3月 032009
 

研究室の学生に言わせると,最近の京都大学入学試験の数学(理系)は無茶苦茶簡単らしい.「あんな簡単な問題でいいのか?」と.

私自身は難易度の変化を把握していないので,その真偽はわからないが,学外からの圧力は簡単化の方向にあるようだ.「そんなことは教科書に載ってない」とか,「時間内に解けない」とか,「難問奇問だ」とか,そういう指摘だろう.数学以外でも事情は同じだと想像される.そういう指摘は,試験問題を作成する立場からすれば,貴重なフィードバックに違いない.しかし,その指摘に従う必要は全くない.

入試問題が教科書の範囲を逸脱していて何が悪いのだろうか.無茶苦茶難しい問題で何が悪いのだろうか.

第一に,学問に範囲があると刷り込もうとする態度が気に入らない.「学習指導要領に書いていませんから,これは勉強しなくていいです」なんて,まともな教育者なら言わないだろう.それに,そんな勉強の仕方が正しいと信じ込まされた学生が,知的好奇心に満ちた優秀な研究者や技術者に成長するとは思えない.「わが大学は知的好奇心に満ちた学生の入学を希望します.与えられた課題がこなせたら十分というモチベーションの低い学生はいりません.」と宣言すればいい.

第二に,出題範囲を限定することが受験戦争の激化を防ぐなんてことはない.逆に,限定するから暗記とテクニックに走る.教科書に載っていない内容でも,本質を理解するのに十分な情報が試験問題に含まれていれば,何の問題もないはずだ.「理解力や閃きのある学生の入学を希望します.」と宣言すればいい.出題範囲を限定しないからと言って,単に知識(記憶力)を問うだけの難しい問題が出されるとしたら,それは出題する大学がそういう学生の入学を希望しているということなのだから,嫌ならそんな大学に行かなければいいだけのことだ.幸い,今や大学全入時代だ.行きたいところを選べばいい.

決められた範囲のことを教え込むテクニックに秀でた予備校や塾の先生達は戸惑うかもしれないが,能力のある先生方なら,範囲を外しても問題なんてないだろう.すぐに対応する.学生にとっても,限られた狭い範囲で重箱の隅をつつくような勉強に精を出すよりも,もっと広い視野で学問を眺められるようになれば,素晴らしいじゃないか.

夢も希望も,大学に入学した明確な理由も,何もありませんというような大学新入生を量産するのは本気でやめませんか.

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