8月 022009
 

愛と死をみつめて―ある純愛の記録
大島みち子,河野実,大和書房,2004

読んでみて良かった.私の読書歴を見れば分かるとおり,小説はほとんど読まないし,ましてや恋愛モノなど全く眼中にないのだが,子供が中学生になるときにプレゼントしたいと感じた本「自分を育てるのは自分―10代の君たちへ」(東井義雄,致知出版社)において紹介されていた「若きいのちの日記」について調べると,その著者と恋人が交わした文通の記録である本書「愛と死をみつめて―ある純愛の記録」の方が先に出版されたということなので,こちらから読むことにした.主人公2人は3年間で400通を超える手紙を遣り取りしている.そして,その文通は女性の死によって幕を閉じる.

読んでみて良かったと書いたものの,純愛とか恋愛とか,そういう次元では特に感じるところはなかった.あったとすれば,不治の病に冒された女子大生の恋人である男性に対して,納得いかないことが多々あるとういくらいだ.例えば,「いやいや,そのタイミングで『別れましょう』なんて手紙出すなよ」とか,「お前が自殺するなよ」とか,「お金がないから行けないと言って,どうして酒と煙草をやめないのか」とか,「死期が迫りながらも生きたいと願う彼女に,あなたは助からないなんて手紙を送るなよ」とか,「学生の本分を忘れるなよ」とか...それでも,愛する彼女が数年ももたずに死ぬという状況でよく頑張ったのだと思う.辛かっただろうから.

収録された手紙の内容だけから判断すると,男性の方は大した人物ではなかったように思われる.ごく普通の弱い人間だ.その一方で,軟骨肉腫という不治の病に冒され,顔半分を失いながらも,強く生きようとする大島みち子さんの姿には心打たれるものがある.この違いはどこから来るのか.それは,自分の死を意識しているかどうかの違いではないだろうか.死にたくないのに死ななければならないことを認識すればこそ,生きていることの素晴らしさに気付くことができる.たとえ病に冒され,不自由な病院生活であったとしても,周囲の人々に支えられながら生きていることが,それだけでも幸せに感じられる.人間として生まれて,普通に生きていられるということが,どれほど素晴らしいことであるか.これを普通に生きている多くの人は悟ることができない.それどころか,自分は恵まれていないと不平不満をばらまきながら生きていたりする.なんとも恥ずべき態度ではないか.そんな人間のままで人生を終えたくはない.

女性は手紙の中で,病気になったおかげで,人を愛することを知り,愛される喜びを知り,多くの親切な人々に支えられて,自分は本当に幸せであると書いている.もちろん,病気になって,しかも不治の病に冒されて,愛する人と一緒に暮らすどころか,一度の旅行にすら行けなくて,嬉しいわけがない.そんな境遇を呪いもしただろう.それでも,現実を肯定的に受けとめ,最後の最後まで前向きに生きようとし,自分は幸せだと感じている.なんとも立派ではないか.たとえ僅か21年の人生であったとしても,確かに人間として価値ある生き方をした.

世に師と仰がれる方々の言葉を読むのも良いが,そのような言葉が,本書を読むことで,さらに心に深く刻み込まれたような気がする.

目次

第1部 1962年8月〜10月

  • マコと呼んでいいですか?
  • 告白

第2部 1962年10月〜1963年3月

  • 手術
  • 苦しみ
  • 回復
  • 恐怖
  • 再発

第3部 1963年3月〜7月

  • 生きる
  • 願い
  • 別れ

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