1月 312009
 

荒川化学工業株式会社の研究所・大阪工場を訪問させていただいた.

荒川化学工業は,「松やに」から作られる化成品の製造を得意とする.松やに(生松脂)を精製して得られるロジンを原料として,製紙用薬品(トップシェア)をはじめ,インキや塗料,粘着・接着剤など様々な化成品を製造している.

ここでも,リアルタイムに計測できない製品品質を推定したいという強いニーズがある.しかし,天然物であるロジンの物性が変動するなどの理由で,品質推定は容易でないそうだ.

1月 292009
 

「パパ〜,問題です.○○に何が隠れているでしょうか?」

ここ数日,長男5歳と長女3歳が,こんな問題にはまっている.○○には何か言葉が入る.例えば,「トラックに何が隠れているでしょうか?」だ.どうやら,幼稚園で仕入れてきた問題らしい.

長女は自分で問題を思い付くのが難しいようで,お気に入りの問題をひたすら繰り返している.

「マクドナルドに何が隠れているでしょうか?」

さて,答えが分かるかな?

ちなみに,トラックに隠れているのは,トラ(虎)だ.

長男も,問題を出すよりは問題を出される方が面白いらしく,朝にも夜にも,「パパ〜,問題出して〜」と言っている.恐らく一日中,「ママ〜,問題出して〜」と言っているのだろう.

私が考えたのは,例えば,「太鼓(タイコ)に何が隠れているでしょうか?」だ.タイ(鯛),タコ(蛸),コイ(鯉)が入っている.

さて,マクドナルドに隠れているのは何か.クマ(熊)は分かるよね.もう一つ,クルマ(車)も隠れている.これは,かなりハイレベル.

1月 272009
 

ジヤトコ工場見学

ジヤトコ株式会社(JATCO ltd)の本社・富士地区を訪問し,工場見学をさせていただいた.

ジヤトコは,日産自動車のトランスミッション工場が分離独立した後,三菱自動車のトランスミッション部門などと合併してできた会社だ.主力製品であるベルト式CVTおよびステップ式ATを,日産自動車,三菱自動車,スズキなどに納入している.海外自動車メーカーでは,同じグループのルノーをはじめ,ジャガーやフォルクスワーゲンなどにも納入している.アイシンを擁するトヨタ自動車には納入していない.

昔はマニュアルトランスミッションも製造していたらしいが,今ではオートマチックトランスミッションに特化している.日産のオートマ車であれば,すべてジヤトコのトランスミッションが使われている.ちなみに,構造上,CVTはFR車には向かないらしく,これが高級車にCVTが搭載されない理由らしい.しかし,例外はある.ジヤトコが製造しているトロイダル式CVTだ.ベルトを使わず,ディスクとパワーローラによって動力を伝達するCVTで,FR高出力エンジン搭載車向けとしては世界初のCVTだという.

今回の工場見学では,鍛造,鋳造,熱処理,機械加工,組立と,ジヤトコの製造工程を網羅的に見せていただいた.ポイントは,特に品質保証の観点から,さらに生産技術力をレベルアップさせていくために,何が課題か,何ができるかということになる.各工程を担当する技術者の方々と有意義なディスカッションをさせていただくことができた.

素晴らしい富士山とホテル

非常に美しい富士山が印象的だった.何にも遮られることなく,ほぼ海抜0mの田子の浦界隈から眺める,5合目あたりまで冠雪した富士山の姿は,実に優美だ.「富士山は登る山ではなくて見る山だ」というのも頷ける.冬の季節は空気が澄んでおり,かつ天候にも恵まれたため,素晴らしい景色だった.

ただ,9:30頃に乗ったタクシーで,もっと朝早い時間帯の方が綺麗だと教えてもらった.気温が上がるにつれて,霞がかかってくるそうだ.また,今回は見ることができなかったが,日没時には赤富士が見られるとのこと.なんとも,風光明媚な街である.

前日夜に,最寄り駅である新幹線の新富士駅に東京から移動したのだが,在来線の富士駅から離れているためか,駅の周囲には何もない.しばらく歩くとコンビニがある程度だ.新富士駅から徒歩5分強のところにあるホテルまでの道は暗く,本当にこの先にホテルがあるのかと心細くなる.

そのホテルは,なんと土足禁止で,玄関で靴を脱いでからチェックインするという仕組みだった.カードキーになっているのだが,オートロックではない.また,遅めのチェックアウトだったので,掃除中の他の部屋を覗いてみると,和室も多かった.旅館をホテルに改装したような雰囲気で,なかなか新鮮だ.フロントの方々の対応は非常に好印象だった.

1月 252009
 

初孫である私を大層可愛がってくれた祖母が90歳で永眠した.亡くなる数日前に会えたことに慰められるものの,其の折に「暖かくなったら子らを連れて来てね」と言われ,「うん.連れてくるよ」と答えたにもかかわらず,その約束を果たせなくなったことが悔やまれる.誹風柳多留に「孝行のしたい時分に親はなし」とあるが,親に限らず,その通りだと痛感した.

早一週間が過ぎようとしているが,久々に,死について想いを馳せる機会となった.

死を免れぬものとすれば,その確実に訪れる転機までに何を為すべきか.

今死んだら,自分の人生に満足できるだろうか.

明日死ぬとしたら,自分は何をするだろうか.

1年後に死ぬとしたら,自分は何をするだろうか.

10年後に死ぬとしたら,自分は何をするだろうか.

100年後に死ぬとしたら,自分は何をするだろうか.

いつ死ぬとしても,自分は同じことをするだろうか.もし同じことをしないとすれば,その行動に普遍的な価値はあるのだろうか.それは,本当に為すべきことなのだろうか.

余命数ヶ月と宣告されたような場合,「残り少ない人生は勝手気ままに好きなことをして生きる」という考え方もある.では,残りが長ければ勝手気ままに好きなことをできないのは,なぜか.好きなことをするだけの経済的余裕がないからか.お金さえあれば,勝手気ままに好きなことをするのか.それはお金に支配された人生ではないか.人生=Function(お金).あるいは,人様に顔向けできないようなことだから,すぐに死ぬことが確定していないとできないということか.いずれにせよ,為すべき価値はないだろう.

あと何日なら残り少ないのか.たかだか数十年の人生は,生まれたときから残り少ないのではないのか.

人生は十分に長く,その全体が有効に費やされるならば,最も偉大なことを完成できるほど豊富に与えられている.けれども放蕩や怠惰の中に消えてなくなるとか,どんな良いことのためにも使われないならば,結局最後になって否応なしに気付かされることは,今まで消え去っているとは思わなかった人生が既に過ぎ去っていることである.

このように指摘したセネカ(「人生の短さについて」)は,生きることと死ぬことを次のように表現している.

多忙な人間には何事も十分に成し遂げることは不可能である.実際多忙な人に限って,良く生きることが最も稀である.また,生きることを学ぶことほど難しいものはない.生きることは生涯を掛けて学ぶべきことである.そして,恐らくそれ以上に不思議に思われるだろうが,生涯を掛けて学ぶべきことは死ぬことである.

「いかに生きるか」に答えることは難しい.

マザー・テレサは,いつ死ぬとしても同じことをしたのではないだろうか.キリストや釈迦も同様ではないだろうか.人間としての本質的価値が高い人々は,そういう生き方をしているのだろう.

私は大学で教育と研究に携わることを選択した.以前,その理由を書いたことがある(「就職活動をする学生諸君,働くことについて改めて考えては?」).

私は,より良い社会を作り出していくためにも教育は不可欠であり,教育は社会の根幹をなすと考えている.それほど重要な教育に携われるというのが大学教員の魅力の一つだ.教育という点だけなら,なにも大学である必要はない.しかし,自分の頭で考えて,新しいものを生み出すという作業が楽しく感じるので,研究も魅力的に感じる.また,研究成果を社会に還元するという方法で,教育とは異なる社会貢献もできる.教育と研究の二兎を追うものにとっては,大学というのは,なかなか素晴らしいところだ.まあ,実態は,本当に為すべき教育と研究以外に労力の半分以上を割いているような気はするが...

ともかく,私にとっては,教育こそが,1)自分の能力を活かす,2)社会に貢献する,3)使命感を持って取り組む,という条件を満たすことができる仕事なのだ.そういう意味では,教職が天職だと思っている.だからこそ,この道に進むように導いてくれた様々な「縁」に感謝している.とりわけ,両親とかつてのボスの影響は大きい.

いまでも考えは変わらないが,祖母の死に接し,生きることについて,改めて考えてみることにしよう.

南無阿弥陀仏

1月 232009
 

自動車の社会的費用
宇沢弘文,岩波書店,1974

社会的費用というのは,受益者負担の原則が貫かれていないために,社会全体が被っている損失のことである.「自動車の社会的費用」とは,つまり,自動車を利用している人達がその社会的責任を全うせず,社会全体に押し付けているコストということになる.本書は,その社会的費用を算出しようという企てである.

では,自動車によってもたらされている社会全体の損失とは何であろうか.それは,交通事故や環境破壊であると宇沢氏は指摘する.

自動車のもたらす社会的費用は,具体的には,交通事故,犯罪,公害,環境破壊というかたちをとってあらわれるが,いずれも,健康,安全歩行などという市民の基本的権利を侵害し,しかも人々に不可逆的な損失を与えるものが多い.このように大きな社会的費用の発生に対して,自動車の便益を享受する人々は,わずかしかその費用を負担していない.逆にいうならば,自動車の普及は,自動車利用者がこのような社会的費用を負担しないでもよかったからこそはじめて可能になったともいえるのである.

ここで,「不可逆的な損失」という概念が宇沢氏の主張の鍵となる.損失が可逆的であるなら,元に戻すのに必要な費用を計算すれば,それで社会的費用を見積もることができる.ところが,損失が不可逆的である場合,一体,どれだけの費用が妥当とされるのだろうか.

交通事故による死傷の被害額を算出する際には,ホフマン方式が用いられる.ホフマン方式では,ある人が死傷しなければ稼ぐことができたはずの所得を被害額とする.実に明快だが,被害者側の立場に立てば,これほどヒトとして許せない算出方法もないだろう.

ホフマン方式によって交通事故にともなう死亡・負傷の経済的損失額を算出することは,人間を労働を提供して報酬を得る生産要素とみなして,交通事故によってどれだけその資本としての価値が減少したかを算定することによって,交通事故の社会的費用をはかろうとするものである.

このホフマン方式によるならば,もし仮に,所得を得る能力を現在ももたず,また将来もまったくもたないであろうと推定される人が交通事故にあって死亡しても,その被害額はゼロと評価されることになる.また,高所得者はその死亡の評価額が高く,低所得者は低くなることも当然である.

仮に,重い病を患い,所得を得ることができない上に,高額な医療費を保険で賄っている人がいるとしよう.その人が事故死した場合の被害額はマイナスなのか,つまり死亡して良かったねということなのか,という深刻な問題が生じる.自動車の社会的費用を算出する際に,交通事故に伴う損失をホフマン方式のような方法を用いるのは適切ではない.

同様のことは,環境破壊についても指摘できる.公共投資の優劣を判断する根拠として,社会的便益と社会的費用の差を指標とするコスト・ベネフィット分析が用いられる.この分析では,社会的便益から社会的費用を引いた差が大きければ大きいほど素晴らしい公共投資だという結論になる.それが,どれほど環境に致命的な損傷を与えるとしても.

コスト・ベネフィット的な考え方にしたがうとき,たとえどのように大きな社会的費用を発生したとしても,社会的便益がそれを大きく上回るときには,望ましい公共投資として採択されることになり,実質的所得配分はさらにいっそう不平等化するという結果をもたらす.

「実質的所得配分はさらにいっそう不平等化する」というのは,低所得者層ほど環境破壊などの影響を深刻に受けるためである.例えば,公害が発生した場合,高所得者層はその土地から離れることができても,低所得者層にそのような選択をする余裕はない.原子力発電所は都会に設置されないし,みなが受け入れたくない施設が高級住宅街に建設されることもない.そして,ホフマン方式が示すとおり,低所得者が被る損害は少額にしかなりえない.

人命・健康,さらには自然環境の破壊は不可逆的な現象であって,ここで考えられているような社会的費用の概念をもってしては,もともと計測することができないものである

この点を宇沢氏は強調する.

では,なぜ,これまで,不適切な社会的費用の計算方法がまかり通ってきたのだろうか.それは,社会的費用の計算根拠を,新古典派経済理論に求めてきたことに原因がある.宇沢氏は新古典派経済理論の問題点を2つ指摘している.1つは,生産手段の私有制が基本的な前提条件となっていること.つまり,共有される社会的資本に対する思慮が欠落しているという問題.もう1つは,人間をたんに労働を提供する生産要素として捉えるという面が強調され,社会的・文化的・歴史的な存在であるという面が捨象されていること.つまり,基本的人権や市民的権利など眼中にないという問題.このため,学者が好む新古典派経済理論は,都市問題や環境問題など現代社会においてもっとも深刻な社会的・経済的問題を引き起こしている現象を解明するための理論的フレームワークを提供していない.

では,どうすればよいのか.自動車について,宇沢氏はこう考える.

自動車を所有し,運転する人々は,他の人々の市民的権利を侵害しないような構造をもつ道路について運転を許されるべきであって,そのような構造に道路を変えるための費用と,自動車の公害防止装置のための費用とを負担することが,社会的な公正性と安定性という観点から要請されてくる.

いま,歩行,健康,住居などにかんする市民の基本的権利の内容について,ある社会的合意が成立しているとしよう.自動車の通行をこのような市民的権利を侵害しないようにおこなおうとすれば,道路の建設・維持にどれだけの追加的な費用を必要とし,自動車の無公害化のためにどれだけの投資をしなければならないか,ということを計算する.

市民的権利を金銭換算して評価関数に組み込むのではなく,市民的権利を守ることを制約条件とする.この考えに基づいて,自動車の社会的費用を算出してみようというわけである.

宇沢氏が試算した自動車の社会的費用は,1台あたり200万円.運輸省の7万円,自動車工業会の7千円をはじめ,野村総研の18万円という試算とも大きく異なっている.まさに,オーダーが違う.これが,人の死や環境破壊など不可逆的な市民的権利の侵害を認めるか認めないかの違いである.

宇沢氏は,こう締めくくっている.

この投資基準は,たんに自動車通行のための道路だけでなく,一般に社会的共通資本の建設にさいして適用することができる.このような基準にもとづいて,公共投資をさまざまな用途,たとえば代替的な公共交通機関や道路に配分するとき,社会的な観点から望ましい配分をもたらすものである.この基準を適用するとき,どのような地域に住む人々も,またどのような所得階層に属する人々も,社会的な合意をえて決定された市民の基本的権利を侵害されることがない.また,他人の基本的権利を侵害するような行動は社会的に許されないという原則が貫かれる.そして,すべての経済活動に対して,その社会的費用は内部化され,福祉経済社会への転換が可能となり,わたくしたち人間にとって住みやすい,安定的な社会を実現することができるといえよう.

ポスト資本主義について考えてみるときに,この思想は大いに参考になるのではないだろうか.資本主義後の世界と言えば,「1995→2010世界大恐慌―資本主義は爆発的に崩壊する」(ラビ・バトラ,総合法令,1994)なども参考になるかもしれない.

研究者や技術者が技術を評価する場合にも,コスト・ベネフィット的な考え方しかしてこなかったのではないだろうか.新しい時代の要請に応える評価方法を模索する必要があるのではないか.

目次

序章

  • 自動車の問題性
  • 市民的権利の侵害

自動車の普及

  • 現代文明の象徴としての自動車
  • 自動車と資本主義
  • アメリカにおける自動車の普及
  • 公共的交通機関の衰退と公害の発生
  • 1973年の新交通法

日本における自動車

  • 急速な普及と道路の整備
  • 都市と農村の変化
  • 非人間的な日本の道路
  • 異常な自動車交通

自動車の社会的費用

  • 社会的費用の概念
  • 三つの計測例
  • 新古典派の経済理論
  • 社会的共通資本の捉え方
  • 社会的コンセンサスと経済的安定性
  • 市民的自由と効率性
  • 社会的資本としての道路
  • 自動車の社会的費用とその内部化

おわりに

1月 222009
 

1月も後半になり,いよいよ修士論文や卒業論文の完成を目指して,追込みをかける時期になった.これまでは,研究を進める中で問題が発生しても,「(時間を与えるから)自分で解決しろ」という立場をとってきたが,そう悠長に構えているわけにもいかなくなってきたので,進捗状況を頻繁に確認し,問題があれば,すぐにその場で解決するという態勢に切り替えた.

誰かに指示されないと何もできないようでは困る.自分で目標を設定し,目標達成のために解決しなければならない課題を整理し,課題解決のための方策を考え,一歩一歩確実に前進する.必要に応じてアドバイスは受けるにしても,基本的には,これらを自分でできるようにならなければならない.

このような問題解決能力を身に付けるためには,悩み抜く経験が必要だ.1日24時間,1週7日,ただひたすら眼前の課題のことばかりを考える.そういう集中力,精神力というのも身に付けておくべき能力だろう.これが,「(時間を与えるから)自分で解決しろ」という立場をとる理由だ.

大学院生や4回生を相手に,研究遂行上生じた問題をすぐにその場で解決することにしてから,非常に気になりだしたことがある.それは,問題の根本的な原因を探るために,何をすべきかという作戦を立案する能力が身に付いていないということだ.「あれ,おかしいな」とは思うが,何が原因かを調べる合理的な方法を提案できない.できないわけではないが,スピード感がない.そのために,どうしても時間がかかってしまう.原因究明が仮説と検証の繰り返し作業であるとするなら,仮説構築能力にまだまだ成長する余地があるということになろう.論理的思考ができていないということだ.考え方が笊なため,問題点を捉えられない.

研究室を出て行くまでに,問題解決能力・論理的思考能力をしっかり身に付けておくべきだ.学生には,議論を通して,現状把握(問題確認)と原因究明(仮説と検証)の方法を修得して欲しい.

さて,ここで自分自身への課題が生じる.学生が問題解決能力・論理的思考能力を身に付けるための効果的な方法とは何か.これまで通りの進め方で良いのか.重要な問題だけに,まじめに考えておく必要がある.まずは,巷に溢れる論理的思考(ロジカルシンキング)に関する書物でも読み漁ってみようか.

なお,能力が身に付いていないと学生に対して悪態をついているが,プロセスシステム工学研究室の学生のレベルは非常に高いことは指摘しておきたい.自分の能力に関して現状に満足せず,貪欲に成長を目指せということだ.

1月 212009
 

12月に売り切れで手に入れることができなかった「KINGJIM デジタルメモ ポメラ (pomera) DM10」を,遂に購入した.鮮やかなトワイライトオレンジだ.ササッとメモを取るのに重宝している.素晴らしい製品だ.


消防出初式に登場したクラウンのオープンカー
KINGJIM デジタルメモ「ポメラ」 DM10

1月 212009
 

源氏物語 (下)
瀬戸内寂聴,講談社,1993

源氏物語 (上)」に引き続き,下巻を読んだ.

最近,小説や文学の類を全く読んでいなかったのだが,源氏物語は面白かった.確かに恋愛小説なのだが,個性豊かな登場人物が,男性も女性も各々に幸福と苦悩に満ちた人生を生きている.源氏物語で描かれているのは,主人公である源氏の君の生涯にとどまらず,その孫にあたる匂の宮と薫の青年期までを含む.栄華を極める源氏の君であるが,その生涯は決して順風満帆ではなく,若き日に犯した罪の報いを受ける他,最愛の紫の上に先立たれるなど,苦しみの多い晩年を過ごす.男女の会話や手紙には,ふんだんに和歌が使われ,実に雅である.千年前の平安朝貴族社会に想いを馳せながら,楽しく読んだ.

なお,今回読んだ源氏物語は簡略版のため,全54帖を網羅していない.特に,光源氏の没後を描いた宇治十帖などはバッサリと省略されていて,わずかに浮舟のみが記されている.

先に書いたとおり,まだ読んでいない人も,既に読んだ人も,「源氏物語千年紀」のウェブサイトに様々なコンテンツが用意されているので,一度見てみると良いだろう.

目次

  • 野分
  • 真木柱
  • 藤の裏葉
  • 若菜 上
  • 若菜 下
  • 柏木
  • 夕霧
  • 御法
  • 浮舟
1月 192009
 

源氏物語 (上)
瀬戸内寂聴,講談社,1992

源氏物語千年紀」のこの機会に,日本を代表する古典文学を読んでおくことにした.紫式部が源氏物語をいつ書き始めて,いつ書き終えたかは定かでないが,西暦1008年11月1日に書かれた紫式部日記には,源氏物語に関する記述があり,その年には既に源氏物語が読まれていたそうだ.その時点から昨年2008年でちょうど千年ということになる.

読もうと思い立ったときには,最も高い評価を受けている与謝野晶子の全訳を読もうと思ったのだが,図書館で手にしてみると,本のあまりの分厚さに気後れしてしまい,「まあ,恋愛小説なんだから,とりあえず,粗筋だけ掴めればいいや.もし面白かったら,改めて全訳を読むことにしよう.」と思い,瀬戸内寂聴による簡略版を読むことにした.講談社の少年少女古典文学館というシリーズで,字が大きく,振り仮名が振られてあり,注釈の他,登場人物関係図や地図などの資料がある.いい歳をした大人が読むシリーズではないが,日本人でありながら一度も読んだことがないというのは恥であり,それよりはましだと自分に言い聞かせた.また,登場人物関係図は必須である.横溝正史の金田一耕助シリーズのようなもので,読んでいると誰が誰だか分からなくなってくるので,時折,登場人物関係図で頭を整理する必要がある.さらに,本書の特徴を挙げるとすれば,天野喜孝による挿絵になるだろうか.まあ,これはどうでも良いことだが.


源氏物語というと,貴族社会を舞台にした,光源氏を主人公とする華やかな恋愛小説というイメージしかなかったのだが,実際に読んでみると,その通りだった.平安時代の貴族社会が一夫多妻制だったということもあり,純愛というよりは,不倫も盛り沢山の恋愛小説だ.次から次へと女性が登場し,しかも世間が狭い.皇族も含めて,みんな親戚じゃないかという感じ.一方で,平安時代,貴族社会の風習などが非常に興味深く,また舞台(京の都)に親近感が湧く.六条院,二条院,北山,嵯峨,あるいは須磨,明石など,位置関係がすぐにイメージできるのも楽しい.

もし,まだ読んでいないのであれば,古典文学などと肩肘を張る必要は全くないので,気軽に読んでみたらどうだろう.その面白さに,はまるかもしれない.

まだ読んでいない人も,既に読んだ人も,「源氏物語千年紀」のウェブサイトに様々なコンテンツが用意されているので,一度見てみると良いだろう.「源氏物語の世界ショートストーリー」,「登場人物プロフィール&相関図」,「源氏物語をめぐる人々」など読み応えのあるものから,「歩く源氏物語」という観光モデルコース案内,さらには「登場人物人気投票」まで多彩だ.

目次

  • 桐壺
  • 空蝉
  • 夕顔
  • 若紫
  • 末摘花
  • 紅葉の賀
  • 花の宴
  • 賢木
  • 須磨
  • 明石
  • 澪標
  • 蓬生
  • 松風
  • 少女
  • 玉鬘
  • 初音
1月 162009
 

どこかで見掛けたことがあるという人が多いと思うが,「健康十訓」というのがある.どこかで見掛けたという人は,恐らく,どこかの居酒屋で見掛けたのだろう.私もそうだから.初めて見たのは随分と前のことだが,ふと思い出したので,ここにメモしておこう.

健康十訓

  1. 少肉多菜
  2. 少塩多酢
  3. 少糖多果
  4. 少食多噛
  5. 少衣多浴
  6. 少言多行
  7. 少欲多施
  8. 少憂多眠
  9. 少車多歩
  10. 少憤多笑

自分の生活をチェックしてみると,ほとんど×なような気がするが,努力をしてはいる.例えば

  1. 肉を減らして,野菜中心の食生活にしている.
  2. よく噛もうとしている.できてないが...
  3. 人のためになることをしようと試みている.自信はないが...
  4. 自動車通勤をやめた.しかも敢えて坂道の下で降車して歩いている.

ちょうどキリがよい数字だからだろうか.十訓というのは色々と存在しているようだ.

十訓抄

  1. 人に恵を施すべき事
  2. 傲慢を離るべき事
  3. 人倫を侮らざる事
  4. 人の上を誡むべき事
  5. 朋友を選ぶべき事
  6. 忠直を存ずべき事
  7. 思慮を専らにすべき事
  8. 諸事を堪忍すべき事
  9. 懇望を停むべき事
  10. 才芸を庶幾すべき事

心戒十訓

  1. 人を大切にする人は人から大切にされる。
  2. 人間関係は相手の長所と付き合うものだ。
  3. 人は何をしてもらうかより何が人に出来るかが大切である。
  4. 仕事では頭を使い、人間関係では心を使え。
  5. 挨拶はされるものではなくするものである。
  6. 仕事は言われてするものではなく、探してするものである。
  7. わかるだけが勉強ではない、出来る事が勉強だ。
  8. 美人より美心。
  9. 言葉で語るな、心で語れ。
  10. 良い人生は、良い準備から始まる。

ならぬもの十訓

  1. 忘れてはならぬもの「感謝」
  2. 言ってはならぬもの「愚痴」
  3. 曲げてはならぬもの「つむじ」
  4. 起こしてはならぬもの「短気」
  5. 叩いてはならぬもの「人の頭」
  6. 失ってはならぬもの「信用」
  7. 笑ってはならぬもの「人の落ち度」
  8. 持ってはならぬもの「ねたみ」
  9. 捨ててはならぬもの「義理人情」
  10. 乗ってはならぬもの「口車」

つもりちがい10カ条

  1. 高いつもりで低いのが教養
  2. 低いつもりで高いのが気位
  3. 深いつもりで浅いのが知識
  4. 浅いつもりで深いのが欲望
  5. 厚いつもりで薄いのが人情
  6. 薄いつもりで厚いのが面皮
  7. 強いつもりで弱いのが根性
  8. 弱いつもりで強いのが自我
  9. 多いつもりで少ないのが分別
  10. 少ないつもりで多いのが無駄

これらの他にも,調べてみると色々ある.もっと新しいところでは,大前研一による起業家養成塾アタッカーズ・ビジネススクールの「アタッカーズ10訓」なんていうのもある.