3月 072008
 

松下村塾にて多くの志士を育てた吉田松陰の教育理念は,「松下村塾の記」にまとめられている.「吉田松陰・留魂録」(古川薫,講談社,2002)にその訳があるので見てみよう.

長門の国は僻地であり,山陽の西端に位置している.そこにおく萩城の東郊にわが松本村はある.人口約一千,士農工商各階級の者が生活している.萩城下はすでに一つの都会をなしているが,そこからは秀でた人物が久しくあらわれていない.しかし,萩城もこのままであるはずはなく,将来大いに顕現するとすれば,それは東の郊外たる松本村から始まるであろう.

私は去年獄を出て,この村の自宅に謹慎していたが,父や兄,また叔父などのすすめにより,一族これに参集して学問の講究につとめ,松本村を奮発振動させる中心的な役割を果たそうとしているのである.

叔父玉木文之進の起こした家塾は松下村塾の扁額を掲げた.外叔久保五郎左衛門もそれを継いで,村名にちなむこの称を用い,村内の子弟教育にあたっている.その理念は「華夷の弁」を明らかにすることであり,奇傑の人物は,かならずここから排出するであろう.ここにおいて彼らが毛利の伝統的真価を発揮することに貢献し,西端の僻地たる長門国が天下を奮発振動させる根拠地となる日を期して待つべきである.私は罪囚の余にある者だが,さいわい玉木,久保両先生の後を継ぎ,子弟の教育にあたらせてもらうなら,敢えてその目的遂行に献身的努力を払いたいと思う.

これを書いたとき,吉田松陰は罪人として幽囚の身であった.それでもなお,このような大志を抱き,教育に情熱を燃やしているのである.そればかりか,まさに有言実行,日本の歴史を動かす多くの志士を松下村塾から排出したのである.

最高学府の末席にて教育に携わる者として,深い衝撃を受ける.

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