6月 042009
 

学問のすすめ
福沢諭吉,岩波書店,1978

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は,福沢諭吉の言葉として非常に有名だが,これは何も人権の立場から論じられているのではない.福沢諭吉の主張は,人は誰しも平等だということではなく,貧乏なのはその人が学問しなかったからで自業自得,そうなるのが嫌なら学問しなさいということだ.この主張は,「学問のすすめ」が明治四年に書かれたという時代背景,つまり士農工商の身分制度が廃され,新政府による新しい(好ましいと期待される)統治が始まったことを強く反映している.

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり.(中略)人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし.ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり,無学なる者は貧人となり下人となるなり.

もちろん,ここで福沢諭吉が勧めている学問は,日常の役に立つ実学である.

今かかる実なき学問はまず次にし,専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり.

「学問のすすめ」には,学問を勧める趣旨について以下のように書かれている.

ただその大切なる目当は,この人情に基づきて先ず一身の行いを正し,厚く学に志し博く事を知り,銘々の身分に相応すべきほどの知徳を備えて,政府はその政を施すに易く諸民はその支配を受けて苦しみなきよう,互いにその所を得て共に全国の太平を護らんとするの一事のみ,今余輩の勧むる学問も専らこの一事をもって趣旨とせり.

これを見る限り,まさに儒教が目指す「修己治人」そのものである.しかし,「学問のすすめ」において貫かれているのは,福沢諭吉の危機感である.インドや中国のように,日本が西洋列強の植民地と化してしまうのではないかという危機感から,国民が学問に勉め,政府と国民が一丸となって,日本の独立を守り通さなければならないと訴えている.

我日本国人も今より学問に志し,気力を慥にして先ず一身の独立を謀り,随って一国の富強を致すことあらば,何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん.道理あるものはこれに交わり,道理なきものはこれを打ち払わんのみ.一身独立して一国独立するとはこの事なり.

明治初めの時代背景を考慮すれば,福沢諭吉の憂慮は的を射ており,独立維持のために政府も国民もその分を果たさなければならないという主張には頷ける.しかし,「学問のすすめ」の筆は荒く,当時の日本国民をバカにしすぎている.「学問のすすめ」が猛反発を受けたのも頷ける.読んでいて気分が悪くなるくらい,言葉が汚い部分がある.

それでも,そのような口汚い一部を除けば,流石に学ぶべきところが多い.また,福沢諭吉の使命感が滲み出ている.

我国の文明を進めてその独立を維持するは,独り政府の能するところに非ず,また今の洋学者流も依頼するに足らず,必ず我輩の任ずるところにして,先ず我より事の端を開き,愚民の先をなすのみならず,またかの洋学者流のために先駆してその向かう所を示さざるべからず.今我輩の身分を考うるに,その学識固より浅劣なりと雖ども,洋学に志すこと日既に久しく,この国に在っては中人以上の地位にある者なり.輓近世の改革も,もし我輩の主として始めし事に非ざれば暗にこれを助け成したるものなり.或いは助成の力なきもその改革は我輩の悦ぶところなれば,世の人もまた我輩を目するに改革家流の名をもってすること必せり.既に改革家の名ありて,またその身は中人以上の地位に在り,世人或いは我輩の所業をもっと標的となす者あるべし.然らば則ち,今,人に先って事をなすは正にこれを我輩の任と言うべきなり.

以下,「学問のすすめ」に書かれている内容をいくつか紹介しよう.

分限をわきまえよ

道徳に関わる問題において,「他人に迷惑をかけてないんだから,文句を言われる筋合いはない!」という主張をよく耳にする.「自分の稼いだ金で何をしようが自分の勝手だろ」という類の主張だ.特に,自由の意味がわかっていない輩がこういう発言をして憚らない.全く困ったものだが,「学問のすすめ」において福沢諭吉はこう述べている.

学問をするには分限を知ること肝要なり.人の天然生まれつきは,(中略)自由自在なる者なれど,ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば我儘放蕩に陥ること多し.即ちその分限とは,天の道理に基づき人の情に従い,他人の妨げをなさずして我一身の自由を達することなり.自由と我儘との界は,他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり.たとえば自分の金銀を費やしてなすことなれば,たとい酒色に耽り放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども,決して然らず,一人の放蕩は諸人の手本となり遂に世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに,その費やすところの金銀はその人のものたりともその罪許すべからず.

学問を途中で投げ出して金儲けに走るな

今や大学全入時代と言われる.大学に行きたければ誰でも行ける時代ということだ.しかし,多くの学生が大学で何をしているかと言えば,就職活動だ.あるいは,遊びやアルバイトだ.本来すべきである学問が重視されているようには見えない.

さらに,トップクラスの大学院理系であっても,博士後期課程まで進学する学生は極めて少ない.まあ,これには複雑な社会的事情もあるわけだが,大学院に進学するほどに学問の道を志しながらも,その道を究めずに就職を選ぶ学生が多いのは事実だ.多くの教員が学生に博士後期課程まで進学して欲しいと願いながらも,学生の立場からすれば,給料をもらえず学費を払って,なぜ博士課程に進学する必要があるのかということになっている.このような学問と金儲けの問題は,既に「学問のすすめ」において福沢諭吉が指摘しているところだ.

然るに聞く,近日中津の旧友,学問に就く者の内,稀には学業未だ半ならずして早く既に生計の道を求むる人ありと.生計固より軽んずべからず.或いはその人の才に長短もあることなれば,後来の方向を定むるは誠に可なりと雖ども,もしこの風を互いに相倣い,ただ生計をこれ争うの勢いに至らば,俊英の少年はその実を未熟に残うの恐れなきに非ず.本人のためにも悲しむべし,天下のためにも惜しむべし.且つ生計難しと雖ども,よく一家の生計を計れば,早く一時に銭を取りこれを費やして小安を買わんより,力を労して倹約を守り大成の時を待つに若かず.学問に入らば大いに学問すべし.

プレゼンテーション能力の重要性

福沢諭吉が勧める学問は実学であるが,視察,推究,読書のみでは不十分だと指摘されている.これらに加えて,談話,著書演説が大切であると強調されている.昨今,プレゼンテーション能力を鍛える本が数多くあるが,既に「学問のすすめ」において福沢諭吉はプレゼンテーションの重要性を指摘しているわけだ.

故に学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働きに在り.この働きを活用して実地に施すには様々の工夫なかるべからず.「ヲブセルウェーション」とは事物を視察することなり.「リーゾニング」とは事物の道理を推究して自分の説を付くることなり.この二箇条にては固より未だ学問の方便を尽したりと言うべからす.なおこの外に書を読まざるぺからず,書を著さざるべからす,人と談話せざるべからず,人に向かって言を述べざるべからず,この諸件の術を用い尽して始めて学問を勉強する人と言うべし.即ち,視察,推究,読書はもって智見を集め,談話はもって智見を交易し,著書演説はもって智見を散ずるの術なり.然り而してこの諸術の中に,或いは一人の私をもって能すべきものありと雖ども,談話と演説とに至っては必ずしも人と共にせざるを得ず.演説会の要用なること,もって知るべきなり.

方今我国民において最も憂うべきは,その見識の賤しき事なり.これを導きて高尚の域に進めんとするは,固より今の学者の職分なれば,苛もその方便あるを知らばカを尽してこれに従事せざるべからす.然るに学問の道において談話演説の大切なるは既に明白にして,今日これを実に行う者なきは何ぞや.学者の懶惰と言うぺし.

評論するなら,自分でやってからにしろ

私は口先だけの評論家が大嫌いなのだが,他人のすることに口を挟むなら,まず自分でやってみろと,福沢諭吉は「学問のすすめ」において述べている.

試みに告ぐ,後進の少年輩,人の仕事を見て心に不満足なりと思わば,自らその事を執ってこれを試むべし,人の商売を見て拙なりと思わば,自らその商売に当ってこれを試むぺし.隣家の世帯を見て不取締と思わば,自らこれを自家に試むべし.人の著書を評せんと欲せば,自ら筆を執って書を著わすべし.学者を評せんと欲せば学者たるぺし.医者を評せんと欲せば医者たるべし.至大の事より至細の事に至るまで,他人の働きに喙を入れんと欲せば,試みに身をその働きの地位に置きて躬自から顧みざるぺからす.或いは職業の全く相異なるものあらば,よくその働きの難易軽重を計り,異類の仕事にてもただ働きと働きとをもって自他の比較をなさば大なる謬なかるべし.

目次

  • 人は同等なる事
  • 国は同等なる事
  • 一身独立して一国独立する事
  • 学者の職分を論ず
  • 明治七年一月一日の詞
  • 国法の貴きを論ず
  • 国民の職分を論ず
  • 我心をもって他人の身を制すべからず
  • 学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文
  • 前編の続、中津の旧友に贈る
  • 名文をもって偽君子を生ずるの論
  • 演説の法を勧むるの説
  • 人の品行は高尚ならざるべからざるの論
  • 怨望の人間に害あるを論ず
  • 心事の棚卸
  • 世話の字の義
  • 物事を疑って取捨を断ずる事
  • 手近く独立を守る事
  • 心事と働きと相当すべきの論