12月 272009
 

国家〈下〉
プラトン(著),藤沢令夫(訳),岩波書店,1979

哲人統治(哲学者による統治)を実現するためには,何が必要であるか.まず,統治者に相応しい哲学者を育成しなければならない.そのために不可欠な教育とはどのようなものであるか.プラトンはソクラテスの口を借りて,次のように主張する.

<善>の実相(イデア)こそは学ぶべき最大のものである

あらゆるものに対して存在するイデアの中でも,特に<善>のイデアが最も重要であるとされる.イデアとは何か,またなぜイデアを知ることが重要であるのか.本書「国家」において,このプラトン哲学の中核となる概念が,有名な洞窟の比喩を用いて説明される.その他の比喩も含めて,あまり分かり易いとは言えないが,私自身は,「ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙」(ヨースタイン・ゴルデル)で「洞窟の比喩」などを知っていたので,特に理解に苦しむことはなかった.「ソフィーの世界」は哲学入門書として非常によくできているので,お勧めだ.

統治者としての哲学者は何を教育されるべきか.本書「国家」においてプラトンは,教育すべきものは,第一に計算術と数論,第二に幾何学,第三に立体幾何学,第四に天文学,そして音階の調和(音楽)であるとする.科学者を育成するためではない.理想的な国家を統治する者の教育科目として,これらが必須であると宣言しているのだ.

翻って,プラトンの時代から二千年以上を経た日本では,曽根何某という作家が「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので,このようなものは(中学教科書から)追放すべきだ」と言い,それが罷り通った.ここまで想像力のない,頭の悪そうな発言が,国家レベルの教育という重大問題に影響を与えるとは本当に衝撃的だ.

話を戻そう.本書「国家」では,教育について多くのことが語られている.そのうちのいくつかを以下に示す.

自由な人間たるべき者は,およそいかなる学科を学ぶにあたっても,奴隷状態において学ぶというようなことは,あってはならないからだ.じじつ,これが身体の苦労なら,たとえ無理に強いられた苦労であっても,なんら身体に悪い影響を与えるようなことはないけれども,しかし魂の場合は,無理に強いられた学習というものは,何ひとつ魂のなかに残りはしないからね.

君は,子供たちを学習させながら育てるにあたって,けっして無理強いを加えることなく,むしろ自由に遊ばせるかたちをとらなければならない.またそうしたほうが,それぞれの子供の素質が何に向いているかを,よりよく見てとることができるだろう.

(子供たち)の内なる最善の部分をわれわれの内なる最善の部分によって養い育てることにより,同じような守護者と支配者を代りに子供のなかに確立してやって,そのうえではじめて,放免して自由にしてやるのだ.

このようにして,統治する者とはいかなる人物か,また彼らをいかにして教育するか,が論じられた後,そのような人物が治める理想的な国家が言論によって描かれる.当然ながら,この理想国家は善を何にもまして優先させるという意味で優れた人物が統治する.彼らは支配するのが好きで統治するのではない.支配することの対価を求めて統治するのでもない.優れた人物であるが故に,統治者となるべく国家によって教育されたが故に,義務として統治者としての務めを果たす.既に述べられたように,彼ら統治者は一切の私有財産を持たず,子供は共有される.私利私欲のための支配とは対極にある.

ソクラテスの対話は,このような優秀者支配制の理想国家がどのようにして不完全な国家へと堕落していくのかについての考察へと進む.不完全な国制は複数あり,理想国家が堕落する過程において順次現れる.まず,優秀者支配制国家が名誉支配制国家となり,寡頭制国家へと変容する.さらに,寡頭制国家を崩壊させて民主制国家が現れ,その後に僭主独裁制国家が誕生する.プラトンの「国家」において重要なのは,これらの国制に対応する人間についての考察である.既に明らかにされた哲学者=優秀者の他に,寡頭制的人間,民主制的人間,僭主独裁制的人間とはどのような人物であるかが吟味されている.

冷戦後の現代に生きる我々にとっては,特に民主制国家および民主制的人間に関する考察が興味深い.

ここ(民主制の国家)では,国事に乗り出して政治活動をする者が,どのような仕事と生き方をしていた人であろうと,そんなことはいっこうに気にも留められず,ただ大衆に好意をもっていると言いさえすれば,それだけで尊敬されるお国柄なのだ.

それ(民主制の国家)はどうやら,快く,無政府的で,多彩な国制であり,等しい者にも等しくない者にも同じように一種の平等を与える国制だ,ということになるようだね.

今の日本は全くこの通りであろう.政治屋が「政治は選挙だ」と宣い,庶民感覚が大切だとして,大衆の味方であることを演出する.大衆は大衆で,そんな政治屋やタレントに熱狂し,国家の未来なんて眼中にない.選挙=利権争奪戦でしかない.これを衆愚政治と呼ぶのだろう.

このような国制はいずれ崩壊せざるを得ない.その理由をプラトンは次のように述べている.

「民主制国家が善と規定するところのものがあって,そのものへのあくことなき欲求こそが,この場合も民主制を崩壊させるのではあるまいか?」

「民主制国家は何を善と規定していると言われるのですか?」

「<自由>だ」とぼくは言った.「じっさい,君はたぶん,民主制のもとにある国で,こんなふうに言われているのを聞くことだろう—この<自由>こそは,民主制国家がもっている最も善きものであって,まさにそれゆえに,生まれついての自由な人間が住むに値するのは,ただこの国だけである,と」

我が国の同盟国がことあるごとに声高に叫んでいるのは,まさに自由の価値ではなかったか.

こうして,様々な国制とそれらに対応する人間が明らかにされた後,ソクラテスらは最初の問題に立ち返る.すなわち,不正が利益になるという言論を反駁し,正義はそれ自体が利益となることを証明する.ここでは,現世における報酬と死後における報酬とが詳しく述べられ,特に価値があるのは,現世よりもむしろ死後の報酬であることが指摘される.この主張を支えるために,「パイドン」(プラトン)におけるのと同様にして,魂の不死が証明される.

流石,世界の古典だけのことはある.証明が証明になっていないとかはあるが,これだけのことを自分の頭で考え,構築した実績は驚嘆に値する.まさに優れた人間のみの為せる業だ.

目次

  • 第六巻〜第十巻