思う.そして,それは私が期待するようなものではない.京大生が一流の研究者や技術者を目指さなくてどうするのか,と思うとき,為すべきことを為すという自覚を持ってもらえるようにしていく必要はあると思う.その1つが今回のプロセス設計発表会での相互評価だ.

惰性に任せない.思考停止に陥らない.今後もそういうスタンスで教育に臨みたい.

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そう言えば,「子供向け天体望遠鏡の選び方」で紹介した星の手帖社の「組立天体望遠鏡」の使用レポートを書いていなかったので,メモしておこう.

この組立天体望遠鏡は,世界天文年2009日本委員会公認製品で,ガリレオが宇宙を初めて観察したものと同程度の小型望遠鏡を安価に制作してアジアを中心とした各国の子どもに配布し,かつてガリレオが体験した驚きや発見の追体験をめざす「君もガリレオ」プロジェクトにおいて,「君もガリレオ」望遠鏡として採用されている.口径40mmのアクロマートレンズを使用した,15倍と35倍の2種類の倍率の組立天体望遠鏡が販売されており,定価はそれぞれ1,580円と2,880円だ.

梅雨シーズンに突入しているため,なかなか晴天に恵まれず,星空も見えないのだが,先日,自宅の窓から半月くらいの月が見えたときに,15倍の組立天体望遠鏡を向けてみた.15倍とは言え,じっと手で支えているのも大変なので,昔デジカメを購入したときに,おまけにもらった,おもちゃみたいな三脚に固定してみた.正直,予想を超える見え方だった.

長男5歳:「パパ,今日は望遠鏡で見える?」

パパ:「お月様,見えてる?」

長男:「うん」

パパ:「よ〜し.じゃ,望遠鏡で見てみよう.」

ポケモンシールだらけの組立天体望遠鏡は無造作に転がっているので,すぐに準備できる.なんと言っても,1,580円.

パパ:「おーっ!凄いじゃん.月のクレーターがはっきり見えるぞ!」

長男:「パパ,見せて〜!」

パパ:「いやぁ,凄いなぁ.こんなに月のクレーターがはっきり見えるんやなぁ.」

長男:「パパ〜,○○君にも見せて〜!!」

パパ:「よし,三脚に固定してから,見せてやろう.」

おもちゃ三脚に固定する.

長男:「わぁ,凄いねぇ.お月様のデコボコがはっきり見えるねぇ.」

パパ:「なぁ,凄いな.この望遠鏡は.あのデコボコがクレーターや.」

ママ:「どれどれ?」

長男からママに交代.

ママ:「わー,凄いな.本当にクレーターがハッキリ見えてるわ.」

長男:「な,お月様のデコボコ,はっきり見えてるやろ.」

長女3歳:「○○ちゃんも.○○ちゃんも.」

パパ:「よしよし,次は○○ちゃんにも見せてあげよう.」

長女:「見えへん.」

パパ:「望遠鏡に触ったのと違うか.動かしたらあかんで.」

長男:「○○ちゃん,動かしたらダメ!」

パパ:「○○君は怒らなくていいから.○○ちゃん,見える?」

長女:「・・・」

パパ:「○○ちゃん,お月様のデコボコ見える?」

長女:「うん」

パパ:「なぁ,ちゃんとお月様のデコボコ見えるやろう.凄いなぁ.」

長男:「次,○○君.次,○○君.」

以下,奪い合いが続く.

35倍の組立望遠鏡と,より本格的なスコープテック・ラプトル50天体望遠鏡セットは,まだ温存している.15倍の組立望遠鏡を楽しみ尽くしたら,満を持して登場させよう.

さらに,安価かつコストパフォーマンスの高い,本格的っぽい天体望遠鏡がないものかと調べてみると,あった.スターライト・コーポレーションスコープテック・ラプトル50天体望遠鏡セット(屈折式簡易架台)がそれだ.販売価格は7,980円で,重量は三脚も含めて1.5kgしかない.激安だが,極めて良心的な作りで,世界天文年2009日本委員会が選定した世界天文年セレクションの望遠鏡部門でフレンドリー賞を受賞している.

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知性について 他四篇
ショーペンハウエル(Arthur Schopenhauer),岩波書店,1961

本書は,ショーペンハウエルの主著である「意志と表象としての世界」の後に書かれた「付録と補遺」の一部であり,哲学とその方法について,論理学と弁証法の余論,知性について,物自体と現象との対立についての二三の考察,汎神論について,の計5篇からなる.これら5篇の中で「知性について」が圧倒的に長いので,本書のタイトルとなっている.

哲学とその方法について

哲学者らしく,哲学するために必要なことをズバリと述べている.納得.

哲学するために最初に求められる二つの要件は,第一に,心にかかるいかなる問いをも率直に問い出す勇気をもつということである.そして第二は,自明の理と思われるすべてのことを,あらためてはっきりと意識し,そうすることによってそれを問題としてつかみ直すということである.最後にまた,本格的に哲学するためには,精神が本当の閑暇をもっていなくてはならない.

論理学と弁証法の余論

本書では様々な引用がなされているが,例えば,無知で頑なな人達との論争を戒めて,ショーペンハウエルはゲーテを引用している.

どのような時にもせよ,
異を立てようという気になるな.
無知の人々と争えば,
賢者も無知に沈むのだから.
(ゲーテ,「西東詩集」,箴言の書二七番)

また,ショーペンハウエルは,討論において,自説に固執するあまり下劣になることのないようにと戒めている.

知性について

時間と空間は現実の物であると我々は信じて疑わないわけであるが,時間だけでは物体の静止と運動に少しも変化を加えないということは,時間は物理的な実在ではなく,先験的な観念的存在であることを意味するという理由から,ショーペンハウエルは,カントが発見した「時間の観念性」は,力学の「慣性の法則」に既に含まれているとしている.

そんなふうに考えるのかと刺激を受ける.さらに,時間や空間について以下のように述べられている.

永遠性は本質上,時間の反対なのである.まったく能力のない人々の没知性だけが,永遠性の概念に接して,それを終わりなき時間としてしか理解する術を知らなかった.スコラ学派は「永遠性は時間の終わりなき継続ではなく,恒常の未である」と述べている.

我々が将来のものとして受け取るものは,今は全然実在しないように見えるが,将来が現在となったあかつきには,この錯誤は消える.時間の中で相次いで現れてくる事柄の必然性は原因と結果の連鎖を介して我々に示されるけれども,これは我々が統一不変に実在するものを時間の形式のもとで知覚する様式にすぎない.実在自体は,時間に拘束されている我々の知覚に無関心に,「恒常の今」において現存している.

空間の観念性ということを最も明快かつ単純に証拠だてているのは,我々は空間を取り払って考えることができないという事実である.空間そのものだけは,どうしても追い払うことができない.

ショーペンハウエルは,人間の本質,その根源的なものは意志であり,知性も意志に根差すとしている.

知性はその客観的表現たる脳髄およびこれに付属する感覚器官と同様に,外来の作用を受け入れるための極めて高度に発達した感受性にほかならず,我々に本来固有な内的本質をなすものではない.本質は意志.意志こそ現象のあらゆる属性の創造者であり担い手なのである.道徳的な諸性質のほか,知性も間接的に意志に所属するものである.

我々の知性は意志に根ざしており,根源的な純粋知性ではないため,我々自身に何らかの利害関係のある事柄について,我々が曇りなく明らかに見るということはほとんど不可能である.なぜなら,常に意志が口を挟み,意志の発言を知性そのものの発言から区別できないためである.それだからこそ,忠実率直な友人はかけがえのない貴重な存在である.

動物を見れば,その知性が意志に奉仕して働いているにすぎないということが,一目でわかる.人間においても,普通は,これとたいして異ならない.

ショーペンハウエルは,書物に書かれた知識ではなく,自然と現実を重視せよと述べている.

ほかの誰にもまして哲学者は,いまのべた源泉から,すなわち直観的認識から知識を汲み取り,それゆえに事物そのもの,自然,世界,人生を直視し,書物ではなくてこれらを彼の思想の原典とし,さらにまた,出来合いのまま与えられたすべての概念をいつもこれらのものに照合して,吟味し調整しなければならない.こうして,彼は書物を認識の泉として用いるのではく,ただ補助として利用するにとどめなくてはならない.なぜといって,書物が提供するものは二番煎じのものであり,その上たいていはもう歪められている.それは原典の,すなわち世界の反映であり写し絵であるにすぎず,そしてもとの鏡が完全に澄んでいたというのは稀なことなのである.

自然と現実は決してひとをあざむかない.

さらに,書物に書かれていることは,いつでも必要に応じて読み返せるのだから,そのようなことを書き留める必要はないともいう.むしろ,記憶力を高めるために,書き留めるなという.

書き抜き帳は作らない方がよい.何かを書き留めるということは,それを忘却にゆだねるということだからである.そして記憶力に対しては,甘やかして従順さを忘れさせることのないように,厳格な命令的な態度で臨むべきである.

一方で,自分の思想は忘れないようにしっかりと書き留めよと書かれている.さらに,重要な思想をもつためには,そのための道を空けておかなければならず,くだらないことは一切考えるなと述べている.肝に銘じておこう.

自分で行った貴重な省察は,できるだけ早く書き留めておくべきである.これは,当然な心がけである.我々は自分の体験でさえ時には忘れてしまうのであるから,まして自分が思索したことは,どれだけ忘れ去るかわからない.それに,思想というものは,我々の望み通りの時にやってくるものではなく,気まぐれに去来するものなのである.

ひとかどの物事についての優れた重要な思想というものは,いつでも思い通りに招き寄せることができないものである.我々にできることは,くだらぬ愚劣な,また卑俗な考えの反芻をすべて追い払い,あらゆる戯言や茶番を寄せ付けず,優れたまともな思想が訪れてくる道をいつでもあけておくということだけである.だから,しっかりした思想を持つためには,決してくだらぬことを考えないということが,もっとも近道であるということができる.

さらに,「知性について」で書かれているのは,以下のようなこと.

自分の全能力をある特殊科学にささげるためには,この学問への大きな愛が必要であるが,しかしまた,他のすべての学問に対する大きな無関心も必要である.それゆえに,第一級の精神の持ち主たちは,決して特定の専門科学に身をささげないであろう.全体への洞察を,あまりにも深く心にかけているからである.

多くの学者達が,自分の専門分野に属する物事についても,あきれるほど無知であるのは,詮じつめれば,その対象に対する彼らの客観的関心が欠けているためである.彼らは一般に情熱を込めて研究しているわけではなく,我慢をして勉強しているからなのである.

哲学をしている例外的人間の他は,この夢の中で漫然と暮らしていて,その有様は動物達とたいした違いもなく,その相違は結局のところ,わずか二三年さきを見越して思い煩っているくらいのところである.

日常人は身体的努力を嫌がるが,それにもまして,精神的努力を嫌うものである.それゆえに,彼らはあれほど無知,無思慮で,無分別なのである.

大多数の人間は,その本性上,飲食と性行以外の何事にも真剣になれないという性質を持っている.この連中は,稀有の崇高な資質の持ち主が,宗教や学問や芸術の形で世の中にもたらしてきたすべてのものを,たいていは自分の仮面として用いて,ただちに彼らの低級な目的のための道具として利用することになる.

様々な知性の位階を測定するための最も狂いのない尺度を示すものは,彼らが物事を単に個体的に把握するか,それとも何程かずつ普遍的に把握するか,という度合いである.動物はただ個別的なものごとだけをそのままに認識し,従ってまったく個体的なものの把握にとらわれている.人間は誰でも個別的なものを概念で総括する.これがまさに理性の使用ということなのである.そして彼の知性が高い階段に上れば上るほど,それだけこれらの概念が普遍的になる.

人間は何かあるものを崇拝したがるものである.ただ,彼らの崇拝は,たいていお門違いのところで立ち止まっていて,やがて後世の人々がその間違いを直すまで,そこに停滞し続ける.そして,この是正が行われた後でも,教養大衆が天才に払う敬意は,ちょうど信徒達が彼らの信者にささげる崇拝のように,とかくつまらぬ遺物礼拝に変質するものである.

終始,知性を働かさない人,知的に凡俗な人を侮蔑しているが,その生涯も教えもよくわからない聖者の遺跡,シェイクスピアの家,ゲーテの家,カントの古帽や古靴などを例に挙げて,次のように批判している.

彼らの作品を一度も読んだことのない連中によって,うやうやしく眺められているのである.この連中には,ただ口を開けて眺めることのほかには,何もできないのである.

確かにそうだ.自分も含めて...

目次

  • 哲学とその方法について
  • 論理学と弁証法の余論
  • 知性について
  • 物自体と現象との対立についての二三の考察
  • 汎神論について

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昨日,「大学生への質問@京都大学工学部工業化学科」と題して,私が担当する基礎情報処理演習の受講生に尋ねてみた質問を紹介した.いつも通り,演習の感想に対するコメントなどをメールで返信しようと思っていたのだが,これが最終回であるためか,気がつくと,原稿用紙10枚を軽く超えるようなメッセージになってしまっていた.そのため,メッセージをPDFファイルとして,すべての受講生に送信した.

メッセージの趣旨は,基礎情報処理演習とは何の関係もないことであり,また学科や学部はもちろん,大学生かどうかすら関係ないようなことなので,ここに全文を記載しておこう.本気モードで書いたメッセージであるため,これを読んで参考になったと感じてくれる人がいれば,このブログを更新している意味もあったと自分に言い聞かせられそうだ.

このメッセージを読む前に,「大学生への質問@京都大学工学部工業化学科」を読んでもらうとよいだろう.

なお,長文のため,ブラウザで読むのは辛いかもしれない.そこで,学生に送付したPDFファイルもそのままダウンロードできるようにしておこう.

学生へのメッセージ全文」 (PDF 190KB)

基礎情報処理演習を受講してくれた皆さんへ

縁あって,加納が担当する基礎情報処理演習を受講してくれた京都大学新入生の皆さん,約3ヶ月間ありがとうございました.これが最後のメッセージになります.

皆さんは,京都大学に入学できるほどの能力の持ち主ですから,将来,望むような職に就くこともできると思います.そういう意味では何の心配もしていません.その一方で,生き甲斐を見出せるような職,あるいは生き甲斐そのものを見出せないまま,これからの大学生活,さらには就職後の人生をも過ごすことになる危険性はあると感じています.そのような背景から生まれたのが,最後の講義でのアンケートと質問です.

クラーク博士の”Boys, be ambitious.”という言葉を知っている人は多いでしょう.でも,その後に,お金や名誉のためではなく,本来あるべき人間になるという大志を抱けと続くことを知る人は必ずしも多くないようです.

人間のあるべき姿,そして大志とは何でしょうか.将来の夢に,金持ちになることや出世することと書いてくれた学生が少なからずいましたが,それらは,ここでいう意味の大志ではなく,またそうなるのが人間のあるべき姿でもないように思います.それらは野望とは呼べても,大志と呼びたくなるようなものではありません.

人間のあるべき姿について考えてみるとき,人間と他の動物との違いを自覚することが役立ちそうです.人間である皆さんと禽獣との違いは何でしょうか.仲間うちでの意思疎通は動物もしていますから,言葉が本質的な違いではなさそうです.原始的ではあるものの,道具を使う動物もいますから,道具の利用も本質的な違いではなさそうです.

普通,人間は犬や猫になりたいとは思いません.大富豪の邸宅で何不自由なく暮らす犬や猫であってもです.何不自由ない生活は,人間的な生活を意味しないということです.

人間から見ると,この世界はなりたくないもので満ちています.そのような世界にあって,皆さんは人間として生を受けているわけです.この事実に,この幸運に感謝の念を感じるのは自然なことに思えます.ところが現実には,人間として生を受けたことを当然と思い,人間らしく生きようとしないヒトが多いわけです.

出世したいという欲望は,一介の雄ザルが抱くボスザルになりたいという欲望と大して変わらないでしょう.むしろ,サルの欲望の方が,種の存続という観点から必然的です.金持ちになるという欲望は,もはや目的と手段を混同している状態です.お金は手段であって,目的ではないでしょう.

出世することやお金持ちになることは全然悪いことではありません.それを望むことも何も悪いことではありません.その道で努力すれば,自然と出世もするし,収入も増えるでしょう.邪心を抱いたり悪行を働いたりするのはいけませんが,善く生きた結果として与えられる名誉や財産を拒む必要はありません.ましてや,人に与えられた名誉や財産を妬むことはよくありません.

人間と他の動物との違いについて考えてみるとき,例えば,社会に貢献しようなどということを禽獣が思うでしょうか.大いなる自然の体系の一要素として貢献することを生まれながらにして運命的に定められていますが,自発的にそのような生き方を選んでいるのではありません.善く生きようなどということを禽獣が思うでしょうか.思えないでしょう.だとすれば,そういうことが人間らしく生きることではないでしょうか.

自分の強みを活かせる分野で社会に貢献しよう.そういう大志を抱くことが,まさに人間のあるべき姿なのかもしれません.

私は,自分の強みを活かせる分野として,教育と研究を選びました.教育と研究を通して社会貢献することを決意しました.だから今,大学で教壇に立つとともに,社会に役立つ研究にも精力的に取り組んでいます.小中高等学校ではなく,研究所でもなく,大学にいるのは,教育と研究の双方を為すためです.そのような道を選べたこと,選んだ道を歩めることに対して大変感謝しています.そうなるには多くの方々の支援が必要でした.然るべき時に然るべき人に支えられて今があります.

自分の一生をかけて歩む道を定めたなら,自分の為すべきことを明らかにするために,そして実際に為すべきことを為せるようになるために,多くのことを学ばなければならないでしょう.これが勉強する理由であり,読書する理由です.

もちろん,個人的な楽しみのためにする読書もあるでしょう.しかし,読書は,したくないならしなくてもよいという類のものではありません.小さくとも社会に貢献しようと志すなら,そのための読書が必要になるでしょう.人間としていかに生きるべきかという問題を真剣に考えたならば,そういう結論に至らないでしょうか.いや,至らないのかもしれません.それでも,人間としていかに生きるべきかという問題を真剣に考えることには,それ自体に意味があると思います.

読書は単に知識を得るためにするのでもありません.知識が増えれば善く生きられるでしょうか.そうではなさそうです.心を充実させる必要があるように思います.肉体を充実させるために,私達は食事をします.運動もします.必要な食事を取らないと病気になってしまいます.では,人間の心はどうでしょうか.普段から,心の健康を促進するために,心を成長させるために,意識して良い栄養を取っていますか.心を働かせていますか.目に見えないために,心に栄養が必要であることを,ほとんど無視してしまっていないでしょうか.良書を読むことで心は養われます.流行の小説やハウツウ本ではありません.人間のあるべき姿を教えてくれる,そのような書物を読むことで心が養われます.偉人の伝記でも良いでしょう.人類史に残る古典・名著でも良いでしょう.手にとって興味を持てるものからで構いませんから,是非,読書をして下さい.

入学後の3ヶ月間に10冊以上本を読んだ人は1割いるかどうかでした.3冊(1冊/月)以下の人がほとんどで,0冊という人も多いようです.数が多ければよいというわけではありませんが,ジャンルはともかく全く読書をしないというのでは,心が痩せ衰え,活力を失っているのではないかと心配になります.一年間で目標50冊と書きながら,実績が0冊の人も複数いました.折角立てた目標ですから,是非実現して下さい.良書を50冊,いや10冊でも読めば,人生がこれまでとは違って見えてくると思います.騙されたと思ってでも何でも構いませんから,読書してみてはいかがですか.

ほとんどの人は,体育会やサークル,アルバイトを決めたようです.最初の講義で述べたとおり,色々な人と交わり,様々な経験をすることは大切だと思います.工業化学科の学生だけでなく,他学部,他大学の学生とも知り合い,さらに年代の異なる人達とも交わるとよいでしょう.そして,様々な経験をする中で,自分の強みを見付けて下さい.自分に与えられた能力を探して下さい.強みを見付けることができたなら,それを伸ばして,活かして下さい.生き甲斐のある人生を送るために,強みに集中して下さい.弱いところで頑張ろうなんて思わず,弱いところは助けてもらえばよいのです.

自分から積極的に生きるようになると,次々と出会いが訪れると思います.その縁を大切にして下さい.機会は訪れるべくして訪れるようです.自分は機会に恵まれないと逆ギレするようでは恥ずかしいと思います.

人生の夢に,幸せになることと答えてくれた人がいます.私としても,是非,幸せになって欲しいのですが,幸せって何でしょうか.「何不自由ない生活」ではないことは既に犬猫の話で確認しました.お金持ちになることでもないでしょう.お金に人生を壊される人は少なくありません.幸せの正体がわからないのに,幸せになりたいと願ってみても,決して実現するはずがありません.

出世や金儲けを夢だと答えてくれた人達も,幸せになりたいのだと思います.幸せを具体的にしたものが,会社での高い地位やお金を持つことだったのだと思います.でも,会社での高い地位やお金を持つことが,幸せそのものでしょうか.そうではなさそうです.では,幸せになるための手段が出世や金儲けだとして,なぜ出世や金儲けで幸せになれるのでしょうか.もっと掘り下げて考えてみる必要がありそうです.

なぜ大学生をしているのか.なぜを繰り返して,その根源的な理由を問う設問がありました.その意味が理解できなかった人もいたようですが,どうでしょうか,設問の意図が理解できてきましたか.

自分が一生をかけて歩むと決めた道を切り開いていくために,大学生として勉強すると決めたのであれば,全力で勉強するほかありません.一生をかける覚悟があるのですから,中途半端な態度にはなりえないでしょう.大志を抱かないと,そういう覚悟ができません.勉強にも仕事にも身が入りません.試験前に詰めこみ,期限前にやっつける.そんなことになってしまい,どうしても努力が長続きしません.

大学生になると人生の可能性が広がると考えている人もいるようですが,必ずしもそうとは言えません.とても広い,何もない部屋で,あなたが椅子に座って壁を見ているとします.大きな壁が目の前に広がっています.それが,あなたの可能性です.両手を顔の左右に添えて,視野を徐々に狭くしてみましょう.見える壁の範囲が小さくなっていきます.つまり,視野が狭くなると,可能性が小さくなるわけです.では,椅子を壁に近づけましょう.どんどん近づけてみて下さい.見える壁の範囲がどんどん小さくなります.椅子の位置は時間です.壁までの距離は,人生に残された時間です.

可能性を広げるためには,視野を広くする必要があります.先に,自分から積極的に生きることで訪れる縁を大切にして欲しいと述べました.きっと,人や本との出会いが人生の可能性を広げてくれることでしょう.そして,時が経てば,自然と可能性が狭まることを自覚しないといけません.

大学生になれば人生の可能性が広がるという考えの甘さがわかるでしょうか.自分と似たような友達とだけ付き合い,享楽のために時間を費やせば,人生の可能性は凄い勢いで小さくなっていきます.このことを自覚するとき,もはや無為に過ごすことはできないと思うのです.

幸せになりたいという自然な気持ちを掘り下げて考えてもよいでしょう.人間はなぜ人間なのかという哲学的な問いから迫ってもよいでしょう.本を読むのでも,人に聞くのでもよいでしょう.どのような方法でも構いませんから,自分の生きるべき道を求めてみませんか.そういうことができることこそが,まさに人間の特権ではありませんか.

これが私から皆さんへの最後のメッセージです.自分自身が人生の主役であることを意識して,大学生活を送ってもらえたらと思っています.

メッセージを終えるにあたり,演習の感想に書いてもらった質問に答えておきます.

「空をぼんやり眺める人とじっくり本を読む人とどちらがいい人生と呼べるのでしょうか」と書いてくれた人がいました.空だけに限りません.自然を眺め,その美しさに驚き,人間として生きていることの素晴らしさに想いを馳せ,感謝することは素晴らしいことです.また,じっくりと良書を読み,自分らしく生きられる力を身に付けていくことも大切です.私は,良書を読むことを心掛けると共に,自然を眺める余裕も大切にしたいと思います.どちらの人生がいいかを断じることで私がよりよく生きられるようになるとは思いません.

「マイペースな人とてきぱきしている人どっちが得なのでしょうか」と書いてくれた人がいました.申し訳ありませんが,「得」の意味がわかりませんでした.「楽して儲ける」という意味でしょうか.そうだとすると,私にとっては,どちらが得かを判断することに意味はありません.楽して儲けることで私の人生が素晴らしいものになるとは思えませんし,判断を誰かに伝えることがその人の役に立つとも思えません.さらに言えば,大志を抱き,自分の道を歩む人にとって,マイペースというのは,自分に与えられた能力をもって何事にも一生懸命に取り組むことになるでしょう.それは,てきぱきとしていることと同じように思えます.ですから,二つを比較することの意味が見出せません.なお,「マイペース」が「ダラダラと無為に過ごす」という意味で使われているなら,得かどうかは知りませんが,そういう人になりたいとは思いません.

基礎情報処理演習の担当教員として皆さんに会うことはもうありません.それでも,化学プロセス工学コースを選択したり,さらにプロセスシステム工学研究室を志望したりする人達とは今後も会いますね.それぞれの大切な選択に際して,自分の進むべき道が思い描けているならば,何も迷うことはありません.有意義な大学生活を満喫して下さい.

縁があれば,一生付き合うことにもなるでしょう.そこまで考えなくても,何か私で役に立てることがあれば,いつでもメールを送って下さい.電話で捕まえるのは超困難ですが,メールなら大丈夫ですので.

いつも通りのメッセージにするつもりが,小論文みたいになってしまいましたね.最後まで読んでもらって,ありがとう.何か参考になることを見付けてもらえれば嬉しいです.

補足

メッセージにおいて読書を勧めていますので,その責任上,いくつか本も紹介しておきます.これまでに私が読んだ少数の本の中からの推薦ですので,ベストである自信はありません.それでも,あまり読書したことがない学生諸君にとっては,参考になるでしょう.様々な観点から本を推薦することができますが,ここでは,大学に進学し,人生の基盤を形作る大切な時期に差し掛かった皆さんに読んで欲しい本を挙げておきます.

まず,このメッセージを読んでもピンと来なかったという人で,出世や金儲けに興味がある人は,
P.F. ドラッカー,「ドラッカーの遺言」,講談社
を読むとよいでしょう.ドラッカー氏は経営学の始祖とも言われ,ビジネスの世界では世界で最も有名な一人です.ビジネスの世界で名を挙げるために必要なことを,本書から学べるでしょう.

ドラッカー氏の考えに共鳴できたなら,その著作をさらに紐解くとよいでしょう.例えば,
P.F. ドラッカー,「経営者の条件」,ダイヤモンド社
も名著として知られています.なお,本書でいう経営者とは,いわゆる社長だけではなく,組織において意志決定を行う知識労働者を指します.ですから,経営に興味がなくても,研究者や技術者として成果をあげたい人は誰でも読んでおくとよいでしょう.

もっと手軽な本をということであれば,
北尾吉孝,「何のために働くのか」,致知出版社
を勧めます.北尾氏はSBIホールディングス代表取締役CEOですから,出世や金儲けに興味がある人なら,読んでみたくなる著者と書名ではないでしょうか.

上記「何のために働くのか」において,北尾氏が尊敬する人物として挙げているのが,安岡正篤氏です.安岡氏は東洋思想家ですが,吉田茂以降,日本の歴代総理大臣の指南役として,政財界に大きな影響を与えた人物です.その安岡氏が,どのように生きるべきかということを,多くの実例を交えながら,わかりやすく説明しているのが,
安岡正篤,「青年の大成」,致知出版社
です.若者向けですので,きっと心に響く言葉が見付かると思います.

逆に,私からのメッセージに素直に頷けたという人で,もっと深く知りたいという人は,
森信三,「修身教授録」,致知出版社
を読むとよいでしょう.感動できると思います.

よい人生を送るという観点では,私達は一人で生きているわけではありませんから,どのように人に接するべきかということも大切な問題です.そこで,
D. カーネギー,「人を動かす」,創元社
を勧めます.人を味方にし,友を増やし,心豊かな人生を送るために,どのように人に接するべきかという人心掌握の原則が,豊富な具体例とともに書かれています.

ここまでにしておきます.これらの本をきっかけにして,自分の生き方について考えるようになれば,読むべき本に巡り会うでしょうから.

もちろん,自分の進むべき道が研究者や技術者であるなら,その分野の知識を身に付けるための教科書も徹底的に読んで下さい.試験で点を取ることが大切なのではないことは,もはや明らかですよね.そのために浅薄な知識を身に付けても,どうなるものでもありませんし,そのような重要性を切実に感じられない目標を掲げたところで,真剣に勉強しようと思えるはずもありません.

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京都大学工学部工業化学科の一回生(半数弱)に,以下のような質問をしてみた.あなたなら,どう答えるだろうか.考えてみて欲しい.

一回生の回答と私のコメントは,後日改めて紹介させてもらおう.

  • なぜ大志が必要なのか?
    (「少年よ大志を抱け」という言葉がある.なぜ大志を抱かないといけないのだろうか.)
  • 大志と野望はどう違うのか?
    (そもそも大志とは何だろうか.野望とは何が違うのだろうか.)
  • なぜ勉強するのか?
    (自分に子供ができたとして,「なぜ勉強しないといけないの?」と聞かれたら,何と答えるだろうか.)
  • なぜ読書が大切なのか?
    (読書を勧める人は多い.なぜ読書をしないといけないのだろうか.)
  • 人間と動物の違いは何か?
    (仲間同士の意思疎通は動物にもできる.道具を使うことだってできる.では,人間と動物の違いは何なのか.)

別に採点をしようとしているわけではない.正解はこれだなんて言う気もない.私の意見を押し付ける気もない.ただ,大学生,しかも京大生であれば,このような問題について深く考えてみること,自分なりの意見を持つことはあって然るべきではないだろうか.

もちろん,これまで考えたことのない学生が多くても一向に差し支えない.私自身,浅知恵で大学生時代を過ごしたわけだから,偉そうなことを言える立場ではない.それでも,学生に考えるきっかけを与えることはできるし,それが教育職にあるものの務めだとも思っている.

専門知識を教えたり,研究指導をしたり,習熟度を評価したり,もちろんそれらは必要なことだ.しかし,それで十分だとは思えない.

実際,こんなこと考えたくもないという学生もいる.それはそれで仕方ない.しかし,このようなことを考える人と考えない人の人生が同じように生き甲斐に満ちたものになるだろうか.考えてみて欲しい.

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