8月 062010
 

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生
ロバート・D. パットナム(Robert D. Putnam),柴内康文(訳),柏書房,2006

前回読書の記録を書いてから既に2週間以上が経過している.海外出張などがあったとはいえ,随分と間が空いたものだ.それだけ,この本を読むのには時間がかかった.それもそのはずで,「孤独なボウリング」はなんと689頁という大部の著作だ.通勤時のバスで読んでいると,本を持つ手が疲れて仕方がない.

本書「孤独なボウリング」では,その副題の通り,ハーバード大学のパットナム教授が,20世紀最後の数十年間において米国におけるコミュニティが崩壊してきたことを丹念にデータを積み重ねて実証すると共に,コミュニティの崩壊がいかに社会全体に悪影響を及ぼすかを指摘し,コミュニティを再生させるための手掛かりを与えようとしている.ここでのキーワードは,大小様々な市民の繋がりを意味する「社会関係資本」だ.一緒にボウリングをする仲間,読書サークルのようなものから,労働組合,PTA,赤十字のようなものまで,市民が自発的に参加する社会的な組織や活動が社会関係資本と呼ばれる.

昨今の日本社会を見渡したとき,近所付き合いが希薄になっていると誰もが感じているだろう.家族の絆ですら危うくなってきており,幼児虐待も後を絶たない.自分のことだけに興味があり,社会的な活動には参加せず,投票にも行かず,引き籠もり,テレビやゲームに時間を費やす人が多いと感じているかもしれない.私利私欲を肥やすことに執着する拝金主義的な個人が増え,世のため人のために自己犠牲をいとわない立派な人が少なくなっていると感じているかもしれない.このようなコミュニティの崩壊が,日本と同様,米国でも深刻な事態になっている.その事実を指摘している本書「孤独なボウリング」の内容には,日本人でも強い共感を持つはずだ.このコミュニティの崩壊を,単にイメージや雰囲気で語るのではなく,丹念に拾い集めたデータを統計学的に精緻に分析し,事実として突き付けているところに本書の価値がある.

著者は,崩壊しつつあるコミュニティを,そして社会関係資本を再生させるためには,市民一人一人がその必要性を認識し,再生に向けた活動に取り組まなければならないと強く訴えかけている.必要なのは,市民が自発的に繋がることであるのだから,市民みずからが望み,行動しなければどうしようもない.再生に向けた手掛かりは,歴史の中にある.著者が目を付けたのは,一世紀前の米国における革新主義だ.その時代,産業革命で工業化が進み,急激な社会構造の変化が既存のコミュニティを崩壊させていた.特に大都市は惨憺たる状態にあった.そのような状況において,昔は良かったとノスタルジーに浸るのではなく,新しい世界に社会を適応させるために,社会の底辺からコミュニティ再生に向けた活動を起こしたのが革新主義者だ.

いま,我々はインターネット革命とさえ呼ばれる技術革新の只中におり,革新主義時代とは異なる社会的状況下で,社会関係資本の崩壊に直面している.今の時代に適した新しい取り組みが求められているのは疑いようもない.今以上に生きづらい社会にしたくないなら,一人一人が社会との繋がりを再構築する努力をする必要がある.

非常に広範なテーマを取り扱っており,実に示唆に富む内容だ.米国で大反響を呼んだというのも頷ける.分厚くはあるが,読んでみる価値は十分にある.ただ,本書が7000円以上もするのはどうしてなのか.原著は1400円だというのに...英語が読める人は原著をどうぞ.

以下に,興味を惹かれた箇所をメモしておこう.

第13章 テクノロジーとマスメディア

テレビの重度視聴はおそらく攻撃性(実際の暴力でないとしても)を増大させ,学業成績を低下させ,「心理社会的機能不全」と統計的に関係しているということになるだろう.(中略)若者の重度テレビ視聴は,学業成績の低下や後年での低所得と共に,市民的無知,シニシズム,後年の政治参加の減少と関連している.

第14章 世代から世代へ

20世紀後半の三分の一を通じた米国における市民参加の低下はその多くが,著しく市民的な世代が,コミュニティ生活への組み込まれ方の少ない数世代(その子や孫)によって置き換わったことに起因する.この急激な世代的不連続性の説明を探る中で,過去数十年間の市民参加のダイナミックスは,世紀半ばの世界的激変が影響した社会慣習と価値観によって部分的には形成されたという結論に筆者は至った.しかし,市民参加の再興という目標に向かって,世界戦争が必要で賞賛に値する手段であるというのが筆者の主張なのではない.(中略)20世紀初頭の米国人の世代は,戦争の恐怖とそれの教える市民的美徳の双方を熟考して,自らの課題は「戦争の倫理的等価物」を探ることであるとした.

第17章 教育と児童福祉

ノースカロライナ州(SATスコア,アチーブメントテスト,中退率で全国41位)がコネチカット州(全国9位)に似た教育成果を実現するためには,ノースカロライナ州の住民は以下のうちのどれかを行うことができる.すなわち,大統領選挙の投票率を50%まで上げる,クラブ会合の出席頻度を倍にする,住民1000人当たりの非営利組織数を3倍にする,月当たりさらに2回教会に出席する.(中略)一方で,ノースカロライナがコネチカットのパフォーマンスに追いつくためには,単なる伝統的な教育改革−例えばクラス規模の縮小といった−ではいかに難しいか,ということもデータは示唆している.クラス規模が州レベルの教育成果に与える影響は,社会関係資本に比べると中程度なものであるので,単なるクラス規模の縮小によって同じような改善を図るのは事実上不可能であろう.

カトリック系学校が公立学校よりもうまくやっているのは,教師または生徒の質が高いからではなく,「カトリック系学校は社会関係のネットワークから恩恵を受けており,信頼に特徴づけられており,それが,「社会関係資本」の一形態を構成している」からである.

社会関係資本の有益な効果は,恵まれないコミュニティや初等・中等教育に限定されるわけではない.事実,高い達成度を示している郊外学区の多くで豊かなものは社会関係資本であり,それは教育的には,財政的資本よりもずっと重要なものである.逆に,社会的つながりが欠如しているところでは,どれほどコミュニティが裕福であっても学校はうまくいかない.さらに,社会関係資本は大学生期における教育にも強い力を発揮する.課外活動と仲間との社会ネットワークへの関与は,向上心のような,大学入学前の要因を一定に統制しても大学中退率や大学での達成の強力な予測変数となっている.別の言い方をすれば,ハーバードにおいてもハーレムにおいても,社会的つながりが教育上の達成を押し上げている.米国における社会関係資本のストックが消滅したことが,最もダメージを与えてしまう領域の一つは,われわれの子弟が(学校の内外で)受ける教育の質である.

第18章 経済的繁栄

シリコンバレーに対する米国内の強力な競争相手は,ボストン郊外のルート128地区であるが,ここではそのような企業間社会関係資本は育たなかった.むしろ,そこでは企業ヒエラルキー,秘密主義,自給自足,縄張り意識といった伝統的規範が維持され,社員が勤務後に連れ立って,あるいは他の会社の人間と出かけるようなことはほとんどなかった.ルート128の「自身の力で成功する」哲学が,シリコンバレーと比較したときの業績の貧弱さの大きな原因であるということを,この二つのハイテクセンターの比較研究が示している.

第20章 健康と幸福感

何の集団にも属していないものが,一つ加入することで,翌年の死亡率が半分になる.もし喫煙していてかつ集団所属がないのならば,タバコをやめるべきか集団に加入すべきかは,統計学的にはコイン投げで決めても同じである.

第22章 社会関係資本の暗黒面

社会関係資本は,自由や寛容さと相容れないのだろうか?
米国の自由主義に対する最大の脅威は最も参加しない者がもたらすのであって,最も参加する者からではない.市民参加の低下が偏狭さに対抗する有益な道具になっている,さらには寛容性は不参加から来る都合のよい副作用であるといったことを示す事実はない.

社会関係資本は,平等性と相容れないのだろうか?
実証的な証拠は,友愛を増す唯一の方法は自由と平等を犠牲にすることであるという単純な見方を明確に否定している.米国のコミュニティの崩壊は,少なくとも自由主義的で,平等な国をもたらしたのだと自らを慰めることは,誤った楽観主義である.そして,不寛容と不公正をもたらす避けがたい恐れがあるという理由でコミュニティを再建しようとする努力を抑えようとすることは,誤った悲観主義である.

第23章 歴史からの教訓−金ぴか時代と革新主義時代

反動的なロマン主義者が,小さく単純で,牧歌的な時代への回帰に思いを馳せていた一方で,革新主義者はそのような訴えかけに惹きつけられるには実践的にすぎていた.彼らは過去の美点を賞賛はしたが,そこに戻ることがかなわないことも理解していた.産業時代は欠点もあったが,市民的発展の基本的前提条件たる物質的反映を可能としていた.問題は「現代性,イエスかノーか?」ではなく,むしろこの新しい世界においていかに組織を変革し習慣を適応させて,われらの伝統の持続的価値を確保するかということにあった.
その態度は行動主義的,楽観主義的なもので,運命論的で意気消沈したようなものではなかった.革新主義者の顕著な特徴は,社会的悪は自ら改善されるようなことはなく,時間がそれを直すのを受け身で待つことほど無謀なことはないという確信だった.ハーバート・クローリーが述べたように,彼らは未来が自らの片を付けるようになるとは信じていなかった.そして,われわれもまたそう信じるべきではない.

コミュニティを強調することが,分裂と排除を激化させるという危険性に注意しなければならない.社会関係資本を促進するのは,必然的に等質なコミュニティ内の方が容易であるので,その創出を強調することは,社会のバランスを意図的ではなくとも移動させ,橋渡し型社会関係資本から遠ざかり結束型社会関係資本に向かう可能性がある.

私のメッセージは,われわれは何としてでも市民的発明の時代を必要としていること,それによって現在の暮らし方に合うような,市民生活に再び活気を与える制度とチャンネルの一群を新たに作り上げなければならないということである.(中略)革新主義時代の改革は,それぞれ個別の形ではこの時代にはもはやふさわしくはないが,その時代の熱意あふれる理想主義−そしてその成果−はわれわれを鼓舞するはずである.

第24章 社会関係資本主義者の課題に向けて

コミュニティ奉仕プログラムが確かに参加者の市民的筋力を強化すること,とりわけその奉仕が有意義で,定期的であり,学校のカリキュラムの中に織り込まれているときにそうなるということは,ますます増大する証拠が確認するところである.

課外活動への参加も,後の人生における市民的,社会的関与を増大させる手段となることが立証されている.(中略)市民的な観点からは,課外活動は「余分な飾り」などというものでは全くないのに,それらに対する助成は1980年代,1990年代を通じて大幅に削減されてしまった.

目次

第1部 序論
第1章 米国における社会変化の考察

第2部 市民参加と社会関係資本における変化
第2章 政治参加
第3章 市民参加
第4章 宗教参加
第5章 職場でのつながり
第6章 インフォーマルな社会的つながり
第7章 愛他主義、ボランティア、慈善活動
第8章 互酬性、誠実性、信頼
第9章 潮流への抵抗?――小集団、社会運動、インターネット

第3部 なぜ?
第10章 序論
第11章 時間と金銭面のプレッシャー
第12章 移動性とスプロール
第13章 テクノロジーとマスメディア
第14章 世代から世代へ
第15章 市民参加を殺したものは何か? その総括

第4部 それで?
第16章 序論
第17章 教育と児童福祉
第18章 安全で生産的な近隣地域
第19章 経済的繁栄
第20章 健康と幸福感
第21章 民主主義
第22章 社会的関係資本の暗黒面

第5部 何がなされるべきか?
第23章 歴史からの教訓――金ぴか時代と革新主義時代
第24章 社会関係資本主義者の課題に向けて

付録1 社会変化の測定
付録2 図表の出典
付録3 市民・専門職組織の盛衰

  4 Responses to “孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生”

  1. 記事と全然関係なく恐縮ですが、先生はツイッターはされないのでしょうか。
    自分は昨日始めてみたのですが、非常に面白く、先生もぜひやっていただきたく思うのですが。

  2. まず言っておく.
    元卒業生ってことは,今は卒業生じゃないんかい!

    次に言っておく.
    ツイッターはしていないので,評価はできない.やる価値があるかどうかもわからない.

    その上で言っておく.
    少し前から,自分自身の成長にフォーカスしている.勉強するとかいうのとは,文字通り,次元が違うが.そのため,自分の時間を大切にする必要があり,抜本的に物事の優先順位を見直している.現時点で,ツイッターが入り込む余地はない.

    では,このブログはどうなんだということになるが,このブログは,自分の行ったことや考えたことを記録するための場であり,かつ情報を発信する場である.書きたいことを全部書くため,かなり長い記事が多いが,書く価値のあることを書くようにしている.また,相当に頭も神経も使って書いている.読んでいる人がどう思っているかは知らないが,ブログの前身も含めると既に10年続けており,自分の成長に役立っている.

  3. コメントありがとうございました。
    元卒業生。。。何も考えずに使ったのですが明らかにおかしいですね(汗)。

    時間は限りがあるから優先順位を決めなくてはならない。そうですよね。
    ちなみに今日一日ツイッターをかれこれ5時間近くいじっていると思うのですが、時間対効果を考えないといけませんね。

    ありがとうございます。

  4. 問題は,その場で「効果」を知る方法があるのかということだね.企業が直近の四半期の業績しか気にせず,せいぜい3年で見返りが期待できるような研究開発にしか投資しないとすれば,まあ,大した魅力はないだろう.それと似たようなもので,自分で効果が見積もれることしかしないとすれば,元々が凄い人物なのでなければ,まあ,そんな人間はしょうもないだろうね.恐らく,何も成長しないし.

    「今日一日ツイッターをかれこれ5時間」.いんじゃない.やると決めたら,とことんのめり込む.その上で,判断を下せばいい.新しい技術に敏感であること,しかも口先だけでなく本質を捉えること,これらは非常に大切だから.

    私の場合,一年間に一体どれだけの時間をブログに費やしているかと考えてみると,冷や汗が出るね...蒸し暑い京都の夏にはちょうど良いのかもしれないが.

    ともかく,真に幸福になる生き方をするとしよう.
    今この瞬間を大切にしてね.

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