2月 262008
 

1995→2010世界大恐慌―資本主義は爆発的に崩壊する
ラビ・バトラ,総合法令,1994

ソビエト社会主義共和国連邦がまだスーパーパワーとして世界の一極をなしていた1978年に,2000年までに共産主義は崩壊すると予測し,的中させ,一躍脚光を浴びたラビ・バトラ教授.その他にも,イラン革命などいくつかの大胆な予測は既に現実となっている.ラビ・バトラ氏が共産主義崩壊を予測したとき,同時にもう1つの予測を行っている.それが2010年までに資本主義は崩壊するというものだ.

本書は1994年に書かれたものであるが,資本主義崩壊の予測について,その必然性を示すとともに,資本主義崩壊後の社会システムの在り方を提案している.1995年以降に世界は恐慌に陥り,2010年までに資本主義は崩壊するというのが予測の骨子だが,この予測の背景には「社会循環の法則」がある.この法則は,ラビ・バトラ氏が師と仰ぐサーカー氏が提唱したもので,いかなる社会においても政治的な力の源泉は,武力,知識,富の三つしかありえず,まさにこの順で支配が変遷するという法則だ.

どんな文明においても,最初に政治的な権力を握るのは武人,つまり軍人です.この軍人による支配が数百年にわたって続くと,次に知識を持った人間,知識人による支配がこれにとって代わります.そして,知識人による支配が数百年続くと,次にやってくるのは富裕者による支配です.この支配の順序が,「社会循環の法則」の核心なのです.軍人から知識人へ,そして富裕者の時代へと,社会の支配層は変遷していきます.最後の富裕者の時代には,その支配の根本的性格からいって,貪欲と腐敗が社会に蔓延するのがつねですから,この時代は社会革命を招かざるをえなくなります.社会革命は武力なくしては起こりませんから,当然ながら,その後の社会は再び軍人の時代へと戻っていきます.

現在の欧米諸国が「富裕者の時代」の末期に位置していることは改めて指摘するまでもないだろう.ちなみに,日本は,少し遅れて「富裕者の時代」に入ったとされる.著者は,資本主義腐敗の象徴として,デリバティブによってカジノ化した金融システムを挙げている.そして,富の集中が社会的諸悪の根源であると指摘する.

富が幸せをもたらしてくれると信じる人間は,無限の富を欲し,アルコールが幸せをもたらしてくれると信じると,無制限にアルコールを欲します.無限のアルコールに幸せを求める人を,現代医学はアルコール依存症患者と名づけ,病人であると認定しています.しかし,無限の富が無限の幸せをもたらすと信じている人々を,現代では病気とはみなしません.それどころか,この種の人々が世界を支配しているのが,現代という世界の実態です.

恐慌が起こる理由について,本書には次のように書かれている.

人間社会が貧しい者を救えないときに,自然が社会に代わって,彼らを救おうとします.腐敗した体制を,自然の摂理が打倒しようとするのです.それが恐慌となって現れます.余りにも集中しすぎた富める者の富を,恐慌という形で奪い,貧困者に還元しようとするのです.

この表現からわかる通り,著者は経済学者でありながら,その考え方は実に精神的・霊的な側面が強い.これはサーカー氏の影響によるもので,著者は以下のような教えを受けたと書いている.

「瞑想だけに全生活を捧げるべきではない.瞑想とともに,日々,どんなに小さなことでもよいから人助けをせよ.」

「神はすべてを所有しており,そして,偉大な父なのだから,何も頼まなくともあなたのことは考えていてくれる.」

「神に何かを頼み,そしてもし神がその願いをかなえてくれたとするなら,その結果はかえって悪となる.なぜなら,神は自ら創造した世界のバランスを維持していかなければならず,もしあなただけの願いをかなえれば,他の人の願いを損なうことになる.」

「あなたがほんとうに神を愛し,父と思うことができるならば,神は必ずあなたの必要を満たしてくれます.だから,何も神に望んではいけない.」

そのサーカー氏の思想をもとに,資本主義崩壊後の社会システムの在り方を示すのが「プラウト(Progressive Utilization Theory)」だ.プラウト理論は,富の集中が社会的諸悪の根源であり,それをいかに合理的に防ぐかが大事であるという考えを基礎としている.そこで,医療と教育については社会が個人に無料で保障すること,熟練していない肉体労働者が最低限の生活を送れるだけの最低賃金を保障すること,最高賃金は最低賃金の十倍(究極的には二倍)を上限とすることなどを提唱している.この他にも様々な提言があるのだが,特筆すべきことは,プラウトが精神性を非常に重要視していることだ.この点について,本書には以下のように書かれている.

共産主義と「プラウト」との違いは,富の分配方法にあります.共産主義では分配の権利は,一つの政党あるいは制度がこれを独占しています.共産主義は崇高な理念を述べてはいますが,実際のところは共産党が人民を搾取していたのです.一方,「プラウト」は,伝統的な価値観を無視してはならないと言い続けてきました.この伝統的な価値観とは,精神性です.精神性がなければ誰も伝統的な価値を守ろうとはしません.たとえば,若者に対して人に対する思いやりややさしさを押し付ければ,なぜそうしなければならないのか,という質問が飛び出すかもしれません.なぜ思いやりは必要なのか,やさしいということのゴールとは何なのか,を語ることが必要です.やさしく,思いやり深く,慈悲深ければ,あなたは幸せになれる,というべきなのです.

正直なところ,恐慌ぐらいはイメージできても,資本主義の崩壊が何を意味するのかは,私の理解を超えている.しかし,それでも,現在の世界の延長線上に人類の幸福があるとは思えない.幸福どころか,あるとすれば滅亡だろう.そのような状況の中で,プラウトという考え方には興味を覚えた.

実は,ある人の強い勧めで本書を読むことになったのだが,偶然にもその前に,中矢伸一氏の「日月神示 ミロクの世の到来」(徳間書店,2007)を読んでいた.その中で「プラウト」が紹介されており,ちょうど興味を持っているところだった.これもシンクロニシティだと言うのだろうか.

2月 252008
 

図説 エジプトの「死者の書」
村治笙子,片岸直美,仁田三夫,河出書房新社,2002

「死者の書」とは,古代エジプト人が葬式や埋葬のときに読経し,墓に副葬した,呪文や祈祷文が書かれたパピルスの巻物だ.来世を信じていたエジプト人が,死者が死後も神々に守られ,永遠に生き,自分達を見守ってくれるようにとの願いを込めて,死者の遺体の近くに置いた.死者の書は,物の形を象ったヒエログリフ(聖刻文字)で書かれている.

死者の書は,ピラミッドの内壁に刻まれた「ピラミッド・テキスト」(第5王朝,紀元前2400年頃以降)や棺に書かれた「棺柩文(コフィン・テキスト)」(中王国,紀元前2100年頃以降)といった葬祭文書の流れを受け継ぐもので,第2中間期末(紀元前1580年頃)から,ツタンカーメンやラメセスがファラオとして君臨した新王国時代,末期王朝時代を経て,クレオパトラ7世によるエジプト復興が失敗し,プトレマイオス朝が終焉する紀元前30年を過ぎた頃まで使われ続けた.

死者は,冥界の王であるオシリス神を裁判長として,42柱の神々が列席する裁判において,自ら生前の潔白を証明しなければならない.もし神々に否定されると,死者は,その心臓を怪物に喰われ,二度目の死を運命づけられる.それは,来世での生の否定,永遠の苦を意味した.一方,身の潔白が証明されれば,晴れて死者の国の一員となり,「イアルの野」または「ヘテプの野」と呼ばれる死後の楽園に入ることができる.死者の書に書かれた呪文は,無事に楽園に至るために必要なものである.

本書は,多くの写真を用いて,死者の書についての解説したものである.かねてより,エジプトを訪問し,ピラミッドや神殿を見てみたいと願っているので,予備知識を仕入れるために本書を読んでみた.

2月 252008
 

夕方,2歳の長女と一緒にお風呂に入りながら,こんな会話をした.

「○○ちゃん.」

「なに〜?」

「○○ちゃんは,生まれてくるとき,パパとママのところに生まれようって,選んでくれたの?」

「うん!」

「そう,パパとママを選んでくれたの?」

「うん!」

「そうかぁ.ありがとうね.」

そんな長女が,ほぼ毎日,決まって私に言う台詞がある.

「パパ,おうまさん乗ったね〜!ナ・ナ・ちゃん!」

昨年11月に鳥取砂丘で乗った馬車のことを言っているのだ.ナナちゃんというのは,そのときの馬の名前だ.もう3ヶ月にもなるが,まだ毎日口にするということは,それだけインパクトがあったということか.まあ,連れて行った甲斐があるというものだ.ちなみに,そのときの様子は「鳥取砂丘のラクダ,馬,砂嵐」に詳しい.

この台詞を聞くと,4歳の長男はこう言う.

「○○ちゃん,また言ってるな〜.」

2月 252008
 

モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
ミヒャエル・エンデ,岩波書店,1976

ドイツ児童文学賞を受賞した超有名ファンタジー小説.「はてしない物語(ネバーエンディングストーリー)」の著者がミヒャエル・エンデだと言えば分かる人が多いのかもしれない.が,私としては,「お金」について考えさせてくれる人というのが,ミヒャエル・エンデのイメージだ.

モモは,小学校高学年あたりで読める小説のようだが,大人も十分に楽しめる.実際,読んでみて面白かった.私が幼稚なだけかもしれないが...

小さな女の子モモが住む街に,「灰色の男たち」が現れる.時間貯蓄銀行から来たと名乗る彼らは,「成功するためには,お金持ちになるためには,時間を節約しないといけない.もう,無駄にする時間なんてない.時間を倹約して,その時間を時間貯蓄銀行に預けなさい.」と大人に営業し,時間を貯蓄させる.契約した人々は,時間を倹約することに必死になり,お金持ちにはなるが,忙しく,ゆとりが無く,怒りっぽくなり,いつもイライラして,とても不幸せそうになる.子供は大人に相手にしてもらえず,そればかりか,遊びは時間の無駄だと言って,将来役に立つようなことをするように押し付けられる.人間すべてが「灰色の男たち」に支配されそうになったとき,本当の時間を知ったモモが,「灰色の男たち」から時間を取り返してくれる.そういう話だ.

途中,なぞなぞが1つ出てくる.

三人のきょうだいが,ひとつの家に住んでいる.
ほんとはまるでちがうきょうだいなのに,
おまえが三人を見分けようとすると,
それぞれたがいにうりふたつ.
一番うえはいまいない,これからやっとあらわれる.
二番目もいないが,こっちはもう家から出かけたあと.
三番目のちびさんだけがここにいる,
それというのも,三番目がここにいないと,
あとのふたりは,なくなってしまうから.
でもそのだいじな三番目がいられるのは,
一番目が二番目のきょうだいに変身してくれるため.
おまえが三番目をよくながめようとしても,
そこに見えるのはいつもほかのきょうだいだけ!
さあ,言ってごらん,
三人はほんとはひとりかな?
それともふたり?
それとも−だれもいない?
さあ,それぞれの名前をあてられるかな?
それができれば,三人の偉大な支配者がわかったことになる.

マイスター・ホラ(時の賢者)がモモに投げかける,なぞなぞだ.わかるかな?

2月 232008
 

日月神示 ミロクの世の到来
中矢伸一,徳間書店,2007

日月神示(ひつきしんじ)とは,岡本天明氏(1897–1963年)に神霊より降ろされたとされる神示である.永らくほとんど知られることがなかったが,1990年代に入って,本書著者の著作等により広く知られるようになってきた.日月神示には,天変地異を含む世界的な大激変の後,「ミロクの世」(地上の天国)が実現されるとある.そして,人間が取るべき行動が示されている.これが予備知識.

さて,本書は「日月神示」そのものの解説が主ではない.もちろん,あちらこちらで日月神示が登場するのだが,そこに示されている「ミロクの世」における人間社会の体制(政治・経済システム)とはどのようなものであるか,その理想的な体制へ移行していくために,どのような体制を経ていくべきかということが書かれている.もちろん,現在の資本主義が崩壊して消え去ることは大前提で,疑う余地すらない.資本主義後の社会システムとして,本書に詳しく紹介されているのは,サーカー氏が提唱した「プラウト」思想に基づくものである.まあ,サーカー氏よりもむしろ,その弟子であるラビ・バトラ教授の方が有名だろう.実際,本書でも,ラビ・バトラ氏による予言に多くの紙面を割いている.そのプラウトでは,道徳的に優れた指導者を有する協同組合的な地域社会の集合体としての人間社会を描いている.

ラビ・バトラ氏はかねてより2010年までに資本主義は崩壊すると警告しているが,その底流にあるのは,「歴史は繰り返す」という事実に基づく文明論である.武力,知力,財力が順に支配力を持つというのがその考え方であり,資本主義の現在は勿論,財力の時代である.この富が支配力を持つ時代は近々終焉し,次は武力が支配力を持つ時代になる.つまり,戦争の危険性は極めて高いと言える.また,本書では,プラウト理論による社会周期説とは別に,村山氏の800年周期説も紹介されている.村山氏によると,13〜20世紀はルネッサンスから現代に至るヨーロッパ文明の時代,5〜12世紀はアジア極東文明の時代,前4〜4世紀はギリシヤ文明・ローマ帝国文明の時代というように,人類の文明は800年周期で浮き沈みを繰り返すバイオリズムを持っている.そして,21世紀はちょうど次のサイクルに突入する激変の世紀となり,東西文明の興亡が交代する.この文明の交代時期には世界的な動乱が起こるとされる.

日月神示には明確な時期は示されていないそうだが,プラウト理論や800年周期説ばかりでなく,マヤ文明の暦が2012年で終わることなども含めて,近々人類にとって甚大な影響を持つ出来事が起こるということで予言は一致している.アセンションと言われる次元上昇も2012年だそうだ.

では,そのような追い詰められた状況にあって,どうすべきかなのか.その指針を与えるのが,日月神示だというわけだ.基本的には,考え方と生活を改めろということに尽きる.今のままでは地球も人類ももたないことぐらい,誰でも分かっているだろう.分かっていても何もしなければ意味がない.日月神示は行動することを求める.

まあ,こういう話を信じる信じないは別として,日本人の精神が退廃しきっている現在,心ある個人はどうすべきなのかについて,1つの指針を与えてくれることは確かだろう.

2月 202008
 

凝った綺麗な図を描くなら,初めからAdobe IllustratorやAdobe Photoshopを使用するという選択肢がある.しかし,講演や学会発表用にパワーポイント(Microsoft Powerpoint)で描いた図を,LaTeXで書く論文に利用したいケースは多い.ワード(Microsoft Word)で論文を書く文化圏の人達には理解できないかも知れないが,論文はLaTeX原稿で投稿するのが当然という分野,雑誌,出版社もある.その際,図はEPS形式で提出するように求められることが一般的である.最近は,ワード原稿を提出する場合でも,図はEPS形式で提出するように求めるところもある.さて,問題は,パワーポイントには,EPS形式のファイルを出力する機能がないことだ.

調べてみると,”wmf2eps”というソフトウェアがあり,これを利用する方法がネット上にも多く紹介されている.これは,ポストスクリプト・プリンタ・ドライバーをコンピュータにインストールし,出力形式をEPSに設定して,紙に印刷する代わりに,ファイルに出力するという方法になる.この作業をまとめてやってくれるのが,”wmf2eps”だ.その名前の通り,まず,パワーポイント(Microsoft Powerpoint)で描いた図をwindows用のwmfまたはemf形式で保存し,”wmf2eps”を利用して,eps形式に変換する.”2″は”to”だ.私もこのソフトを利用させてもらってきたのだが,図によっては正しく変換してくれないという欠点がある.図を透明化したりすると,お手上げのようだ.自分の設定がまずいだけかもしれないが...

そこで,別の方法を色々と試した結果,現在採用している方法は,Adobe Acrobatを用いる方法だ.まず,パワーポイント(Microsoft Powerpoint)で描いた図を印刷する.このとき,プリンタとして,Adobe PDFを選択し,PDFファイルを作成する.ファイルはAdobe Acrobatで開かれるので,余白部分をトリミングし,必要な部分だけを取り出す.できたら,EPS形式で保存する.これだけだ.

“wmf2eps”以外にも,ポストスクリプト・プリンタ・ドライバーを利用する方法はあるが,図の領域(バウンディングボックス)を指定する必要があり,これが非常に面倒だ.その点,Adobe Acrobatを利用すれば,そのトリミング機能で簡単にサイズを調整できる.

これがベストな方法かどうかは不明だが,確実簡単にパワーポイントで描いた図をEPS形式に変換できるので,玄人ではないLaTeX使いとしては助かっている.まあ,このためだけにAdobe Acrobatを購入するわけにはいかない人もいるだろうが...

2月 182008
 

十日ほど前の記事「一燈照隅・萬燈遍照: 足下を見つめ直す」に,「年を取ってきたためか,焦燥感と無力感だけが募る昨今である.」と書いた.この「一燈照隅・萬燈遍照」という言葉は,安岡正篤氏の「青年の大成―青年は是の如く」(致知出版社,2002)の中に出てきた言葉である.今日(と言ってももう昨日になるが),その安岡正篤氏の「論語に学ぶ」(PHP研究所,2002)を読んだ.そこで,自身の焦燥感に追い打ちを掛けるような言葉に接し,我が身を省みつつ,この文章を書いているところだ.いずれも論語に記された孔子の言葉である.

『子曰く,年四十にして悪まるるは,其れ終らんのみ.』

孔子が言われた,「人間,年の四十にもなって,人から見切りをつけられるようでは,もうお終いである」と.

『子曰く,後生畏るべし.焉ぞ来者の今に如かざるを知らんや.四十五十にして聞こゆること無くんば,斯れ亦畏るるに足らざるのみ.』

孔子が言われた,「後輩・後進というものは大いに畏敬しなければならない.後から来る者がどうして今の先輩に及ばないということがわかろうか.しかし如何に有望な後生でも,四十五十になって世間の評判にならぬようならば,これは畏敬するに足らない」と.

なんとも痛烈だ.あと数年で私も四十となる.「其れ終らんのみ」なんて言われたら,もう,どうしようもない.若い頃には,自分が「後生」として畏敬される立場だとふんぞり返ってきたものだが,もう,そんな馬鹿なことは言っていられなくなってしまった.「畏敬するに足らない」と見切られてしまわないように,藻掻くことにしよう.

もう1つ.

『子日く,如し周公の才の美有りとも,驕且つ吝ならしめば,其の余は観るに足らざるのみ.』

孔子が言われた,「たとい周公のような才能の美があっても,人に驕り且つ吝嗇(りんしょく)であったならば,その外のことは観るまでもない」.

驕且つ吝であるということは,つまり徳がないということです.だから徳がないような人間は,外のことがいくらよくできても,論ずるに足らないということになるわけであります.

これは心に深く刻んでおかなければならない.この年になって今更ではあるが,徳を身に付けるよう精進しなければならない.

学生には,四十に届くような年齢になってから後悔せずにすむように,早くから自覚してもらいたい.まあ,私如きが言っても説得力がないというのが最大の問題だが...私の言うことなんて聞かなくて良いから,まともな本を読むだけでもして欲しいと切に願う.

2月 182008
 

論語に学ぶ
安岡正篤,PHP研究所,2002

「論語」についての安岡正篤氏の講話4編をまとめたものである.論語を知らない人はいないと思うが,読んでいる人でも,自分の実生活に活かせている人は希だろう.本書では,最初の「論語読みの論語知らず」において,自身の体験をふまえて,論語を人生に活かす読み方が書かれている.

講話録であるから,論語を逐一解説しているわけではない.いくつかの言葉について,その意味するところを詳しく説いている.平易に解説されているため,論語を読んだことがないという人でも読める.「あー,この言葉も論語が出典なのね」と思いながら,自分の生き様を見つめ直すことができるだろう.

2月 152008
 

5次元世界への超扉―イベントホライゾン2012
エハン・デラヴィ,徳間書店,2007

衝撃を受けた.どう感想を書いておいたらよいのかよく分からないというのが正直なところだが,少しだけ書くことにする.

余程脳天気な人か,あるいは馬鹿でもなければ,現在の人類社会が地球上で存続可能とは思わないだろう.今まさに,人類は自ら作り出した文明の力によって滅びようとしている.旧約聖書に「ノアの箱船」という逸話があることぐらいは知っているだろう.アトランティスという古代文明の話も聞いたことぐらいあるだろう.現代以上に高度な文明を持っていたともされる古代人類は,想像を絶する危機に見舞われてきたわけだ.実際,古代文明は極一部の遺跡を除いて,跡形無く消滅している.そして今,西暦2008年において,人類は再び(物質的には)高度な文明社会を築き,地球を疲弊させている.マヤ文明の暦は2012年で終わっている.2012年は人類滅亡の年というわけだ.本書のタイトルにある「2012」というのは,まさにこの2012年のことだ.

実際に何が起こるのかは知る由もないが,天変地異とする説がある.「ノアの箱船」のときは大洪水だった.天変地異が起こるなら,大洪水ぐらい起こるだろう.豪華客船が建造されるのはなぜか.金持ちの道楽旅行のためか.もう少し想像力を働かせてみよう.天変地異は,太陽系に接近する天体が引き起こすという説がある.いわゆる惑星X(10番目の惑星という意味もある)である.ニビルとも呼ばれるこの惑星は,古代シュメール文明にも登場する.昨今,地球温暖化が問題となっているが,人間の活動だけが問題なのではなく,最も大きな影響は太陽の活動の活発化にあるともされる.つまり,惑星Xが太陽をはじめ太陽系に大きな影響を与え始めており,その影響は今後ますます強くなるというわけだ.ネズミの所為で大ナマズが地震を引き起こすどころの話ではない.

では,どう対処するのか.ここがポイントなのだが,人間は霊的な意味で覚醒しなければならないとされる.本書のタイトルにある「5次元世界」というのは,通常の人間が知覚することはできない世界という意味だ.3次元空間+時間で4次元だから,5次元というのは,さらにその先の世界ということになる.人類は5次元世界で生きるように進化(次元上昇)しなければならないということだ.この次元上昇が「アセンション」と呼ばれるもので,これは人間のみが経験するものではなくて,地球規模で起こるとされる.新世界のスタートとでも言ったらよいのだろうか.その新世界へと進むために,アセンションするために,平たく言えば,個々の人間は行いを正しく改めなければならず,霊的に覚醒しなければならない.極端な具体例を挙げて言うなら,イエス・キリスト,釈迦,マザーテレサのような人間になれということだ.

本書はアセンションについて平易に解説するものであり,宗教や古代文明や古文書の話が多く登場する.コルブリン聖書,グノーシス主義,スーフィー,死者の書など.今後の人類社会の在り方を考える参考になるだろう.もう時間がないけれど...

2月 142008
 

理想の日本人
濤川栄太,中経出版,2007

安岡正篤氏の「青年の大成―青年は是の如く」と「人生と陽明学」を借りるために図書館に行ったところ,たまたま,「内村鑑三が『代表的日本人』を世に出してからちょうど100年」というキャッチと,真っ赤な装丁に目がとまって借りてきた.目にとまったのも何かの縁と,降雪のために利用した公共交通機関内で読んだ.

「世界連邦」とか「人類のユートピア実現」というのは大風呂敷で,大言壮語の感が免れず,ちょっと引いてしまうというのが正直なところだ.しかし,昔から外国人に畏敬の念を抱かせてきた気高い精神性が日本人から消え去り,精神的頽廃の極に達するかの感がある現代において,幾多の傑出した人材に恵まれた母国の歴史を紐解き,理想の日本人の姿を描いてみるという試みは意義深いと感じる.

単に有名ということではなく,人間性に優れた人物が数多く紹介されているので,本書でその生き様に触れ,興味を持った人物についてさらに学びを深めていくというのも良いのではないだろうか.

本書では,アインシュタインやトインビーの言葉を借りて,世界平和に対する日本の特別な役割を示唆しているが,その他にも「文明の衝突」のサミュエル・ハンチントンなど,枚挙に暇はないだろう.スピリチュアル系でもそうだとされているらしい.足りないのは,日本人の自覚か.