11月 302009
 

大学院での英語講義の是非」で,日本国内の大学院の講義を英語にすべきかどうかについて書いたが,既に「YouTubeで二流教員は御祓箱」にも書いたように,今や,「世界の大学ランキング」でトップクラスにある大学の講義を無料で受講できる環境にある.

私の研究にも関連する講義のいくつかをリストアップしてみた.

線形代数

Linear Algebra (MIT)

フーリエ変換

The Fourier Transforms and its Applications (Stanford University)

最適化

Convex Optimization (Stanford University)

線形システム

Introduction to Linear Dynamical Systems (Stanford University)

プロセス制御

Control of Manufacturing Processes (MIT)

機械学習

Machine Learning (Stanford University)

ゲーム理論

Game Theory (Yale University)

化学工学

Introduction to Chemical Engineering (Stanford University)

11月 292009
 

スピリチュアル タブー・ブック
江原啓之,マガジンハウス,2008

「○○すると縁起が悪い」,「○○したらバチがあたる」など,本当か嘘かよくわからないタブーなるものが世の中にはたくさんある.本書「スピリチュアル タブー・ブック」では,そのようなタブー70個を取り上げ,本当か嘘かを解説している.もちろん,タイトルの通り,霊的な話であるので,書いてあることのどこまでが真実かはわからない.それでも,まともなことが書いてあると思う.「結婚式は仏滅でも問題ない」とか.

巷にあふれるスピリチュアルなタブーについて江原氏が解説している本書だが,単に,これは本当,これは嘘,と述べているだけではなく,一本の筋が通っている.それは,「波長の法則」と「カルマの法則」と言われるものだ.

「波長の法則」とは,類は友を呼ぶと同じことで,この宇宙では,同じ波長を持つもの同士が引かれ合い,違う波長を持つもの同士は接点がないことを指す.人間関係を見ていれば自明だろう.折角生きているのに不平不満ばかり言っている冴えない人は,同じく不平不満ばかりで冴えない人達と群れる.波長が合うからだ.前向きに生きる人達は,そういう人と出会い,好循環を生む.そうであるならば,波長を高めることの重要性は明らかだろう.波長を高めるとは,すなわち,人間として成長するということだ.

一方,「カルマの法則」とは,因果応報のことだ.ただし,一度の人生でプラスとマイナスが均衡するのでも,人々の人生が平等なのでもない.もっと長期的な視点での話だ.

もちろん,「波長の法則」や「カルマの法則」は何も目新しいものではない.目新しければ,それは恐らく怪しげな新興宗教だろう.

前にも読書メモとして書いたが,自分の思いや考えが現実世界に影響を与える.夢は現実になる.これが,「原因と結果の法則」,「引き寄せの法則」,「ザ・シークレット」など様々な呼び方をされている宇宙の法則であり,より良い人生を送るために我々が知っておくべき事柄である.そして,自分の思いや考えが現実世界に影響を与えるのは,我々がエネルギーのみからなる世界に存在しており,我々の思考は特定の波長を持ったエネルギーであり,同じ波長のエネルギーは共鳴するためである.「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」や「ハトホルの書―アセンションした文明からのメッセージ」に書かれている通りである.

まあ,人はそれぞれだ.自分が歩むべきと思う道を歩めばいい.何も考えないのも一つの道だ.それに,嘘も方便という.

11月 282009
 

以前,「アメリカでは学校週4日制を導入済み」と題して,USA TODAY紙の”Today’s debate: Education”という記事を紹介した.そこに書かれていたのは,アメリカの一部で既に導入されている学校週4日制についての賛否だった.

今日,WEDGE(ウェッジ)という薄い雑誌をパラパラとめくっていたところ,”World News”の「ユタ州がとった週4日労働の結果」という短い記事が目にとまった.WEDGE(ウェッジ)というのは,新幹線のグリーン車に乗るともらえる雑誌だ.そこには,ユタ州が公務員経費削減のために,週40時間の就業時間は変えず,出勤を週4日にしたとある.就業時間は変わらないので,公共施設の休館日を増やすことによる経費削減効果が狙いだ.ところが,実際の経費削減効果は予想の150%にも達した.これは,1日10時間労働となったことで,公務員が残業をしなくなったためだ.この人件費削減効果が大きい.

ユタ州では,金曜日に政府関連サービスは提供されない.住民がこの不便を受け入れた結果,公務員の人件費削減が実現できたわけだ.日本人も公務員バッシングをするなら,それくらいの不便は覚悟したらいいのではないか.

ちなみに,私も含めた大学教員(なんちゃって公務員)には週休何日とかいう概念はない.勤務時間という概念もない.結果を出す,それだけだ.裁量労働というそうだ.

11月 272009
 

第三の嘘
アゴタ・クリストフ(著),Agota Kristof (原著),堀茂樹(訳),早川書房,2006

悪童日記」,「ふたりの証拠」に続く三部作の完結編(恐らく).

幼い子供だった「ぼくら」は,全体主義国家に占領された母国で,戦争の只中を,両親から離れて生き抜いていかなければならない.戦後には,共産主義国家に占領された母国で,抑圧された生活を強いられることになる.そんな双子の兄弟が,目にしたもの,耳にしたものについて,感情を一切排して,淡々と書き記したとされる「悪童日記」.そこには戦争の何たるかが書かれている.「悪童日記」は,それまで不可分であった「ぼくら」が,国境を越えようとして地雷に吹き飛ばされた「おとうさん」の屍を乗り越えて外国へ去る一人と,「おばあちゃん」の家に残る一人とに離別したところで終わる.

共産主義国家に占領された母国,「おばあちゃん」の家に残った一人の人生を描いたのが「ふたりの証拠」だ.その一人は名をリュカという.リュカは小さな町で様々な人々と交わる.随分と年月がたってから,外国の男が小さな町に来る.彼はリュカを探している.彼の名はクラウス.リュカの双子の兄弟だという.もはや小さな町にリュカはいないが,クラウスは,ある人物からリュカのノートを受け取る.離別以来,リュカが書き留めたものだ.クラウスは幼い頃を過ごした小さな町にとどまるが,観光ビザが切れて不法滞在で捕まる.その調書において,リュカのノートは全くのフィクションであり,そこに登場する人物も事件もすべてが架空のものであるとされる.唯一,「おばあちゃん」の存在を除いては.

「ぼくら」とは誰なのか.リュカは,クラウスは,実在するのか.一体,何が真実で,何が嘘なのか.前二作読了後に頭の中を駆け巡る謎に答えを与えるのが,本書「第三の嘘」である.

「ぼくら」は「あのこと」以来,壮絶な人生を強いられてきた.クラウスは頭の中でリュカに話しかける.

人生はまったく無益なものだ,無意味そのものであり,錯誤であり,果てしのない苦しみだ,こんなものを発明した<非−神>の陰険さたるや,到底理解できるものではない

戦争,離別,殺人,再会,自殺.クラウスがクラウスを埋葬した墓の前にいる.

私たち四人があらためていっしょになれる日も近いなと思う.これで母が死んでしまえば...列車.いい考えだな.

この三部作で最も印象に残ったのは,やはり一作目「悪童日記」だ.内容もさることながら,表現の斬新さも刺激的であり,勉強になった.二作目「ふたりの証言」,三作目「第三の嘘」も面白い作品だった.だが,やはり私は文学作品を次々に読んでいくことはしないだろう.読むべき本が山積しているから.

11月 262009
 

長男6歳と長女4歳が通う幼稚園で,園児の作品展が開催された.2人とも,絵画だけでなく,様々な作品を作っていた.子供の発想と表現は実に興味深い.

かぶとむしが木のみつをすおうとしてるの(長男6歳)
かぶとむしが木のみつをすおうとしてるの(長男6歳)

ハワイのうみのちかくでドーナツたべてるの(長女4歳)
ハワイのうみのちかくでドーナツたべてるの(長女4歳)

長女は,ドーナツの他,イルカ,ウミガメなどハワイ関連の作品をたくさん制作していた.「よほどハワイが楽しかったんですね」とは先生の言葉.確かに,仰るとおり.

11月 262009
 

ドイツ流 暮らし上手になる習慣 世界一無駄のない国に学ぶ
沖幸子,光文社,2006

整理整頓を徹底して,心地良い生活空間を作り,ゆっくり豊かに暮らしましょうという本.やらなければならない家事を手際よくこなすためのヒントがまとめられている.私にはピンと来ない部分も,家事をする人には助けになるのだろう.そんな私でも,掃除の仕方とか,服・靴・鞄などの手入れの仕方とか,「へぇ〜」と感心することは多々あった.単に,あまりにも無知だっただけかもしれないが...

それにしても,この著者のドイツ好きは凄い.本書の至るところで,「ドイツ人は・・・」と賛美している.「そこまでか?」と感じる反面,海外生活でそこまでその土地の良さを感じることができたのは幸せだと思う.

11月 252009
 

ふたりの証拠
アゴタ・クリストフ(著),Agota Kristof (原著),堀茂樹(訳),早川書房,2001

三部作の二作目.お前もかという感じだが,やはり,第一作である「悪童日記」に比べて,インパクトがない.

「ぼくら」の日記である「悪童日記」は,一切の感情が封殺され,簡潔な文章で,事実のみが淡々と記されていた.そこには,「ぼく」は存在しなかった.大きな町から「おばあちゃん」のいる小さな町に疎開してきたときから,戦後,行方知れずだった「おとうさん」が再訪してくるときまで,ずっと,「ぼくら」のままだった.ところが,日記の最後で,鉄条網で封鎖された国境を越えようとして地雷で爆死したおとうさんを踏み台にして,一方が国境を越える.そして,もう一方は,おばあちゃんの家に戻る.こうして,「ぼくら」が「ぼく」になったところで日記は終わる.衝撃的な結末だった.

本書「ふたりの証拠」は,その小さな町で,おばあちゃんの家に残った一方の「ぼく」の物語だ.だが,彼にはLUCAS(リュカ)という名前が与えられ,彼を取り巻く人々にも名前が与えられ,本書はもはや日記という形式をとらない.それでも,事実を簡潔に述べる文体はそのままに,その小さな町で,LUCASと彼を取り巻く人々が織りなす人生を描き出す.それは,私からすれば極めて非日常的だ.

本書の終盤,外国からやって来た男が,LUCASが書き続けていた日記を,その日記を預かっていた人物から受け取る.その男の名はCLAUS(クラウス).彼こそ,LUCASの双子の兄弟だ.LUCASに会いに来たのだ.LUCASは随分と前に小さな町を去ってしまったのだとも知らずに.

そして再び,物語は衝撃的な結末を迎える.一体,LUCASとは何者なのか.CLAUSとは何者なのか.「ぼくら」とは一体何であったのか.そして,日記は何だったのか.

最終作「第三の嘘」を読めば,その答えが見つかるだろうか.

11月 232009
 

さすが京都と思わされる老舗の御茶屋さんだ.今回は昼食時に訪れ,奥の部屋に案内していただいた.部屋からは,紅葉した庭が綺麗に見える.

二軒茶屋 中村楼の玄関は西側,八坂神社の境内,南門の参道脇にある.店が境内にあるとは言っても,八坂神社に間借りしているわけではない.むしろ逆で,昔,中村楼が八坂神社に土地を譲ったのだという.創業は室町末期にまでさかのぼる.門前茶屋から始まり,名物の田楽豆腐などを供すようになって,江戸末期から料理茶屋として営業している.

現在は貴賓室となっている最奥の建物は,大正天皇の母が使用しておられたとのことで,皇室ゆかりの品々が残されている.襖絵は尾形光琳の作.一般の客も35000円からで利用できる.中村楼は,また,坂本龍馬が池田屋で暗殺される前に訪れた場所でもある.当時は中村楼ではなく中村屋という名であったが,坂本龍馬は池田屋に,中村屋の履き物で訪れていた.

ちなみに,昔は向かいに別の門前茶屋があったことから,二軒茶屋となっているが,今は中村楼のみが残っている.

落ち着いた部屋で,綺麗な庭を見ながらいただく,季節感のある京懐石料理もさることながら,上記のような話を若女将から聞かせてもらいながらの食事は実に興味深いものだった.

二軒茶屋 中村楼

場所: 京都府京都市東山区祇園町 八坂神社鳥居内
電話: 075-561-0016
営業時間: 11:30〜19:00(入店)
定休日: 木曜(祝日の場合は営業)

リンク: 食べログ

二軒茶屋 中村楼 (懐石・会席料理 / 四条(京阪))
★★★★ 4.0

11月 222009
 

この一週間ほど,ちまちまと書いてきたが,Windows 7 Ultimateを搭載したSONY VAIO Z (VGN-Z93HS)のセットアップが完了した.フリーウェアのランチャー”Orchis”がWindows 7に対応できていないらしく,インストールを見送ったことと,ジェルジェットプリンタRICOH ipsio GX3000のドライバがないため印刷できなくなったことを除けば,あとは順調だ.

Windows 7の使用感だが,Vistaよりも遥かに快適だ.起動や終了も体感できるほど速くなった.Vistaが酷かったので,当然ではあるのだが...使用しているソフトウェアや周辺機器がWindows 7でも使えるなら,積極的に移行を検討する価値はあるだろう.

VAIO Zは,モバイルPCとしては図体が大きく,重く,ACアダプタもでかいが,この高性能は他に替え難い.MATLABなどで科学技術計算するにしても,IllustratorやPhotoshopで画像処理をするにしても,苛々しなくて済むというのは極めて重要だ.もちろん,VAIO Zのオーナーメイドの中でも最高スペックを選択してある.

11月 202009
 

あえて英語公用語論
船橋洋一,文藝春秋,2000

「英語公用語論」というのは良くない命名だ.正しくは,「英語第二公用語論」である.第一と第二では全く意味が異なる.なぜなら,母語・国語である日本語の立場が天と地ほどに異なるからだ.本書の主張は,日本語を第一公用語,英語を第二公用語として,法制化せよということだ.

意思疎通するための道具としての英語がこれだけ世界中に広まった現在,もはや,英語ができないことによる損失は計り知れない.英語ができないよりはできた方がいい.これは誰しも異存ないところだろう.問題は,個々人の立場では,どうやって英語ができるようになるか,教育行政の立場では,どうやって英語ができるようにするか,ということになる.そこで,船橋氏は,英語を第二公用語にしようと主張しているわけだ.

これまでも,これからも,日本では「英語公用語論」が議論を巻き起こすことだろう.初代文部大臣である森有礼の妄想・暴言(日本語はダメな言語だから英語を国語にしよう)は論外として,20世紀にジャパン・アズ・ナンバーワンとまで世界に言わしめた日本が,元々国際社会の蚊帳の外にある政治分野のみならず,経済分野でも存在感をなくしていくとなると,その焦燥感から過激な主張が出てきてもおかしくはない.

船橋氏が問題にするのは,英語ができないことによる情報発信能力と対話力の欠如だ.テレビには,国際的に重要な会議で会話に交ぜてもらえない日本の閣僚の姿が頻繁に流される.テレビに映らないところでは,もっとそういう事態が生じていることだろう.ある総理が某国大統領と,”What are you?”,”I am Hillary’s husband.”,”Me, too.”,”?????”という会話をしたというのは有名な失笑話だ.それにしても,”How are you?”くらい言えんのか.ともかく,それなりの立場にある人は,特に国益にからむような公務に就く人は,英語が操れないと話にならない.

意見が割れるのは,英語力をどこまで多くの人々に要求するかという点だ.英語公用語論者は国民全体の英語力底上げを目指す.穏健派は,そんなのは無理だから少数精鋭でいこうとする.しかし,現在の日本は,少数精鋭にすらなっておらず,国益が損なわれている.国際社会での影の薄さが何よりの証拠だ.

この21世紀,日本人は日本を,アニメだけでなく,文化や伝統や思想や諸々のものを,世界の人々に理解してもらえるように努力しなければならない.訴えかけなければならない.発言しなければ,それは存在しないに等しいことを知らなければならない.世界に向けて日本について発信する努力をしてきた偉人には,「武士道」(”BUSHIDO: The Soul of Japan”)を書いた新渡戸稲造「代表的日本人」(”Representative Men in Japan”)を書いた内村鑑三らが含まれる.今後,このような努力を怠れば,昔は羽振りが良かったらしい極東の不思議な小国として忘れ去られる危険性がないとは言えない.

公用語にすべきだと安直に賛成はしがたいが,真剣に検討すべき課題であることは確かだろう.

先に読んだ「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」(水村美苗,筑摩書房)で,本書「あえて英語公用語論」が度々引用されていたので,読んでみた.