9月 202010
 

君たちはどう生きるか
吉野源三郎,岩波書店,1982

元々,中学生・高校生くらいの青少年を対象にして書かれた倫理・道徳の本.ただし,日本が戦争に突き進んだ時代に書かれたものであり,そこに描写されている世俗には,隔世の感がある.それだけに,単に道徳の本というだけではない面白さがある.

主人公は中学2年生(15歳)のコペル君.彼の様々な経験が物語として展開してゆく.そして,コペル君の感じたことや考えたことに対して,彼にどうしても伝えたいことを,彼の叔父さんがノートに記載してゆく.この物語とノートで構成されているのが本書「君たちはどう生きるか」だ.

道徳の本とはいっても,ただ説教じみた訓話が述べられているだけではない.先に「思考のテクニック: 極端なことを考える」に書いたように,科学的なものの考え方などにも触れている.

コペルニクスの地動説も,人間の自己中心的な考え方を戒めるのに利用されており,なるほどなと納得させられる.

人間がとかく自分を中心として,ものごとを考えたり,判断するという性質は,大人の間にもまだまだ根深く残っている.(中略)殊に,損得にかかわることになると,自分を離れて正しく判断してゆくということは,非常にむずかしいことで,こういうことについてすら,コペルニクス風の考え方の出来る人は,非常に偉い人といっていい.

しかし,自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間,人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に,自分ばかりを中心にして,物事を判断してゆくと,世の中の本当のことも,ついに知ることが出来ないでしまう.大きな真理は,そういう人の眼には,決してうつらないのだ.

なぜ勉強しないといけないのかという問いに対する答えも明示されている.

この問いに対する私自身の回答は「人間として社会に貢献するため」というものであり,「大学新入生へ: 受講生に宛てた本気モードでのメッセージ」などにも書いてきた.本書では,人類の進歩に寄与するためとされている.

いろいろな学問は,人類の今までの経験を一まとめにしたものといっていい.そして,そういう経験を前の時代から受けついで,その上で,また新しい経験を積んで来たから,人類は,野獣同様の状態から今日の状態まで,進歩して来ることが出来たのだ.一人一人の人間が,みんな一々,猿同然のところから出直したんでは,人類はいつまでたっても猿同然で,決して今日の文明には達しなかったろう.

だから僕たちは,出来るだけ学問を修めて,今までの人類の経験から教わらなければならないんだ.そうでないと,どんなに骨を折っても,そのかいがないことになる.

ただし,人類の進歩に寄与しようと志す背後には,感謝の気持があるはずだとも指摘されている.

いまの君にしっかりとわかっていてもらいたいと思うことは,このような世の中で,君のようになんの妨げもなく勉強ができ,自分の才能を思うままに延ばしてゆけるということが,どんなにありがたいことか,ということだ.コペル君!「ありがたい」という言葉によく気をつけて見たまえ.この言葉は,「感謝すべきことだ」とか,「御礼をいうだけの値打ちがある」とかいう意味で使われているね.しかし,この言葉のもとの意味は,「そうあることがむずかしい」という意味だ.「めったにあることじゃあない」という意味だ.自分の受けている仕合わせが,めったにあることじゃあないと思えばこそ,われわれは,それに感謝する気持になる.(中略)

この先は,もう言わないでも,君にはよくわかっているね.君のような恵まれた立場にいる人が,どんなことをしなければならないか,どういう心掛けで生きてゆくのが本当か,それは,僕から言われないだって,ちゃんとわかるはずだ.(中略)僕は心から願っている−君がぐんぐんと才能を延ばしていって,世の中のために本当に役に立つ人になってくれることを!

全くその通りであり,前掲の「大学新入生へ: 受講生に宛てた本気モードでのメッセージ」にも,感謝の心を持てという主旨のことを書いた.表現こそ違えども,人間の生き方については,おおよその同意が得られるということだろう.少なくとも,この問題について自分で考えた人達の間では.

コペル君が学校で経験したことの一つは,自分自身の思い出したくない過去を思い出させるものだ.友達との約束を果たせず,コペル君は自分自身の卑怯さに打ちのめされる.程度の差こそあれ,誰でもこの種の経験をしたことはあるだろう.遺憾ながら,私にはある.

せめてもの救いは,悔やんでいいと書かれていることだ.もちろん,悔やむようなことをするのがよいわけではない.しかし,悔やむのは人間らしい行いであり,悔やめるということは,悔やまない行動をする能力があるということだ.この言葉には強く励まされる.

コペル君,自分が誤っていた場合にそれを男らしく認め,そのために苦しむということは,それこそ,天地の間で,ただ人間だけが出来ることなんだよ.(中略)

僕たちが,悔恨の思いに打たれるというのは,自分はそうでなく行動することも出来たのに−,と考えるからだ.それだけの能力が自分にあったのにー,と考えるからだ.正しい理性の声に従って行動するだけの力が,もし僕たちにないのだったら,何で悔恨の苦しみなんか味わうことがあろう.

素晴らしい本だ.ジュニア向けの古い本だが,読んでみる価値はある.

目次

  • へんな経験
  • 勇ましき友
  • ニュートンの林檎と粉ミルク
  • 貧しき友
  • ナポレオンと四人の少年
  • 雪の日の出来事
  • 石段の思い出
  • 凱旋
  • 水仙の芽とガンダーラの仏像
  • 春の朝
  • 『君たちはどう生きるか』をめぐる回想(丸山真男)