8月 252010
 

[決定版]生きがいの創造
飯田史彦,PHP研究所,2006

しっかりと「生き甲斐」を認識している人生って,していない人生に比べると,とても良いと思う.私は,「生き甲斐」というのは,自分が生きていることそのものに価値を見出していることだと考えている.つまり,自分が生きているということを心から肯定していることだと考えている.このため,「仕事が生き甲斐です」,「誰某が生き甲斐です」,「金儲けが生き甲斐です」などというのは,私にとっては意味がない.なぜなら,それは自分以外に生きる根拠を求めているのであって,その根拠がなくなれば自分が生きることの意味もなくなると宣言しているようなものだからだ.

例えば,「金儲けが生き甲斐です」という人は,他人より貧乏な自分を肯定できないだろう.貧乏人は負け組であると宣言し,自分が勝ち組になることに固執するばかりか,貧乏でも幸福な人生がありうることを想像できないかもしれない.そもそも勝ち負けでしか物事を捉えられないのはどうかと思うが.「仕事が生き甲斐です」という人は,その仕事を取り上げられると,もぬけの殻になってしまうかもしれない.そんなことでは,何のために生まれてきたのかわからない.このようなことを突き詰めていくと,今この瞬間を生きている自分自身をありのまま受け入れて,自分が生きていることそのものに価値を見出すのが良いのではないかと思える.

もちろん,このような考え方は少数派なのかもしれない.しかし,多寡は全く問題ではない.むしろ,偏見で凝り固まった多数派になどなりたくないものだ.

本書「[決定版]生きがいの創造」で飯田氏は,「自分にとって有意義な価値観を自分自身の判断で選び取ることの大切さ」を訴えている.そして,自分に適した価値観を選ぶための情報として,死後の生命や生まれ変わりがあると信じることの妥当性を,科学的な研究成果を参照しながら示している.

もちろん,死後の生命や生まれ変わりと聞いただけで拒絶反応を示す人もいるだろう.そういう人を説得しようという意図は本書にはない.信じたくない人は信じなくてもよいという態度が貫かれている.その上で,死後の生命や生まれ変わりを認めることの効能を詳しく説明している.それらが真実かどうかは別として,信じることによって,より良い人生を送ることができるのなら,信じればいいのではないですかと.極めて合理的な主張であり,私自身も全く同じスタンスだ.たとえ発展途上にある現代科学の力で証明できなくても,利用価値があるものは徹底的に利用すればいい.証明の有無と実用的価値は別物だ.飯田氏は次のように書いている.

しばしば,「自分は理性的な人間だから,死後の生命など認めない」などと,奇妙なことを口にする人がいますが,「自分は理性的な人間だから,死後の生命を信じ,スピリチュアルな仮説を活用しながら生きていく」と主張する方が,よほど合理的かつ戦略的だといえるでしょう.

私には至極真っ当な意見に思えるのだが,世の中には,そうは思わない人達も少なくないようだ.大学の講義で「生きがい」について話したときのことを,飯田氏は次のように書いている.

その授業の評判を学生から聞いた,圧倒的多数を占める唯脳論者の先生方から,「飯田は思想的な授業内容で学生を洗脳している」と激しく攻撃されたため,その後の私は,いくら学生からの要望が強くても,授業で『生きがい論』の内容に触れることは,一切できなくなってしまいました.

確かに,絶対権力者が一方的に知識を押し付ける講義という場で取り扱われる内容については,極めて慎重であるべきだ.マックス・ウェーバーは「職業としての学問」において,次のように指摘している.

彼の批判者ではなく彼の傾聴者にだけ面して立つ教室では,予言者や煽動家としての彼は沈黙し,これにかわって教師としての彼が語るのでなければならない.もし教師たる者がこうした事情,つまり学生たちが定められた課程を修了するためには彼の講義に出席しなければならないということや,また教室には批判者の目を持って彼に対する何人もいないということなどを利用して,それが教師の使命であるにもかかわらず,自分の知識や学問上の経験を聴講者らに役立たせる代わりに,自分の政治的見解を彼らに押し付けようとしたならば,私はそれは教師として無責任きわまることだと思う.

この分別は大切であるが,私は,知識だけを教えるのが教師の役目だとは思わない.知識を教えるだけなら,教師がいなくても,YouTube EDUが代わりに世界最高峰の講義を提供してくれる.特に昨今の社会情勢を見ていれば,専門知識だけ持った大学卒業生をいくら輩出したところで,社会が良くならないように思われる.いや,これには,そもそも専門知識どころか基礎知識を持った大学卒業生を輩出することにも失敗しているのが今の大学ではないかという厳しい批判がありうる.かなり嘆かわしい事態だが...

ともかく,講義という場で取り扱う内容には慎重であるべきだが,教育の目的は頭でっかちの育成ではない.新渡戸稲造は「武士道」にこう書いている.

知能ではなく品格が,頭ではなく魂が,骨折って発達させる素材として,教師によって選ばれるとき,教師の職業は聖なる性格をおびる.

話を元に戻そう.

死後の生命や生まれ変わりについては,臨死体験者を対象とした研究が数多く行われている.メルヴィン・モース博士は,そのような研究を次のように総括している.

これまでに調査した中で,臨死から戻ってきたあと,金持ちになろうとか,家族を忘れても仕事に没頭してやろうと考えている人には,出会ったことがない.もっと自己中心的でもいいとか,貪欲でもいいと思っている人もめったにいない.それどころか,みんな,「もっと人を愛し,親切にしなくてはならない」と確信するようになっている.自分の体験をもとに,「人生を十二分に生きよう」という反応を示す.「自分の人生には目的がある」と信じており,その目的には必ず,家族への愛や,他人の役に立つことなどが含まれている.彼らは,生きているあいだに人に与える愛が,彼ら自身が死んだ時に自分に戻ってくることを知っているのである.

この他にも,本書「[決定版]生きがいの創造」には,死後の生命や生まれ変わりに関する様々な研究結果が引用されている.信じる信じないの判断は,それらを自分自身で確認してみてからでも遅くはないだろう.自分で確かめもしないで否定する人は,例えば,ガリレオが教会から受けた仕打ちを思い出してみるといい.

私たちは,なぜ生まれてくるのか・・・それは,生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのであり,その機会,つまり「死」や「病気」や「人間関係」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが,人間として生きる目的・意義・意味なのだと言えるでしょう.

さて,人生とは何なのであろうか.そのようなことを考えるきっかけを本書「[決定版]生きがいの創造」に求めてみるのもよいだろう.

目次

  • 過去の人生の記憶
  • 人生のしくみ
  • 愛する故人とのコミュニケーション
  • 「永遠の生命」や「神・仏」を科学する意味
  • 「ブレイクスルー思考」による生きがい論

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