6月 012009
 

先に書いたとおり,「方法序説」(デカルト,岩波書店)を読んだ.近代思想の原点となったデカルトの著作は,あらゆる人々にとって,もちろん自然科学者にとっても,読むべき書物であると思う.

ここでは,論理的思考という観点のみからのメモを残しておく.

論理的思考のための規則

デカルトは「方法序説」(デカルト,岩波書店)において,次の4つの規則のみを厳守すればよいと述べている.

一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら,次の四つの規則で十分だと信じた.

第一は,わたしが明証的に真であると認めるのでなければ,どんなことも真として受け入れないことだった.言い換えれば,注意ぶかく速断と偏見を避けること,そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は,何もわたしの判断のなかに含めないこと.

第二は,わたしが検討する難問の一つ一つを,できるだけ多くの,しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること.

第三は,わたしの思考を順序にしたがって導くこと.そこでは,もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて,少しずつ,階段を昇るようにして,もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき,自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと.

そして最後は,すべての場合に,完全な枚挙と全体にわたる見直しをして,何も見落とさなかったと確信すること.

ゼロベース思考のための方法と態度

第一原理「我思う故に我在り」に至るために,デカルトはゼロベース思考を突き詰めた.これこそ真のゼロベース思考と言えよう.

ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部,絶対的に誤りとして廃棄すべきであり,その後で,わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない,と考えた.

しかも,そう考えただけではない.ゼロベース思考を極めるために,生き方をも律している.

それらの学問の原理はすべて哲学から借りるものであるはずなのに,わたしは哲学でまだ何も確実な原理を見いだしていないことに気がつき,何よりもまず,哲学において原理を打ち立てることに務めるべきだと考えた.そしてそれは,この世で何よりも重要なことであり,速断と偏見がもっとも恐れられるべきことであったから,当時二十三歳だったわたしは,もっと成熟した年齢に達するまでは,これをやりとげようと企ててはならないと考えた.わたしの精神から,その時より前に受け入れていた悪しき意見のすべてを根絶するとともに,たくさんの経験を積み重ねて,後にわたしの推論の材料となるようにし,また自分に命じた方法をたえず修練して,ますますそれを強固にし,あらかじめ十分な時間を準備のために費やしたうえでなければならない,と考えたのである.

論理的思考の訓練に数学を用いる理由

このブログでも既に何回か,プロセスシステム工学研究室の数学ゼミについて記載している.詳細は「研究室の数学ゼミ(線形代数)」にも書いてあるが,学生の論理的思考能力を鍛えるとともに,理解するとはどういうことかを理解するための訓練の場となっている.さらに今年は,大学院の講義である化学工学特論第一「研究・技術・自分のマネジメント」において,数学ゼミのさわりを実施した.

論理的思考能力を鍛えるために,なぜ数学を用いるのか.その理由も既に書いたとおりであるが,私なんかが頑張って書かなくても,デカルトが既に「方法序説」(デカルト,岩波書店)で指摘している.

それまで学問で真理を探究してきたすべての人びとのうちで,何らかの証明(つまり,いくつかの確実で明証的な論拠)を見いだしえたのは数学者だけであったことを考えて,わたしは,これらの数学者が検討したのと同じ問題から始めるべきだと少しも疑わなかった.もっともそこからわたしが期待した効用は,精神が真理に専心し,誤った論拠に満足しないよう習慣づけることだけだったけれど.

まさに,この「習慣づけること」を成し遂げるために,数学ゼミがあると言えよう.

「方法序説」(デカルト,岩波書店)を大変気に入った.

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