4月 062009
 

カルチャーショック ハーバードvs東大─アメリカ奨学生のみた大学教育─
ベンジャミン・トバクマン,大学教育出版,2008

まず第一に,アメリカ人でこれだけの日本語が書けるのかという衝撃を受けた.多くの日本人学生には無理なのではないかと危惧してしまう.外国語で書くことがではなく,母国語である日本語でさえという意味で.誤解のないように念のため.

著者は米国ハーバード大学卒で,神戸大学と東京大学で学生として過ごした経験を持つ.その経験に基づいて,アメリカを代表するハーバード大学と日本を代表する東京大学との違いを指摘している.要約すると,「東大は全然ダメ.社会のリーダーを育成する一流大学として,ハーバードが断然優れている.」ということになるだろう.ハーバードが優れていることは,こういう本を日本語で書ける学生を確かに排出した事実からもうかがえる.何でもアメリカの真似をさせようとするアメリカ至上主義なアメリカ人や,何でもアメリカの真似をしようとするアメリカ至上主義な日本人は本当に勘弁して欲しいし,アメリカの大学が日本の大学よりも全面的に優れているとは全く思わないが,本書で指摘されている東京大学の欠陥については,当事者は真摯に検討するべきではないのか.的を射た指摘が数多くあると感じた.著者の指摘のいくつかを見ておこう.

「社会のことはどうでもいい」と思う人は,きっぱりとハーバードに断られる.ハーバードに受かりたいならば,取りあえず,ボランティア活動をやってみることをお勧めする.こうして,志願書の「課外活動」という欄に書けるものが増えて受かりやすくなる.それとともに,有意義な経験を積むことだろう.

ハーバードは,学生に社会の役に立って欲しいので,志願者のボランティア活動を重視する.それに,合格者のボランティア活動も支援している.ハーバード大生は大学からもらった手当で,老人ホームに演奏しに行ったり,貧しい生徒をキャンパスに誘って,無料で教えたり,ホームレスが泊まれる宿を管理している.

統一試験では,志願者の受験力しか測れないとハーバードは認めている.実践力があるかどうか,勉強意欲があるかどうか知りたいなら,別の尺度を使わなければいけない.つまり,課外活動として何をやってきたのか,高校の成績はどうだったのか,それも考慮に入れるべきなのだ.積極的に,社会のためになる活動を行わなかった志願者は,満点取れても,門前払いされるわけだ.何よりも点数を優先する学生が将来,賢明なリーダーになるとは思えないからだ.

東大は入学試験を通じて,「頭の良い」学生を求めている.しかし,そのような学生が自分の利益だけでなく,社会のために頑張ってくれるだろうか?

まず,どのような学生に入学して欲しいと意思表示しているかという点についての違いだ.東京大学を筆頭に日本で世間体のよい大学では,「ペーパーテストで点を取る能力」のみが評価される.これは誰もが知っている事実であり,世論もそれで良いとしている.だからこそ,浪人の存在が社会的に許容されるわけだ.一年間,ペーパーテストで少しでも高い点を取れるようになることを目指して,日夜努力するわけだ.そして,その努力を大学が認める.偏狭であっても全く不思議でない,そのような浪人を大量に合格させる,つまり,そのような浪人が東大に相応しい志願者だと判断しているのが現状だ.著者は,「浪人の社会に対する貢献はゼロだ.「浪人制度」はお金持ちに偏っているだけではなく,志願者の社会問題への関心を薄め,大学の創造力も国の国際競争力も弱めることになる」と痛烈に批判している.

本書では,「人間性を押し潰す入学制度」という節を設けて,日本の大学入試制度の問題点を指摘しているが,日本の大学入試制度を批判しているのは外国人ばかりではない.宇沢弘文はその著「日本の教育を考える」(宇沢弘文,岩波書店,1998)において,センター試験も含めて,日本の非人間的な大学入試制度を痛烈に批判している.

続いては,大学での講義についての比較だ.

ハーバードの教授は質問を通じて教えている.学生に問いかけて,考えさせて,発言させて,教えている.しかし,学生から反対されない東大の先生は違う.彼らは答えを通じて教えている.つまり,学生に新しい情報を与えて,教えているのだ.情報を与えることは大変重要だけれど,議論を犠牲にして与えてしまうと,学生は自立的に考えられない.

ハーバードではあり得ない話だ.80%の学生が予習しないことはまずない.発表中に先生のコメントをもらって反応しない学生はまずいないだろう.それから,エアコンの音より小さい声を出して,自分のアイディアよりも要約に時間をかけて説明する学生もいない.先生が勝手に授業をキャンセルして,後で埋め合わせなかったら首になる.

東大の先生は学生のために教えようとしているのに,実は,自分のためにしか教えていないと言える.東大の組織は「先生は神聖な存在だ」という前提で動いているので,当然ながら学生の発言を,アメリカの大学ほど重視していない.残念ながら,学生が活発に参加できていなければ,授業は単なる時間の無駄となる.

日本の大学の講義が劣悪なことは周知の事実である.今更感が漂う指摘だが,それでも良くならないというのが凄い.教育の質を保証するための認証制度もあるが,認証を得るための書類作成に莫大な人的資源を注ぎ込むことになり,それで教員は疲労困憊という,本末転倒なことになっているように見える.教員だけの問題ではなく,学生も酷い.しかし,その酷い学生を量産しているのは日本の教育制度なので,やはり,教育の再興が望まれる.

大学の教員も学生も本書を読んで,正すべきところは正していけば良い.

そのとき,いきなり周囲を変えようなどと思わなくてもいい.まず,自分が変わることだ.自分が変化すれば,その結果として,環境も変化する.そのことを心に留めておこう.

4月 062009
 

毎年恒例行事となったN先生一家とのイチゴ狩り.今年は,華やぎ観光農園でイチゴ狩りを楽しんだ.

いちごの直売と受付@華やぎ観光農園のイチゴ狩り
いちごの直売と受付@華やぎ観光農園のイチゴ狩り

華やぎ観光農園の場所は,昨年まで利用していた京都府精華町川西観光苺園のすぐ近く.今回,華やぎ観光農園を選んだのは,ここがイチゴを高設栽培しているためだ.大人の腰の高さでイチゴが育てられているため,しゃがんでイチゴを取る必要がなく,大人でも立ったままでイチゴ狩りができる.

ハウス内は整地されているため,靴が泥だらけになることもない.なんと,車いすでもOKらしい.

いちごの高設栽培@華やぎ観光農園のイチゴ狩り
いちごの高設栽培@華やぎ観光農園のイチゴ狩り

川西観光苺園と華やぎ観光農園の違いをメモしておく.

川西観光苺園,つまり普通のイチゴ狩りの場合,プラスチック容器に水を入れて,ビニールハウスに入り,イチゴを取っては水で洗い,その場で食べる.イチゴ狩りの間,ビニールハウスの外に出る必要はない.ひたすら,取っては食べる.カビが生えているイチゴやヘタは,その場に捨てておく.水をこぼしたりもするので,子供は泥だらけになりやすい.

一方,高設栽培をしている華やぎ観光農園の場合,ビニールハウス内でイチゴを食べることは禁止されている.プラスチック容器がイチゴで一杯になったら,ビニールハウスの外に出て,そこでイチゴを洗って食べる.なくなったら,またビニールハウスに入って,イチゴを取る.これはビニールハウス内を綺麗に保ち,カビの繁殖などを防ぐことが目的らしい.

若干面倒ではあるが,高設栽培であれば,イチゴがちょうど子供達の顔の高さ(大人なら腰の高さ)に来るので,イチゴ狩りが楽なのは確かだ.

いちごを狩る長女@華やぎ観光農園のイチゴ狩り
いちごを狩る長女@華やぎ観光農園のイチゴ狩り

その他の大きな違いは,制限時間だ.これは重要だろう.「いちご狩り@京都府精華町川西観光苺園」に書いたとおり,川西観光苺園のイチゴ狩りでは約1時間を費やした.事実上,「もう食べられません」というまでビニールハウスの中で食べ続けた.時間無制限に等しい.一方,華やぎ観光農園の制限時間は30分だ.30分ですぐに追い出されることはないが,「はい,これでお終い!」というプレッシャーはかかる.イチゴを食べるのに専念すれば,もちろん30分でも十分なのだが,子供達の写真を撮ったり,ビデオを撮ったりしていると,時間が足りない...

いちごを食べる子供達@華やぎ観光農園のイチゴ狩り
いちごを食べる子供達@華やぎ観光農園のイチゴ狩り

大人も子供も大満足のイチゴ狩りだった.

4月 062009
 

4月4日(土)に,長男5歳と長女3歳が通う幼稚園で桜祭りが開催された.午前中のみ2時間程度のイベントだが,みんな三色団子を食べながら,吹奏楽の演奏や人形劇などを楽しむ.もちろん,校庭の桜も美しい.

演奏や人形劇に見入りながら団子を食べる@幼稚園の桜祭り
演奏や人形劇に見入りながら団子を食べる@幼稚園の桜祭り

今回も,山城高校吹奏楽部による演奏があった.ただし,在校生ではなく,卒業生とのこと.曲目は,女の子向けに「プリキュア」,男の子向けに「ゴーオンジャー」,その他,ジブリ系で「風の谷のナウシカ」,「天空の城ラピュタ」,「崖の上のポニョ」,等々.子供達も大喜びだ.

山城高校卒業生による演奏@幼稚園の桜祭り
山城高校卒業生による演奏@幼稚園の桜祭り

長男5歳は人形劇が非常に面白かったようで,自宅に戻ってからも「あの犬,面白かったなぁ!」と連呼していた.「あの犬」というのは,腹話術で使われた犬のことだ.

幼稚園の先生はもちろん,山城高校吹奏楽部卒業生など多くの方々の献身で成り立つ桜祭りに参加させてもらえることに,大変感謝する.