5月 142010
 

京都大学工学部3回生の実態調査結果: TurningPoint ARS」と題して,アンケート調査結果を公開した後,学生が挙げてくれた座右の銘や座右の書についてコメントしてきた.

続いて,「自分の人生で成し遂げたい夢は何ですか」という質問に対する回答について,コメントしてみよう.

様々な夢を書いてもらったのだが,ここでは,複数の学生が挙げてくれた「金持ちになる」という夢についてコメントする.実は,このアンケート調査の後,学生には私のコメントをA4用紙4枚にまとめて配布した.その配布資料では,「金持ちになる」という夢について,次のように書いた.

金儲けは人生の目的になりうるだろうか.所詮は手段にすぎないのではないだろうか.金持ちになって何がしたいのかという疑問が湧くのが自然だろう.夢としては浅薄な印象を受ける.

これが率直な感想だが,ここでは,「金持ちになる」という夢について,もう少し検討してみよう.

実は,以前,京都大学の新入生(一回生)に「将来の夢」を尋ねたことがある.そのときも,やはり,「金持ちになる」と答えてくれた学生が少なからずいた.一年前に遡るが,そのとき,京大新入生に送ったコメントの一部を引用してみよう.なお,このコメントの全文は,「大学新入生へ: 受講生に宛てた本気モードでのメッセージ」に記載してある.

クラーク博士の”Boys, be ambitious.”という言葉を知っている人は多いでしょう.でも,その後に,お金や名誉のためではなく,本来あるべき人間になるという大志を抱けと続くことを知る人は必ずしも多くないようです.

人間のあるべき姿,そして大志とは何でしょうか.将来の夢に,金持ちになることや出世することと書いてくれた学生が少なからずいましたが,それらは,ここでいう意味の大志ではなく,またそうなるのが人間のあるべき姿でもないように思います.それらは野望とは呼べても,大志と呼びたくなるようなものではありません.

(中略)

人生の夢に,幸せになることと答えてくれた人がいます.私としても,是非,幸せになって欲しいのですが,幸せって何でしょうか.「何不自由ない生活」ではないことは既に犬猫の話で確認しました.お金持ちになることでもないでしょう.お金に人生を壊される人は少なくありません.幸せの正体がわからないのに,幸せになりたいと願ってみても,決して実現するはずがありません.

出世や金儲けを夢だと答えてくれた人達も,幸せになりたいのだと思います.幸せを具体的にしたものが,会社での高い地位やお金を持つことだったのだと思います.でも,会社での高い地位やお金を持つことが,幸せそのものでしょうか.そうではなさそうです.では,幸せになるための手段が出世や金儲けだとして,なぜ出世や金儲けで幸せになれるのでしょうか.もっと掘り下げて考えてみる必要がありそうです.

(以下略)

自分の銀行口座の残高を増やすこと,それ自体が人生の夢になりうるだろうか.私はならないと思う.本気でそれを夢だという人がいたら,「ふ〜ん」というしかない.もちろん,金持ちになるのが悪いと言うのではない.実に結構なことだ.しかし,自分の銀行口座の残高を増やすことが夢だという人は,自分より残高の多い人を見て不幸を感じることだろう.なんとも情けない人生ではないか.

アリストテレスは「幸福は自己に満足する人のものである」と言い,セネカは「われわれはわれわれのものを他と比較しないで喜ぼう.自分以上の幸福を見て苦しむ者は,決して幸福になれない」と言っている.

豊かさとは何か.金銭面から豊かさを考えてみると,それは,ストックではなくフローであると思われる.いくら残高があっても,それを使えない・使わないなら全く意味はない.逆に,残高なんてなくても,必要なときに必要なだけのお金が流れてくれるなら,それで十二分に満足できるのではないか.なぜ貯め込む必要があるのか.独り占めしようとするのか.他人と比べようとするのか.

夢は金持ちになることと答えてくれた学生には,せめて,金持ちになって何がしたいのかくらいは示して欲しい.むしろ,それが夢と呼べるものではないだろうか.しかし実際のところ,「で,君は何をしたいの?」と聞かれて即答できる学生は多くないと予想する.まともに考えたことがなければ,答えられるはずもない.そこで,口をついて出てくる答えが,「何不自由ない生活」,「幸福な生活」などということになる.

普通,人間は犬や猫になりたいとは思いません.大富豪の邸宅で何不自由なく暮らす犬や猫であってもです.何不自由ない生活は,人間的な生活を意味しないということです.

「何不自由ない生活」というのは,恐らく,享楽的な生活のことだろう.ありとあらゆる欲求を,特に物質的な欲求を常に満たすことができる生活という意味だろう.それが夢だというなら,それも仕方ないが,はたして,人間として生きた甲斐があったと感じられるだろうか.

アブラハム・マズローの自己実現理論で言えば,それは,第一段階の「生理的欲求(physiological need)」および第二段階の「安全の欲求(safety need)」のレベルであって,第五段階の「自己実現の欲求(self actualization)」には遠く及ばない.加えて,自己実現の上には「自己超越」の段階があり,この段階を目指す人は少ないけれども確実に存在する.

名誉を愛する者は自分の幸福は他人の中にあると思い,
享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが,
もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである.

マルクス・アウレーリウス,「自省録」

マルクス・アウレーリウスは人間を,あるいは幸福の所在を三種類に分類している.名誉(他人の中),享楽(感情の中),そして「ものがわかる」(行動の中)である.同様に,アリストテレスも人間の生活を,「享楽の生活」,「政治の生活」,「観想の生活」の三種類に分類している.ここで,政治の生活が名誉を求める.その上で,次のように述べている.

世間一般の多くの人々は,彼らの生活から考えると当然のことだが,善すなわち幸福とは快楽のことだと見なしているように思われる.

アリストテレス,「ニコマコス倫理学」

さらに,金儲けと名誉について,以下のように述べられている.

金儲けをする人の生活はやむをえず行われるものであり,また富は明らかに,われわれの求めている善ではない.なぜなら富が有用なのは,富以外のことのためだからである.それゆえむしろ,先に述べられた名誉や徳を人は目的とみなすかもしれない.すなわち,名誉や徳はそれら自体のゆえに愛好されるからである.しかし,名誉や徳でさえ目的でないのは,明らかである.

アリストテレス,「ニコマコス倫理学」

ここで,アリストテレスは徳でさえ目的でないとしているが,これは師プラトンが徳を重視したのとは異なる.プラトンは,ソクラテスに次のように語らせている.

幸福になりたいと願う者は,節制の徳を追求して,それを修めるべきであり,放埒のほうは,われわれ一人一人の脚の力が許すかぎり,これから逃れ避けなければならない.

プラトン,「ゴルギアス」

では,アリストテレスは何を目的であるとみなしたのか.

幸福が,究極的で自足的なものであり,行為において追求されるところの目的であることは明らかである.

しかしながら,最も善きものは幸福である,と言明するのは,おそらく一般に意見の一致をみているところであろうが,ここで望まれているのは,さらに幸福が何であるかをより明確に語ることである.

アリストテレス,「ニコマコス倫理学」

ここで,幸福が目的として現れる.しかし,幸福とは何であるか.

人生の夢に,幸せになることと答えてくれた人がいます.私としても,是非,幸せになって欲しいのですが,幸せって何でしょうか.「何不自由ない生活」ではないことは既に犬猫の話で確認しました.お金持ちになることでもないでしょう.お金に人生を壊される人は少なくありません.幸せの正体がわからないのに,幸せになりたいと願ってみても,決して実現するはずがありません.

出世や金儲けを夢だと答えてくれた人達も,幸せになりたいのだと思います.幸せを具体的にしたものが,会社での高い地位やお金を持つことだったのだと思います.でも,会社での高い地位やお金を持つことが,幸せそのものでしょうか.そうではなさそうです.では,幸せになるための手段が出世や金儲けだとして,なぜ出世や金儲けで幸せになれるのでしょうか.もっと掘り下げて考えてみる必要がありそうです.

幸福とは何か.これについては,多くの人々が語っている.

例えばショーペンハウアーは,「幸福について―人生論」において,幸福の第一条件は健康であり,健康な乞食は病める国王よりも幸福であると言っている.さらに,健全な身体に宿る健全な精神が幸福のために最も重要な財宝であり,幸福を与えるものは朗らかさ以外にないとも述べている.

ヒルティは,「幸福論」において,幸福になるために必要なのは,正当に仕事をすること,善いことを行う習慣を身に付けること,神を信じることなどであると述べている.

同意できるものもあれば,同意できないものもあるだろう.他人にとっての幸福を自分に押し付ける必要もない.大切なのは,自分の幸福とは何であるのかを自分で考えることだろう.

ちなみに,このようなアンケート調査を実施して,学生に個人的なコメントを送るのは,なぜか.

教育の秘訣は本来,学生を導いて一方では彼等の仕事(勉強)にたいする愛好心と熟練とを得させ,他方では適当な時期に,なにか偉大な事柄に生涯をささげる決意をいだかせるように仕向けることだ,とわたしは思うのである.

ヒルティ,「幸福論」

知能ではなく品格が,頭ではなく魂が,骨折って発達させる素材として,教師によって選ばれるとき,教師の職業は聖なる性格をおびる.

新渡戸稲造,「武士道」

答えは,このあたりにある.