8月 302010
 

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
ティナ・シーリグ(Tina Seelig),高遠裕子(訳),阪急コミュニケーションズ,2010

非常に示唆に富む本だ.本書「20歳のときに知っておきたかったこと」を際立たせているのは,これがスタンフォード大学で起業家精神について教える集中講義の様子を伝えていることだろう.多くの自己啓発本のように,自分のためだけに読むこともできるが,教育に活かすこともできる.冒頭には,次のように書かれている.

わたしは,スタンフォード大学の工学部に属するSTVP(スタンフォード・テクノロジー・ベンチャーズ・プログラム)の責任者を10年にわたって務めています.科学者や技術者に起業家精神とはどういうものかを教え,それぞれの役割のなかで起業家精神を発揮するために必要なツールを授けることが,わたしたちの目的です.純粋な専門知識を教えて学生を社会に送り出すだけでは不十分だとわたしたちは考えています.そして,おなじように考える大学が世界的に増えています.社会に出て成功するには,どんな職場であっても,人生のどんな局面でも,起業家精神を発揮して,みずから先頭に立つ術を知っておく必要があります.

この本で目指しているのは,読者のみなさんに新しいレンズを提供することであり,そのレンズを通して,日常でぶつかる困難を見つめ直し,将来の進路を描いてもらうことです.常識を疑い,身の回りのルールが本当に正しいのか再検証してもいいのだと,みなさんの背中を押したいと思います.不安はつきまとうでしょうが,おなじような問題にほかの人がどう対処してきたのかを知れば,自信が湧いてきます.そうすれば,ストレスを感じるのではなく,わくわくした気持ちになり,困難だと思ったことが,じつはチャンスなのだと気がつくことでしょう.

このブログの自己紹介で「講義=教育ではありえません.学生に知識を身につけさせることが教育の目的ではありません.」と宣言しているように,私も「純粋な専門知識を教えて学生を社会に送り出すだけでは不十分」と考えている.では,ありがちな講義ではなく,何をすればよいのか.学生には何が必要で,それはどうすれば与えることができるのか.このような疑問にヒントを与えてくれるのが,本書「20歳のときに知っておきたかったこと」だろう.

私自身も自分なりに考えて,例えば「研究・技術・自分のマネジメント」などという講義を大学院で実施したりしている.本書では,常識を疑うスキルを磨くために,シルク・ドゥ・ソレイユを例にしたサーカスの演習,ルール破りを実践するために,最悪の解決策を最高の解決策に練り直す演習,チャンスを見極めるために,財布の問題を解決する演習,失敗から教訓を引き出すために,失敗のレジュメを書く演習,など,実際にスタンフォード大学で実施されている演習のいくつかが紹介されている.実に興味深い.

このような取り組みをする必要があるのは,生まれてから今までに刷り込まれ身に付けてきた我々の行動原理に問題があるからだ.無意識であるが故に恐ろしく強力な呪縛だ.

学生たちは,潜在能力を最大限に発揮し,場外ホームランを打ち,聡明さを輝かせてもいいという許可を渇望しているのです.残念ながら,たいていの状況ではこうしたことは起こりません.わたしたちは,「最低限の条件を満たす」よう促されています.つまり,要求されたことに応えるために最小限の努力をするように暗に明に促されているのです.(中略)学生には,自分が望む成績を取れる最小限の努力でいいという考えが,長年のあいだに刷り込まれます.仕事でも,上司がボーナスや昇進の査定に必要な基準をあきらかにすると,おなじことが起こります.

実際,京都大学工学部3回生の実態調査では,「大学での勉学に励んでいるか?」との質問に対して,46%の学生が「単位が取れる程度には」と回答している.なお,残りの学生は勉学に励んでいるというわけではない.19%が明確に「いいえ」と回答している.京大生がこの為体なのであるから,今のままでは日本の将来は暗いと想像しても無理はない.

だからこそ,人生へのモチベーションを高め,一瞬一瞬を大切にしようと思えるようになる何かが必要であり,より多くの人がハッピー&ラッキーな人生を送れるようになるための取り組みが必要だ.これが私のスタンスだ.

ハッピー&ラッキーな人生を送るためには,マスコミに煽られるばかりで少しも自分で考えて行動しない大衆のように,自分を取り巻く社会環境に文句を言うだけのクレクレ君に成り下がってはいけない.そうではなくて,すべては自分の責任であることを正しく認識する必要がある.かつて小泉政権が「自己責任」を合い言葉に,日本の社会基盤を崩壊させてしまったため,すべては自分の責任であることの意味を正しく受け止められる人はそう多くはないのかもしれないが...ともかく,政治が変われば幸せになれるとか,社会が変われば幸せになれるとか,そういうことなのではない.変わるべきは自分自身だ.そのことに気付くことこそが,大切な最初の第一歩である.

本書「20歳のときに知っておきたかったこと」には,自分の限界を打ち破り,自分の可能性に目覚めた学生が数多く紹介されている.自分が変われば,自分の目に映る世界も変わる.そのことを教えられる講義というのは凄い.

本書には,数々の「20歳のときに知っておきたかったこと」が書かれている.

共に働く人の質が最適になるようにキャリアを考えなさい,とランディは言います.そうすれば,巡ってくる機会の質が上がるというのです.できる人たちは,お互いを応援しあい,貴重なネットワークを築いていて,たえず新しいチャンスを生み出しています.自分が生活し,働いている場所の生態系によって,どんなタイプの機会が巡ってくるかが大きく左右されるのです.

全くその通りだ.類は友を呼ぶという真理はここでも通用している.自分の意識を変えれば,付き合う相手も環境も変わるだろう.

ある卒業生の言葉を思い出す.工学研究科の修士課程を修了しながら,外資系金融機関に就職したその学生は,「なぜ外資系金融を選んだのか」という私の問いに対して,「夢と情熱を持っている人達と一緒に働きたい.日本のメーカーの説明会にも参加したが一緒に働きたいと感じた人が少なかった」と答えた.それを機に,リクルート活動に関与する企業の人達に言うようにしている.「大学にOBを送り込んだら十分だとは思わないで下さい.良い学生が欲しいなら,夢と情熱を持って仕事に邁進している人でないとダメですよ」と.

あなたのために何かしてくれた人に対して感謝の気持ちを示すかどうかで,あなたの印象は大きく変わります.あなたのために何かしてくれたということは,機会費用がかかっているという事実を忘れてはいけません.(中略)お礼状は書いて当たり前で,書かないのはよほどの例外だと思ってください.残念ながら,実際にそうしている人は少ないので,マメにお礼状を書けば目立つこと請け合いです.

私が学生だったころ,教授が「礼状を書く」ことを学生に躾けていたのを思い出す.最初は工場見学のときだったか.感想文と礼状を強制的に書かされた.その後も,ことあるごとに,礼状を書くようにと言われた.

少し前に,松下政経塾を卒業した元学生から,いつも山積みにされた葉書が手元にあって,講演を聴いたら感想を書いて送り,何かをしてもらったらお礼を書いて送り,そのようにして縁を大切にしていると聞かされた.電子メールで済ましてしまわないところが偉い.電子メールでよしとしてしまう自分を反省しないといけないのかもしれない.

これを読んだ学生は学習しろよ.会社訪問をしたら礼状を書く.インターンシップに行ったら礼状を書く.ふ〜んとブログを読んでいるだけでは意味がない.学んだことを自分の行動に反映させろ!

(学内で転んだとき)そのとき,少なくとも10人以上は通りかかったと思いますが,「どうしましたか?」と声をかけてくれた人はひとりもいませんでした.まさにこのとき,教室の前で転んだクラスメートや,母親を亡くしたクラスメートに,何と声をかけるべきだったかわかったのです.わたしはただ,「大丈夫ですか? 何かできることはありますか?」と言って欲しかっただけなのです.いまなら,こんなにシンプルな言葉でいいのだとわかります.

このように,起業家精神などという大袈裟なものばかりではなく,人間として他人と接しながら生きていく上での基本的なことも色々と書かれている.

次の指摘も,心に突き刺さる.

大人は子どもに向かって,「大きくなったら何になりたいの?」としょっちゅう尋ねます.そのことで子どもは,さまざまな機会にふれないうちに,進路を決めなくてはいけないという気になります.少なくとも頭のなかでは.そうなると,思い浮かぶのは身近な大人たちです.これでは,可能性が大いに狭められます.

育児をする人の心掛け!」には,自戒を込めて次のように書いてある.

『小学校に通うぐらいになったら,定番の昔話,童話(グリムとかね)や寓話(イソップとかね)を聞かせてやれ.悪いことをしたら痛い目にあい,善いことをしたら良いことが起こることを話してやれ.もちろん,低俗なテレビ番組を子どもの前で見るな.もう少し大きくなったら,偉人伝などが良いだろう.自分を重ね合わせたくなるような,その生き方にあこがれを抱くような,そんな古人の話を聞かせてやれ.人間が崇高であることを示してやれ.自分のことは棚に上げてでもだ.ただし,棚に上げてもいいから,人間として成長しようと努力しているところを子供に見せてやれ.口先だけでは通用しない.子供を見くびるな.』

子供の可能性を摘んでしまうような大人にはなりたくないものだ.

長男が小学校に行くようになってから,受験や塾のことを聞く機会が増えた.中学受験は当然と考える家庭が少なくなく,そのためにお弁当を持って塾に通ったりするそうだ.それも毎日のように.他人様の教育方針に口を挟めるほど偉くはないし,受験も塾も子供の将来を考えての親心ということは理解しているが,それでも,親の古い価値観に子供を強制的に引き込むのが本当に子供のためなのかと思う.結局,すべては親自身のために,自分の安心のために,やっているだけではないのかとも.

わたしが伝えたかったのは,常識を疑う許可,世の中を新鮮な目で見る許可,実験する許可,失敗する許可,自分自身で進路を描く許可,そして自分自身の限界を試す許可を,あなた自身に与えてください,ということなのですから.じつはこれこそ,わたしが20歳のとき,あるいは30,40のときに知っていたかったことであり,50歳のいまも,たえず思い出さなくてはいけないことなのです.

本書「20歳のときに知っておきたかったこと」を読んで多くの示唆を得た.自分の行動を見直すこともできたし,自分がやりたい講義についてのヒントも得られた.自分の可能性を広げるために,自分で設けた限界を壊すために,学生も卒業生も読んでみることを勧めたい.

というわけで,研究室の課題図書に指定します.プラハから戻ったら,研究室の本棚に置くので,読んで下さい.

目次

  • スタンフォードの学生売ります ─自分の殻を破ろう
  • 常識破りのサーカス ─みんなの悩みをチャンスに変えろ
  • ビキニを着るか、さもなくば死か ─ルールは破られるためにある
  • 財布を取り出してください ─機が熟すことなどない
  • シリコンバレーの強さの秘密 ─早く、何度も失敗せよ
  • 絶対いやだ!工学なんて女がするもんだ ─無用なキャリア・アドバイス
  • レモネードがヘリコプターに化ける ─幸運は自分で呼び込むもの
  • 矢の周りに的を描く ─自己流から脱け出そう
  • これ、試験に出ますか? ─及第点ではなく最高を目指せ
  • 実験的な作品─新しい目で世界を見つめてみよう
8月 292010
 

先日,SICE九州フォーラム2010で講演させていただいたとき,懇親会@あらんどろんの後の二次会@活海酒で,最近の大学生の特徴についての話になった.

ある教授に学生のレベルに変化は認められるかと質問したところ,「これまでの学生と比べて,今年の4回生は明らかに違う」という.ステップ状の変化だそうだ.何が違うかというと,学生実験のレポートを提出せずに単位を落とす学生が続出したとのこと.それも,実験に全く参加せずにではなく,実験には参加しているのにレポートは提出しないのだそうだ.

正直,私には全く理解不能な行動だ.大学を卒業すると決めれば,卒業に必要な単位を取ること,実験レポートを出すことは必要条件となり,面白いかどうかは別として,実験レポートは提出すべきという結論が当然導かれる.一方,大学に一切の価値を認めることができず,もう大学をやめる気でいるとしたら,実験などしている場合ではないだろう.他にやるべきことがあるはずだ.いずれにせよ,学生実験に参加するがレポートは提出しないというのは常軌を逸しているというか,支離滅裂な行動だとしか思えない.

その後,つい最近になって,京都大学の同僚と学生実験の話になり,実は,京都大学でも全く同じ事態が発生しているのだと知った.今年の4回生は,前年度(3回生のとき),学生実験のレポートを提出せずに(もちろん他の科目の単位も落としまくっているのだろうが)留年したものが少なくないという.しかも,学生実験に参加はしていたのにレポートを提出しなかった学生が多いそうだ.何を考えているのか全くわからない.いや,何も考えていないのか...

書くべきレポートを書けない,提出すべきレポートを提出できないというのでは,大学卒業資格を認定されるべきではないだろう.留年して当然だ.それにしても,京大に入学できるくらいだから,ペーパーテストで点が取れる程度には頭が良いわけだ.それで,なぜレポートが書けないのか,提出できないのか.

今年の4回生は一体何者なのか.完全ゆとり教育の第1世代だそうだ.因果関係の有無は別として,それが事実だ.

大学卒業生の就職率の低さが社会問題化しているが,不景気だけが原因だと思っていたら痛い目にあうのではないか.(あまり期待はできないが)好景気になったとき,企業が欲しい大学生がどれだけいるのかと不安になる.

東大生は勉強しないんだから...」にも書いたが,国際的に,日本の大学教育はろくでもないと認識されている.卒業基準を厳格化すべきだと指摘されている.厳格化すれば半分は退学処分になるかもしれないが,そうしなければ,日本の大学が世界から除籍処分されかねない.

8月 282010
 

お父さんのための子どもの心のコーチング
菅原裕子,リヨン社,2009

タイトルの通り,父親を対象とした育児の本.読みやすく,ポイントをおさえて,よく書けている.育児本を読んだことがない父親にはお勧めだ.本書に限らないが,育児に関する本を読んでおくのは良いことだと思う.気付きが得られる.

私にとっては,本書に書かれている内容に新鮮みは全くなかった.すべて既に知っていることだった.何しろ,育児本については,「子育てハッピーアドバイス」のようなお気楽なものからシュタイナーやピアジェなどの教育論まで数十冊を読んできたのだから.だが,知識があることと実行できていることとの間には深い溝がある.自分に何ができていないかを再確認する意味で,本書のような情報に時々目を通すのは価値がある.

夫は,支えたいからこそ,妻の悩みに耳を傾け,解決策を出し,アドバイスし,明快な結論を出しているのです.そうすれば,きっと妻もすっきりするだろうと思っているのです.でも,妻はすっきりするどころか,夫の態度を,自分や子どもへの無関心と捉えてしまうのです.聞いてもらおうと話しているのに,適当に結論づけられたように感じて,本当は子どもにも自分にも関心がないんだと思ってしまいます.

耳が痛い.私がよくやる過ちだ.大学で教育と研究に携わっているが,多くの企業との共同研究では主としてコンサルティングを行い,課題があると聞けば,問題の所在を明確にし,速やかに最善の解決策を提示するという作業を何年も続けているわけだ.大学院での専攻はプロセスシステム工学であり,それ以来20年近くも,目の前にある問題を解析し,評価関数(目的)と制約条件を明確にし,最適化問題として定式化して,その解決策を探すというアプローチを実践してきた.この一連の作業は無意識下で行われるものであり,家庭においても,それが問題であると認識されれば,この最適化が発動する.つまり,速やかに解決策を提示する.そんなことは少しも彼女は期待していないのに...

本書「お父さんのための子どもの心のコーチング」を読むと,親子関係や夫婦関係について,「そうそう.うちも同じだ」ということが多々あるだろう.育児の機会を大切にしたい.自分が成長するためにも.

これまでに私が大量に読んだ育児本の中で特にお勧めできるものは,「年齢別の本棚: 心から推奨する書籍」の「親になる人,なった人に勧めたい本」にまとめてある.参考にどうぞ.

目次

  • お父さんの役割って何?
  • 成長段階別・お父さんにできること
  • 子どもの自立を促す三つの力
  • 自分と子どものために仕事を見直す
  • 心豊かで賢い子どもに育てるために
  • 夫と妻と二人で子育て
8月 262010
 

幸運体質になれる瞑想CDブック―聴くだけで内なるエネルギーを高める
ウィリアム・レーネン(著),伊藤仁彦(訳),ダイヤモンド社,2009

瞑想なるものに興味を持ち,評判がよい本を図書館で借りてきた.凄まじい予約数で,借りるまでに随分と待った.

本書「幸運体質になれる瞑想CDブック」には,瞑想によってチャクラをバランスよく活性化することで,ライフ・フォース・エナジー(生命力エネルギー)を高め,より生き生きと満足を感じる素晴らしい人生を送るための方法が書かれている.付属のCDを聴きながら瞑想しましょうということだが,瞑想すればそれでいいわけではない.幸せになるために知っておくべきスピリチュアルなルール,チャクラについての説明,エクササイズなどが記されている.

本書には様々なアドバイスが紹介されているが,そのうちのいくつかを紹介しよう.

さまざまな知識を得るのは悪いことではありませんが,自分を知ることのほうにもっとエネルギーを使って下さい.とてもシンプルな方法をお教えしましょう.「自分は何が好きではないか?」「どういう状況や物事を不快に感じるか?」と考えてみてください.すると,自ずと「自分が好きなものは何か?」がわかってきます.これも「本当の自分」を知るための大切なステップです.

無条件の愛とは,言いかえれば,その人が何をしていようとも,それは「その人が必要とする経験をしているのだ」と理解し,させてあげることです.それがギャンブルだったり,不摂生な生活だったりと,ネガティブなものの場合もあるかもしれません.その場合は,自分はそれに巻きこまれない,参加しないことです.他人が選択することを邪魔してはいけません.励ましを与えるのはよいことですが,頼まれもしないのに,「こうすべき」「こうすればいいのに」などとアドバイスするのはやめましょう.

人生に起きることすべてを経験し,受け入れ,優雅にポジティブに対処し,自分の能力を最大限に生きることが大切なのです.私たちに必要なのは,「これから何が起きるか?」「何がベストな選択か?」を知ることではなく,自分が経験することに対してどう反応するかを「選択する力」,「ポジティブに対処する力」です.「ベストな選択」などというものはありません.ベストな選択にするかどうか,それはあなたがどう対処していくかしだいなのです.どんな経験が起きても,自分がどう反応するかを選択し,ポジティブに変えようという準備ができていれば,未来を怖がることなく,「今を生きること」ができるようになります.そして実は,「今を生きること」こそが,幸せを引き寄せ,ポジティブな未来を構築するのです.

瞑想の効果はまだ未体験だが,とにかく実践すること,そして継続することが大切だ.一方,これまでの経験から,アファメーションは非常に強力だと認識している.スポーツ選手にとってイメージトレーニングが重要なのは誰でも知っているだろう.では,人生を生きる人にとって重要なものは何か.それが瞑想やアファメーションなのかもしれない.

目次

  • あなたを幸せにするスピリチュアル・ルール
  • チャクラを活性化し、バランスを整える
  • あなたのライフ・フォース・エナジーを高め、引き出す
  • シンバラ・カード
8月 252010
 

[決定版]生きがいの創造
飯田史彦,PHP研究所,2006

しっかりと「生き甲斐」を認識している人生って,していない人生に比べると,とても良いと思う.私は,「生き甲斐」というのは,自分が生きていることそのものに価値を見出していることだと考えている.つまり,自分が生きているということを心から肯定していることだと考えている.このため,「仕事が生き甲斐です」,「誰某が生き甲斐です」,「金儲けが生き甲斐です」などというのは,私にとっては意味がない.なぜなら,それは自分以外に生きる根拠を求めているのであって,その根拠がなくなれば自分が生きることの意味もなくなると宣言しているようなものだからだ.

例えば,「金儲けが生き甲斐です」という人は,他人より貧乏な自分を肯定できないだろう.貧乏人は負け組であると宣言し,自分が勝ち組になることに固執するばかりか,貧乏でも幸福な人生がありうることを想像できないかもしれない.そもそも勝ち負けでしか物事を捉えられないのはどうかと思うが.「仕事が生き甲斐です」という人は,その仕事を取り上げられると,もぬけの殻になってしまうかもしれない.そんなことでは,何のために生まれてきたのかわからない.このようなことを突き詰めていくと,今この瞬間を生きている自分自身をありのまま受け入れて,自分が生きていることそのものに価値を見出すのが良いのではないかと思える.

もちろん,このような考え方は少数派なのかもしれない.しかし,多寡は全く問題ではない.むしろ,偏見で凝り固まった多数派になどなりたくないものだ.

本書「[決定版]生きがいの創造」で飯田氏は,「自分にとって有意義な価値観を自分自身の判断で選び取ることの大切さ」を訴えている.そして,自分に適した価値観を選ぶための情報として,死後の生命や生まれ変わりがあると信じることの妥当性を,科学的な研究成果を参照しながら示している.

もちろん,死後の生命や生まれ変わりと聞いただけで拒絶反応を示す人もいるだろう.そういう人を説得しようという意図は本書にはない.信じたくない人は信じなくてもよいという態度が貫かれている.その上で,死後の生命や生まれ変わりを認めることの効能を詳しく説明している.それらが真実かどうかは別として,信じることによって,より良い人生を送ることができるのなら,信じればいいのではないですかと.極めて合理的な主張であり,私自身も全く同じスタンスだ.たとえ発展途上にある現代科学の力で証明できなくても,利用価値があるものは徹底的に利用すればいい.証明の有無と実用的価値は別物だ.飯田氏は次のように書いている.

しばしば,「自分は理性的な人間だから,死後の生命など認めない」などと,奇妙なことを口にする人がいますが,「自分は理性的な人間だから,死後の生命を信じ,スピリチュアルな仮説を活用しながら生きていく」と主張する方が,よほど合理的かつ戦略的だといえるでしょう.

私には至極真っ当な意見に思えるのだが,世の中には,そうは思わない人達も少なくないようだ.大学の講義で「生きがい」について話したときのことを,飯田氏は次のように書いている.

その授業の評判を学生から聞いた,圧倒的多数を占める唯脳論者の先生方から,「飯田は思想的な授業内容で学生を洗脳している」と激しく攻撃されたため,その後の私は,いくら学生からの要望が強くても,授業で『生きがい論』の内容に触れることは,一切できなくなってしまいました.

確かに,絶対権力者が一方的に知識を押し付ける講義という場で取り扱われる内容については,極めて慎重であるべきだ.マックス・ウェーバーは「職業としての学問」において,次のように指摘している.

彼の批判者ではなく彼の傾聴者にだけ面して立つ教室では,予言者や煽動家としての彼は沈黙し,これにかわって教師としての彼が語るのでなければならない.もし教師たる者がこうした事情,つまり学生たちが定められた課程を修了するためには彼の講義に出席しなければならないということや,また教室には批判者の目を持って彼に対する何人もいないということなどを利用して,それが教師の使命であるにもかかわらず,自分の知識や学問上の経験を聴講者らに役立たせる代わりに,自分の政治的見解を彼らに押し付けようとしたならば,私はそれは教師として無責任きわまることだと思う.

この分別は大切であるが,私は,知識だけを教えるのが教師の役目だとは思わない.知識を教えるだけなら,教師がいなくても,YouTube EDUが代わりに世界最高峰の講義を提供してくれる.特に昨今の社会情勢を見ていれば,専門知識だけ持った大学卒業生をいくら輩出したところで,社会が良くならないように思われる.いや,これには,そもそも専門知識どころか基礎知識を持った大学卒業生を輩出することにも失敗しているのが今の大学ではないかという厳しい批判がありうる.かなり嘆かわしい事態だが...

ともかく,講義という場で取り扱う内容には慎重であるべきだが,教育の目的は頭でっかちの育成ではない.新渡戸稲造は「武士道」にこう書いている.

知能ではなく品格が,頭ではなく魂が,骨折って発達させる素材として,教師によって選ばれるとき,教師の職業は聖なる性格をおびる.

話を元に戻そう.

死後の生命や生まれ変わりについては,臨死体験者を対象とした研究が数多く行われている.メルヴィン・モース博士は,そのような研究を次のように総括している.

これまでに調査した中で,臨死から戻ってきたあと,金持ちになろうとか,家族を忘れても仕事に没頭してやろうと考えている人には,出会ったことがない.もっと自己中心的でもいいとか,貪欲でもいいと思っている人もめったにいない.それどころか,みんな,「もっと人を愛し,親切にしなくてはならない」と確信するようになっている.自分の体験をもとに,「人生を十二分に生きよう」という反応を示す.「自分の人生には目的がある」と信じており,その目的には必ず,家族への愛や,他人の役に立つことなどが含まれている.彼らは,生きているあいだに人に与える愛が,彼ら自身が死んだ時に自分に戻ってくることを知っているのである.

この他にも,本書「[決定版]生きがいの創造」には,死後の生命や生まれ変わりに関する様々な研究結果が引用されている.信じる信じないの判断は,それらを自分自身で確認してみてからでも遅くはないだろう.自分で確かめもしないで否定する人は,例えば,ガリレオが教会から受けた仕打ちを思い出してみるといい.

私たちは,なぜ生まれてくるのか・・・それは,生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのであり,その機会,つまり「死」や「病気」や「人間関係」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが,人間として生きる目的・意義・意味なのだと言えるでしょう.

さて,人生とは何なのであろうか.そのようなことを考えるきっかけを本書「[決定版]生きがいの創造」に求めてみるのもよいだろう.

目次

  • 過去の人生の記憶
  • 人生のしくみ
  • 愛する故人とのコミュニケーション
  • 「永遠の生命」や「神・仏」を科学する意味
  • 「ブレイクスルー思考」による生きがい論
8月 242010
 

今年(2010年)から,スカイチームをやめて,スターアライアンス加盟航空会社をメインに利用することにした.その経緯は「マイルを貯めるクレジットカード: フライング・ブルーVISAからANAカードへ」にも書いたが,要するに,日系航空会社が加盟していないアライアンスは使いにくいことと,エールフランスのマイルが非常に貯めにくくなったこと,さらに,エアラインランキングでスターアライアンス加盟航空会社が圧倒的な高評価を得ていることによる.

今年1月の「カーティン工科大学(Curtin University of Technology)訪問@オーストラリア」でシンガポール航空を利用したのを皮切りに,全日空(ANA)を含むスターアライアンスの利用を心掛けてきた.

先週,学会で圓山大飯店に引き籠もるために台北を訪問したことにより,ANAマイレージクラブの「ブロンズサービス」の要件を満たし,事前ブロンズサービスが提供される状態になった.ようやく,平会員から脱出だ.

ブロンズサービスになると,ANAウェブサイトの色もブロンズに変わった.全く予期していなかったので,素直に「オォーッ」と感心した.この状態で,11月のアメリカ(GrotonとSalt Lake City)行きフライトの座席指定を試みたところ,以前は指定できなかった非常口座席などが指定できるようになっていた.指定できる座席にもサービスレベルで違いがあるのだろうか.ウェブサイトには特にそのような記述はなかったように思うのだが.あるいは,単にチェックした時期の違いによるものか...

ともかく,ANAスーパーフライヤーズカードへの切替に向けて最初の一歩をクリアした.

8月 232010
 

夕食後,長男7歳がトイレットペーパーで遊び,大量の紙をトイレに一気に流したらしく,トイレが完全に詰まってしまった.とりあえず,彼女が棒で突いてみるが,全く効果なし.さて,どうやって紙詰まりを解消するか?

もちろん,トイレ用吸引カップ(ラバーカップ,通水カップ)でポコポコすれば詰まりを取り除けるとは思うのだが,そんなものは自宅に常備していない.さらに,ほとんど使わないようなものを自宅に置いておくのは嫌だ.というわけで,トイレ用吸引カップを買いに行く気もない.

トイレットペーパーは水に溶けやすいはずなので,1時間も放置しておけば,十分に水と馴染み,流せるのではないかとも考えた.しかし,それで解決しなかった場合のことを考えると,そのようなパッシブな解決策ではなく,アクティブな解決策で,すぐに紙詰まりを片付けてしまいたい.

パイプマンのようなパイプの詰まりを取り除く薬剤の利用も考えた.毛髪などを溶かしてくれるわけだから,紙詰まりにも効果があるのではないかと.しかし,これも効果が怪しい.かなりパッシブな解決策でもある.

色々と考えた挙げ句,最終的に,捨てても構わない古タオルとゴミ収集用ポリ袋を彼女に用意してもらった.ポリ袋に古タオルを入れて,それを詰まったトイレの排水口に押し当てて,そのまま手で押し込む.ポリ袋は大きいので手は濡れない.そして,ポリ袋を一気に引き抜く.この作業を数回繰り返す.まあ,トイレ用吸引カップを自作してみたわけだ.

結果は完璧.紙詰まりは解消された.

8月 222010
 

日本を貶めた10人の売国政治家
小林よしのり(編),幻冬舎,2009

世の中を悪くする最大の要因は何か.それは無関心だ.まともな生活を送れる社会に住みたければ,社会に,政治に,関心を持て.無関心な奴に文句を言う資格はない.当然,選挙に行かない奴もだ.

で,政治に関心を持つために,まずは本書「日本を貶めた10人の売国政治家」でも読んでみたらどうだろう.そこそこ過激に書かれているので,これまで政治に無関心だった人でも,興味を持って読めるのではないか.ただ,読み進めていくと,暗澹たる気分になるが...

ちょうど大河ドラマで坂本龍馬をやっているが,志士が命懸けで守ろうとした日本国を,敗戦後,日本の政治家が外国に売り飛ばしてきたことを認識しないといけない.

マジで声を大にして言いたいが,いつまでもマスコミに煽動されてる場合じゃないぞ.市民として,ちょっとは自分で確かめて,自分で考えて,世のため人のために行動することを学ぶべきだ.

本書「日本を貶めた10人の売国政治家」の主張を盲目的に受け入れろと言っているんじゃない.関心を持ち,自分で判断して,然るべき行動を取れと言っている.わかってもらえるだろうか.日本の将来は,今の日本人にかかっているんだ.

目次

  • 売国政治家とは何か?
  • 座談会 売国政治家と呼ばれる恥を知れ
  • 10人の売国政治家を検証する!
    1. 河野洋平―単なる談話で日本を「性犯罪国家」に貶めた
    2. 村山富市―万死に値する「国民見殺し」「自国冒涜」の罪
    3. 小泉純一郎―「改革」で日本の富と生命を米国に差し出した
    4. 小沢一郎―「ねじれ現象」を生んだ無節操な国賊
    5. 中曽根康弘―靖国問題をこじらせた元凶
    6. 野中広務―自虐外交の嚆矢となった「不戦決議」
    7. 竹中平蔵―日本国を構造破壊し共和制に導く経済マフィア
    8. 福田康夫―無為、無内容、無感情
    9. 森喜朗―保守を絶滅に追い込んだ背後霊
    10. 加藤紘一―戦後レジームの滑稽なゾンビ
  • 私が断罪する売国政治家―アンケート公開
8月 212010
 

先日,「人生の目的を知らなければ精一杯生きられないでしょ」と書いたが,より科学的にいうと,次のようになるだろう.

誰しも良い人生を送りたいと願っている.しかし,人生を最適化したらいいという発想は間違っている.最適化が意味をなすのは,評価関数が正しいときのみ.つまり,人生の評価関数が正しくなければ,人生の最適化には何の意味もない.だから問いたい.あなたの人生の目的は何ですかと.

8月 202010
 

SICE Annual Conference 2010に参加するため,台北に来ている.台湾桃園国際空港から会場となる圓山大飯店までの移動には空港バスを利用した.所要時間は1時間強で料金は90台湾ドル(約270円).タクシーや食事など,台湾の物価は非常に安い.

圓山大飯店といえば台湾随一の格式を誇るホテルで,国賓も滞在する.これまでの台湾訪問では,MRT駅に近い便利なホテルを利用していたが,こんな機会でもないかぎり圓山大飯店に宿泊することはないだろうと思い,今回は,これまでは遠くから眺めるだけだった圓山大飯店を選んだ.

圓山大飯店@台北
圓山大飯店@台北

空港バスでホテル敷地内に入ると,道路沿いに物凄い数の赤い旗が揺らめいている.よく見ると,”SICE 2010″と書かれている.このようなSICE Annual Conferenceは経験したことがなかったので,これは凄いなと感心していたが,ホテルのエントランスも凄いことになっていた.

SICE2010の旗が目立つ圓山大飯店@台北
SICE2010の旗が目立つ圓山大飯店@台北

バスを降りると,赤い制服に身を包んだ女性スタッフがにこやかに出迎えてくれえた.圓山大飯店のロビーは実に広い.

広い圓山大飯店のレセプション@台北
広い圓山大飯店のレセプション@台北

チェックイン手続きを済ませると,客室は別館になるからということで,ミニバンに乗せられた.ドライバーが中国語で話しかけてきたので,中国語はわかりませんと英語で答えると,日本人ですかと日本語で尋ねてくれた.麒麟客房の入口までミニバンで運んでもらい,そのドライバーがそのまま客室まで案内してくれた.もしレセプションで解放されていたら,確実に迷子になっているところだ.

圓山大飯店の麒麟客房@台北
圓山大飯店の麒麟客房@台北

客室はスーペリアルームだ.圓山大飯店のスタンダードルームは窓がなく息苦しいという話を聞いたことがあったので,少し高くはなるが,慎重にスーペリアルームを選んでおいた.ゴージャス感はないものの,部屋は広い.冷房が無茶苦茶に効いている.

圓山大飯店の麒麟客房客室@台北
圓山大飯店の麒麟客房客室@台北

客室の一面がガラス張りになっていて,川向こうの台北市街が一望できる.その景色の中で,台北101が一際目立っている.作業デスクが窓際にあるので,仕事をしながらも,緑色の木々と台北市街を眺めることができる.スーペリアルームを選択したのは正解だろう.

客室からの眺望@台北の圓山大飯店
客室からの眺望@台北の圓山大飯店

鏡台には,メッセージカードと共にフルーツが用意されていた.さすが高級ホテル.

フルーツのサービス@台北の圓山大飯店
フルーツのサービス@台北の圓山大飯店

このスーペリアルームで十分に満足なのだが,I先生がアイゼンハワー・スイートに宿泊しているというので,話(ブログ?)のネタに客室を見せていただいた.名前から察しが付くとおり,かつて,アイゼンハワー大統領が滞在したスイートルームだ.リビングルームとベッドルームにわかれており,調度品もレベルが違う.バスルームも凄い.流石だ.リビングルームの壁には,アイゼンハワー大統領と蒋介石夫人の写真が飾られている.一体,一泊いくらなのだろう.

圓山大飯店のアイゼンハワースイート@台北
圓山大飯店のアイゼンハワースイート@台北

ちなみに,スーペリアルームは学会価格で1泊4760台湾ドル(約15000円)だ.欧米のホテル代と比べると高くはないが,台湾の物価水準を考えると,相当に高いと言えるだろう.

さて,今回はホテルに缶詰になることを意図して学会に参加している.朝食はついており,昼食もホテル内の金竜●という広東料理レストランで済ませる(●は難しい漢字).国賓も訪れる高級レストランらしいが,昼には,手頃に飲茶が楽しめる.窓からの眺めも素晴らしい.

金竜●で広東料理の飲茶@台北の圓山大飯店
金竜●で広東料理の飲茶@台北の圓山大飯店

明日には帰国だが,圓山大飯店の外に出たのは,昨晩の夕食のみ.完全に引き籠もっている.