5月 082010
 

論理哲学論考
ウィトゲンシュタイン(著),野矢茂樹(訳),岩波書店,2003

私の能力では,一読しただけでは理解できない.「訳者解説」と「訳注」がなかったら,確実に玉砕していたことだろう.訳者に感謝.でも,別の言い方をすれば,ひとに理解してもらえるような書き方になっていないということだ.このことは,ウィトゲンシュタイン本人も認めている.「改善の余地が大いに残されている」と.

ともかく,論理的に思考するとはこういうことかと感じさせてくれる著作だ.ラッセルがその解説において,「いかなる点でも明白な誤りを見出せない論理学説の構築は,並はずれて困難な偉業の達成にほかなりません」と賛辞を送っているだけのことはある.残念なことに,そのラッセルによる解説は誤解に充ち満ちているのだが...

そのような本書「論理哲学論考」では,何が語られているのか.親切にも,ウィトゲンシュタイン自身がまとめてくれている.

本書が全体としてもつ意義は,おおむね次のように要約されよう.およそ語られうることは明晰に語られうる.そして,論じえないことについては,ひとは沈黙せねばならない.

なお,「論じえない」というのは,ある個人の能力が低いために「論じえない」などという意味ではない.馬鹿は黙ってろという意味では決してない.そうではなくて,思考の限界,すなわち言語の限界なるものが存在し,その限界を越えて何かを語ることは決してできないということだ.本書「論理哲学論考」は,その限界を明らかにすることを目指している.そして,その結末が,『語りえぬものについては,沈黙せねばならない』なのだ.

何の脈絡もないが,いくつかの言葉を引用しておこう.

数学の命題の表現していることを捉え,それを事実と比較してその正しさを確かめる必要など,ありはしない.

帰納的探求の核心は,われわれの経験と一致しうるもっとも単純な法則を採用するという点にある.しかしこの探求はなんら論理的な正当化をもたず,たんに心理的に正当化されるにすぎない.

現代の世界観はすべて,その根底において,いわゆる自然法則を自然現象の説明とする誤りを犯している.かくして,彼らは自然法則を何か犯すべからざるものとみなし,その地点で歩みを止める.ちょうど,古代の人々が神と運命の前でそうしたように.

倫理が言い表しえぬものであることは明らかである.

倫理は理屈ではない,というわけだ.そして,哲学の諸問題,形而上学的な問いは,論理的に語られうるものではない,というわけだ.実に面白い.

目次

  • 論理哲学論考
  • バートランド・ラッセルによる解説
  • 訳注
  • 訳注補遺
  • 訳者解説