5月 242010
 

ニコマコス倫理学
アリストテレス(Aristotelis),朴一功(訳),京都大学学術出版会,2002

人類の倫理学への第一歩となったニコマコス倫理学.アリストテレスの講義録とされる本書が人類の思想に与えた影響は甚大である.

師プラトンの影響を強く受けてはいるが,生を重んじるアリストテレスは魂の不滅性や死後の世界を考慮に入れないため,その主張はソクラテスやプラトンとは随分と異なる.

拷問にかけられたり,大きな不運に見舞われたりしている人であっても,もしその人が善き人であるなら,その人は幸福である,などと主張するような人たちは,その主張が本意であるにせよそうでないにせよ,たわごとを言っているのである.

本書「ニコマコス倫理学」全体を通して同意しかねる点は少なくない.現状を分析し,説明するという態度で書かれており,「えっ,そんなことを認めるの?」と感じる点がある.そういう意味では,天下り的な是認を忌避するという点で,後生の著作は確かに進歩していると感じる.もちろん,著者や読者が人間として優れているかどうかは別問題ではあるが...

善とは何かということを人間は語りうるのだろうか.アリストテレスはこう書いている.

あらゆるものにとって善と思われているものは,実際に善である,とわれわれは主張するからである.しかるにこのような確信を無効にする人は,これ以上に確信しうるものを何かほかに語ることは決してできないであろう.

恐らく,そうであるがゆえに,徹底した論理思考の末に,ウィトゲンシュタインは「論理哲学論考」でこう結論づけたのだろう.

倫理学は超越的である.

倫理が言い表しえぬものであることは明らかである.

そのような倫理について,アリストテレスは何を語ったのか.いくつかを引用しておこう.

金儲けをする人の生活はやむをえず行われるものであり,また富は明らかに,われわれの求めている善ではない.なぜなら富が有用なのは,富以外のことのためだからである.それゆえむしろ,先に述べられた名誉や徳を人は目的とみなすかもしれない.すなわち,名誉や徳はそれら自体のゆえに愛好されるからである.しかし,名誉や徳でさえ目的でないのは,明らかである.

かくして幸福が,究極的で自足的なものであり,行為において追求されるところの目的であることは明らかである.

しかしながら,最も善きものは幸福である,と言明するのは,おそらく一般に意見の一致をみているところであろうが,ここで望まれているのは,さらに幸福が何であるかをより明確に語ることである.

要するに一言でいえば,同じような活動の反復から,人の性格の状態が生まれるのである.(中略)したがって,若い頃からただちにどのように習慣づけられるかは,些細な違いを生むのではなく,きわめて大きな,いやむしろ全面的な違いを生む,と言ってよいであろう.

かくして,正しい行為をすることから正しい人が生まれ,節制ある行為をすることから節制ある人が生まれると言えば適切なのである.そうした行為を行わなければ,だれも善き人になる見込みすらないであろう.しかるに,多くの人々は,このようなことをしないで議論に逃げ込み,議論することが哲学することであり,議論によってすぐれた人間になれるだろうと,そんなふうに思っているけれども,実際には彼らは,まるで医者の言うことには注意深く耳を傾けはするが,処方されたことについては何も実行しない患者と似たり寄ったりのことをしているだけなのである.だから,そのようなやり方で治療を受けても,その患者たちの身体がいっこうに善い状態にならないのと同様,そのようなやり方で哲学をしても,多くの人々の魂のあり方が善くなることはないのである.

低劣な人は,愛すべきところが何もないために,自分自身に対してさえ友好的な状態にはないように思われる.だから,もしこのようなあり方が,あまりにもみじめであるなら,われわれは邪悪を全力で避け,品位ある人間になるよう務めなくてはならない.実際,そのようにしてこそ,われわれは自分自身に対しても,他の人に対しても,友愛関係を結ぶことができ,そして友となることができるであろう.

品位ある人はだれよりも自己を愛する人であると言ってよいが,しかし非難されるたぐいの「自己愛者」とは別種の人であり,両者の異なりの程度は,理性に基づいて生きることと,情念に基づいて生きることとの相違,あるいはまた美しいものを欲求することと,利益になると思われるものを欲求することとの相違に対応している.

知性に基づく生活こそ,まさに最も幸福な生活なのである.

弁論術」もそうだが,ニコマコス倫理学はアリストテレスが自分の考えを綴ったものであり,現代の意味で多くの読者を想定して書かれた書物ではない(2000年以上前に印刷術はない)ため,冗長に思われるところも多く,必ずしも読みやすくはない.また,分析的にじっくり考えるアリストテレスが用いた言葉は,現代の言葉と一対一に対応するわけでないため,言葉の定義に注意して読まないと混乱する.

多くの優れた人々に読まれ,引用されてきた著作であるから,一度読んでみる価値はある.だが,それほど面白い本でもないというのが正直な感想だ.

目次

  • 人生の目的
  • “性格の徳”と中庸説
  • “性格の徳”の構造分析、および勇気と節制
  • その他の“性格の徳”および悪徳
  • 正義と不正
  • 思考の徳と正しい道理
  • 抑制のなさと快楽の本性
  • 友愛
  • 快楽の諸問題と幸福の生

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