理系学生の文系就職については様々な意見がありうる.肯定派,否定派,放任派など,分野によっても異なるだろうし,同一分野でも大学教員によって考え方が異なると思う.
例えば,このように考えることもできる.国立大学理系なら,学生1人あたりの教育経費は授業料よりも遙かに高額になる.つまり,日本国民の税金で勉強させてもらっているわけだ.その恩に報いることが当然の責務だとすれば,理系学生はその専門知識を活かせる職に就くべきであり,文系就職はけしからんと.
確かに一理ある.それでも,どうしてもやりたい仕事があるなら,それをやらないでどうする? 周囲がどう言うか,どう思うかなんて関係ないだろう.そんな風に私は考える.どうしてもやりたい仕事があるなら,だ.
その上で,理系学生の文系就職について考えてみたい.
理系学生が文系就職したとき,理系であるが故の武器・長所とは一体何であるか.単に理数系科目が好きですということなら,ド素人にも程がある.そんな中途半端な人物を誰も欲しがらないだろう.「で,君は何ができるの?」ということになる.
自然科学系の学生であれば,研究者である大学教員から,研究のイロハを教わる.研究課題を設定し,科学的なアプローチで課題を解決し,その成果を論文としてまとめ,学会や学術雑誌にて発表するという一連の手続きを習得していく.論文は専門家の批判に耐えなければならないから,独り善がりは決して許されない.この一連の手続きの基本中の基本だけでも身に付いていれば,理系だと言えるとしよう.
では,大学を卒業して,大学院に進学せずに,文系就職する学生が,そのような理系としての素養を身に付けられると期待できるだろうか.多くの場合,答えは否であろう.なぜなら,3回生までは基本的に高校の延長に過ぎず,小難しい教科書を読んでいるだけのことで,研究とは無縁だからだ.4回生でようやく研究に着手する機会を得るが,そのときに就職活動に専念して,研究活動を脇におくようでは,理系的態度は身に付かないだろう.仮に研究活動にも真剣に取り組んだとしても,高々一年では成果もしれている.実際,修士課程を修了したとしても研究者としての修業は全く足りないのが現実だ.
もしそうだとすれば,理系であることを武器にするなら,たとえ文系就職するにしても,大学院には行っておけということになる.
しかし,こんなことを主張すると,税金泥棒を奨励していることになってしまうのか?
yoshikです。うむむ、思いっきり理系大学院に出て、そのまま俗に言う「文系就職」してしまったのですが、「学部で卒業して理系を名乗るな!」というものに激しく共感してしまう。。。
ただ、共感しつつも自問してしまったのが
1. そもそも理系・文系と分ける考え方がどうか?
2. 大学を卒業した時点での「理系」と「文系」の違いは何か?
3. 「大学4年間、理科系卒業で「理系です」と名乗ってはいけない現在の大学の教育システムがおかしいのではないか?」
うむむむ。。。
1はまぁよく言われる議論ですね。けども「就職という観点」から「文系」と「理系」を分けるとすれば、どう分けるか。。。
「文系就職」に対して「理系就職」というものが俗に言う専門知識が生かせる「研究職」というものが「理系就職」なのでしょうか?
2については先生が文中でおっしゃられているとおり、「理系出身」の
能力定義を
>自然科学系の学生であれば,研究者である大学教員から,
>研究のイロハを教わる.研究課題を設定し,科学的なアプローチで
>課題を解決し,その成果を論文としてまとめ,学会や学術雑誌にて
>発表するという一連の手続きを習得していく.論文は専門家の批判に
>耐えなければならないから,独り善がりは決して許されない.
>この一連の手続きの基本中の基本だけでも身に付いていれば,
>理系だと言えるとしよう.
としたとき、これに対して「文系出身者」の能力は何なのだろうか。
ボクは、上記の定義においては「文系」も「理系」も同じ能力のように思います。
(というか、あるべきでは???)
一つ違いがあるとすれば、手法の違いくらいかもしれません。
文中のお言葉を拝借するとすれば「科学的アプローチ」か。。。
しかし、科学的アプローチという概念がどこまで意味するか、文からは
読み取れません。
「科学的アプローチの定義」は差し置いても、
上記は、「理系の能力」というより、「(理文関係なく)大学院生が身につけるべき能力」のように思います。
そうすれば、「学部生が身につけるべき能力は何か?」という話になりそうです。
3. については、メールで色々お話させていただいていた内容にも繋がりそうなので別途。。。
◆また文系就職した方が報酬・成長のインセンティブが大きいように思う学生の方が多いということではないでしょうか?
◆文系就職する理系出身者のモチベーション
文系就職する理系出身者のモチベーションに「何故、理系出身の経営者や政治家が少ないのか。理系出身者が日の目を見ないのか。理系出身である自分が現状を何らかの形で変える動きをしたい」というものがあるのではないでしょうか?ボクが文系就職を決定したときには、手前勝手ながらそういう思いがありましたし、ボクの周りで理系出身者の方でそういうことを口にされている方多いです。ですので。。。お許しを!笑
◆どの土俵でゲームをするか?
先生の前の投稿に「教養」に関する投稿がありましたが、
別の視点で見ると、「従来の経営者やトップ層に文系が多く、ここで勝負するには
やはり彼らが学生時代に学んでいたことを知っておく必要がある」という程度のものかもしれません。
もし、理系出身者が今の経営者やトップ層の大半を占めていたとすれば、
文系出身者が、「教養」として、「いかにして問題を解くか」という本を読んでおくべきだ!とか、
「プリンキピア」がケインズの一般理論やらアダムスミスの国富論の代わりになっているかもしれません。
さらに、「ソクラテスの弁明」「国家」の代わりに「ユークリッド幾何学」がその地位を占めているかもしれません。
デカルトやら、ウィトゲンシュタイン、ゲーテルはその地位は変わらないでしょうが。。。
もちろん実際はそうではないので、妄想に過ぎないし、やっぱりではあっても「教養が大切である」ということは揺ぎ無いかもしれません。ただ、「教養大事!」というある意味、多くの偉人が「言ってきたこと」だからこそ、それを鵜呑みにするのではなく、一回は疑ってみる必要がある、かもしれませんね。それに世の中にいる、教養を推奨する人は「自分が教養ある人と見られるため」のポジショントークをしているに過ぎない、なんて。あまりに穿った見方ですかね?笑
一方でやはり「経営や政治」というある意味の世の中のトップの意思決定に関わるには、その大多数を占める文系出身者のいる土俵で、同じふんどしを締め、同じマゲをゆって渡り合わなければいけない。そのため、彼らが当然知りうることもしらないといけない。「教養」とはある種の共通言語といえなくはないか。
人生はあらゆる書や学を身につける程長くもないので、自分がどの方向で生きていくか、これによっても、俗に言う教養をどう身につけるかが重要になってきそうです。
俗に言う教養なんか身につけずにただひたすら専門性を極めて、科学、技術のトップを目指していく。一方で、理系の素養をベースに教養も身につけて社会のトップを目指していく。どちらもステキな生き方だと思います。
と、コメントを考えるだけで3時間過ぎてしまいました。。。一旦射出させていただきます!笑
いつもながら,真摯なコメントありがとう.
1.
昨今は文理融合とか言われるし,環境など取り組むべき社会問題に対して社会科学的アプローチと自然科学的アプローチの融合が必要に思われるし,脳や心を解き明かそうとすれば人文科学的アプローチと自然科学的アプローチの融合が必要に思われるし,理系と文系を区別しないといけないとは必ずしも思いません.ここでは,これまで社会的に漠然と認識されてきた文系と理系のことだとしておきましょう.
また,「理系就職」とは,採用活動する企業が理系枠での採用とし,また就職活動する学生が理系枠での採用だと捉える就職が「理系就職」だとしておきましょう.その定義の善し悪しは別として,社会的にはそう思われているので,そのように定義してよいでしょう.まあ,アリストテレスが定義するみたいにということで.
2.
身に付けるべき能力については,以下のようにしておきましょう.
学部生: 基礎学力
基本的には高校の延長で,大学院で研究するための準備になります.専門分野の基礎知識に加えて,論理的に考える能力なども含まれます.簡単のため,リベラルアーツの必要性については不問とします.
大学院生(修士課程): 問題解決能力
研究を通して,問題を解決する能力を養います.自力で課題を設定できるようになれば,さらに良いですが,修士課程での要求事項は問題解決能力でしょう.工学系であれば,研究者や技術者としての基盤を身に付けることになります.
大学院生(博士後期課程): 問題設定能力
自分で問題を抽出,定義し,さらに解くという一連の能力を養います.身に付けることとしては,研究の成果を論文としてまとめ,学術雑誌で公表することも含まれます.
さて,学部と大学院の違いですが,「大学院には行け」と私が言うのは,無意識のうちに問題の構造を把握し,解決への道筋を見出す基本的思考方法というものが,大学院で決定的に形作られると思うからです.いくつもの壁にぶちあたりながら,必死に次の手を考えるという,精神的にも肉体的にも追い込まれた環境の中で,それは身に付きます.この基本的思考方法には,指導教員を通して,各研究分野の伝統が色濃く反映されます.例えば,化学の人達と化学工学の人達では,その思考方法は全く異なります.同じ化学工学でも,プロセスシステム工学と化学工学科学では,合成/最適化と分解という決定的な違いがあります.
ある人を研究者/技術者として特徴付けるこのような基本的思考方法は,普段は意識されません.身に染みついているものだからです.異分野の人と共同作業するようなときに,カルチャーショックという形で認識されたりします.この依って立つべき基本的思考方法が確立できていることが重要であるというのが,私の立場です.一般に,学部生では確立できていません.少なくとも,大学院生と学部生の乖離は甚大です.そうでなければ,大学院に進む意味がありませんから.
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時間切れのため,また改めて.
いつも発散状態のコメントに、先生こそ真摯にお答いただきありがとうございます。
1.前提について理解しました。概ねその前提に合意します。
2.学部と大学院(修士・博士)で身につけるべき能力、先生のおっしゃられていること理解しました。(自分がそれを身につけているかは別として。。。)
>学部と大学院の違いですが,「大学院には行け」と私が言うのは,
>無意識のうちに問題の構造を把握し,解決への道筋を見出す
>基本的思考方法というものが,大学院で決定的に形作られると思うからです.
これも同意ですが、
a. 「じゃ、大学院行かなかったら身につかないのか?」
b. 「俗に言う文系」においてもこの言説は適用できるか?
という新たな疑問が湧いてきます。
ただ、aについては、ボク自身の考えは昨年「大学院での研究生活が社会に出て役に立つか」の話に盛り込んだつもりです。つまり極端にはしょると「意思決定者・責任者」としての振る舞いが求められるから一般的な就職よりも身につきやすい、と思っています。先生はどう思われますか?
bは。。。別の機会に。。。
>ある人を研究者/技術者として特徴付けるこのような基本的思考方法は,
>普段は意識されません.身に染みついているものだからです.
>この依って立つべき基本的思考方法が確立できていることが重要であるというのが,私の立場です.
ある種の「思考の型」が出来ているかどうかが重要だと考えています。
ボクが身についたかどうか、指導教官のI先生からしたら、アホか!と言われそうですが、
とは言うものの、「yoshikくんて意外と頭いいよね」と言われる「頭いいよね」の部分が確かなのだとしたら、
それは、大学院に進学して培った部分がかなり大きいと思っております。
指導教官のI先生に「具体と抽象を行ったり来たりする」というお教えがやっぱり頭に残っていますし。
文系就職とは何なのかから考えたらよいかもしれません。理系にしかなれない職に理系がついた結果、残りを占める人が文系大学卒だらけってことの気がします。その中に少数の理系の人が混ざっていようが、中で輝けるなら税金は無駄でないと思います。
教員という特殊な立場は何系なのかもわかりません。dream chaserさんの教育に対する意識の高さを見ると、同じ立場のものとして考えさせられますが、魅力的な(?)研究職の一つとして大学を選んだ私がいます。工学部という組織では男性教員しかいないことが多々ありますが、決して男性の職業というわけではなく、優秀な女性がいれば(もしくは、今のご時世女性というだけでたとえ優秀でなくても)教員になれます。
ところで、税金泥棒って言葉について、数年前に准公務員になるにあたって考えたことがありました。現在も何が税金泥棒なのか結論は出ていません。税金はざっくり言うと国という組織を利用して地域の公共の利益のために集めたお金です。国のお金から給料をもらっている人が低パフォーマンスのとき、税金泥棒と呼ばれます。一方、自営業で経費という名目上合法の枠組みを使って嗜好品を買っている場合、これも一種の税金泥棒と思いますが、そうは呼ばれません。高速無料化や空港の作りすぎで起こったJALの破たんも、原因を作った政治家などは税金泥棒とはよばれていないでしょう。
おちのないコメントですみません。
a. 「じゃ、大学院行かなかったら身につかないのか?」
大学院に行かなくても身に付くと思います.ただ,そこで身に付くものは,その組織で,あるいはその職であれば身に付くものであるわけですから,理系学生が文系就職したときに文系に対して理系の優位を誇れるものにはなりえません.理系と名乗るならせめて大学院に行けというのは,そういう観点からです.
b. 「俗に言う文系」においてもこの言説は適用できるか?
適用できると思います.ただ,文系における大学院教育については全く知りませんから,コメントはできません.教育の体はなしているのでしょうか?
> 大学院に進学して培った部分がかなり大きいと思っております
私も同じです.修士課程の後半1年間が決定的だったと思います.そういう経験は学部では難しい気がするのです.もちろん無理とは言いませんが.
◆また文系就職した方が報酬・成長のインセンティブが大きいように思う学生の方が多いということではないでしょうか?
少なくとも報酬に関してはその通りだと思います.実際,ある外資系金融に就職した学生の初任給は,日系メーカーに就職した学生の5倍くらいはありました.私の場合,それでも金融に行きたいとは全く思いませんでしたが,魅力的に思う学生が多くても不思議ではありません.
成長については,ある卒業の言葉が印象に残っています.彼が言うには,就職活動として外資系金融/コンサルや日系メーカーで働く人の話を聞いてみて,外資系の人達は自分の想いを熱く語ってくれるが,日系メーカーの人達からはそういう情熱が伝わってこない.この人と一緒に働きたいと思うのは,外資系ばかりだったと.日系メーカーは猛省すべきと思います.
大学の女性教員:
昨今,大学教員の女性比率を高めろという圧力があるわけですが,工学系なんて,そもそも女子学生が圧倒的に少ないわけで,学生の女性比率よりも極端に高い女性比率を大学教員で実現しろと迫るのはナンセンスだと思っています.理系であれば,薬学系などで教員の半数近くが女性になる方がまだ現実的かと...
税金泥棒:
税金は取りやすいところから取るのが鉄則であるのと同様,税金泥棒という批判も,批判しやすいところから批判するのが鉄則なのだと思います.公務員バッシングなんて馬鹿でもできますから.ともかく,自分は税金泥棒の正反対であることを目指します.
研究と教育:
私はどちらもしたいので大学を選びました.研究に専念したいなら,大学ではなく研究機関が良いように思いましたので.やりがいのある仕事に就けたことに感謝しています.
5倍とはうらやましいですね。まあ、ある程度以上のお金になるとどうでもいい気もしますが、一般の人より評価されてると考える分、やらなければいけないという使命感は出るかもしれません。
大学は好みの研究テーマについて機動的に研究できるので、専念はできないなりの楽しさがあります。
高給の度合いも尋常でなければ,働き方も尋常ではないようですね.当然,給料に見合う成果を要求されますから.我々の場合,安月給でも働き方は尋常ではないわけですが.
確かに,研究の自由度は高いですね.その点も大変有り難く思っています.
>b. 「俗に言う文系」においてもこの言説は適用できるか?
>適用できると思います.ただ,文系における大学院教育については全く
>知りませんから,コメントはできません.教育の体はなしているのでしょうか?
文系の大学院について適用可能かどうか、考えようとしたのですが、そもそもボク自身、「文系」にすら進学していないので、「別の機会に。。。」とさせていただきました。
「論じえないことについては、人は沈黙せねばならない。」
なるほど,それが理由ですね.納得.
ここで語ることができるのは,きちんと語ることができるもののみですからね.
以前、「他大学への進学」にコメントさせていただいたものです。文系就職というテーマとは関係なくコメントします。
学部卒が理系を名乗って何が悪い。私は、学部卒でエンジニアになりました。専門知識の必要とされる職種ですが、京大レベル院卒の同期と比べても全く能力の差は感じません。むしろ同じレベルの仕事をしているのに、給与等に差があることに納得できません。
大学院でないと問題解決能力が身につかないということですが、学部4年間をほとんど無駄にしている大学生たちに疑問を持たないのでしょうか。成績のよい人は飛び級をできるシステムに変革してください。理系教育に、研究が必須だというのなら、学部は2年で、研究2年でいいではないですか。私も教科書に書いてあることを暗記するより、研究のほうが思考力、問題解決力、交渉力、プレゼンスキルなど社会で生きるために有利な能力を身につけられることを認めます。
学部卒の社会人が時間に縛られ、嫌いな上司の言うことも聞かなければならない環境で生きている一方で、大学院の学生が、だらだら研究室に行って、仕送りや奨学金で贅沢していることを知っています。
もっとも、私は早く社会人になったことに後悔はありません。大学院でこもっているよりも素晴らしい希望を叶えることができました。
希望進路はそれぞれでしょうが、このブログを見ている志の高い学生は起業・学部卒での就職を考えるか、アメリカの大学院へ進むことを勧めます。日本の大学院で甘えて過ごしていても、大学教授に利用されて、大企業に進んで年功序列システムで才能を無駄にするだけです。進路は自分で掴み取らなければならない、志高く
KIHARAさん,こんにちは.
私の研究室の先輩にも,学部卒で就職した凄い技術者がいます.ある大企業に勤めておられますが,そこでの評価は極めて高く,社内トップクラスです.さらに言うと,大学を卒業もせず,技術者として超一流の方もおられます.国際的に見ても,本当に超一流です.そういう方と一緒に技術開発などをしていると,学歴なんて全く関係ないと思えます.
だから,ご指摘のように,大学院卒だから特定の能力が身に付いていることが保証されており,大学院卒でないからその能力が身に付いていないということでは決してありません.事実はそうはなっていません.
> 学部4年間をほとんど無駄にしている大学生たちに疑問を持たないのでしょうか。
このブログを読んでおられるなら,私の問題意識は把握されていると思います.
全く疑問になど思っていません.そんな曖昧ではなく,根絶するつもりです.
> 成績のよい人は飛び級をできるシステムに変革してください。理系教育に、研究が必須だというのなら、学部は2年で、研究2年でいいではないですか。
この点については友人とも激論を交わしたことがあります.
私は,原則として短縮は認めない派です.短縮をいう人は,何か必要事項というものがあって,それだけをマスターすればいいという発想だと思うのです.私は,大学では教養を身に付けるべきだし,専門知識以外に身に付けるべきことはいくらでもあるという立場です.だから,効率追求型の期間短縮には素直に同意できません.学部が2年でよいとは考えていません.もちろん,理想と現実が乖離しているのは認めます.だから,その乖離をなくすための努力は必要です.
> このブログを見ている志の高い学生は起業・学部卒での就職を考えるか、アメリカの大学院へ進むことを勧めます。
日本の大学に勤めるものとして極めて遺憾ですが,海外の大学院への進学は有望な選択肢です.
そもそも文系就職で知力が期待される仕事なんか、ほとんど無いですから。
求められるのは、せいぜい事務処理能力とゴマスリ能力くらいですよ。