11月 042006
 

大学教員の任期制: 任期付きで再任なし!?

大学が教員(教育と研究に従事する人)を期限付きで雇用すること,つまり任期制の導入を,文部科学省は奨励しているらしい.推奨しているとは言っても,「そうしなさい」とは言わない.そう言ってしまうと,責任が発生してしまう.そうではなくて,「任期制を導入しても構いませんよ」ということにしてある.枠組みは構築しておくので,後は各大学の裁量に任せましょうというわけだ.大学の自主性を認める賢明な態度とも言えるし,無責任な態度とも言える.

「任期制を導入しても構いませんよ」というだけなのに,任期制を導入する大学は増えているようだ.大学には自虐的な人が多いのだろうか.いや,そんなことはない.導入せよという圧力があるのだろう.立場の弱い人ほど,そういう影響を受けやすいのは世の常だ.

大学教員の公募通知を見ても,任期付きと明示されているものが多くなった.任期5年というのが標準的だろうか.まあ,5年間頑張ってもらって,その成果を評価した上で,優れた人材であれば正式に採用し,まるで期待外れであれば大学から去ってもらうというのは悪い考えではない.

ところが,「任期付きで再任なし」という公募がある.雇用期間中の功績がどうであろうと,とにかく5年で「さようなら」ということだ.そんな不安定な職であるにもかかわらず,給与を含む待遇は普通(任期なし)の大学教員と同じらしい.研究に没頭できるわけでもない.学生の面倒もみないといけないし,様々な雑用もあるだろう.物凄い悪条件だと思うのだが,このような公募に優秀な人材が集まるのだろうか.もっと給料が高く,身分保障も確かな企業がいくらでもある.

昔レジャーランド,今保育園

「学生の面倒もみないといけない」と書いたが,教員が教育に勤しむのは当然なのに面倒とは何事か!と思われる方もいるだろうから,説明しておく.定員割れを起こす大学もある昨今,大学生の中には途方もなくレベルの低い者もいるようで,もはや大学としての体をなしていないところも少なくない.飲酒して悪行を働いた学生を引き取りに大学教員が夜中に呼び出されて警察に出向く,ろくに勉強もしないで留年しそうな学生の親に連絡を取り事情を説明するものの,逆ギレした親に文句を言われる,なんてことを大学教員がやっているのが実態だ.こんなのは大学教員の仕事ではないだろう.

幸いにも,私は,そういう馬鹿げたことには付き合わされていないが...

任期制導入で大学の活力は増すのか?

話を元に戻そう.立場の弱い大学が,研究費の裏付けもなく,研究に没頭できる環境も用意せず,「任期付きで再任なし」という条件の公募を行い,優秀な若い人材を確保できるのだろうか.仮に再任ありという条件でも,任期中に研究成果を出さなければならないという重圧下において,教育にどれほど勤しめるだろうか.それこそ,他人のことなど考えている余裕などないのではないか.

企業においては成果主義が流行ったが,適切に運用できなければ,メリットよりもデメリットが大きくなることが明らかになった.しかも,適切に運用できる企業は多くないことも明らかになった.目標到達度による評価も同様だ.大学でも同じだろう.

人材を育てるという志

「任期付きで再任なし」という条件には,人材を育てるという志が欠落しているように思える.例えば,企業なら幹部候補の人材の育成に多大な資源を投入するだろう.企業の将来のためには当然のことだ.もちろん,育成の過程で取捨選択が行われる.しかし,「任期付きで再任なし」という条件で幹部候補が育つだろうか.再任なしということは,次から次へと人を変えていかなければならないため,良い人材は外部から調達するしかない.その良い人材は一体誰の責任で育てるのか.「任期付きで再任なし」の採用は格好良く見えるのかもしれないが,自己中心的な態度ではないか.人材の流動性が大事だと審議会の答申などでも指摘されているようだが,流動性のためなら組織が無責任になっても構わないというのでは本末転倒だろう.

大学教員の任期制は,適切に導入しなければ,大学淘汰の引き金を引くことになるのではないだろうか.つまり,大学の自殺行為だ.

大学に残った理由

私は基本的に成果主義が好きだし,成果に応じて報酬が変わるのが自然だと思っている.能力を発揮している人間が報われのは当然だ.そのような私が大学に職を求めたのは,教育に魅力を感じたからであり,自由に研究をしてみたかったからだ.人に恵まれたこともある.お金が欲しいだけなら,決して大学には残らなかった.もっと稼げる場所はいくらでもあり,そこで働く能力も十分にあると自惚れている.昔,京都大学へ入学した後に抱いた印象は,「京大って大したことないな」だった.その後,研究室に配属されてから,中には凄い人達もいるということを実感したのだが...

成果主義の課題は評価

優秀な人材を育成・確保し,教育や研究のレベルを上げることは必要だ.そのための制度作りもしなければならない.しかし,残念ながら,まともに教育や研究を評価できる人や組織がなく,そういう仕組みもない.大学の評価も始まっているが,所詮は無駄な書類作りというレベルだ.世の中には,品質に関するISO9000や環境に関するISO14000などがあるが,それで実際に高い品質が実現できたり,環境が良くなったりしているのだろうか.所詮は頑張って取り組んでいますというポーズを示すための道具でしかないのではないか.

教育は国家の要

大学改革は必要だが,その実施策となると難しい.一教員である私としては,自分のできる範囲で,つまり自分の影響が及ぶ学生の教育と研究に精一杯取り組むだけだ.最近,大学はもっと教育以外で社会貢献しろと言われるのだが,教育以上の社会貢献が世の中にありうるのだろうか.大学が為すべきことという観点からは,教育以上に重要な社会貢献などないはずだ.不況を経て,日本人の精神は途方もなく貧困になってしまったのだろうか.

教育は国家の要だ.大学のみならず,高校も中学校も小学校も,もう無茶苦茶な状態になってきているようだが,きちんと現状を把握し,然るべき対応をしなければならない.それが国の責務だ.そのために税金を払っているのだから.

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