5月 062010
 

京都大学工学部工業化学科3回生を対象にした「学生に座右の銘を聞いてみた」シリーズは,とりあえず前回の「私淑する人物を持つ」で終わりにしよう.受講学生が50人程度いるわけだから,まだまだ多くの座右の銘が挙げられたわけだが,そのすべてを紹介する必要もないだろうから.

さて,その「私淑する人物を持つ」において,安岡正篤氏の言葉を紹介した.

平生からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物,何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには,できるだけ縁を結んでおくことです.これを勝縁といい,善縁といいます.(中略)

なるべく精神的価値の高い,人間的真理を豊かに持っておるような書がよい.(中略)

現代人の一般的缺陥(けっかん)は,あまりに雑書を読み,雑学になって,愛読書,座右の書,私淑する人を持たない.

善い書物,愛読書,座右の書.そんな言葉が並ぶ.というわけで,アンケートでは,座右の銘と共に,座右の書を尋ねてみた.ただし,「座右の書」と尋ねても恐らく回答に窮するであろうから,「自分の人生に大きな影響を与えた,あるいは最も印象に残っている本は何ですか」という質問にした.

回答は様々だが,その一部を列挙してみる.

  • 環境問題はなぜウソがまかり通るのか(武田邦彦)
  • 道は開ける(デール・カーネギー)
  • 森信三氏の著作
  • 論語
  • 金持ち父さん,貧乏父さん(ロバート・キヨサキ)
  • 三国志

ここまでは特に興味深いアンケート調査結果ではないのだが,一名,気になる回答をしてくれた.

本は筆者の意見を正当化するために都合のいい例ばかり出すので,影響を受けたくない

確かに.自分の意見を正当化するために都合のいい例ばかりを出すような本に,簡単に影響されるようでは困る.日本の未来を双肩に担うような人材が,そんなレベルでは本当に困る.その上で,軽々に影響を受けないように,批判的な態度で,良書を読んでいるのなら誠に結構なことだと私は思う.だがもし,これが理由で本を読んでいないのだとしたら,???ということになる.

何でもいいから本を読めばいいというものではない.その点は同意する.

ショウペンハウエルは「読書について」の中で,

読書とは他人の考えた過程を辿る行為に過ぎず,多読する勤勉な人間は,次第に自分で考える力を失う.

と指摘し,サミュエル・スマイルズは「自助論―人生の師・人生の友・人生の書」の中で,

読書を自己啓発の手段と思いこんでいる人は多い.だが実際には,本を読んで時間つぶしをしているだけの話だ.

と手厳しく述べている.しかし実際には,彼らは自分の書いた本が読まれることを期待しているし,大量に本を読んでもいる.例えば,ショウペンハウエルは同じ「読書について」において,人生は短く,時間と力には限りがあるため,良書を読むためには悪書を読んではならないと説いている.

読書といっても,何を読むかは誠に重要である.

何を読むかと同様に,どのように読むかも重要である.

学生時代には誰でも,教師の手ほどきで難解な本に取り組むものである.だが,自分の読みたいものを読むときや,学校を出てから教養を身に付けようとすれば,頼るものは教師のいない読書だけである.だからこそ,一生の間ずっと学び続け,「発見」し続けるには,いかにして書物を最良の師とするか,それを心得ることが大切なのである.この本は,何よりもまず,そのために書かれたものである.

この本とは,「本を読む本」 (M.J.アドラー,C.V.ドーレン,講談社)である.そこでは,限られた時間で本の概要を掴むための読書法である点検読書として,序文や目次を活用して,最初と最後に書かれていることを中心に拾い読みすることが薦められている.この点検読書を修得すれば,読む価値のある本とそうでない本を見分けられるようにもなるというわけだ.その上で,読む価値のある本を読むための読書法として分析読書が提示されている.この「本を読む本」において,読書の重要性は次のように捉えられている.

すぐれた読書とは,我々を励まし,どこまでも成長させてくれるものなのである.

本を読むべきという観点から,凄まじい読書家の一人である吉田松陰について触れておこう.ちょうど大河ドラマで坂本龍馬を取り上げているところでもあるから...彼の野山獄読書記によると,下獄した1854年(安政元年)10月24日から年末までに106冊,さらに翌年12月15日に出獄するまでに総数554冊を読破したそうだ.出獄後も読書を続け,安政3年には505冊,安政4年には385冊を読み,さらにこの三年間だけで45篇もの著述を完成させたとされる.ちなみに,吉田松陰が野山獄に収監されたのは,ペリー艦隊が二度目に日本に姿を現した際に,下田沖に停泊する米艦にて密出国しようと企て,それが失敗したためだ.それからわずか数年後,松下村塾の門下生にあてた遺書「留魂録」を残して,吉田松陰は処刑され,三十歳の生涯を終えた.

松下村塾には次の言葉が掲げられていたそうだ.

万巻の書を読むに非ざるよりは,寧んぞ千秋の人たるを得ん.

また,吉田松陰は桂小五郎への手紙にこう書いている.

天下国家の為め一身を愛惜し給へ.閑暇には読書に勉め給へ.

「本の影響を受けたくない」というのも1つの考え方ではあるだろう.それなら,書物から学ばずに何から学ぶのか.本の影響を受けたくないならそれでも構わない.ただ,しょうもない人間にならない方法を模索してもらいたい.

  2 Responses to “学生に座右の書を聞いてみた: 人生に大きな影響を与えた本”

  1. なかなか面白い学生もいるようですね。
    >本は筆者の意見を正当化するために都合のいい例ばかり出すので,影響を受けたくない

    先生の書かれている部分も同意ですし、従順に言われた通り、昨今の多読?ブームに沿って、「いっぱい本よむぞー」と何も考えずに思ってしまう人より見込があるかもしれません。

    けども、そういう人は、下記のエントリーを見ていただきたいですね。
    http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20091101/p1
    (此の人のブログ自体が若干、毒性が強いので気を付けたいところですが)

    読書術系の本はあまたあり、分類は以前より3つ。
    1. 活性系(目の動きをトレーニングして云々)
    2. フォトリーディング系(目的を持って必要な箇所を読む)
    3. 精読系(ノートをとってよむ、等)
    1はよく分からないので、2については、確かに「量を読んでる達成感」と「(おそらくそれなりに増しているかもしれない)知識量」のおかげで、
    いいものですが、これを真っ向から否定しており、限りなく3に近い読書法が、上記の記事です。

    読書は「自分を壊して新しい自分に生まれ変わる一つの方法」と思うようになりました。もちろん、読む対象にもよりますが。

    ここにある情動シミュレーション(作中に出てくる全ての登場人物、解説系の場合は専門家である筆者の立場)を行って、
    「自分を壊す」ことで、もう1層深めることができそうです。

    とはいうものの、情動シミュレーションをするには一定の素養がいると思いますので、そこまでは量も必要なのかなと思います。
    当該分野について、1冊とか2冊とか中途半端に読むから、筆者の主張に左右されて影響されるんです。
    当該分野について、20冊集中して読めば、1人の筆者の言うことなんて、構ってられませんから(笑)。

    かくいう私も、「マーケティングのコンサルティング」をすることになったときに、社長から「3日後までにマーケティングの本を20冊読んでくるように」と言われたときがありました。流石に首が掛かっているので読みきりましたが、それから何となく「マーケティングのものの見方」は身についたと思います。

    どんなけアタマがよい方でも「先人が考えたことを生かす術」は知っておいて損はないです。その学生さんなら、「それを鵜呑みにする」ということはなさそうですね。

    その学生さんが(影響を受けてもいいと思える)良き書、良き師に出会わんことを切に願います。

  2. 読む本の数については,全くその通りだと思います.要するに,N数の問題です.N数が小さいから,くだらない本にも簡単に影響されてしまう.N数が増えてくれば,単純に言えば1冊が占める割合は減りますし,何より,どれがくだらない本かが見えてくるはずです.まあ,京大生ですから,この程度のことはすぐに身に付けるでしょう.

    紹介してもらったブログは読んでいませんが,フォトリーディングも含めて広く速読系を否定するのはどうかと思います.読んでいないので,ただ勝手に思うだけですが...少なくとも,読まないよりは遙かに良いでしょう.

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