7月 152010
 

「日本の国際競争力の低下をどのように見ているか?」

「東大生は全然勉強していなかった.」

某製薬会社会長の質問に対して,国際競争力ランキングで世界第一位に躍進したシンガポールの官僚の答えが上記の通りだったそうだ.その官僚は,東京大学で学び,その後,米国イェール大学などを経て現職にある.

さらに,その官僚は次のように言ったそうだ.

「日本の大学は卒業の基準を厳格化すべきではないか.」

これは,今日参加した製剤関連の技術講演会で聞いた話だ.全くその通りである.卒業証書が無意味であるにも程がある.

学力問題について,凋落傾向にある日本の産業界からは大学を批判する声も聞かれるが(もっともな指摘だとは思うが),その産業界はかつて,「新人教育は企業が行うから大学は余計なことをするな」と豪語していたのではなかったか.ジャパン・アズ・ナンバーワンとか言って煽てられていたときに...

ここまで書いて,昔,卒業証書について独り言を呟いたことがあるのを思い出した.折角だから再掲しておこう.

学位の値段(有名大学卒業の価値)

独り言,2001年9月9日

もう1年以上前のことになるが,オハイオ州立大学の学内新聞に掲載されていたマンガが印象に残っている.小さな子供が道端で紙切れを拾ったところ,それを見た母親が,「役に立たない物を拾っちゃダメって言ってるでしょ!」と叱りつけるというものだ.その紙切れには,”Diploma”(卒業証書)と書いてある.その学内新聞は卒業式記念号だった.

今,帰国便の中で”USA TODAY”を読んでいて,”Are top-dollar degrees good invenstments?”という記事を見かけた.全米トップクラスと評されるプリンストン大学を卒業したばかりのインターンが執筆した記事であるが,日本の現状と比較してみると面白い.米国の大学事情など一般の人は全く知らないだろうから,ここで記事を紹介してみる.

米国でも一般に「有名大学に進学することが明るい将来への第一歩(An elite education is the ticket to future success)」と思われている.そのため,教育熱心な親も多く,子供をアイヴィーリーグ(宇多田ひかるがコロンビア大学に進学したので一般的な言葉になったと思う)に入れて,”Princeton Mom”なんてロゴの入ったシャツを着たいと思うぐらいの人も多いようだ.日本なら差詰め「慶應ボーイのママよ!」なんて書かれたシャツだと思えばよい.実際に着ないにしても,そういうシャツを着て歩きたいぐらいに,我が子のことを自慢したい人も多いのだろう.プリンストン大学の合格率は年々低くなり,今では12%だそうだ.まさにトップブランドであり,教育ママの憧れである.その心理は,エルメスの銀座店に群がる人達と似たようなものなのかもしれない.

ところで,プリンストン大学の卒業証書をもらうためには,4年間で12万ドル(約1400万円)が必要になる.問題は,その卒業証書にそれだけの価値があるのかということだ.ある研究グループは,高学歴が必ずしも高収入には結び付かないという調査結果を報告している.ただし,その調査結果は「優れた人物はどこにいても凄い」ということを示しているに過ぎず,一般的には高学歴の人ほど収入は高くなる傾向にある.これは世界のどこでも同様だろう.つまり,本当に能力があるなら高学歴である必要はないということだ.では,有名大学に進学することに価値はないのだろうか.執筆者は「ある」と主張する.それは,金銭面からの判断ではなく,有能な人同士が刺激し合える環境に自分を置けるからである.もっとも,アイヴィーリーグの学生ではあっても,ウェイターやウェイトレスあるいは店のレジ係として貴重な時間を過ごす者もいれば,とにかく卒業証書さえもらえれば良いと考えている者もいるようだ.執筆者はそのような学生を軽蔑しているようで,そのような学生は少数だとも言っている.

一方,日本では,そのような学生が大半ではないだろうか.同じキャンパスで生活している京大生を見ていても,その多くは卒業証書をもらうための最低限度の努力しかしていないように見える.それどころか,まともに卒業証書さえもらえない輩も多い.入学したら誰でも卒業できると思われる日本の大学で,である.研究室に配属された後でさえ,持てる能力を最大限に発揮しているとは思えない.まあ,自分が学生の頃を振り返れば,そのような態度が普通なのだとも思う.そもそも,大学自体が,学生の向学心を萎えさせてしまうようなお粗末な代物でしかないという現実がある.私自身も大学に進学した当初は,京大は凄いという幻想を抱いていたし,向学心にも満ちていた.しかし,そんなものは数ヶ月ほどで消え失せてしまった.はっきり言って,日本の有名大学が,有能な人同士が刺激し合える環境を提供しているとは思えない.また,大学自体が現状に危機感を持っているとも思えない.

ただ,研究と教育に熱心な人もいるわけで,私の周りだけを見ても,朝から晩まで研究と雑務に追われ,休日に研究室に来るのは当然という人も少なくない.それなのに,なぜ,大学全体としては悲惨な状況になってしまうのだろうか.まさに構造的な問題があるのかもしれない.とにかく,下っ端の私としては,自分の研究グループに配属された学生が卒業証書なんかに頼らなくても明るい将来を手にできるように,その持てる能力を発揮できるように,できる限りの努力はしたい.

なお,学生諸君は,自分のだらしなさを他人の所為にすべきではない.努力を惜しんで楽な道を選ぶのも,自らを律して厳しい道を進むのも,自分が決めることであり,自分で決められることである.学位が価値あるかどうかは,本人の態度次第である.甘えん坊な成人ほど見苦しいものもない.

7月 152010
 

衆議院や参議院,あるいは地方自治体レベルの選挙で,その投票率を見るたびに思うことがある.

投票という最低限度の義務を果たしもしないヒト(国民や市民と呼ぶには値しない)がこんなにも多い国(あるいは地方自治体)がろくなものになるわけがない.

まともな理由もないのに,投票という最低限度の義務を果たしもせず,政治家や社会制度の悪口を言うな.そんな資格はない.選挙にも行かず,不平不満しか言わないようなヒトは,どこかの独裁国家にでも行けばどうか.