8月 042009
 

若きいのちの日記―愛と死の記録
大島みち子,大和書房,2005

「愛と死をみつめて―ある純愛の記録」(大島みち子,河野実,大和書房)に引き続き,大島みち子さんの闘病記録である本書「若きいのちの日記―愛と死の記録」を読んだ.

軟骨肉腫という不治の病に冒され,顔半分を失いながらも強く生きよう,愛する人のために一日でも長く生きようとした女性が,入院中に愛する青年と遣り取りした書簡集(愛と死をみつめて―ある純愛の記録)と自分の心を見つめて綴った日記(若きいのちの日記―愛と死の記録).この2つを読むことで,彼女の深い苦悩が,そして天性の明朗さがわかる.

死の恐怖と闘いながら,彼女は病床にて物凄く勉強もしている.かなりの量の読書もしたようだ.

今,武者小路実篤の「人生論」を読んでいる.こういう類の本をどうしてもっと前から読まなかったのかと悔やまれる.

生と死.今自分の身にさしせまっているので痛いほどよく理解され,そして考えさせられる.手術後,よくなったらもっともっとこういう本を読んで精神を鍛えよう.

日記には心に留まった言葉がいくつか記されている.

健康な人は自分の健康に気がつかない.
病人だけが,健康を知っている.
カーライル

生活については,常に満足せよ.
しかし,自分自身については,満足するな.
G.J. ネーサン

病気が,自分自身を見つめる時間を与えたのだろう.死が,生きることについて考えさせたのだろう.彼女が日記に綴る言葉は心に迫るものがある.人間の強さと弱さが赤裸々に語られる.

自分の命がもう長くないと知った昨年の秋,私の頭の中は「生と死」のことでいっぱいだった.健康体であった十六年間,ただむやみと過ごしてきたことを後悔した.あれもしたかった,これもしたかったと.そして自分がまだ何も知っていないことを知った.

手術後,苦しい一ヶ月を送り,初めて助かった実感が湧いてきた時,あれもしよう,これもしようと将来の設計図を頭の中に青写真を引いた.

そしてはや六ヶ月.毎日,凡々の生活.いけないと最近は思いさえしない.人間って(私だけかもしれない)なんて勝手なものだろう.

摘出された左目だけでなく,右目の視力も失う不安の中で書かれた言葉.

私たちは身近にあるものを,あまりに遠くかけはなれたところでさがしている.

そして,自分自身と自分を見る周囲の目について.

片眼のないおばけが,肩で風を切って歩いていくのだから,人はふり返って見るでしょうよ.

しょぼしょぼとした目は生気をとりもどし,冷たい女の目は自分より不美人がいたと安堵の色を浮かべる.

不具者をもつ親は,この同類に半ば同情し半ば喜ぶ.そして医者はどこまでも冷たい動かない目をする.

こんな目を意識する時,私は孤独だ.

低級な人物は他人の不幸を好むものだ.そして,低級な人物がほとんどである.ショーペンハウエルも皮肉たっぷりに指摘していることだが,この日記を読むと,本当に心が痛む.それでも彼女は「人に同情されるのは嫌だ」という.

そして,自分が受けた親切の十分の一でも恩返しするためにと,自分の身体が動く限り,他の入院患者の身のまわりの世話をし続けた.

日記は最後の最後まで明るく前向きだ.

目次

  • 日記―1962年7月~11月
  • 日記―1963年1月~6月