7月 312009
 

不都合な真実
アル・ゴア,ランダムハウス講談社,2007

遅ればせながら,話題の本「不都合な真実」を読んでみた.本書の第一印象は「でかい」ことに尽きる.いつものように,自宅と大学を往復する間に読んだのだが,非常に重かった.それもそのはずで,「不都合な真実」は300頁を超える写真集である.

地球温暖化は事実であり,人類にとって深刻な危機であり,今すぐに対処すべき問題である.地球温暖化は政治的な問題であるが,同時に,一人一人が自覚を持って取り組むべき,倫理的な問題である.本書のメッセージは,このようにまとめられよう.

地球温暖化の影響を最も受けやすいのは北極と南極である.つまり,北極や南極が「炭坑のカナリヤ」であるとして,北極,南極,および世界中の氷河について,数十年前と今の写真を比較し,氷がなくなってしまっていることを示している.さらに,氷河だけではなく,シベリアやアラスカなどの永久凍土も溶けつつあり,災害を引き起こしているとされる.実際,北半球の海氷面積は1970年代半ばから急速に減少している.北極の氷が溶けると,「自己強化型フィードバック」により,海水温の上昇と氷冠の溶解が加速度的に進む.その影響か,北極熊の溺死が多いそうだ.

世界中の山岳氷河はほぼ例外なく,溶けつつある.しかも,その多くが急速な勢いで.ここには耳を傾けるべきメッセージがある.

南極やグリーンランドの氷が急速に溶けている.南極やグリーンランドの氷の半分が溶けたり割れたりして海中に滑り落ちると,海水面は5.5〜6.0m上昇する.

海水面の上昇に伴い,太平洋の海抜の低い島国に住む人々は,すでに家から避難しなくてはならなくなっている.

世界地図を描き直さなくてはならなくなるだろう

地表気温と海面温度の年間平均温度,海洋上層部の温度が1970年代半ばから急速に上昇していることをグラフで示し,ハリケーンやその被害の写真を示している.日本の台風も含めて.特に,ニューオリンズに壊滅的な被害を与えたハリケーン・カトリーナを取り上げ,ホワイトハウスの無能無策ぶりを批判している.また,暴風雨だけでなく,大規模な洪水も急増していることを示している.

海水温が上がると,暴風雨の勢力が強まる.2004年フロリダは,4つもの並外れて強烈なハリケーンに襲われた.

1970年代以来,猛威をふるう大型の暴風雨は,大西洋でも太平洋でも,その勢力を保つ期間も強度もかつての約1.5倍となっている.

地球温暖化は生態系にも甚大な影響を与えている.陸でも海でも,大量絶滅の危機に直面している.疾病媒介生物の生息地域がより高地へ高緯度地域へと変化していることも,人類にとってのリスクである.

この25〜30年の間に,30ほどの新しい病気が出現している.そして,一度は抑えたはずの昔の病気の中にも,ふたたび猛威をふるい始めているものがある.

人類と自然の衝突を引き起こしている要因として,次の3つが挙げられている.

  1. 人口爆発:森林破壊を引き起こしている.
  2. 科学技術の革命:新しく強力な技術をどのように使うかについての知恵が伴っていない.
  3. 気候の危機に対する私たちの根本的な考え方:真実を否定してはならない.湯の中のカエルの喩え.

湯の中のカエルの比喩は絶妙だと感心した.ゆっくりとした変化に動物は鈍感であり,それが致命的・破滅的な状況になっても気付かず,対応しない.ゆっくりと温度が上昇してゆくお湯から逃げ出さずに死んでゆくカエルを,人間は笑えるだろうか.そういう問いかけだ.

本書「不都合な真実」は地球温暖化についての警告書であるが,アメリカ人であるアル・ゴア氏が執筆しただけのことはあって,主としてアメリカ人向けのメッセージとなっている.その中で,地球温暖化に重大な責任があるのは米国人であると指摘している.その根拠は,二酸化炭素排出量だ.一人あたりの炭素排出量を算出し,その世界平均を1とすると,米国5〜6,日本,欧州,ロシアは2〜3,中国は0.5程度となる.

地球温暖化への寄与率

米国 30.3%
欧州 27.7%
ロシア 13.7%
アジア 12.2%
中南米 3.8%
日本 3.7%
中東 2.6%
アフリカ 2.5%
カナダ 2.3%
オーストラリア 1.1%

本書「不都合な真実」で繰り返し強調されているのは,地球温暖化は事実であり,もはや疑いを挟む余地はないということだ.それでも,懐疑論が根強いのはなぜか.それは,石油・石炭会社などが利益を守るために世論操作を試み,しかも成功しているためだ.ブッシュ政権の重要ポストも,そのような利権団体の一味で占められていた.本書では,エクソン・モービルが名指しで非難されている.マスメディアも金の奴隷だ.彼らは真実を語らない.権力の代弁者にすぎない.実際,過去10年以上の期間において,温暖化の原因を疑う学術論文は0%であるのに対して,温暖化の原因を疑うメディア記事は関連記事全体の53%にものぼる.

さらに,アメリカの問題点の指摘は続く.中国にも遙かに及ばないアメリカの自動車燃費基準.京都議定書に批准していないアメリカ...

もしかして,私たちはテロだけではなく,ほかの重大な脅威に対しても備えるべき,ということなのではないか? 今こそほかの危険にしっかりと取り組むべきなのではないだろうか.

本書の巻末には,地球温暖化を防ぐために個人でもできる活動を具体的に紹介している.情報源となるウェブサイトも掲載されているので親切だ.

  • 自宅の省エネを進めよう
  • 移動時の排出量を減らそう
  • 消費量を減らし,もっと節約しよう
  • 変化の促進役になろう

横軸と縦軸が何なのかが不明なグラフがあったり,明らかな間違いがあったりと,気になる点も少なくないが,環境問題について知り,考えるきっかけとして優れた本だと思う.

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7月 292009
 

化学工学特論第一『研究・技術・自分のマネジメント』

今年4月に「研究・技術・自分のマネジメント」に書いたように,修士課程対象の化学工学特論第一のテーマを『研究・技術・自分のマネジメント』として,約3ヶ月間の講義を行った.途中,将来を嘱望される若手2人に特別講演をお願いした.

  1. 「研究活動で得た能力は社会人になって役に立つのか?」,木村義弘氏
  2. 「人生は経営〜自分を経営するにあたって大事なこと」,杉本哲也氏

講演者と学生有志の交流を促すために昼食会も設定し,いずれの特別講演も学生には大いに刺激になった様子だった.

最後の講義では,とにかく私が大学生に言いたいのはこういうことだとして,「大学新入生へ: 受講生に宛てた本気モードでのメッセージ」にも掲載した暑苦しいメッセージを配布し,レポート課題を示した.

化学工学特論第一『研究・技術・自分のマネジメント』のレポート課題は2つ.

  1. 最低5冊の良書に対する書評を書く.書評は1冊につき1000字程度で構わない(長ければ良いというものではない).なお,書評には,P.F. ドラッカー,安岡正篤,D. カーネギーの書籍を各1冊以上含むこと.もちろん,特別講演で紹介された書籍を読むことも推奨する.
  2. 技術経営(MOT)を主題とする書籍を読み,研究者や技術者として,自分自身の研究テーマ設定あるいは研究の進め方にどのように活用できるかを考える.その考察をふまえて,技術経営(MOT)の観点から,自分が取り組んでいる研究,自分が属する研究室が取り組んでいる研究,あるいは自分が属する専攻が取り組んでいる研究を評価する.どのような観点からの評価でも,どのような手法を用いての評価でも構わないが,さらに投資すべき,現状維持,撤退すべきなど,何らかの意志決定結果とその根拠を明確にすること.

大学院生が感銘を受けた本

化学工学特論第一『研究・技術・自分のマネジメント』では,予め推薦図書として複数の本を挙げておいた.提出されたレポートを読んだ結果,修士課程の学生が読んで参考になる,感銘を受けるという意味では,「人を動かす」(デール・カーネギー,創元社)が一番良かったようだ.圧倒的な支持を得ていた.特別講演をしてくれた杉本君が,学生時代に私から読むように勧められ,自分の人生を変えた一冊だと言うだけのことはあるのだろう.

まだ読んだことがないなら,読んでみるといい.お勧めだ.

同じくデール・カーネギーの「話し方入門」(デール・カーネギー,創元社)も非常に好評だった.話すなんてことは誰でも日常的に無意識にやっていることだが,適切な話し方というものがあることを教えてくれる名著だ.こういう本を読んでいる人と読んでいない人が同じ話し方やプレゼンテーションをするはずがない.自分の想いを人に伝えるためには,適切な方法を身に付けておく必要がある.誰もが読んでおいて損はしない本だ.

知識労働者として成果を出せるようになって欲しいという観点から推奨したのが,ピーター・ドラッカーの一連の著作だ.

「経営者の条件」(ピーター・F. ドラッカー,ダイヤモンド社)「プロフェッショナルの条件」(ピーター・F. ドラッカー,ダイヤモンド社)のいずれかを読んでみて,その通りだと頷くものの,まだピンと来ない部分もあるという意見が多かった.仕事に対する自覚が足りない学生時代には,そう感じても不思議ではない.いずれ読むべき時が来るだろうから,そのときに読み返してもらえれば良い.ただ,就職する前だからこそ,本当は今読むべきだと思う.

ピンと来ない部分があったとは言え,時間管理の重要性を含め,成果を出すために為すべきリストは大いに参考になったようだ.

ジャンルは異なるが,「青年の大成」(安岡正篤,致知出版社)に感化された学生も多かったようだ.内容がかなり精神的になってくるので,好き嫌いも出てくる.もちろん,こういう類の本は,読者のレベルに応じて,内容も違って見える.ショーペンハウエルが「誰しも自分以上のものの見方はできない」と言いゲーテがメフィストフェレスに「しょせん,人間は,自分が学べることしか学ばない」と言わせた通りだ.それでも,類書の中では,本書は若者向けに書かれているので,学生にも読みやすい.この本を読んで,良い師友を持つことや読書することの重要性を実感できた人は幸運だ.それだけでも,化工特論第一を受講した甲斐があったと,いずれ実感するときも来るかもしれない.

推奨した本のいくつかについて,「この本をもっと早い時期に読んでおきたかった」という感想が複数あった.そうだろう.私なんて,そんな本だらけだ.しかし,後悔しても仕方がない.化学工学特論第一『研究・技術・自分のマネジメント』を通して,そのような本と出会えたのだから,今は,それをどう活かすかを考えるときだ.そして,今からは,良書を読むことを自分に課すのがよい.週1冊読めば,1年で50冊読める.これだけであっても,良書を読めば,人生が変わることを請け合おう.

7月 252009
 

幸福について―人生論
ショーペンハウアー,新潮社,1958

肩肘張らずに,リラックスして読める本である.ショーペンハウアーだけあって,他の著作と同様に,ゲーテ,セネカ,アリストテレスらの引用が多い.人類史に名を残してきた賢人たちは誰しも同じことを言っているのに,凡人は何千年経っても理解しない.

幸福な生活とは何かと言えば,(中略)生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである,とでも定義するのが精一杯であろう.

ショーペンハウアーによれば,幸福の第一条件は健康である.

健康な乞食は病める国王よりも幸福である.

われわれの幸福の九割まではもっぱら健康に基づいている.

健康な身体を持っていれば,さらに精神的な幸福も手にすることができる.幸福には朗らかさが大切であるとショーペンハウアーは述べている.

健全な身体に宿る健全な精神が,われわれの幸福のためには第一の最も重要な財宝である.

直接,現在において幸福を与えるものは朗らかさ以外にない.

朗らかさは無上至高の財宝である.

ところで,朗らかさにとって富ほど役に立たぬものはなく,健康ほど有益なものはない.

ここで,朗らかさにとって富は役に立たないと言っているが,ショーペンハウアーは財産を持つことは良いことだとも言っている.それは,困窮した生活では生きる糧を得るのに忙しくなり,余暇を持てないからだ.優れた人物が望むものとは何かについて,こう書いてある.

自己の精神的な能力を磨きあげて内面の富を楽しむことのできるような自由な余暇を望むだけである.

俗物とは精神的な欲望をもたない人間である.

そして,アリストテレスの「幸福は余暇にある」という言葉,「ソクラテスは余暇を人間の所有するもののなかで最も素晴らしいものと讃えた」という伝え,さらにゲーテの「才能を授かり才能に生まれついた者は,この才能に生きることが最も美しい生き方だ」という言葉を引用している.別の見方をすれば,余暇の使い方でその人物の程度がわかるとも言える.ところが,現実の社会には,余暇に精神的な能力を磨きあげるのではなく,退屈しのぎにくだらないものに興じる者が多い.本書「幸福について」において,ショーペンハウアーは社交をボロクソにけなしている.

誰でも精神的に貧弱で何事によらず下等な人間であればあるほど,それだけ社交的だということが知られるであろう.

人の社交性はその人の知性的な価値にほぼ反比例している.

上流社会の飲めや歌えやの生活ほど,幸福への道としてばかげたものはない.

われわれの接触する人間の大多数は道徳的には悪人,知的には愚鈍か頭が狂っているから,社交は危険な,むしろ有害な傾向の一つである.

ベルナルダン・ド・サン=ピエールが「食餌の節制はわれわれに肉体の健康を授け,友好の節制は精神の平静を授ける」と言ったのは,適切かつ名言である.したがって,早くから孤独になじみ,まして孤独を愛するところまできた人は,金鉱を手に入れたようなものだ.

おいおい,そこまで言うか.たとえ真実だとしても...

ともかく,結果的に,必然的に,優れた人物は孤独を愛さざるを得ないことになる.本書でショーペンハウアーが力説しているのが,まさに孤独の価値だ.健康で孤独なのが良いと.裏返すと,人類の5/6を占める下等な人間どもを徹底的に嫌っている.下等な奴らとは接触するなと.こっちまで下等になってしまうと.おいおい,金八先生に怒られるぞ!

では,幸福になるためにはどうすべきか.

私はアリストテレスが「ニコマコスの倫理学」で何かの折に表明した「賢者は快楽を求めず,苦痛なきを求める」という命題が,およそ処世哲学の最高原則だと考える.

これがショーペンハウアーの結論である.快楽を求めてリスクを高めるような生活をすると,痛い目に遭うぞと.そうではなく,苦痛を感じずに済むように控えめに生きよと.また,現在を,今を大切にせよとも強調している.

過ぎたことに腹を立てたり,未来のことを心配したりして,せっかくのよい現在のひとときをしりぞけ,あるいは軽率にもこれを台なしにするのは,全く愚かな話である.

一日一日が小さな一生なのだ.毎日毎日の起床が小さな出生,毎朝毎朝のすがすがしい時が小さな青春,毎夜の臥床就寝が小さな死なのである.

今を大切に生きよとは多くの賢人の述べるところであるが,本書「幸福について」では,セネカの「その日その日を一生と見よ」という言葉や,ゲーテの「爽快の気,至ること稀なり,心してとらえよ」という言葉が引用されている.

さらに,幸福な人とは結局,自分に満足できる人のことだとも言っている.これこそ,もはや言い尽くされた感のある言葉であろう.古典であろうが,引き寄せ系であろうが,スピリチュアル系であろうが,誰もが,今に満足せよと諭している.アリストテレスの「幸福は自己に満足する人のものである」という言葉,キケロの「全く自分自身に依存し,自己のうちだけで一切合財の具わった人ならば,完全に幸福でないなどということはありえない」という言葉をショーペンハウアーは引用している.

他人を羨んでいるようでは決して幸せにはなれない.「自分を育てるのは自分―10代の君たちへ」(東井義雄,致知出版社)のコメントにも書いたが,あれが欲しい,これが足りないと,ないものねだりの際限ない強欲のために,自分を自分で不幸にしている人がどれほど多いことか.ショーペンハウアーはこうも言っている.

頭脳次第で,世界は貧弱で味気なくつまらぬものにもなれば,豊かでおもしろく味わい深いものにもなる.たとえば他人の生涯に起こった痛快な出来事を羨む人があるが,そういう人はむしろ,他人が痛快な出来事として描写しうるだけの重要性をその出来事に認めたというその把握の才をこそ羨むべきであろう.

人間の才能については,次の言葉が印象に残った.

誰しも自分以上のものの見方はできない.

自分自身の知力に応じて他人を把握し理解しうるにすぎない.

これは常日頃から実感していることだが,逆に,誰か優れた人物が私のために語ってくれた言葉でさえも,私の劣悪な知力のために,私が全く理解できていない可能性は大いにあるということでもある.そうやって,多くの言葉を無駄にしてきたのだろうなと悔やまれて仕方がない.いや,過ぎたことではなく,現在が大切なのだから,ますます知力向上に努めよう.そういう観点でも,付き合う本や人は選ばなくてはいけない.人選びという点では,ショーペンハウアーの次の言葉は戒めになる.

われ知らずストーヴや日向に近づくと同様に,誰しも本能的に,心地よい優越感を与えてくれそうな相手に接近する.

全く同意できない部分も少なからずあるが,面白く読める本だ.

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7月 252009
 

2006年夏以来の海外家族旅行計画については,昨年秋以降にこのブログでも数回書いてきた.最終的に,「家族旅行はハワイ10日間に決定」にあるとおり,ハワイに決定したわけだが,いよいよあと2ヶ月と迫ってきた.

既に航空券の手配は完了し,4人並んでの座席指定と子供用機内食の依頼も終えた.今回利用するのはノースウェスト航空だ.

ホテルは,ハワイに数回行ったことのある彼女に選定を任せた結果,ワイキキのAston Pacific Monarchに決まった.3名1室だと多くの選択肢があり,宿泊費も安いのだが,4名1室になると途端に料金が跳ね上がる.普通の部屋では定員オーバーになるため,広い1ベッドルームタイプなどの部屋になるわけだが,料金の違いには驚いた.それなら2部屋借りられるやん!っていうくらい.ともかく,立地条件や値段を総合的に判断した結果が,Aston Pacific Monarchなのだそうだ.

以上で,ハワイに行って帰ってくることができる.次は,滞在中のアクティビティだ.「家族旅行はハワイ10日間に決定」に書いたとおり,既にいくつかの候補はピックアップしてある.制約条件は,出国直前に4才になる長女でも参加できるアクティビティであることだ.

  1. イルカ&ウミガメに会いに行く.
  2. サンドバーに行く.
  3. シーライフパークで,イルカやエイと戯れる.
  4. ドール・プランテーションでパイナップルを満喫する.
  5. タンタラス&マノア滝へハイキングする.
  6. アトランティス・サブマリンで海中に潜る.
  7. サーク・ハワイのサーカスを見る.
  8. ビーチ.
  9. ショッピング.

多くは現地に入ってからでも何とでもなると思うのだが,イルカだけはそうでもなさそうなので,シーライフパーク(Sea Life park)ドルフィン・エンカウンター(Dolphin Encounter)を予約した.イルカに触ったり,キスしてもらったりできるという体験プログラムだ.イルカと一緒に泳ぐドルフィン・スイムなどと異なり,幼児でも参加できる.イルカの他にも,エイやアシカのエンカウンターがある.

ちなみに,シーライフパーク(Sea Life park)のアクティビティを予約する場合,送迎アリでもナシでも価格は変わらない.また,送迎時間は変更できる.今回は,朝一番9:30のドルフィン・エンカウンター(Dolphin Encounter)を予約した上で,シーライフパーク(Sea Life park)を出発する時間を最も遅くしてもらった.こういうことができないような代理店では申し込まない方が良いだろう.

あとは,様子を見ながら,ボチボチと予約していこう.上記以外では,諦めていた星空ツアーがオアフ島でもあることを発見したので,星空を見てみたいのと,ノースショアには行っておきたい.折角のハワイなので,マスタングのカブリオレでも借りて.

ちなみに,2006年の家族旅行は南ドイツだった.長女0才と長男2才を連れての旅行に周囲は反対だったが,彼女が行きたいというので実行した.スーツケースの他に大量の紙おむつを抱えての旅行だったが,ノイシュバンシュタイン城を見学したり,アウトバーンで時速200km超の世界を体験(その横を楽々とフェラーリに抜かれる)したり,ホテルのスタッフに長男の誕生日を祝ってもらったり(特別にバースデイケーキをプレゼントしてもらった)と,非常に良い思い出になっている.長女はかなり怪しいが,長男はちゃんと覚えていて,またドイツ行きたいと言う.

さて,今年のハワイ旅行はどんな旅行になるか楽しみだ.

7月 242009
 

学生からメールをもらった.想いを受けとめてくれる学生がいるというのは何と幸せなことか.教員として,これ以上,何を望むことがあろうか.こちらこそ心から感謝したい.ありがとう.

先生の授業に出席すると、生きることに対する真剣度がとても高まります。
やらなければいけないことに追われ思考回路が停止してしまっている日々の中で、1週間に1回先生の授業を受けることはとても良い刺激でした。
夏休み中もときどき先生のブログを拝読し、モチベーションを高く保ち続けます!
先生の講義を受けることができて本当に幸運でした。
ありがとうございました。

まあ,しかし,このように虚栄心を満たされて喜んでいるようでは,低級な人物であることを証明しているようなものだな.優れた人物になるということは何とも難しい.我ながら情けない気もするが,そうは言っても,このように励まされることでモチベーションを維持することも無意味とは言えないだろう.人生も既に午後1時なのだから,とにかくやれることをやるしかない.午前7時頃を生きている学生の人生本番はこれから.しっかり生きて下さい.頭が冴えてるのは午前中だからね.

7月 232009
 

自分を育てるのは自分―10代の君たちへ
東井義雄,致知出版社,2008

この本は素晴らしい.子供が中学生になるときに,プレゼントしたい.

本書は,教師であった東井義雄氏の,昭和55,56年に開催された2回の講演をまとめたものだ.

世界でただ一人の私をどんな私に仕上げていくか.その責任者が私であり,皆さん一人ひとりなんです.

どうか自分の人生を大切にして下さいというメッセージを中心に,非常に優しい語り口で,心に響くエピソードがちりばめられている.

「わたしのような女は,脳性マヒにかからなかったら,生きるということのただごとでない尊さを知らずにすごしたであろうに,脳性マヒにかかったおかげさまで,生きるということが,どんなにすばらしいことかを,知らしていただきました」

これは脳性マヒの女性の言葉だ.ところが,あれが欲しい,これが足りないと,ないものねだりの際限ない強欲のために,自分を自分で不幸にしている人がどれほど多いことか.「幸福は自己に満足する人のものである」というアリストテレスの言葉,「われわれはわれわれのものを他と比較しないで喜ぼう.自分以上の幸福を見て苦しむ者は,決して幸福になれない」というセネカの言葉を噛みしめるとよいだろう.この女性のように,生きていることの素晴らしさに感謝できたら,どれほど幸福だろうか.

また,「若きいのちの日記」という本が紹介されている.難病を患い,若くしてその生涯を閉じた女性の日記だ.

「病院の外に健康な日を三日ください.一週間とは欲ばりません,ただの三日でよろしいから病院の外に健康な日がいただきたい」

そして,一日目は家族と過ごし,二日目は愛する人と過ごし,三日目は一人で思い出と遊び,「三日間の健康をありがとうと,笑って永遠の眠りにつくでしょう」とある.

一日一日の大切さと健康であることの有り難さに,改めて強烈に気付かされる.過去や未来でなく現在を大切にすべきこと,そして健康であることが何よりの幸福であることを,ショーペンハウエルも「幸福について」で繰り返し力説している.「一日一日が小さな一生なのだ」と.また,セネカは「その日その日を一生と見よ」と諭している.

本書「自分を育てるのは自分」では,逆に,自分の歳を三で割ってみることを勧めている.これは,人生約72年を3で割ると24となり,自分が今何時頃を生きているかがわかるという意味だ.36歳なら昼の12時.もうすぐ40歳の私は,これから日が落ちていくところだ.うかうかしていられない.大学新入生なら清々しい朝を迎えたところだろう.これから,どう生きるのか.ベッドの中でウダウダして昼になってしまってから後悔しても遅すぎる.ましてや,夜になっても目覚めない人間はどうしようもない.何のために,この世に生を授かったのか...

東井義雄氏の娘さんのエピソードもある.高校のテストで60点だったという内容の手紙が娘さんから届いた.ところが,それは先生の採点ミスであり,そのことを先生に指摘し,40点に修正して欲しいと申し出たと.黙っていなければ60点のままだ.当然,葛藤もあったろう.手紙にはこう書かれていたそうだ.

「もうちょっとで二十点どころではない,汚れた点を私の人生に付けてしまうところでした.お父様,お母様のおかげで,間違いを犯さないですみました.お父様,お母様も,きっと喜んでくださることと思います」

頭が下がる.

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  • 私を私に育てる責任者は私
  • バカにはなるまい
7月 212009
 

知識人とは何か
エドワード・W. サイード(Edward W. Said),平凡社,1998

本書は,イギリスBBCラジオのリース講演の講演録である.かなり慎重に推敲されたはずの講演原稿であるため,読みやすくなっているはずだが,それでもなお,かなり難しい.というのも,新渡戸稲造の「武士道」みたいなもので,その膨大な引用を凡人は理解できないからだ.それでも,趣旨くらいは読み取れるだろう.まあ,「読む」とか「理解する」の定義とレベルは多様なので,自分のレベルで読んで理解するほかない.このことを,リヒテンベルグは次のように言っている.「著書なんていうものは鏡のようなもので,猿が覗けば,天使の顔は映らない」

「知識人とは何か」を読んで感じるのは,やはり,著者がパレスチナ人であり,米国市民であるという事実が色濃く反映されているということだ.アメリカを筆頭とする国際社会から虐げられているパレスチナ人を表象=代弁(representation)しようという意図がある.それを,かつての大国による植民地政策や米国のヴェトナム戦争などと絡めながら一般化し,弱者を表象=代弁するのが知識人の責務であるという普遍化へと導いている.

本書で主張されていること自体は,至極当然のことであると思う.まさに正統派.いや真面目な話,あたりまえのことじゃないか.単に,あたりまえのことができない輩が人間界には昔から今に至るまで数多くいるというだけで...

わたしにとってなにより重要な事実は,知識人が,公衆に向けて,あるいは公衆になりかわって,メッセージなり,思想なり,姿勢なり,哲学なり,意見なりを,表象=代弁し肉付けし明晰に言語化できる能力に恵まれた個人であるということだ.このような個人になるにはそれなりの覚悟がいる.つまり,眉をひそめられそうな問題でも公的な場でとりあげなければならないし,正統思想やドグマをうみだすのではなく正統思想やドグマと対決しなければならないし,政府や企業に容易にまるめこまれたりしない人間になって,みずからの存在意義を,日頃忘れ去られていたり厄介払いされている人びとや問題を表象=代弁することにみいださなければならないのだ.

知識人にとってみれば,自分自身の民族的・国民的共同体の名のもとになされる悪には眼をつぶり,あとはただ自国民を擁護し正当化しておくほうが,気が楽であるし,そのほうが人から憎まれずにすむ.このことは非常事態のときや危機的状態のときに,とりわけよくあてはまる.フォークランド戦争やヴェトナム戦争のとき,国家の戦争行為のお先棒かつぎが横行したため,戦争の正当性に疑念を表明しようものなら,まるで裏切り行為ででもあるかのようににらまれた.たしかに知識人にとっては,これ以上,人から嫌われる行為はあるまい.だが,たとえそうであるとしても,知識人は,集団的愚行が大手をふってまかりとおるときには,断固これに反対の声をあげるべきであって,それにともなう犠牲を恐れてはいけないのである.

さらに,知識人と専門家の関係についても論じられている.知識人は専門家に成り下がってはいけないと.

知識人が,論争とは無縁の人畜無害の愛想のよい専門家といったような人物になりさがってしまうことは絶対に避けるべきであるが,かといって,予言者カッサンドラのように,独善的な人物としてけむたがられるだけで,耳を傾けてもらえないような人物になるべきでもないというのが,偽らざるところではないか.

サイード氏が非難する専門主義的知識人の姿とは以下のようなものだ.

今日,知識人のありようをとくに脅かすのは,(中略)わたしが専門主義と呼ぶようなものなのだ.専門主義ということでわたしが念頭においているのは,たとえば朝の九時から夕方の五時まで,時計を横目でにらみながら,生活のために仕事をこなす知識人の姿であり,こんなとき知識人は,適切な専門家としてのふるまいにたえず配慮していることだろう−自分が波風をたてていないか,あらかじめ決められた規範なり限界なりを超えたところにさまよいでてはいないか,また,自分の売り込みに成功しているか,自分がとりわけ人から好感をもたれ,論争的でない人間,政治的に無色の人間,おまけに「客観的な」人間とみられているかどうか,と.

自分が所属する組織内における自分自身の姿を点検してみよう.別に波風を立てるつもりはないが,やるべきことをやろうとすると,結果的に波風が立っていることもある気はする.さまよいでてはいないかなんて全く気にしていない.自分の売り込みの成否は大いに気にしている.社会に貢献する研究をすると宣言しているので,貢献できているかどうかは大問題であり,それは売り込みの成否に大いに関連している.別に論争的ではないつもりだが,そうは思われていないだろうと自覚している.云々.

さて,問題は,このように自分自身を点検するときの視野の広さにあると思う.例えば,私が上述したような内容は,大学に所属する研究者という視点での話であって,それ以上のものではない.自分が所属するのは,大学だけでないし,学界だけではないし,日本だけでもない.一人の人間として人類社会に属している.そういう視点で,知識人として為すべきことは何かと問われているのだろう.

サイード氏は,曖昧にではなく極めて明確に,知識人が為すべきことを宣言している.

知識人の役割とは,国際社会全体によってすでに集団的に容認された文書である世界人権宣言に記されている行動基準と規範を,すべての事例にひとしく適用することなのである.

知識人の思考習慣のなかでももっとも非難すべきは,見ざる聞かざる的な態度に逃げこむことである.

見ざる聞かざる的な態度に逃げこむなというのは,かなり厳しい叱責である.これこそ,あたりまえのことだが,できないことだ.知識人という範疇ではないが,世に偉人と言われる人は,例えばシュバイツァー博士やマザー・テレサなどは,結局,見ざる聞かざる的な態度に逃げこまなかった人達とも言えるだろう.だから,大人も子供も偉人伝を読まないといけない.精神を鼓舞するために.いや,本書とはあまり関係ないが...

わたしがこの連続講演で強調してきたのは,知識人にとって,情熱を燃やして関与することが,リスクをひきうけることが,真実を暴露することが,主義や原則に忠実であることが,論争において硬直化しないことが,世俗のさまざまな運動に加担することが,とにかく重要であるということだった.

いっぽうの側を善であり,もういっぽうの側を悪と決めつけるような分析は,真の知的分析においてはつつしむべきなのである.そもそも,こちら側やあちら側といった,側(サイド)の発想は,複数の文化が争点となるところでは問題がありすぎる.

知識人として自分には,ふたつの選択肢がある.ひとつは,最善をつくして真実を積極的に表象することであり,いまひとつは,消極的に庇護者や権威者に導いてもらうようにすることである,と.ちなみに,世俗的な知識人にとって,庇護者なり権威者とは,あの神々,つまり,いつも失敗する神々(大衆)なのである.

知識人であるかどうかは別として,人の道に背くような生き方だけはしたくないものだ.

目次

  • 知識人の表象
  • 国家と伝統から離れて
  • 知的亡命―故国喪失者と周辺的存在
  • 専門家とアマチュア
  • 権力に対して真実を語る
  • いつも失敗する神々
7月 182009
 

初めてのトルコ訪問で,是非とも経験したいことが1つあった.もちろん,スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)アヤソフィア博物館トプカプ宮殿の観光も外せないが,本場でここにしかないものを楽しむという意味では,ドンドゥルマDondurma(トルコアイスクリーム)だ.ささやかな願望だが,正直,これを何よりも楽しみにしていたと言っても過言ではない.

もちろん,イスタンブールでドンドゥルマDondurma を食べたいというだけではない.ドンドゥルマDondurma を注文して,目一杯おちょくられたいということだ.

イスタンブール市街を歩くと,多くのドンドゥルマDondurma 屋がある.トルコアイスクリームの他にも,普通のアイスクリームやソフトクリームを売る店もある.いくつかのドンドゥルマDondurma 屋を見ていると気付くのだが,パフォーマンスの熱心さが違う.

ドンドゥルマDondurma(トルコアイスクリーム)の屋台パフォーマンス@イスタンブール
ドンドゥルマDondurma(トルコアイスクリーム)の屋台パフォーマンス@イスタンブール

今回は,アヤソフィア博物館地下宮殿に近い屋台でドンドゥルマDondurma を注文した.「1つ欲しい」と言うと,コーンを手渡してくれる.そこに,柄の長い柄杓で白色のバニラアイスクリームを盛りつけてくれた,その瞬間,そのままコーンごと柄杓で持って行かれる.「あーっ!」って思っていると,アイスクリームは凄い勢いで宙を舞い,柄杓でカンカンって銅鑼(?)が打ち鳴らされたかと思うと,アイスクリームを口にベチャッて付けられた.不意を突かれて,「おーっ,何すんねん!」と思っていると,また柄杓でカンカンって銅鑼(?)が打ち鳴らされて,白色のバニラアイスクリームの上に,茶色のチョコレートアイスクリームと青色のミントアイスクリーム(?)が合計3段に盛られて手元に戻ってきた.

三色のドンドゥルマDondurma(トルコアイスクリーム)@イスタンブール
三色のドンドゥルマDondurma(トルコアイスクリーム)@イスタンブール

実に興味深い.ビヨ〜ンと伸びるトルコアイスクリームを超満喫できた.ビヨ〜ンと伸びるだけあって,ドンドゥルマDondurmaの食感は凄く弾力性がある.お餅とは違うが,モチモチ感があって, 団子みたいな感じ.もちろん,アイスクリームだから冷たい.イスタンブールの暑い夏にはピッタリだ.是非お試しあれ!

7月 182009
 

学会終了後,イスタンブールに移動して1泊した.今回宿泊したFerman Hotelは,スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)アヤソフィア博物館のすぐ近く,マルマラ海側にある,洒落たプチホテルだ.石畳の細い路地に面しており,その路地沿いには雰囲気の良さそうなホテルが並んでいる.

Ferman Hotel@イスタンブール, トルコ
Ferman Hotel@イスタンブール, トルコ

洒落たプチホテルが並ぶ路地@イスタンブール, トルコ
洒落たプチホテルが並ぶ路地@イスタンブール, トルコ

赤色を基調にしたフロントとロビーは広々としている(ホテルのサイズの割には).チェックインを依頼すると,「今日は部屋が空いているから部屋をアップグレードしてあげる.部屋からスルタンアフメット・ジャーミィが見える上階の部屋よ.」ということで,受付の女性スタッフがデラックスな客室を割り当ててくれた.

Ferman Hotelのフロントとロビー@イスタンブール, トルコ
Ferman Hotelのフロントとロビー@イスタンブール, トルコ

エレベータで2階(日本でいう3階)まで行き,ICカード内蔵のルームキーで鍵を開けて部屋に入ると,確かにゴージャスだ.大きなキングサイズベッドと天井のシャンデリアが目に飛び込んでくる.部屋は広々としており,ソファー,ガラス製のテーブル,デスクなどがある.浴室に目を向けると,シャワーだけでなく,ちゃんと浴槽もある.

アップグレードしてもらったFerman Hotelの客室@イスタンブール, トルコ
アップグレードしてもらったFerman Hotelの客室@イスタンブール, トルコ

アップグレードしてもらったFerman Hotelの客室@イスタンブール, トルコ
アップグレードしてもらったFerman Hotelの客室@イスタンブール, トルコ

スーツケースを部屋まで届けてくれたスタッフにチップを渡した後,ベッド横の扉からテラスに出てみると,真正面にスルタンアフメット・ジャーミィが見える.素晴らしい眺めだ.もちろん,ソファーやベッドに座りながら,もう1つの窓からも真正面にスルタンアフメット・ジャーミィを見ることができる.申し分ない.

Ferman Hotelの客室からスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)を臨む@イスタンブール, トルコ
Ferman Hotelの客室からスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)を臨む@イスタンブール, トルコ

夜になると,Ferman Hotelの周囲は雰囲気が変わる.それぞれのホテルがライトアップされるのだ.結構派手な色遣いだ.もちろん,客室からはライトアップされた美しいスルタンアフメット・ジャーミィの姿を見ることができる.

洒落たプチホテルが並ぶ路地の夜@イスタンブール, トルコ
洒落たプチホテルが並ぶ路地の夜@イスタンブール, トルコ

1泊90ユーロであり,立地条件,客室,サービスといずれをとっても申し分ない.お勧めできるホテルだ.

7月 182009
 

イスタンブールでの最後の晩餐は,かなり歩き疲れていたので,宿泊しているFerman Hotelの近くで済ませることにした.ホテルを出て少し歩くと,屋上のテラスがレストラン&カフェになっているホテルを見付けた.というか,この付近のホテルは,屋上のテラスで食事できるところが多い.

目に留まったのは,交差点に建つThe Best Western Hotel Obeliskだ.ホテルの外に出ていたメニューを見ていると,店員が「スルタンアフメット・ジャーミィも見えるし,マルマラ海も見えるよ」とアピールしてきた.ライトアップされたスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)を見ようと言っていたので,それならということで,ホテル屋上のObelisk Terraceで食事をすることにした.

エレベーターで最上階まで行き,そこから階段で屋上に出る.まだ客は誰もいない.スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)がよく見える場所を選んで,そこに4人用のテーブルをセットしてもらう.

ちょうど,スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)の後ろに,夕日が沈んでいく.幻想的と言えるほど,とても美しい.

Obelisk Terraceからスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)を臨む@イスタンブール, トルコ
Obelisk Terraceからスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)を臨む@イスタンブール, トルコ

後ろを振り返れば,マルマラ海も見える.さらに,テラスの別の場所からは,アヤソフィア博物館も綺麗に見える.

Obelisk Terraceからアヤソフィア博物館を臨む@イスタンブール, トルコ
Obelisk Terraceからアヤソフィア博物館を臨む@イスタンブール, トルコ

食事は,どれにすべきか非常に迷ったので,ミックス・グリルにした.これでもかというほど,たくさんの種類の肉料理が盛られており,お腹一杯になった.

Obelisk Terraceのミックス・グリル@イスタンブール, トルコ
Obelisk Terraceのミックス・グリル@イスタンブール, トルコ

食事の途中には,スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)のライトアップが始まり,また違った美しさを見せてくれた.

ライトアップされたスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)を臨む@イスタンブール, トルコ
ライトアップされたスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)を臨む@イスタンブール, トルコ