2月 092010
 

悪魔の手紙
C.S. ルイス(C.S. Lewis),中村妙子(訳),平凡社,2006

映画化された「ナルニア国物語」の著者C.S.ルイスの著作.タイトルの通り,地獄国務次官のスクルーテイプが,誘惑者の任務に就いた甥のワームウッドへ送った書簡という形をとっている.誘惑者として未熟なワームウッドへの助言を,老練なスクルーテイプが手紙にしたためる.

ワームウッドは,自分が担当することになった男を,あの手この手で誘惑しようとする.しかし,あろうことか,その男は回心し,従順なクリスチャンになってしまう.それでも,その男をなんとか悪魔側に取り込もうと画策する様子が手紙から伝わってくる.

本書「悪魔の手紙」はもちろんキリスト教的世界観に基づいて書かれているわけだが,悪魔が仕掛ける誘惑は,キリスト教徒のみを対象にしているわけではない.どんな宗教を信じていようが,あるいは無神論者であろうが,善く生きるとはどういうことかを考え,自分の生き方を見直すきっかけを本書は与えてくれるように思う.だからこそ,本書は多くの人々に読まれてきたのだろう.

以下に,スクルーテイプの言葉のいくつかを紹介しよう.

第六信

<敵>は人間が自分の行為に関心をもつことを望んでいる.ところがわれわれの仕事はやつらに,自分の身にどういうことが起こるか,もっぱらやきもきさせることなのだ.

第十五信

人間は時のうちに住んでいるが,われわれの<敵>はやつらが永遠に生きるように定めている.それゆえに<敵>は,やつらが主として二つのものに注意を集中することを願っているようだ.すなわち,永遠そのものと,やつらが現在と呼ぶ時の一点と.というのは,現在とは,有限の時が永遠と接触する唯一の接点だからだ.現在という一瞬についてのみ人間は,われわれの<敵>が全体としての実在についてもっている経験と似た経験をするのだし,自由も,現実も,もっぱら現在においてのみ,人間に提供されているのだから.

一言でいえば,未来はすべてのうちでもっとも永遠に似ていない.(中略)それだからわれわれ悪魔は,創造的進化とか,科学的ヒューマニズム,あるいは共産主義といった,人間の愛情を未来に,すなわち時間性の核心に固定させる思想体系を奨励してきたわけだ.またそれだから,ほとんどすべての悪は未来に根ざしているのだ.感謝は後方の過去を顧みるし,愛情は現在を視野におく.しかし不安,貪欲,欲望,野心はもっぱら前方に,未来に関心をもつ.

引き寄せをはじめ自己啓発系では,「今を大切にしろ」ということが強調される.過去を悔やむな,未来を憂うな,今この瞬間を精一杯に生きろと.今を大切にすることが幸福への道だと.裏を返せば,つまり悪魔の立場に立てば,人間の注意を「今」から逸らすことができれば大成功ということになる.

第十七信

過去百年間におけるわれわれ悪魔の最大の偉業の一つは,味覚をめぐる問題に関して人間の良心を鈍らせたことだ.このため,近ごろではヨーロッパ広しといえども,グルメに言及する説教が教会で聞かれることはないし,それについて良心のとがめを感じている人間も皆無だ.

暴飲暴食が悪徳であることは認めるとしても,美味しいものを食べることが悪徳であるとは認めない人が多いだろう.もしかして,悪魔に丸め込まれちゃいましたか?

第一八信

セックスに関して<敵>は人間どもにたいして,二者択一を迫っている.すなわち絶対の禁欲か,掛け値なしの一夫一婦主義かだ.われわれの父が手始めに大勝を博して以来,われわれは絶対の禁欲というやつを人間にとってきわめてむずかしいものにしてきた.その一方われわれは,純然たる一夫一婦主義という活路をここ二,三百年というもの,人間にたいして閉ざしてきた.このような閉鎖が可能だったのは,「恋愛」と呼ばれる奇妙な,しばしば短命な経験こそ,結婚の唯一の,然るべき根拠であると詩人や小説家が人間一般に吹き込んできたからなのだ.その結果人間は,結婚はこの恋愛という興奮状態を持続させうるものだと,いや,持続させるべきだと考えるようになった.そうした興奮状態が持続しない結婚はもはや拘束力をもたないと,われわれは人間に思いこませてきたわけだ.

スクルーテイプによれば,恋愛を人間が重要視するのも,悪魔による地道な教育の成果だというわけだ.

第二三信

すべての偉大なモラリストが<敵>によって遣わされるのは,人間に知識を与えるためでなく,われわれが人間からたえず隠している,原始的な,陳腐な道徳的原則を思いださせ,それをべつな言い方で述べるためなのだが,われわれとしてはそのようなことを人間に気づかせてはならないのだ.このためにわれわれは,ソフィストのような連中をつくりだす.一方,<敵>はソクラテスのような人物を起こして,彼らに反論させるのだ.

そのソクラテスはソフィストらから有罪の判決を受けて毒杯を仰いだ.悪魔達の微笑が目に浮かぶようだ.

第二八信

人間はもちろん,死を最大の悪と見なし,生きのびることを最高の幸いと考える傾向をもっている.われわれがそう教えてきたからだ.

死を自分の終焉と捉えるから恐ろしいのであって,精神性を重要視する人達は,そして善く生きる人達は,そうは考えていない.先のソクラテスにしても,死ぬことを全く恐れず,善く生きることのみを貫いた.彼は「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなくて,よく生きることだ」と述べている.

本書には,「悪魔の手紙」の後に書かれた「乾杯の辞」も収録されているが,このスクルーテイプの挨拶については,既に「民主主義的な近代教育の受益者」に述べた.

本書「悪魔の手紙」の至る所から,悪魔の視点に立つという行為に,著者が苦労した様子がうかがえる.そのせいか,中途半端に感じられる(悪魔になりきれていない)ところもあるが,それでも大いに参考になる.

目次

  • 悪魔の手紙
  • 付・乾杯の辞