12月 312009
 

今日は大晦日,今年の年の瀬は,家族そろって自宅に引き籠もって過ごした.それと言うのも,新型インフルエンザのせいだ.

まず,12月27日夜に長男6歳が発熱.翌28日朝に小児科へ行くが,この段階でインフルエンザ検査をしても判定できないだろうからと,とりあえず1日様子を見ることになる.当日,私は名ばかりの仕事納め.

29日朝,熱の下がらない長男は再び小児科へ.検査の結果,新型インフルエンザであると判明.吸引薬のリレンザを処方してもらう.彼女は自然治癒力を尊重するタイプなので,基本的に劇薬は拒否するのだが,病院が休みになることもあり,小児科の先生からも時期が時期だから使う方がいいと諭され,納得した様子だ.インフルエンザを移し合わないようにと,家の中で全員マスクをする.

昼頃,私も発熱.37度台.長男よりも,むしろ私の方が体調が優れない.夕方には38度台.みんなで湯豆腐を食べ,子供を寝かしつける頃には39度台後半.強烈な頭痛に襲われる.

30日朝になると,長男は随分と調子が良さそうになったが,代わりに長女4歳がダウン.布団から起き上がってこられない.私も引き続きダウン.熱は少し下がって,38度台.朝方不調だった長女は,昼頃には復活.キャッキャキャッキャと遊んでいる.インフルエンザではなかったか.長男は相変わらず咳が止まらないものの,熱は下がった.

そして大晦日の今日.子供たちは元気そうだ.朝から,「フレッシュプリキュア! 変身ケータイ手帳 リンクルン」でシフォンの世話をしている.私の熱もようやく37度台まで下がってきた.ただ,寝過ぎで,身体中が痛いし,怠い.

そんなこんなで過ぎた年の瀬の3日間だった.今日は年越しそばを食べて,今年一年間の様々な出来事に感謝して,新しい年を迎えよう.

今年も,このブログを読んでいただいて,ありがとうございます.皆さんにとっても,2010年がますます素晴らしい出来事に満ちた一年となりますように.そんな一年をイメージして,2010年を迎えましょう.では,また.

12月 292009
 

理系のための人生設計ガイド
坪田一男,講談社,2008

京大生協の店舗で本棚を眺めていたときに,ふと目に留まったので,いつものように図書館で借りてみた.山中教授の帯がインパクトがあったからのように思う.

著者の坪田氏は慶應義塾大学医学部教授.本書「理系のための人生設計ガイド」は,まさにタイトルの通り,理系の大学院生や若手研究者を対象に,人生設計の大切さと方法を,具体例を交えて解説したものだ.内容はありきたりではない.経済的自立のために本職(大学教員の給料)以外でお金を稼ぐ方法や,会社・学会・NPO法人の設立の仕方など,並の大学教授には書けないようなことが書いてある.もちろん,そればかりでなく,科研費申請書の書き方から教授選挙のポイントまで,大学教員の関心事もしっかり書いてある.理系と一口に言っても,医学部は特殊なので,そういう意味でのバイアスはかかっていると思うが,それでも理系なら若いうちに一読する価値はある.

私自身に経験がない部分は評価しようがないが,全体としては極めてまともな主張がなされている.自己分析をしろ,お金にも気を配れ,仲間を作れ,とにかく業績をあげろ,表現力を高めろ,時間を有効に使え,等々.

本書を読んで動機づけられたら,もっと深い本を読むといいだろう.例えば,自己分析や時間管理なら,「経営者の条件」(ピーター・ドラッカー,ダイヤモンド社).お金のことなら,「宇宙を味方にしてお金に愛される法則」(ボブ・プロクター,きこ書房).ちょっと違うか...仲間を作ることなら,「人を動かす」(デール・カーネギー,創元社).表現力なら,「話し方入門」(デール・カーネギー,創元社)

今,この本を読んで,自分自身がやらねばと思ったことは,1)本を書くこと,2)積極的に人に会うこと,3)会社設立を真面目に考えることだ.本を書くのは,自分を社会に対して売り込むと共に収入を増やすため.人に会うのは優れた人と縁を結ぶため.会社設立を考えるのは,いつも間にか染みついたリスク回避思考を払拭するため.

本書の素晴らしい点は,坪田氏の前向きな姿勢そのものにある.「ごきげん」主義なのだそうだ.

とにかく,「将来のことは考えてません」などという戯けた理系は,すぐに読むといい.

目次

  • 設計1 基礎知識編-成功のためには「人生設計」が必要だ
  • 設計2 自己分析編-「自分年表」で人生を仮説にする
  • 設計3 経済編-研究者こそ経済的自立が必要だ
  • 設計4 友人・知人編-人的ネットワークを増やすには
  • 設計5 海外ネットワーク編-世界で認められる研究者になる
  • 設計6 ポスト編-母校の教授になるために
  • 設計7 業績向上編-ノーベル賞を狙う気持ちで研究する
  • 設計8 表現編-表現力をつけて社会にアピールする
  • 設計9 インフラ編-会社、学会、NPOを用意する
  • 設計10 時間編-人生設計とは「時間をどう使うか」である
  • 設計11 トラブル編-理系の弱点「危機管理能力」を備えよう
12月 292009
 

スピリチュアル オーラブック
江原啓之,マガジンハウス,2006

人には,霊体のオーラと幽体のオーラがあるそうだ.江原氏によると,霊体のオーラは人間の本質や人格を表し,幽体のオーラは肉体の健康状態を表すらしい.本書「スピリチュアル オーラブック」では,自分のオーラがどんな色をしているか,そしてそれが何を意味しているかを知ることができるらしい.本当かどうかは私には判断できない.

オーラというと怪しげに聞こえるが,昔の宗教画を見れば,聖人の頭には必ず金色の円盤が描かれている.東洋でも,後光という.要するに,これらが霊体のオーラだ.科学と合理主義に洗脳された現代人には見えにくくなってしまったが,自然に近い生活をしていた昔の人々には普通に感じられたのかもしれない.

最初に書かれているチャートに,Yes,Noで答えていくと,私の霊体のオーラはどうやら赤紫色のようだ.その説明を見ると,「面倒見が良くて情け深い頼れるリーダー」と書いてある.う〜ん,どうだろうか.

ちなみに,私は工学系の研究を生業としている典型的な理系だが,非科学的なことにも極めて柔軟であると思う.周囲が驚くほどに.引き寄せの法則が言うように,イメージしたことは現実になるのだと思うし,「ありがとう」と何度も呟くし,そのように行動したとして特にデメリットがないものであれば何でもやらなければ損じゃないの?と考えるタイプだ.ある意味,徹底的な合理主義者だとも言える.

まあ,そんなわけで,スピリチュアル系の本も読んだりする.

目次

  • 第1のオーラ
  • 第2のオーラCheck!
12月 272009
 

国家〈下〉
プラトン(著),藤沢令夫(訳),岩波書店,1979

哲人統治(哲学者による統治)を実現するためには,何が必要であるか.まず,統治者に相応しい哲学者を育成しなければならない.そのために不可欠な教育とはどのようなものであるか.プラトンはソクラテスの口を借りて,次のように主張する.

<善>の実相(イデア)こそは学ぶべき最大のものである

あらゆるものに対して存在するイデアの中でも,特に<善>のイデアが最も重要であるとされる.イデアとは何か,またなぜイデアを知ることが重要であるのか.本書「国家」において,このプラトン哲学の中核となる概念が,有名な洞窟の比喩を用いて説明される.その他の比喩も含めて,あまり分かり易いとは言えないが,私自身は,「ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙」(ヨースタイン・ゴルデル)で「洞窟の比喩」などを知っていたので,特に理解に苦しむことはなかった.「ソフィーの世界」は哲学入門書として非常によくできているので,お勧めだ.

統治者としての哲学者は何を教育されるべきか.本書「国家」においてプラトンは,教育すべきものは,第一に計算術と数論,第二に幾何学,第三に立体幾何学,第四に天文学,そして音階の調和(音楽)であるとする.科学者を育成するためではない.理想的な国家を統治する者の教育科目として,これらが必須であると宣言しているのだ.

翻って,プラトンの時代から二千年以上を経た日本では,曽根何某という作家が「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので,このようなものは(中学教科書から)追放すべきだ」と言い,それが罷り通った.ここまで想像力のない,頭の悪そうな発言が,国家レベルの教育という重大問題に影響を与えるとは本当に衝撃的だ.

話を戻そう.本書「国家」では,教育について多くのことが語られている.そのうちのいくつかを以下に示す.

自由な人間たるべき者は,およそいかなる学科を学ぶにあたっても,奴隷状態において学ぶというようなことは,あってはならないからだ.じじつ,これが身体の苦労なら,たとえ無理に強いられた苦労であっても,なんら身体に悪い影響を与えるようなことはないけれども,しかし魂の場合は,無理に強いられた学習というものは,何ひとつ魂のなかに残りはしないからね.

君は,子供たちを学習させながら育てるにあたって,けっして無理強いを加えることなく,むしろ自由に遊ばせるかたちをとらなければならない.またそうしたほうが,それぞれの子供の素質が何に向いているかを,よりよく見てとることができるだろう.

(子供たち)の内なる最善の部分をわれわれの内なる最善の部分によって養い育てることにより,同じような守護者と支配者を代りに子供のなかに確立してやって,そのうえではじめて,放免して自由にしてやるのだ.

このようにして,統治する者とはいかなる人物か,また彼らをいかにして教育するか,が論じられた後,そのような人物が治める理想的な国家が言論によって描かれる.当然ながら,この理想国家は善を何にもまして優先させるという意味で優れた人物が統治する.彼らは支配するのが好きで統治するのではない.支配することの対価を求めて統治するのでもない.優れた人物であるが故に,統治者となるべく国家によって教育されたが故に,義務として統治者としての務めを果たす.既に述べられたように,彼ら統治者は一切の私有財産を持たず,子供は共有される.私利私欲のための支配とは対極にある.

ソクラテスの対話は,このような優秀者支配制の理想国家がどのようにして不完全な国家へと堕落していくのかについての考察へと進む.不完全な国制は複数あり,理想国家が堕落する過程において順次現れる.まず,優秀者支配制国家が名誉支配制国家となり,寡頭制国家へと変容する.さらに,寡頭制国家を崩壊させて民主制国家が現れ,その後に僭主独裁制国家が誕生する.プラトンの「国家」において重要なのは,これらの国制に対応する人間についての考察である.既に明らかにされた哲学者=優秀者の他に,寡頭制的人間,民主制的人間,僭主独裁制的人間とはどのような人物であるかが吟味されている.

冷戦後の現代に生きる我々にとっては,特に民主制国家および民主制的人間に関する考察が興味深い.

ここ(民主制の国家)では,国事に乗り出して政治活動をする者が,どのような仕事と生き方をしていた人であろうと,そんなことはいっこうに気にも留められず,ただ大衆に好意をもっていると言いさえすれば,それだけで尊敬されるお国柄なのだ.

それ(民主制の国家)はどうやら,快く,無政府的で,多彩な国制であり,等しい者にも等しくない者にも同じように一種の平等を与える国制だ,ということになるようだね.

今の日本は全くこの通りであろう.政治屋が「政治は選挙だ」と宣い,庶民感覚が大切だとして,大衆の味方であることを演出する.大衆は大衆で,そんな政治屋やタレントに熱狂し,国家の未来なんて眼中にない.選挙=利権争奪戦でしかない.これを衆愚政治と呼ぶのだろう.

このような国制はいずれ崩壊せざるを得ない.その理由をプラトンは次のように述べている.

「民主制国家が善と規定するところのものがあって,そのものへのあくことなき欲求こそが,この場合も民主制を崩壊させるのではあるまいか?」

「民主制国家は何を善と規定していると言われるのですか?」

「<自由>だ」とぼくは言った.「じっさい,君はたぶん,民主制のもとにある国で,こんなふうに言われているのを聞くことだろう—この<自由>こそは,民主制国家がもっている最も善きものであって,まさにそれゆえに,生まれついての自由な人間が住むに値するのは,ただこの国だけである,と」

我が国の同盟国がことあるごとに声高に叫んでいるのは,まさに自由の価値ではなかったか.

こうして,様々な国制とそれらに対応する人間が明らかにされた後,ソクラテスらは最初の問題に立ち返る.すなわち,不正が利益になるという言論を反駁し,正義はそれ自体が利益となることを証明する.ここでは,現世における報酬と死後における報酬とが詳しく述べられ,特に価値があるのは,現世よりもむしろ死後の報酬であることが指摘される.この主張を支えるために,「パイドン」(プラトン)におけるのと同様にして,魂の不死が証明される.

流石,世界の古典だけのことはある.証明が証明になっていないとかはあるが,これだけのことを自分の頭で考え,構築した実績は驚嘆に値する.まさに優れた人間のみの為せる業だ.

目次

  • 第六巻〜第十巻
12月 262009
 

クリスマスイブに書いた通り,ジジババから長男6歳と長女4歳へのクリスマスプレゼントは,「侍戦隊シンケンジャー 秘伝再生刀 シンケンマル」と「フレッシュプリキュア! 変身ケータイ手帳 リンクルン」だった.リンクルンは,今朝も早くからピコピコと鳴っていたが,長女はほとんど反応すらせず,代わりに長男がシフォンの世話をしていた.

さて,我が家を訪れてくれるサンタクロースは必ずしも子供が欲しいものをプレゼントしてくれるとは限らないようだ.ただ,よそではそうでもないらしい.

長男: 「サンタさんに,○○欲しいな.」

パパ: 「じゃ,頼んでみたら.お手紙書いて,ちゃんとお願いしないとダメなんと違う.」

長男: 「○○下さいって,お手紙書こう.」

長女: 「○○ちゃんも書く〜!」

パパ: 「うん.そうしとき.でも,サンタさんが○○を持ってきてくれるかどうかはわからんで.プレゼントはサンタさんが選んでくれるんやから.」

長男: 「でもなぁ.××ちゃんはサンタさんに欲しいものもらったって.××くんも.」

パパ: 「へぇ〜.欲しいものもらわはったの.よかったね.」

長男: 「なんで,○○くんには,サンタさん欲しいものをくれへんの?」

パパ: 「○○くんのうちには,ちゃんと,○○くんに一番いいプレゼントを選んでくれるサンタさんが来てくれるからじゃない.」

長男: 「え〜〜.なんで?」

パパ: 「なんでやろな.いろんなサンタさんがいるんやな.でも,いい子にしてないとサンタさんは来てくれへんで.」

長男: 「うん.」

そんなサンタクロースが,長男への今年のプレゼントに選んでくれたのは,ロンポス4Dパズルゲーム.3〜5個の玉が連なったパーツを盤上の穴にはめ込んでいくゲームで,平面パズルの場合は3角形を,立体パズルの場合は大小2種類のピラミッドを作る.安いロンポス101や202との違いは,ロンポス4Dにはゲーム盤が2セット入っていて,2人で対戦ができることと,問題数が圧倒的に多いことだ.長男と長女がケンカせずにすむようにと,サンタさんが選んでくれたのだろう.

問題の難易度は様々で,長女4歳でもすぐに解けるような問題もあれば,大人がやっても解けるかどうかわからないような問題まである.実際,ピラミッドを作る問題のうち,最高難度のパズルは,解ける気がしない.そういう意味で,子供から大人まで誰でも楽しめるパズルゲームだといえる.私も,脳みそが腐らないように,ロンポス4Dパズルゲームで鍛えることにしよう.

あと,長男がもらった袋には,ポケモンのモンコレ(フィギア)も入っていた.ディアルガ,ボーマンダー,グラードンの3体.

一方,サンタクロースから長女へのプレゼントは,お手紙セットや折り紙などの山だ.物凄い量で,袋を開けた長女と長男が驚いていた.

12月 242009
 

長男6歳と長女4歳が,ジジババにクリスマスプレゼントを買ってもらった.サンタクロースは必ずしも子供が欲しいものをプレゼントしてくれるとは限らないが,ジジババには好きなものをプレゼントしてもらえる.というわけで,長男が選んだのは「侍戦隊シンケンジャー 秘伝再生刀 シンケンマル」.戦隊ものの玩具だけあって,ボタンを押すと凄い音が鳴る.とりあえず,スピーカー部分にセロハンテープを貼って,音を小さくする.もちろん長男は不満なので,隙間を空ける.私は隙間を埋める.いたちごっこだ.確かにうるさいのだが,まあ,普通のおもちゃだ.

一方,長女が選んだのは「フレッシュプリキュア! 変身ケータイ手帳 リンクルン」.これをプレゼントしてもらうことを許可したのは大失敗だった.このおもちゃの恐ろしさを知っていれば,決して許可しなかっただろう.完全にリサーチ不足だ.

最近,長女はフレッシュプリキュアにはまっていて,誕生日のプレゼントは「シフォンお世話になります!」と「フレッシュキュアスティック」だった.さらに,4歳のバースデーケーキのデザインもフレッシュプリキュアの「キュアパッション」だった.

問題の「フレッシュプリキュア! 変身ケータイ手帳 リンクルン」は,プリキュアが変身するときに使うアイテムであり,先に購入した「シフォンお世話になります!」と通信もできるというので,長女が欲しがり,親として妥当と判断した.

しかし,この「フレッシュプリキュア! 変身ケータイ手帳 リンクルン」は,たまごっちみたいに,その中にいるシフォンの世話をしなければならない.「世話くらいしたらいい」と思うかもしれないが,事実,私もそう思っていたのだが,朝7時にピコピコと大音量で,おむつを換えろとか,お腹が空いたとか,騒ぎ立てる.放っておくと,いつまでもピコピコと鳴っている.朝は幼稚園に行く準備をするので大忙しなのにだ.今朝など,幼稚園が冬休みに突入した長女はグッスリ寝ており,朝5時頃から仕事をしていた私の横で,リンクルンがピコピコと大音量で鳴り,数分ごとに手を止めて,シフォンの世話をしなければならない有様だ.夜は夜で,9時までピコピコと大音量で世話を要求する.本当に洒落にならない.

長女はまだうまく世話ができないというか,世話をする気すらなく,リンクルンがピコピコと鳴ると,「もう,うるさいな〜.ママ,黙りなさいって怒っておいて!」とか,完全に他人事だ.

普通,こういう玩具って,しばらくすると勝手に電源が切れるとか,少なくとも騒がなくなるものだと思っていたのだが,全くの見込み違いだった.恐るべし,「フレッシュプリキュア! 変身ケータイ手帳 リンクルン」.

12月 232009
 

昔からよく言われていることだが,自分も含めて人間の意志決定の様子を見ていると,「やらない理由を思い付くのは簡単である」という事実に気付く.特に,それなりに頭がよい人であれば,何事に対してであれ,欠点・短所・デメリットを指摘することは簡単である.それも合理的な理由付きで.

それで,私としては,こう思うわけだ.「では,あなたがやりたいことは何?」と.「あなたがやれることは何?」と.

人が集まったからと言って物事が前に進むわけではない.前に進む意志がある人が集まることが重要だ.

この点については何も悲観はしていない.前に進む意志がある人は自然と集まるだろうからだ.なぜなら,そういう人達は互いに引き寄せ合うだろうから.

問題が起こるとすれば,前に進む意志がなくなってしまうような組織においてであろうと思われる.

ポジティブ・シンキングが大切だとは言い古されたことではあるが,前向きとか後ろ向きとかはどのようにして身に付くのだろう.成功体験と失敗体験か.あるいは教育か.

12月 222009
 

国家〈上〉
プラトン(著),藤沢令夫(訳),岩波書店,1979

プラトンが著した数多くの対話編の中にあって,その最高峰とも評されるのが本書「国家」だ.本書では,人間の善し悪しのみならず,国家の在り方が論じられている.国家とはどのように在るべきかという問いに対して,プラトンはソクラテスの口を借りて「哲学者による統治が最善である」と答える.これが,哲人統治だ.しかし,この哲人統治思想は古代ギリシアにおける政治体制の現実とは大きく乖離しており,また現代に至るまでの世界史の中でもほとんど実現されたことはない.数少ない例の1つが,マルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus)が皇帝として善政を敷いたローマ帝国の一時期である.

ソクラテスによるケパロスとの対話およびポレマルコスとの対話において,正義とは何であるかが吟味された後,トラシュマコスがソクラテスに食ってかかる.

何というたわけたお喋りに,さっきからあなた方はうつつをぬかしているのだ,ソクラテス?

トラシュマコスは正義についてこう主張する.

では聞くがよい.私は主張する,<正しいこと>とは,強い者の利益に他ならないと.

こうして,ソクラテスとトラシュマコスとの対話の口火が切って落とされた.ソクラテスは,トラシュマコスの同意を得ながら,一歩一歩論を進めてゆく.そして,気が付くと,次のような結論が得られていた.

そしてまた,トラシュマコス.一般にどのような種類の支配的地位にある者でも,いやしくも支配者であるかぎりは,けっして自分のための利益を考えることも命じることもなく,支配される側のもの,自分の仕事がはたらきかける対象であるものの利益になる事柄をこそ,考察し命令するのだ.そしてその言行のすべてにおいて,彼の目は,自分の仕事の対象である被支配者に向けられ,その対象にとって利益になること,適することのほうに,向けられているのだ

トラシュマコスはもちろんこの結論に不服であり,ソクラテスのペテンに嵌められたと憤る.そして,不正こそが自分自身の利益であると言い放つ.

不正は素晴らしいというトラシュマコスの言説は我々の多くにとって不快な響きを持つように思われるが,しかし,現実にはそうでもないように見える.というのも,見付かり罰せられることさえなければ,不正をした者が勝ちだという価値観を持っている人達は少なくないようだからだ.実際,社会的地位のない人々のみならず,支配者階層にいる人々でさえも,そのような劣悪な精神しか身に付けていないように思われる出来事には事欠かない.

古代ギリシアもそのような社会だったようだ.実際,このトラシュマコスの他にも,「ゴルギアス」において,有能な政治家カルリクレスが次のように申し立てている.

つまり,正しく生きようとする者は,自分自身の欲望を抑えるようなことはしないで,欲望はできるだけ大きくなるままに放置しておくべきだ.そして,できるだけ大きくなっているそれらの欲望に,勇気と思慮とをもって,充分に奉仕できるものとならなければならない.そうして,欲望の求めるものがあれば,いつでも,何をもってでも,これの充足をはかるべきである,ということなのだ.しかしながら,このようなことは,世の大衆にはとてもできないことだとぼくは思う.だから,彼ら大衆は,それをひけ目に感じて,そうすることのできる人たちを非難するのだが,それはそうすることによって,自分たちの無能を蔽い隠そうとするわけである.(中略)そしてまた,自分たちは快楽に満足を与えることができないものだから,それで節制や正義の徳をほめたたえるけれども,それも要するに,自分たちに意気地がないからである.

けれども,始めから王子の身分に生まれた人たちだとか,あるいは,自分みずからの持って生まれた素質によって,独裁者であれ,権力者であれ,何らかの支配的な地位を手に入れるだけの力を具えた人たちだったとしたら,およそそのような人たちにとっては,節制や正義の徳よりも,何がほんとうのところ,もっと醜くて,もっと害になるものがありうるだろうか.

このような考え,つまり不正は利益に繋がるという考えを否定できるのか.逆に,正義こそ利益になるということを主張できるのか.これが本書「国家」において吟味されている事柄の1つである.

正しい者と思われることによってではなく,正しいことそのものによって利益が得られることを示すために,ソクラテスは理想的な国家を建設するという思考実験を行う.この理想的な国家も対話の中で建設されてゆく.そして,その国家で制定されるべき法が何であるかが吟味される.

生まれついての病気持ちで不摂生な者は,本人にとっても他の人々にとっても生きるに値しない人間であり,医療の技術とはそのような人々のためにあるべきでもないし,またそのような人々には,たとえミダスよりもっと金持であったとしても,治療を施すべきではない

国を支配する者たちに神が告げた第一の最も重要な命令は,次のことなのである.彼らがすぐれた守護者となって他の何にもまして見守らなければならぬもの,他の何よりも注意ぶかく見張らなければならぬのは,これら子供たちのこと,すなわち,子供たちの魂の中にこれらの金属のどれが混ぜ与えられているか,ということである.そして,もし自分自身の子供として銅や鉄の混ぜ与えられた者が生まれたならば,いささかも不憫に思うことなく,その生まれつきに適した地位を与えて,これを職人や農夫たちのなかへ追いやらなければならぬ.またもし逆に職人や農夫たちから,金あるいは銀の混ぜ与えられた子供が生まれたならば,これを尊重して昇進させ,それぞれを守護者と補助者の地位につけなければならぬ.

自然本来のあり方に従って建てられた国家は,みずからの最も小さな階層と部分にほかならない指導者・支配者によってこそ,またその最小部分にある知識によってこそ,全体として<知恵>があるということになるわけだ.

これらの女たちのすべては,これらの男たちすべての共有であり,誰か一人の女が一人の男と私的に同棲することは,いかなる者もこれをしてはならないこと.さらに子供たちもまた共有されるべきであり,親が自分の子を知ることも,子が親を知ることも許されないこと

このような対話を経て,ソクラテスによって哲人統治の必要性が語られる.

たとえそれが,文字どおり笑いの大浪のように,嘲笑と軽蔑でぼくを押し流してしまうことになろうとも.

哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり,あるいは,現在王と呼ばれ,権力者と呼ばれている人たちが,真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり,すなわち,政治的権力と哲学的精神とが一体化されて,多くの人たちの素質が,現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり,親愛なるグラウコンよ,国々にとって不幸のやむときはないし,また人類にとっても同様だとぼくは思う.

ここで重要なのは「哲学者」とはいかなる者なのかを明らかにすることである.

「それぞれのものについて,それ自体としてあるところのものに愛着を寄せる人々こそは,<思わく愛好者>ではなく,まさに<愛知者>(哲学者)と呼ばれるべき人々だということになるね?」

「まさしく,そのとおりです」

本書「国家〈上〉」はここで終わる.

目次

  • 第一巻〜第五巻
12月 212009
 

大学院教育高度化の名の下に,講義室へのインタラクティブホワイトボードの導入を検討しているのは,既に「インタラクティブホワイトボードの比較」に書いたとおりだ.とにかく,実物を見たことがないようでは話にならないので,デモを見せてもらうことにした.連絡したのは最有力候補のインタラクティブホワイトボード「StarBoard」を扱っている日立ソフトだ.大学でデモをしてもらおうとすると,デモ機と説明担当者の都合で来年になるとのことだったので,こちらから日立ソフトのショールームへ出向いて,デモをしてもらうことにした.

幸か不幸か,午後3時から5時まで東京で会議という最悪な日があったので,その午前中に大阪のショールームでのデモを予約した.10:00〜11:30に大阪でインタラクティブホワイトボード「StarBoard」の説明を受け,15:00〜17:00に東京で会議に出席するというわけだ.これで,最悪な日を少しは有効に使えるようになる.そして,その日が今日だ.この文章は新大阪から東京に向かう新幹線の中で書いている.

インタラクティブホワイトボード「StarBoard」のデモは非常に好印象だった.凡庸な私が思い付く程度のやりたいことは,そのほとんどができるようになっている.少なくとも,Microsoft Powerpointを用いて講義や講演を行う場合に,その魅力を高めるのに役立つことは間違いない.今後に期待する点もいくつかあるが,それは今後に期待するとしよう.いきなり満点を取れる商品はないのだから.

残る問題は予算内で何を買うかだ.様々なパターンでの見積りを依頼してきたので,それが届いたら,レスポンスアナライザー(クリッカー)やその他の費用を考慮して判断することにしよう.

ちなみに,インタラクティブホワイトボード「StarBoard」には,ポータブル型もある.既存のホワイトボードに取り付けて使用するタイプで,これなら持ち運んで使用することもできる.あちこちで講演する私にとっては結構魅力的な製品なので,個人的に(自分の裁量に委ねられている研究・教育用予算で)購入することも検討している.もちろん,講演だけでなく,研究室内のゼミなどでも活躍してくれることだろう.そして,プロセスシステム工学研究室の差別化にも一役買ってくれることだろう.

12月 192009
 

一昨日,自宅から大学に電話.

長男6歳: 「パパ〜,あのな〜,○○ちゃんがな〜,幼稚園でな〜,四角い木にぶつかってな〜,顔から血をださはってん.パパ〜,それでな〜,幼稚園のバスでな〜,先生と一緒に病院行ってん.」

パパ: 「へぇ〜.それは大変だったな〜.○○ちゃんは元気?」

離れたところで話している長女4歳の声が聞こえる.「○○ちゃん,○○君とぶつかって,四角い木にぶつかって,それで血がでてん.」

どうやら大したことはなさそうだ.

長男: 「パパ〜,わかった〜?」

パパ: 「うん.よく分かったよ.教えてくれて,ありがとう.ママはいる?」

長男: 「うん.じゃ,ママにかわる.」

ガチャ.ツーツーツー...

パパ: おいおい,かわるって言ったやろ...電話をかけ直す.

長女が幼稚園の園庭で遊んでいるときに,はずみで木にぶつかり,眉毛のあたりを切った.かなり血が出たのだと思うが,担任の先生が付き添って,幼稚園のバスで病院に連れて行って下さり,そこで3針ほど縫った.レントゲンで特に異常はなかった.

いつも通りに帰宅した後で,夕食を食べながら状況を聞いた.とにかく,先生が「私の不注意で,○○ちゃんのかわいいお顔に傷をつけてしまって,本当に申し訳ありません」と平謝りだったそうだ.

彼女: 「先生ってそんなに謝らないとダメなの?」

私: 「子供が勝手に遊んで勝手に怪我したんだから,それほど気にしてもらう必要はない.少なくともうちにとってはね.ただ,世の中には色んな考えの人がいるから,先生としては,謝っておいた方がいいんじゃないか.それに,○○ちゃんにしたって,3針縫っただけだから別に何でもないけれど,仮に打ち所が悪くて意識不明の重体になりましたとかだったら,『構わないですよ』とは言えないだろう.幼稚園がすべき最低限のことは,預かった子供達を無事に帰すということだから,そういう意味では,やはり,子供が怪我をしたら先生も幼稚園も謝らないといけない.ただ,もちろん,ちょっとした怪我くらいで怒鳴り込むような親は馬鹿だけどね.」

彼女: 「そうやね.」

私: 「とにかく,○○先生は凄く気にしてるだろうから,『元気にしてますし,大丈夫です.気にしないで下さい.』と伝えておいて.」

彼女: 「うん.そうする.」

翌朝,長女と長男が事件の様子を説明してくれた.長女は,ぶつかったこと,バスで病院に行ったこと,甘い薬をもらったことなどは繰り返し話すが,病院でのことは全く話さない.その日は,傷口を消毒するために病院へ行った.彼女も幼稚園に行き,先生と少し話をした.その夜.

彼女: 「幼稚園に行って,○○先生と少し話をしたけれど,申し訳ありませんって謝ってばかりだったよ.気にしないで下さいって言ったけど.」

私: 「まあ,そうだろうね.」

彼女: 「○○先生が『お父さんはどう言っておられましたか?』と聞かはるから,『子供が勝手にした怪我で,それも大したことないので,全く気にしないで下さいって言っておいてと言ってました』って言ったら,『そんなはずありません.申し訳ありません.』だって.」

私: 「本当に気にしてもらわなくていいんだけどね.先生も可哀想に.」

彼女: 「それで,『お父さんはどんな様子でした?』と聞かはるから,『笑ってました』と答えたら,また『そんなはずありません.申し訳ありません.』って.」

私: 「○○先生らしいね.」

と,まぁ,こんな事件があった.幼稚園の先生も大変だ.

昔,自分自身も眉毛付近を切って7針ほど縫った経験があるので,少し気にしているのは,傷がどの程度まで目立たなくなるかだ.