9月 232010
 

精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか
立花隆,利根川進,文藝春秋,1993

1987年に「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」の研究でノーベル生理学医学賞を受賞した利根川博士のインタビューをまとめたもの.

流石,立花隆だけあって,分子生物学の基礎から最先端の研究成果までをうまくまとめあげている.ただ,科学の読み物としてなら,サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」や「宇宙創成」などがエンターテイメント性には優れているだろう.本書の価値は,利根川博士の言葉がそのまま記載されているところにあると思う.専門分野の話だけでなく,研究者としての生活や思想を窺い知ることができる.

運も実力のうち.大発見には運も必要だと利根川博士は述べている.

どんなフィールドでも,相当頭のいい人が何千人,何万人と同じ問題を必死になって朝晩考えつづけているわけね.その中で誰か一人だけ大発見にいたるというのは,頭のよしあし,才能だけの問題じゃなくて,やっぱり運も必要なんですね.過去までさかのぼっていろんな積み重ねがきいてくるわけです.

ここで,積み重ねの重要性が言及されている.利根川博士の場合,例えば,学生時代に身に付けた実験技術がそれにあたる.

ノーベル賞の免疫抗体の多様性の研究でも,結局,この生まれたばかりの遺伝子組み換えの技術を利用しているわけです.ぼくがそれをすぐ利用できたのも,もとをたどると,結局,学生時代にハイブリダイゼーションの技術を身につけていたからなんですね.(中略)大発見なんていうのは,そういういろんな偶然の積み重ねの上に生まれるんですね.

そう.将来何が役に立つかなんて分かるものではない.近視眼的に,今,目の前にある利益だけを追求するなんていう態度はいかにも浅ましい.何事にも興味を持っていたいものだ.瑞々しい好奇心を持っていたいものだ.

ノーベル賞受賞ともなれば,自他共に認める一流サイエンティストということになる.では,一流科学者と亜流科学者の違いは何か.

そういう研究もそれなりに意味がないことはないけど,しょせん亜流なんですね.ディーテイルの追究にすぎない.一流の科学者になるにはそれでは駄目なんです.人のやったことの後追いをしていないで,自分自身のオリジナリティのある研究をしなければならない.

さらに,研究への取り組み方について,利根川博士は次のように述べている.

結局,何が本当に重要なのかを充分見きわめないうちに研究をはじめちゃうからなんですね.これはちょっと面白いなというぐらいで研究テーマを選んでしまう.それじゃダメなんです.前にもいったように,科学の世界というのは広大ですからね.その程度のことでテーマを選んだら,やることはいくらでもある.それで実験をし,論文を書き,それを学会や専門誌で発表し,というようなことをしていれば,何となく自分もサイエンティストになったような気がしてくるかもしれないけど,その程度では,どうでもいいサイエンティストにしかなれない.だからぼくは学生に,”なるべく研究をやるな”といっている.”何をやるかより,何をやらないかが大切だ”とよくいっている.

この「何をやらないか」は,ドラッカーが「経営者の条件」で強調している「劣後順位」にあたるものだ.優先順位を決めることは誰でもやっている.成果を挙げるために必要なのは,劣後順位を決めることだ.やるべきでないことはやらないことだ.

大学卒業後に渡米し,アメリカやスイスでひたすら研究に打ち込み,遂にはノーベル賞を受賞した利根川博士だが,必ずしも順風満帆だったわけではない.

ぼくはあの研究所に入って,最初の三年くらい,ぜんぜん論文がないんです.いろいろ試行錯誤ばかりやっていて,成果が出なかったわけです.(中略)こりゃいくら置いといてもダメだという判断だったんでしょう

バーゼルの研究所で,あやうく首になりかけたわけだ.しかし,仲間にも恵まれ,この危機を脱し,そこから一気に研究成果を出してゆく.

利根川博士は,分子生物学が発展し,いずれは人間の精神の働きすら物質現象に還元されるだろうという.

このような一流科学者の利根川博士も,こんな風に思うそうだ.

最近研究室から早く帰って子供と遊んだりすると,オレも昔とくらべると堕落したもんだなと思うね

目次

  • 「安保反対」からノーベル賞へ
  • 留学生時代
  • 運命の分かれ目
  • サイエンティストの頭脳とは
  • 科学に「2度目の発見」はない
  • サイエンスは肉体労働である
  • もう1つの大発見
  • 「生命の神秘」はどこまで解けるか