8月 192006
 

国家の品格
藤原正彦,新潮社,2005

面白い本だ.

日本は世界でも有数の美しく安全な国というのが過去の話になり,このままではいけないのではないかという日本人も多いことだろう.では,どうしたらよいのか.何が今の日本人に欠けているのか.このような問題意識に,著者なりの回答を与えている.

まず,あらゆる先進国で社会の荒廃が進んでいる原因は,先進国を先進国にさせてきた近代的合理精神の限界だと指摘する.論理は重要であるが,論理には出発点が必要であり,その出発点は仮説にすぎない.出発点を誤れば,いかに論理が正当であろうとも,結論は酷いものになる.

著者は,自由と平等の概念は欧米が作り上げたフィクションにすぎず,民主主義の前提条件である成熟した国民も永遠に存在しないと言い切る.そして,自然への感受性,もののあわれ,懐かしさ,惻隠の情など,情緒や形を重んじる日本古来の文化の尊さを説き,日本人の道徳の中核を武士道精神に求める.「してはいけないこと」に論理的な説明など不要である.理屈抜きに,卑怯であってはいけない.そう著者は述べる.

本書に書かれていることは,著者個人の意見なのだから,賛否両論あるだろう.というか,あって然るべきだし,もっと言うと,説得力のある根拠を示して賛否を論じられるぐらいの日本人が多くいて欲しい.著者は数学者であるが,洋の東西を問わず,宗教,思想,哲学などに言及し,自説を展開している.そういう教養を身に付けている,あるいは身に付けようという意欲のある日本人が多くないと,日本という国が正しい方向へ進むことは難しいのではないだろうか.日本の大学からリベラルアーツが消滅しつつある今,改めてそう感じる.論理的に考えられるだけでなく,正しく出発点を定められるようになりたいものだ.

日本人は,もっと日本の文化を大切にし,日本に,そして日本人に自信を持てばよい.教育にしても,日本の文化の中核をなす日本語を,日本の歴史を,もっときちんと教える努力をすべきだろう.

  4 Responses to “国家の品格”

  1. >「してはいけないこと」に論理的な説明など不要である.

    もうずいぶん昔のことになりますが、NHKで大江健三郎さんと若者の座談会の番組がありました。その中である若者が、

    『どうして人殺しをしたらいけないのですか?』

    と質問したところ、大江さんは、

    『まともな人間だったらそのような質問をすることを恥じるものだ!』

    と問答無用で切り捨てました。そうしたら翌日、朝日新聞で大江さんに対する痛烈な反論が掲載され、大江さんは軽率な発言をしたことを後悔したそうです。

    死刑や戦争は国家権力による殺人であり、合法化されているのが現実です。また、殺人をアプリオリに否定するなら、軍隊はもちろん殺人の道具である拳銃をはじめとするあらゆる武器の存在を否定しなければならなくなってしまいます。ですから、このような善悪二元論的な主張は問題ではないでしょうか。

    • しきちゃんさん,大江健三郎氏と朝日新聞の遣り取りは知りませんでした.ところで,朝日新聞による反論の根拠は何だったのでしょうか.教えていただけますか.

      私は何でも疑問に感じてみる(本当か?何故か?と問うてみる)のは良いことだと思いますので,質問するのを恥じよとは言いませんが,人殺しをしてはいけないことが直観的に明らかでないと思う人がいるとすれば,まともでないと思いますね.

      原則として法を犯すのはいけませんが,合法化されているから正しい(善である)とは限りませんよね.法なんて所詮は不完全な人間がつくったものですから,完璧でなくても仕方がありませんし,それを絶対視する方がおかしいと思います.

      「善悪二元論的な主張は問題」と言われるのは,現状を肯定するためには無理が生じるからということですか?

  2. >朝日新聞による反論の根拠は何だったのでしょうか.教えていただけますか.

    すみません、何分昔のことですので内容は具体的には覚えておりません。ただ、問答無用で切り捨てる姿勢は、DreamChaser先生がご指摘した『なぜかと問うてみる』ことを自ら放棄していることにならないでしょうか?

    また、法を絶対視するのはおかしいとおっしゃいますが、『人殺しはやったらいけない』と絶対視することはおかしくないのでしょうか?

    >「善悪二元論的な主張は問題」と言われるのは,現状を肯定するためには無理が生じるからということですか?

    そのような理由で申し上げたのではございません。因果関係を考察せず現状ばかりを見て物事を判断する姿勢を問うたのです。

    たとえば、日本では『原爆しょうがない発言』で政治家が失脚しましたが、アメリカやアジアの国ぐにでは現在でも『原爆投下は正しかった』という意見が根強くあります。

    北朝鮮の拉致についても、ほとんどの日本人は『拉致は犯罪だから北朝鮮は悪だ』という調子ですが、2004年に川口外相が国連で拉致問題で北朝鮮の非難演説をやってアジアの国ぐにから痛烈な批判を浴びましたし、横田滋さんが訪韓したときも多くの韓国民から批判されました。

    http://www.ryuhaktong.org/material/others/11.html

    日本人は、なぜ原爆が落ちたり拉致が起こったりするのかを自問してみることが必要でしょう。

    それから、原爆が落ちて”あの人”がポツダム宣言を受け入れることを考えたのです。また日本人の拉致が起こったから日朝首脳会談がおこなわれて日朝平壌宣言が締結されたのです。

    原爆が落ちなかったら、アジアの人びとの虐殺は長引いたでしょうし、国内では地上戦になって日本人は『一億玉砕』したかもしれません。また北朝鮮の拉致がなかったら日本の総理大臣が平壌に飛んでいくことなどなかったでしょう。

  3. しきちゃんさん,返信ありがとうございます.
    恐らく,問答無用で切り捨てる姿勢が批判されたのでしょうね.
    なお,先生はやめて下さい.お願いします.

    絶対視については,倫理とは何だ?にも絡むと思います.
    私は,問答無用で正しいものが宇宙にはあると考えています.
    しかも,それを人に押しつけることはできないと思っています.
    押し付けてはいけないということではなくて,
    押し付けようとしても無駄ではないかということです.
    人間は自分で判断して行動する能力がありますから.
    その能力を正しく活用できているのか疑問に思うことは多々あるとしても.

    原爆投下については,自分の立場や価値観を擁護したい人達がそれぞれの立場で発言しますから,賛否両論があっても仕方ないと思います.

    ちょっと気になるのは,「アジアの国ぐにから痛烈な批判を浴びました」とか「多くの韓国民から批判されました」という表現です.批判があるのは承知していますが,国というのは何でしょうか.各国政府が公式見解として批判したということですか.それとも,政府以外の国を代表できる立場にある組織ですか.あるいは,そうではない個人ですか.多くの韓国民というのも,過半数ということでしょうか.

    揚げ足を取ろうというのではありません.
    しきちゃんさんの問題意識はまともだと思います.
    ただ,国家はアイデンティティと強く関連しますし,この種の議論は感情的になって噛みあわないことが結構あるのではないかと思います.加えて,私は何かを語るだけの能力に欠けています.

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