4月 182010
 

戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ
野中郁次郎,戸部良一,鎌田伸一,寺本義也,杉之尾宜生,村井友秀,日本経済新聞社,2005

著者らによる別著「失敗の本質」では,日露戦争という成功体験に過剰適応した結果,太平洋戦争で日本軍は失敗を回避できなかったと指摘されている.そこでの検討をふまえて,本書「戦略の本質」では,逆転を可能にすべき戦略の本質とは何かが問われる.そのために,二十世紀の6つの戦争をケーススタディとして取り上げ,劣勢からの逆転を実現させた条件は何であったかが,そこでの戦略とそれを成功に導いた指導者の信念や資質に着目して論じられている.

戦略については,それを,戦争に意味や目的を与え,国家資源の動員を行う「大戦略」,軍事的合理性を追求して軍事的資源配分を決める「軍事戦略」,複数の戦術単位の配置や指揮を行う「作戦戦略」,兵器を運用し,戦闘遂行能力を発揮する「戦術」,そして,兵器の質的極大化を目指す「技術」の5つのレベルに分解し,この枠組みで6つの戦争を分析している.

その分析結果として,戦略の本質に関する10の命題が提示されている.

  1. 戦略は「弁証法」である
  2. 戦略は真の「目的」の明確化である
  3. 戦略は時間・空間・パワーの「場」の創造である
  4. 戦略は「人」である
  5. 戦略は「信頼」である
  6. 戦略は「言葉」である
  7. 戦略は「本質洞察」である
  8. 戦略は「社会的に」創造される
  9. 戦略は「義」である
  10. 戦略は「賢慮」である

逆転に着目した6ケースからの帰納推論によって,どこまで普遍的な命題が導出されうるのかという疑問はあるが,よく検討されていると思う.本書「戦略の本質」から,優れたリーダーシップの条件を学ぶことができる.

ただ,用語の用法が解せないところがある.例えば,「物量は逆転の必要条件ではあっても十分条件ではない」というもの.物量が必要条件なら,本書で取り上げられたような逆転は起こらない.より正しくは「物量は逆転の十分条件どころか必要条件ですらない」となるだろう.水平的ダイナミックスと垂直的ダイナミックスという表現も理解しづらかった.水平と垂直と聞くと,二次元平面で直角に交わる二軸を思い浮かべるのが自然だが,本書でいう水平と垂直はそうではないようだ.

以下に,本書「戦略の本質」で取り上げられている6つの戦争について,その論点をまとめておこう.

毛沢東の反「包囲討伐」戦

毛沢東の反「包囲討伐」戦は,中国国内において,弱小な中国共産党軍が強大な国民政府軍を相手に長期間にわかる戦闘を繰り広げ,最終的に勝利した世紀の大逆転といわれる戦いである.1930年12月から34年10月にかけて第一次から第五次にわたる蒋介石の「包囲討伐」に対抗して,毛沢東は「遊撃戦」概念を生成し,現場学習を通してこの概念を実践,修正していった.

この事例で際立っているのは,やはり毛沢東の傑出したリーダーシップである.かれは弁証法の思考によって遊撃戦の概念を創造し,それを実践しただけではない.巧みな,分かりやすいレトリックを用いて,将兵や「人民」に語りかけ,戦う意味を納得させ,戦い方の基本を共有し,士気を鼓舞したのである.

蒋介石の率いる国民政府軍と対峙した毛沢東は,戦闘を指揮している間も寸暇を惜しんで読書に励み,自身の「実践論」や「矛盾論」を将兵に講義し,自身の戦略を孫子,三国志,水滸伝,西遊記などの話を巧みに利用して伝えた.毛沢東は,こうして現在の中国の礎を築いた極めて有能な指導者であった.しかし,その英雄も文化大革命という狂気の沙汰に及び,悪人としてその名を世界史に刻むことになる.毛沢東にしてもスターリンにしても,それが共産主義に取り憑かれた指導者の宿命なのか.

バトル・オブ・ブリテン

1940年7月から9月にかけてのバトル・オブ・ブリテンは,絶頂期にあったドイツ空軍の攻撃にイギリスが耐えて,その存続を確保し,最終的に戦争の大きな流れを変えることになった転換点であった.ドイツ軍の攻勢は目的を達成することなく終わり,守勢のイギリスはドイツ空軍の攻撃をなんとかしのぐことで目的を達成した.

この事例でも注目されるのは戦争指導者,リーダーの存在である.チャーチルはこの戦いの持つ意味を的確に把握し,それを格調高いレトリックを用いた議会演説やラジオ放送を通じて国民に訴えた.ドイツ軍の空襲による被害地を見て回り,自分の姿を見せることによって国民を鼓舞し,士気の阻喪を防いだ.防空戦の展開に強い関心を持ち続けながら,かれには珍しく作戦への干渉を控え,ダウディングに一切を任せ全面的に支持した.バトル・オブ・ブリテンの勝因の一つは,ヒトラーとは対照的なチャーチルのリーダーシップであったのである.

チャーチル率いるイギリスは,ドイツ空軍の攻撃を凌いだものの,ドイツに勝ったわけではない.それでも,ドイツと戦う固い意志を示し,その攻撃を退けたことで,アメリカの参戦を実現させ,その目的を達成した.チャーチルは,騎馬隊将校としてインドに駐留した際,プラトン,アリストテレス,ショーペンハウアー,アダム・スミス,ギボン,マコーレーなど,読書に専念して広い教養を身に付けた.チャーチルの演説においては,イギリス古典,特にシェイクスピアが多く援用されている.チャーチルは,こうして身に付けた歴史観に基づいて,民主主義を守護するイギリスの正義は必ずやドイツの邪悪な全体主義に勝つと信じた.偉大な指導者といえよう.

スターリングラード攻防戦

1942年の秋から翌年の春にかけてのスターリングラード攻防戦は,独ソ戦のみならず第二次大戦における戦局の転回点となった戦いである.ドイツ軍はここで攻勢限界点に達し,これ以降守勢に転じることになった.

ドイツ軍の強みは,航空機の絨毯爆撃と長距離砲撃,それに続く戦車装甲軍団とその背後からの大量の歩兵部隊の進撃という一連の起動打撃力発揮の電撃戦の巧みさにあった.スターリングラード防衛軍司令官チュイコフは,このドイツ軍連携機動力の機能を停止させるために,あえて瓦礫と化した市街地における近接戦闘を展開した.(中略)スターリングラードの転換点は,主力の第六二軍の指揮官にチュイコフ中将を選んだことに負うところが大きい.かれはドイツ軍の強さの本質を洞察し,瓦礫の山の市街で「手榴弾の届く範囲で戦う」近接戦法で電撃戦を破綻させた.

組織内の信頼の欠如は,スターリンとヒトラーに顕著に見られる.スターリンは忠誠や信頼といった社会的資産を重んじなかった.(中略)スターリンは,状況の俊敏な把握と細部に目を配る能力に優れていたが,猜疑心が強く,他者が正しくても認めようとはしなかった.しかし,レニングラードを失い,モスクワ攻防の危機に及んでジューコフに助言を求め,スターリングラード戦からは軍首脳と主要指揮官との対話を深め,逆転勝利に導いた.

独裁者として悪名高いスターリンとヒトラーだが,結局,自分を変えることができずに自滅したのはヒトラーである.ヒトラーは,ドイツ国防軍幹部の進言に耳を貸すことなく,マッカーサーのように自らが最前線に赴くことも,チャーチルのように戦場の被害に目を向けることもないまま,軍事作戦への過剰介入を繰り返し,重要な戦闘で失敗した.現実から目を背け続けたために滅びたと言えよう.

朝鮮戦争

1950年6月北朝鮮軍の韓国軍に対する奇襲攻撃により始まった朝鮮戦争は,アメリカ軍(国連軍)の介入,中国軍の参戦へとエスカレートし,北朝鮮軍・中国軍と韓国軍・国連軍との間で攻防が繰り広げられた.朝鮮半島のほぼ中央にある38度線を中心に,戦線が南北に移動を繰り返し,3年1ヵ月後に,戦端が開かれたときとほぼ同じ位置で休戦協定が調印されている.

一時は北朝鮮軍が釜山周辺まで攻め込んだ朝鮮戦争は,アメリカ軍の仁川上陸作戦の成功によって大きな転換点を迎えた.アメリカ極東軍司令官で国連軍司令官でもあるマッカーサーが,周囲の強い反対を押し切り,自身の信念を貫いて,仁川上陸作戦を実施した.この奇襲は成功を収め,北朝鮮軍を挟み撃ちにして形勢を逆転させたアメリカ軍は,その勢いで平壌を陥落させた.しかし,マッカーサーはトルーマン大統領によって解任されてしまう.これは北朝鮮滅亡への危機感から中国軍が参戦したこと,マッカーサーがこの事態に対応するために満州への空爆や核攻撃の許可をトルーマン大統領に求めたことによる.

第四次中東戦争

ラマダン戦争あるいはヨム・キプール戦争ともいわれる第四次中東戦争は,イスラエルに対して一方的に劣勢にあったアラブ諸国が,捲土重来の奇襲攻撃を敢行した戦いである.1973年10月,エジプト軍とシリア軍による,スエズ運河とゴラン高原の二正面での奇襲によって始まった戦いは,後半に入ってイスラエルが優位に立ち,最終的に米ソ両大国の主導により停戦が実現したが,作戦レベルでのエジプト軍の一時的,局所的な勝利は,軍事的に完全な勝利に結びつかなかったとはいえ,大戦略レベルでエジプトに大きな成果をもたらした.

このケースでも,特筆さるべきは,サダトのリーダーシップである.かれは,国家を財政的破綻から救うため,最終的なゴールとしてイスラエルとの和平をめざした.しかし,和平を達成するためには,中東情勢を流動化させ,アメリカを引き込む必要があり,そのためにはイスラエルに軍事的に挑んでみなければならなかった.サダトは,和平を達成するために,戦争を始めたのである.また,限定戦争戦略の構想も,かれの創造力をよく表している.抵抗者を,強権をもって排除すると同時に,目的と方針を明示した後は,軍人たちに具体的な問題解決を一任した.サダトは戦略的リーダーとしての資質を見事に発揮したというべきであろう.

30年以上に及ぶイスラエルとの戦争に終止符を打ったサダト大統領であるが,前大統領ナセルが急死し,大統領に就任したときには,政治的野望も能力もない無害な政治家と見なされていた.ところが,実権を握ると素晴らしい指導力を発揮し,国家が抱える問題点を明らかにし,その解決策を見出し,限定的な戦争を巧みに利用して大いなる政治目的を実現させた.その構想力は見事であり,優れた指導者と呼ぶに相応しい.しかし,こうしてエジプトとイスラエルの和平条約調印を実現させ,シナイ半島をイスラエルから取り返したサダト大統領であるが,その後,狂信的なイスラム原理主義者に暗殺されてしまう.宗教的狭量さから人間が解放されるための道筋とはいかなるものであるのだろうか.

ベトナム戦争

ベトナム戦争は,アメリカ軍の本格的介入に限定するなら,1965年の北ベトナムへの爆撃開始と南ベトナムへの本格的地上兵力の投入を起点とし,73年の和平協定の調印によって南ベトナムから撤退するまでの間の戦いということになる.その後も,北ベトナム軍および南ベトナム民族解放戦線と南ベトナム政府軍との戦闘は続き,75年のサイゴン陥落を経て,翌76年,南北ベトナムはベトナム社会主義共和国として統一された.

ベトナム戦争においてアメリカ軍の投入兵力は一時期最大約55万に達したが,戦場において決定的な勝利を得ることはできなかった.また,アメリカ軍は,致命的な損失をこうむったわけでもないのに,最終的にベトナムから撤退しなければならなかった.戦いに負けたという意識がないままに,アメリカは深刻な挫折感と政治的敗北感にとらわれることになった.気がついたら,世界一の軍事大国アメリカは,装備においてはるかに劣る解放戦線ゲリラ,北ベトナム軍兵士との戦いに敗れていたのである.

ベトナム戦争におけるアメリカの敗因は,戦争目的が不明確であったこと,政府首脳と軍が自信過剰であったこと,そして何より大義なき戦争であるが故に国内国外の世論を敵に回したことにあろう.

目次

  • なぜいま戦略なのか
  • 戦略論の系譜
  • 毛沢東の反「包囲討伐」戦―矛盾のマネジメント
  • バトル・オブ・ブリテン―守りの戦いを勝ち抜いたリーダーシップ
  • スターリングラードの戦い―敵の長所をいかに殺すか
  • 朝鮮戦争―軍事合理性の追求と限界
  • 第四次中東戦争―サダトの限定戦争戦略
  • ベトナム戦争―逆転をなしえなかった超大国
  • 逆転を可能にした戦略
  • 戦略の本質とは何か―10の命題

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