9月 152009
 

2009年5月にグランドオープンしたばかりの真新しいサザンビーチホテル&リゾートに宿泊するわけだが,ホテルの周囲にはビーチを除いて何もない.ホテル内のレストランで食事をするよりは,居酒屋みたいなところでワイワイガヤガヤと安く楽しく食事をしたいので,沖縄本島最南端の喜屋武岬(きゃんみさき)からサザンビーチホテル&リゾートへとスバル・インプレッサで移動しながら,適当な店を探す.

もう港の対岸にホテルが見えてくるというところまで来たとき,交差点の角に「味どころ 田舎家」を発見した.ここから先,ホテルまでは全く何もない.間違いなく,ホテルに最も近い食事処だ.ただ,店の雰囲気が全くわからないので,車を停めて,偵察に行く.店内に入り,出てきた女将さんにメニューを見せてもらう.寿司や刺身の他に,沖縄郷土料理も色々とあるようだ.カウンターの大きなカニを指しながら,「ゴーヤチャンブルーとか沖縄の料理も,お勧めも,珍しいものもありますよ」と教えてもらった.メニューも豊富で,値段も手頃だ.良さそうなので,15名入れることを確認して車に戻る.

別行動でマリンスポーツを楽しんだはずの学生たちに連絡を取って,夕食の予定について尋ねると,まだ店は決まっていないらしい.それならということで,田舎屋に電話して,15名で予約する.

問題は,どうやってホテルから田舎屋まで移動するかだ.ホテルに最寄りとは言うものの,港の対岸にある田舎屋まで2kmはありそうだ.駐車場はあるとのことなので,車で行ってもよいが,そうするとドライバーがお酒を飲めない.それではあまりに可哀想なので,みんなで歩くか.あるいは,タクシーを使うか.私は徒歩派だったのだが,お酒を飲まないという学生が1名いたので,車で15名をピストン輸送し,最後に飲まない彼が車で店に行くことになった.

田舎屋@糸満, 沖縄
田舎屋@糸満, 沖縄

田舎屋では,座敷にテーブル3つを並べて用意していてくれた.まずは,オリオンビールの生で乾杯.少数の例外を除いて.人数が多いので,とりあえず,刺身の盛り合わせだけ先に頼んでおく.

料理はテーブルごとに注文することにして,ゴーヤチャンブルー,ソーメンチャンブルー,豚肉などの沖縄料理に加えて,天麩羅,焼き鳥などをガンガン注文する.前日のように注文してから1時間待たされることもなく,手際よく料理が出てくる.どれも美味しかったが,学生に評判が良かったのは,エビのウニ焼きだ.

田舎屋の苦いゴーヤチャンブルー@糸満, 沖縄
田舎屋の苦いゴーヤチャンブルー@糸満, 沖縄

田舎屋のソーメンチャンブルー@糸満, 沖縄
田舎屋のソーメンチャンブルー@糸満, 沖縄

田舎屋で人気だったエビのウニ焼き@糸満, 沖縄
田舎屋で人気だったエビのウニ焼き@糸満, 沖縄

ビールや焼酎を飲み,一通り食べたなというところで,女将さんに「あのカニを出してもらえますか」と伝える.カニは大きなハサミを見せつけながらカウンターのケース内に鎮座しているのだが,メニューにはない.壁に貼られたお勧めにもない.値段もわからない.そもそも名前も知らない.偵察に訪れたときに見掛けただけだ.そう言えば,値段も聞かずに注文したな...

しばらくすると,白い大皿に蒸したカニが盛られてやってきた.テーブルから「おーっ!」と歓声が上がり,5名がカニに手を伸ばすと,途端に静寂が訪れた.

田舎屋のノコギリガサミ@糸満, 沖縄
田舎屋のノコギリガサミ@糸満, 沖縄@沖縄

こっそりと注文したカニであったが,カニを見付けるやいなや,隣のテーブルでも,さらにその隣のテーブルでも,「あのカニを下さい!」と言って注文している.誰も,何というカニかも,いくらなのかも把握していない.無茶苦茶だ.

折角だからとカニについて尋ねてみると,奧から大将が出てきてくれて,そのカニはノコギリガサミという名前であること,沖縄近海で捕れるカニであることなどを教えてくれた.ちなみに気になる価格は,一杯4000円だった.1人800円になる計算だが,十分に楽しめた.

もう飲めません,食べられませんという状態になり,会計をお願いする.1人4000円程度.いやぁ,本当に値打ちがあった.サザンビーチホテル&リゾートに宿泊する人には是非お勧めしたい.

味どころ 田舎家

場所: 沖縄県糸満市西崎1-11-1
電話: 098-994-2658
営業時間: 17:00〜翌1:00
定休日: 月曜日

リンク: 食べログYAHOO!グルメ

味どころ 田舎家 (魚介料理・海鮮料理 / )
★★★★ 4.0

9月 152009
 

壮絶な沖縄戦の象徴とも言えるひめゆりの塔があるひめゆり平和祈念資料館を見学した後,サザンビーチホテル&リゾートでの集合時間6:30まではまだ余裕があるので,沖縄本島最南端の喜屋武岬(きゃんみさき)まで足を伸ばすことにした.喜屋武岬も「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」(仲宗根政善, 角川書店)に何度も登場する地名だ.首里戦線から徐々に南へと追い詰められ,いよいよ喜屋武岬で文字通り背水の陣となったわけだが,ここでも多くの人が亡くなったことだろう.喜屋武岬に建立された平和の塔には,花などが供えられている.

沖縄戦跡国定公園の喜屋武岬@沖縄
沖縄戦跡国定公園の喜屋武岬@沖縄

平和の塔@喜屋武岬, 沖縄
平和の塔@喜屋武岬, 沖縄

目を海の方へと向けると,前日訪れた沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき)のように,険しくも美しい海岸線が見える.このような断崖絶壁の岩陰に,あるいは周囲に広がるアダンのジャングルの中に身を隠し,自決をも覚悟しつつ,それでも生き抜こうとした人々のことを思うと悲しみが溢れてくる.

険しく美しい海岸線@喜屋武岬, 沖縄
険しく美しい海岸線@喜屋武岬, 沖縄

喜屋武岬の灯台から,さらに草木をかきわけながら小道を行くと,柵も何もない断崖絶壁の上に出る.右の方を見れば,平和の塔が切り立った崖の上にあるのが見える.美しい眺めだ.

灯台から先へと続く小道@喜屋武岬, 沖縄
灯台から先へと続く小道@喜屋武岬, 沖縄

断崖絶壁に建つ平和の塔@喜屋武岬, 沖縄
断崖絶壁に建つ平和の塔@喜屋武岬, 沖縄

徐々に太陽が高度を下げ,赤みを帯びてきた.サザンビーチホテル&リゾートに行って,日没を見ることとしよう.

9月 152009
 

沖縄県平和祈念資料館を見学した後,いよいよ,今回の沖縄旅行で最も訪れたい場所,ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館を目指す.

ひめゆり平和祈念資料館には駐車場がないが,近隣のお土産屋を無料駐車場として利用できるので,そこに車を止めさせてもらう.ひめゆりの塔がある敷地の入口には,献花の売店があり,繁盛していた.

敷地内に入ると,正面に記念碑のようなものが見える.その周囲は木柵で囲われており,手前に献花台がある.沖縄戦に学徒隊として従軍し,戦死あるいは自決せざるをえなかった少女たちに,多くの花が手向けられている.

ひめゆりの塔があるひめゆり平和祈念資料館@沖縄
ひめゆりの塔があるひめゆり平和祈念資料館@沖縄

記念碑の手前には,澄み渡る青空に向かって大きな穴が口をぽっかりと開けている.これが沖縄陸軍病院第三外科壕だったところだ.その暗い穴の奥底をのぞき込むと,「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」(仲宗根政善, 角川書店)に描写されていた情景がよみがえってくる.

「私の上には兵隊の屍がのしかかっていた.屍にはウジがわき,腐った肉を蚕食する音がはっきり聞きとれた...神谷さんがまだ手をしっかり握っていた.ゆり動かしても返事がない.よく見ると神谷さんの頭はなかった...」

多くのひめゆり学徒隊が戦死した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡
多くのひめゆり学徒隊が戦死した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡

この沖縄陸軍病院第三外科壕にガス弾が投下されたのは6月19日のことだ.ここで,学徒を含め100名もの人命が失われた.献花台の前で,手を合わせ,黙祷を捧げる.

有名な「ひめゆりの塔」は,沖縄陸軍病院第三外科壕の脇に建てられている.小さく簡素な石碑であり,もしかすると気付かぬ人がいるかもしれない.

ひめゆりの塔@沖縄
ひめゆりの塔@沖縄

左手の小道をゆくと,ひめゆり平和祈念資料館がある.非常に立派な沖縄県平和祈念資料館と比べると,ひめゆり平和祈念資料館はいかにも素朴な平屋建てである.

ひめゆり平和祈念資料館@沖縄
ひめゆり平和祈念資料館@沖縄

入館料300円を払って中へ入ると,美しい花が咲き乱れる中庭が目に飛び込んでくる.その中庭を取り囲むようにして,5つの展示室と,平和への広場,多目的ホールがある.

第1展示室は「ひめゆりの青春」.

「ひめゆり」の愛称で親しまれていた沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校。 1930年代から、長引く戦争により学園は次第に軍事化されていきます。夢見る年頃のごく普通の明るい青春を戦時色に塗りかえた「戦争と教育」。その過程を展示しています。 1945年3月23日ついに米軍の沖縄上陸作戦開始。学園から240名が戦場へ動員されました。

第2展示室は「ひめゆりの戦場」.

動員された240名が看護要員として配置されたのは南風原の沖縄陸軍病院。ありの巣のように堀りめぐらされた横穴の壕に二段ベッドが置かれただけの施設でした。病院壕のジオラマと元ひめゆり学徒隊の生存者の証言によって、戦場でのひめゆり学徒や、負傷兵の実態を明らかにします。 40年後に発掘された医療器具や生徒が戦場に携えていった品々をエピソードとともに展示しています。

第3展示室は「解散命令と死の彷徨」.

米軍が間近にせまった1945年6月18日夜、「解散命令」が出され、生徒たちは米軍の包囲する戦場に放り出されます。「解散命令」後の数日間で、100余名のひめゆり学徒が死亡しました。この時の悲劇を、米軍のフィルムと生存者の証言で伝えます。

第4展示室は「鎮魂」.

ここは沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒と教師の鎮魂の空間です。壁面にかけられた200余名の犠牲者の遺影は、一人ひとりの生きた証です。 生存者の証言本を読むことができるほか、ガス弾攻撃によって多くの犠牲者がでた伊原第三外科壕(ひめゆりの洞くつ)が実物大で再現されています。

第5展示室は「回想」.

四季の色とりどりの花園が窓に広がります。これまでの展示を回想し、来館者の皆様の思いを記していただく空間です。

ひめゆりの塔を訪れたのであれば,「ひめゆり」の由来くらいは知っておかなくてはなるまい.

沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校には、それぞれ校友会誌があり、一高女は「乙姫」、師範は「白百合」と名づけられていました。両校が併置された際、校友会誌もひとつになり、両方の名前を合わせて「姫百合」と名づけられました。ひらがなで「ひめゆり」と使うようになったのは戦後です。

この由来も含めて,ひめゆり平和祈念資料館のウェブサイトには,「ひめゆりを学ぶ」というコーナーが設けられており,ひめゆり学徒隊について詳しく解説されている.一読をお勧めしたい.

関係者の尽力により,戦後,ひめゆり学徒隊は沖縄戦の象徴的存在となったが,凄惨な沖縄戦に学徒隊として従軍したのはひめゆり学徒隊だけではない.200名を超えるひめゆり学徒を含め,沖縄戦では合計1998名の学徒が戦死した.一般人の死者は10万人を超え,軍人も含めると20万人以上が沖縄戦で命を落とした.

改めて黙祷を捧げ,ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館を後にした.

9月 152009
 

美しい海中道路を後にして,沖縄本島南端の糸満市に向かう.目的地は,沖縄県平和祈念資料館ひめゆりの塔だ.

広大なサトウキビ畑が広がる緑豊かな地域を南へ南へと進む.南風原町,八重瀬町,糸満市はまさに「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」(仲宗根政善,角川書店)の舞台であり,車窓から見えるのどかな風景にも心が痛む.

県営平和祈念公園内にある沖縄県平和祈念資料館は,10万人以上もの一般市民が殺された沖縄戦の悲惨な実態を伝承するために設立された施設である.その設立理念には次のように記されている.

”沖縄のこころ”とは、人間の尊厳を何よりも重く見て、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、人間性の発露である文化をこよなく愛する心であります。

私たちは、戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに私たちのこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与するため、ここに県民個々の戦争体験を結集して、沖縄県平和祈念資料館を設立いたします。

非常に立派な沖縄県平和祈念資料館
非常に立派な沖縄県平和祈念資料館

沖縄県平和祈念資料館の正面入口
沖縄県平和祈念資料館の正面入口

沖縄県平和祈念資料館は驚くほど立派な建物で,沖縄戦に関する資料も大変充実している.正直なところ,あまり期待はしていなかったのだが,時間を割いて訪れるに値する施設だ.

滞在中に修学旅行生には出会わなかったが,大学生くらいのグループは多く,沖縄に来ても,遊びだけでなく,自国の暗い過去にも目を向けようとする姿を好ましく感じた.

沖縄県平和祈念資料館の展望台からは,県営平和祈念公園や険しく美しい海岸線を一望できる.

沖縄県平和祈念資料館から望む県営平和祈念公園
沖縄県平和祈念資料館から望む県営平和祈念公園

沖縄県平和祈念資料館から望む険しく美しい海岸線
沖縄県平和祈念資料館から望む険しく美しい海岸線