4月 062010
 

すっかり暖かくなって,桜も満開,まさに春爛漫だ.

というわけで,日曜日に京都府立植物園に出掛けた.この植物園は9時開園で,普通なら10時前に到着するように行けば,余裕をもって駐車場に車をとめられる.しかし,今は桜の季節.非常時だ.9時に到着するようでは遅い.素早く支度をして,8:40頃に京都府立植物園に到着した.それでも,駐車場は既に1/3以上埋まっていた.

ゲートには行列ができていたが,開園まで時間があるので,賀茂川の河川敷で遊ぶ.この賀茂川の景色が,まさに京都だと思う.

これぞ京都の風景@賀茂川
これぞ京都の風景@賀茂川

9時過ぎ.植物園に入る.目の前に広がる真っ赤なチューリップとピンクの桜が見事だ.よく晴れた淡い空に花々がよく映える.

桜が満開で驚くべき人混み@京都府立植物園
桜が満開で驚くべき人混み@京都府立植物園

京都府立植物園の桜が満開
京都府立植物園の桜が満開

当然ながら,長男6歳と長女4歳は桜などに興味はない.植物園に入るなり,入口近くの遊具に突進する.流石に朝一番なだけあって,子供の姿も疎らだ.滑り台付きの大きな遊具が2つあるが,ほとんど貸し切り状態だ.

朝一番の遊具は貸し切り状態@京都府立植物園
朝一番の遊具は貸し切り状態@京都府立植物園

9:30頃,ゲートの方に目を向けると,駐車場の外に車の長い長い行列ができていた.やはり,9時前に到着するようにしたのは正解だった.

午前中,桜を見たり,噴水のところで遊んだりした後,キャピタル東洋亭本店でランチを食べて,植物園に再び戻ってくると,遊具には凄まじい数の子供たちが群がっていた.いや,群がっているのは大人か.

午後の遊具は満員御礼@京都府立植物園
午後の遊具は満員御礼@京都府立植物園

再度,長男長女は遊具で遊んだが,朝のようには自由にならない.そこで諭す.「朝早く来ると,いっぱい遊べたでしょ.朝早く起きて,お出かけの準備を速くすると,いいことがあるんだよ.」と.納得した様子だった.

4月 062010
 

なぜ理系は馬鹿にされるのか?

「それは,教養がないから.哲学も,歴史も,文学も,何も知らないから.」

その真偽はさておき,プロセスシステム工学研究室のある卒業生が学生にメッセージを寄せてくれた.彼が読んだ本の一節なのだが,大変気に入ったので,ここに引用させてもらおう.私は不勉強でまだ読んではいないが,「経営戦略を問いなおす」(三品和広,筑摩書房)からだ.

学生時代にしかできないこと、それは一般教養を体系的に身につけることです。英語ではリベラル・アーツ、すなわち自由人にふさわしい教養と言いますが、具体的には、語学、文学、自然科学、哲学、歴史などを含むとされています。

(中略)

会社の中で重要な意思決定を委ねられる人となると、大学を出てから二〇年以上の熟年者ばかりです。経験を通して身につけられる事柄は、誰しも身につけています。実務知識や専門知識で大きな差がつく状況にはありません。差がつくとしたら、二〇年以上も前に身につけた一般教養の深さだけではないでしょうか。しかも、それが勝負のポイントとなるのです。見えない未来に向かって、時代の趨勢を読み、世界の動向を捉え、技術と市場の進化を予見し、大きな投資判断をするとなると、求められるのは専門知識の深さではありません。実務能力の確かさでもありません。視野の広さこそ、モノを言うのです。まさに歴史観や世界観、そして人間観が問われます。それこそシェークスピアの出番です。

問われるのがオセロかマクベスかは知らないが,歴史観や世界観,そして人間観が問われるというのは,まさにその通りに違いない.

2008年4月の「研究室に配属された学生へのメッセージ」にも書いたが,教養のない奴に重要な意思決定など任せられない.それは情けない政治屋を見ていれば明らかだろう.安岡正篤の指摘を再掲しておく.

現代人の一般的缺陥(けっかん)は,あまりに雑書を読み,雑学になって,愛読書,座右の書,私淑する人を持たない.一様に雑駁・横着になっている.自由だ,民主だということを誤解して,己をもって足れりとして,人に心から学ぼうとしない.これは大成するのに,最も禁物であります.

安岡正篤,「青年の大成―青年は是の如く」

桜も美しい新年度.心機一転できる良い機会でもある.今年度の目標を掲げてみよう.