10月 232009
 

ここ数ヶ月,古典を読むことがお気に入りになっている.ダンテの「神曲」ゲーテの「ファウスト」を経て,遂にプラトンの「ソクラテスの弁明・クリトン」「ゴルギアス」などにまで遡ってきた.

プラトンの対話篇を読んでいて,ソクラテスが対話相手を説得している様子に疑問を持った.クリトン,ゴルギアス,ポロス,カルリクレス,ケベス,シミアス,パイドンら,ソクラテスの弟子もそうでない人たちもみんな,感情的にはそうではなくとも,理屈上はソクラテスに説得されてしまうのだが,ソクラテスが語る説明を吟味すると,「いやいや,それは必ずしも真とは言えませんよね」と突っ込みたくなる箇所が少なくない.

なぜ突っ込めるのかというと,ソクラテスが,いや,正確にはプラトンが,魂や死について何かを証明しようとするとき,身近で具体的な例をいくつも挙げて,そのことへの同意を取り付けた上で,「だから,魂や死についても○○だね」という説得の仕方をしているからだ.「何か反論できるかね?」と尋ねられても反論する根拠がないため,「確かに,そのようにみえる」となり,ソクラテスの術中にはまるわけだが,この説得は必ずしも正しくない.数多くの例を列挙して,それを根拠に,何か他のことについての結論を得ようとする推論の方法は,枚挙的帰納法と呼ばれるものだが,これは必ずしも正しい推論にはならない.

そういう意味で,ソクラテスやプラトンの哲学には詰めが甘いところがあるのだろう.しかし,そうは言うものの,二千数百年も前に,人の魂や死,さらにいかに生きるべきかということについて,これだけの洞察を加えているというのは驚くべきことだ.

このような対話をふまえて,ソクラテスの弟子であるプラトンがアカデメイア(学校)を開き,そこからアリストテレスのような人物が出て,論理学が発展したのも頷ける.確かに,必要だったわけだ.

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