2月 132009
 

先に紹介した「日本の教育を考える」(宇沢弘文,岩波書店,1998)では,数学教育についても,かなりの紙面が割かれている.もちろん,現行の教育制度はボコボコに批判されている.例えば,こんな感じだ.

(数学が分かるようになる)プロセスは極めてデリケートなもので,子どもたちのもっている数,空間,時間にかんするインネイトな理解という繊細な蕾をできるだけ傷つけないように,しかも大きく成長するような刺激を与えるのが,数学を教えるということであるわけです.現行の文部省の学習指導要領にもとづく教科書の多くは,このプロセスのデリカシーをまったく無視してきました.それぞれの分野で第一流とは思われない人物を集めて,評論家風の議論を経てつくられているのが文部省の学習指導要領です.その学習指導要領にもとづいて作成された教科書によって,数多くの子どもたちのもっているすぐれて繊細な,インネイトな能力の蕾が壊され,子どもたちの心と身体とが傷つけられてきました.

文句を言うのは勝手だが,もちろん文句を言うだけでは何の解決にもならない.それこそ,評論家風の議論しかできない.元々数学者である宇沢氏は,自分の手で理想の数学テキストを作成している.そのテキストの底流にあるのは,数学の教え方に関する下記のような信念である.

数学を学ぶというとき,数,空間,時間の性質を明らかにするために用いられる論理的,数学的な方法を覚えるという点に焦点が置かれることが多いのですが,それはあくまでも,手段にすぎないことを強調する必要があるように思われます.

このことは,整数,実数,直線などという基礎的な概念を子どもたちに教えるときにとくに肝要なことです.これらの基礎的な概念の意味について,子どもたちが疑問を持ったり,好奇心を抱いたりしないように,「おもしろい」問題を次々に出して,子どもたちが持っている実数,直線などにかんする直観的,経験的理解を使って数学の問題を解くことを通じて,数学の考え方をできるだけ深めるようにすることが大事になってくるわけです.

こうして生まれたテキストが,「算数から数学へ」および「好きになる数学入門」全6巻だ.自分自身,数学,特に研究遂行上不可欠な線形代数の教え方や学び方には非常に興味があるので,とりあえず,大人買いしてみた.時間を見付けて,じっくり読み込んでみようと考えている.


数学の教え方について,「疑問をもったり,好奇心を抱いたりしないように」というのが鍵になっている.確かに,小中学生が算数や数学を勉強していくときには,不必要に数学的厳密さに拘泥されては本質を見失ってしまうだろう.さらに,数学嫌いになるかもしれない.しかし,大学生にもなれば,自発的に疑問を持てないようでは非常に困る.

私が所属しているプロセスシステム工学研究室では,線形代数ゼミを開催し,研究室に配属された4回生や大学院生に,徹底的に突き詰めて考える訓練をしてもらっている.線形代数ゼミについては,「研究室の数学ゼミ(線形代数)」に詳しく紹介してあるので,そちらを参照して欲しい.

宇沢氏はさらに,数学オリンピックを痛烈に批判している.

数学というもっとも人間的な,そして神聖な営みであり,一人一人の子どもの生き方にとって大事なことを,「数学オリンピック」などという世俗的な催しの対象にして,数多くの子どもたちを傷つけることになるのはもともと分かり切ったことです.

競争の是非というのは,なかなか難しい問題ではないかと思う.現代社会が生きづらいのは,誰もが競争を煽られ,人間的関係が崩壊してしまっているからとの指摘がある.このあたりの事情については,「「生きづらさ」について」(萱野稔人,雨宮処凛,光文社,2008)が興味深い.哲学者である萱野稔人氏と「ミニスカ右翼からゴスロリ左翼へ」とも評されるらしい雨宮処凛氏の対談をまとめたものだ.だからと言って,運動会の100m走で競争させず,みんな手を繋いで一緒にゴールというのも気持ち悪い.

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