2月 052008
 

自分の足下を見つめ直す必要がある.

このブログにも時々書いているが,私は大学の一教員として,また日本の一国民として,教育の頽廃を心から憂えている.偉そうにそんなことを書いてみても,実際には,負け犬の遠吠えのようなものである.上から下まで教育軽視のこの世相において,それほど簡単に教育再生がなるとは思われず,また,それに貢献できる能力が自分にあるとも思えない.しかし,何とかしなければならないのではないかとの思いはある.仮にこの思いがなくなったならば,私が教員である価値は何もないだろう.年を取ってきたためか,焦燥感と無力感だけが募る昨今である.

そのような折り,安岡正篤氏の「青年の大成―青年は是の如く」(致知出版社,2002)を読んだ.その中に「一燈照隅・萬燈遍照」と題した文章がある.

各々がそれぞれ一燈となって,一隅を照らす,すなわち自分が存在するその片隅を照らすこと.この「一隅を照らす」は,伝教大師がその著「山家学生式」のなかに,提唱しておることです.

なんで片隅を照らすなど,心細いことを言われたのか―とよく考える人がある.大光明を放つとでも言ってもらいたいところです.しかし聞くだけなら愉快だが,人間みずから大光明を放つことなど,どうしてなかなかできるものではない.

つまらない人間も「世界のため,人類のため」などと言います.あれは寝言と変わらない.寝言よりももっと悪い.なにも内容がない.自分自身のためにも,親兄弟のためにも,ろくなことができない人間が,どうして世界のために,人類のために,なんて大口きけるか.

それよりも自分が居るその場所を照らす.これは絶対に必要なことで,またできることだ.真実なことだ.片隅を照らす.この一燈が萬燈になると,「萬燈遍照」になる.こういう同志が,十万,百万となれば,優に日本の環境も変わりましょう.

このときに,この書を手にし,この文章を読むというのも何かの縁であろう.与えられたものを,自分の行動に活かす必要がある.世の中の出来事に偶然は何一つとしてない,すべては必然であるという考え方がある.そうなのかどうか私が知る由もないが,すべてを運の所為にしてみても,そこから何も得るものがないのは確かだ.生きていると,色々のことについて「ひらめき」を得る瞬間があるものだが,かねてよりそのことについて真剣に考えているようなときに,そのこととは関係のなさそうなことをしていて,ふとひらめくことが多い.誰しもそういう経験があるだろう.これも偶然ではなく,必然と言える.

ジェリー・ポラス,スチュワート・エメリー,マーク・トンプソンが著した「ビジョナリー・ピープル」(英治出版,2007)には,「ビジョナリーな人の圧倒的多数は,自分の成功は思いがけない幸運の道のりだった,その願ってもない幸運はたいてい,自分からつかみ取ったもので,それには大変な犠牲を払っている,と言う.それができたのは,自分にとって意義のある仕事に専念し,どこまでも深く入り込んで,関係のありそうな手掛かりを発見しようとしたからだ.彼らは大きな目標を立て,目の前の仕事に身も心も捧げている.」と書かれている.単にラッキーだったというのではない.努力をしたからこそ,チャンスを掴むことができるのだ.

また,デール・カーネギーやナポレオン・ヒルなど成功哲学の著名人に多大な影響を与え,自己啓発書の原点とされる「「原因」と「結果」の法則」(サンマーク出版,2003)において,ジェームズ・アレンは,「人間は思いの主人であり,人格の制作者であり,環境と運命の設計者である」と説いている.つまり,自分の人格はもちろん,自分を取り巻く環境や事の成否はすべて自分の思いの結果であり,高貴な思いとビジョンを持ち,それに従って行動すべきというわけだ.

自分の足下を見つめ直そう.

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