10月 262010
 

無限論の教室
野矢茂樹,講談社,1998

先日,「アキレスと亀」のパラドックスでゼノンが問うたものは何だったかについて少し書いた.無限級数の和が収束しますよね,なんてレベルで理解したと思っているようでは,私と同じで愚劣なのだということを.

この有名な「アキレスと亀」の話は,本書「無限論の教室」のイントロに過ぎない.この誰でも知っているパラドックスを出発点にして,ゲーデルの不完全性定理まで進む.本書を読んで,曲り形(まがりなり)にも,ゲーデルの不完全性定理が示そうとしていることや,その証明の雰囲気はつかめた.以下,私が理解できた範囲で,簡単にまとめておきたい.

無限は存在するのか

「アキレスと亀」でも他でも構わないが,とにかくゼノンのパラドックスについて考察する過程で,無限というものが実際に存在するという「実無限」の立場と,無限は実存しないという「可能無限」の立場があることが示される.実無限の立場では,無限個の要素を持つ自然数の集合{0,1,2,3,・・・}が存在する.無限に数字が続く無理数も存在する.一方,可能無限の立場では,そうは考えない.0を始点に1を加え続けるという操作によって,0,1,2,3,・・・という自然数の系列を発生させることができるが,この操作はいつまでたっても終わらず,無限個の要素を持つ自然数の集合{0,1,2,3,・・・}などというものは存在しないと考える.無理数もその計算規則があるだけで,「これが無理数です」という形で与えられるようなものではないと考える.どこまで計算を進めてもよいが,いきついたところまでの有限でしかないと考える.

自然数の集合なんてないとか,無理数なんてないとか言い出すと,数学はどうなるのか?と心配になるが,実際その通りで,数学者は実無限の立場を愛する.数学者の愛の楽園,それがカントールの無限集合論だ.

カントールのパラドクス

愛すべき無限集合論だが,厄介な問題に直面する.

「すべての集合の集合」が存在するとしよう.このとき,その「すべての集合の集合」のベキ集合の濃度は「すべての集合の集合」の濃度よりも大きくなることが証明される.しかし,ある集合の濃度が「すべての集合の集合」の濃度よりも大きいというのは明らかにおかしい.そこで,カントールは「すべての集合の集合」は存在しないとする.しかし,そんな投げやりな態度でいいのだろうか...

ちなみに,ここで言う濃度とは,無限の程度を比較するための指標だ.例えば,自然数の集合の濃度よりも,実数の集合の濃度は大きいなど.そして,濃度を比較するときに便利なのが『対角線論法』である.この対角線論法は超強力で,無限について考えるとき,至る所に登場する.

ラッセルのパラドクス

無限集合論が孕む矛盾を指摘したのが,ラッセルだ.

いま,自分自身を要素として持たない集合をラッセル集合Sとする.つまり,

  xはxの要素でない ←→ xはSの要素である

だとする.ここで,xにSを代入すると,

  SはSの要素でない ←→ SはSの要素である

となるが,これは明らかに矛盾している.

実は,このラッセルのパラドクスも対角線論法を用いて説明できる.

縦軸と横軸のある2次元平面を考えよう.横軸xは要素を,縦軸yは集合をあらわすものとして,(x,y)が1ならば,yはxを要素として持ち,0ならば,yはxを要素として持たないとする.縦軸yには,存在しうるすべての集合を並べておく.実無限の立場に立つなら,それは可能だ.

ここで,x=yの対角線について考える.(a,a)が1ならば,aはSの要素ではない.このとき,(a,a)を0に反転させる.(b,b)が0ならば,bはSの要素ではない.このとき,(b,b)を1に反転させる.

こうして得られる対角線は,まさにラッセル集合そのものを表している.しかし,対角線上の値を反転させて作ったラッセル集合は,縦軸yにそって並べたすべての集合と異なる.つまり,すべての集合にラッセル集合は含まれていなかった.すべての集合なのに...

直観主義と形式主義

この苛立たしい状況をなんとかしようと登場したのが直観主義だ.直観主義は,可能無限的な立場から対角線論法にも異を唱える.カントールのパラドクスについて,可能無限的な立場から言えば,すべての集合を体系的に作り出す規則などないのだから,「すべての集合の集合」などない.これでおしまい.この勢いで,ラッセルのパラドクスも退けてしまう.

ところが,可能無限的な立場を突き詰めるが故に,排中律(否定の否定=肯定)が成り立たなくなってしまう.これはこれで誠に恐ろしい事態だ.論理の根底が崩れ去ってしまう...

このピンチに立ち上がったヒルベルトは,形式主義を掲げて,直観主義に猛反発する.形式主義とは,形式化され純化された公理系とその無矛盾性・完全性を証明するメタ数学の二本立てを提唱する立場だ.ヒルベルトの旗の下,無限集合論を公理化し,その無矛盾性と完全性を有限の立場のメタ数学で証明することを目指したヒルベルト・プログラムの遂行に多くの数学者が集結する.

さて,この争いの結末は如何に!?

ゲーデルの不完全性定理

カントールの無限集合論を守ろうとしたヒルベルト・プログラムを葬り去ったのがゲーデルの不完全性定理だ.その定理は,以下の2つからなる.

第一不完全性定理:無矛盾で完全な自然数論の公理系を作ることはできない.

第二不完全性定理:有限の立場のメタ数学では自然数論の無矛盾性は証明不可能.

実は,この不完全性定理さえも,対角線論法によって導出される.恐るべし,対角線論法!

対角線論法によるゲーデルの不完全性定理
対角線論法によるゲーデルの不完全性定理

再度,縦軸と横軸のある2次元平面を考えよう.横軸xと縦軸yは同じ概念をあらわす.

点(b,o)は「bはoである」という概念をあらわすとすると,点A(a,a)は「aはaである」という概念を,点B(b,b)は「bはbである」という概念をあらわす.つまり,対角線は「zはzである」という概念の集合となる.

この対角線上の点に「〜は証明できない」という概念を適用する.この概念も横軸xおよび縦軸y上のどこかにあるはずなので,その座標をgとする.つまり,点α(a,g)は「A(aはaである)は証明できない」という概念を,点β(b,g)は「B(bはbである)は証明できない」という概念をあらわす.

さて,このとき,点G(g,g)は何を意味しているだろうか.まず,点G(g,g)は対角線上の点なので,「gはgである」という概念をあらわしている.次に,点G(g,g)はy=g上の点なので,「G(gはgである)は証明できない」という概念もあらわしている.

つまり,

  G = 「Gは証明できない」

ということになる.これは極めて厄介な状況だ.

というのも,もしGが真ならば,Gは証明できない.つまり,真であることさえ証明できないような公理系は不完全であると宣言されてしまう.

一方,もしGが偽ならば,Gは証明できる.しかし,これは,「Gは証明できない」は証明できる,と主張しているのであり,明らかに矛盾している.

つまり,不完全であるか矛盾かのいずれかであることがばれてしまった...これがゲーデルの第一不完全性定理である.ここにヒルベルト・プログラムは葬り去られた.

それにしても,恐るべし,対角線論法!

ちなみに,概念なんて言葉(メタ数学の言葉)を使って説明をしているが,実際には,ゲーデル数化によって概念は自然数に割り付けられるので,上記の説明は自然数論の世界の中で語られうる.つまり,無矛盾で完全な自然数論の公理系を作ることはできないわけだ.

おわりに

本書「無限論の教室」を読んで私が理解できたのは,このようなところだ.いや,理解できたなどと言ってはならないだろう.理解してはいないのだから.とりあえず,頭に入ったのはこれくらいだということになる.私のことはともかく,よく書けた本だと思う.大変勉強になったし,自分の愚劣さも思い知ることができた.

先生と生徒2人の対話形式で話が進む.だが,よくある対話形式の本と違うのは,第三者の視点で会話が綴られているのではなく,一方の生徒の視点で書かれているということだ.この点も含めて,よく書けた本だと思う.普通の教科書で勉強する気はしないが,無限とは何かを知りたいという人にはお勧めだ.

目次

  • 第1週 学生が二人しかいなかったこと・教室変更
  • 第2週 気まずい時間・アキレスと亀・自然数は数えつくせない
  • 第3週 チョコレートケーキ・パラドクスへの解答・可能無限と実無限
  • 第4週 全体と部分・キリンとカバ・次元の崩壊
  • 第5週 実数・独身製作器としての対角線論法・喫茶店のネコ進法講義
  • 第6週 実数とは何か・ピタゴラスと豆大福・余興
  • 第7週 マジタ・ベキ集合と概念実在論・羊羹の思い出
  • 第8週 一般対角線論法・無限の無限系列・カントールのパラドクス
  • 第9週 土手の散歩・ラッセルのパラドクス・嘘つき・自己意識の幻想
  • 第10週 直観主義・パラドクス断罪・虚構と排中律・ブラウアーの手袋
  • 第11週 暑い部屋・形式主義はいかにして排中律を取り戻そうとしたか
  • 第12週 ゲーデルの不完全性定理・G・インドのとら狩り

  4 Responses to “無限論の教室”

  1. この「無限論の教室」は知らなかったのですが、
    同じくアキレスと亀の話からスタートしてゲーデルの不完全性定理まで行きつく
    ダグラス・ホフスタッター著『ゲーデル、エッシャー、バッハ』
    という本があります。この本はそこに辿りつくまでの回り道がものすごいのでうが、人工知能やエッシャーの絵など様々なトピックがオーケストラのように絡み合う様は圧巻です。

  2. 奈良の院生さん,コメントありがとうございます.

    『ゲーデル、エッシャー、バッハ』は,世の中,凄い人はいるものだとの想いを新たにしてくれますね.これが読み切れる人には『ゲーデル、エッシャー、バッハ』を読んでいただくとして,一般人には『無限論の教室』が無難だろうと思います.これがベストかどうかは分からないのですが,私でも読めたので,何とかなるでしょう.

  3. いつもブログを興味深く拝見しております。
    まったくの素人なのですが、折角の機会なのでこのエントリーも真剣に読んでみました。しかし、初耳の対角線論法というものの有り難さがどうも理解できません。ゲーデルの不完全性定理の部分の議論は、

    命題P 『命題Pは証明できない』

    を考えよう、というのとはどう違うのでしょうか。

    それとも、対角線論法は’上記の説明は自然数論の世界の中で語る’ための強力な道具なのでしょうか?だとすると、その本質の部分の説明は一切省かれた上で、fancyな図を与えられ、「恐るべし」と言われ少々面食らっている次第です。

  4. kkさん,コメントありがとうございます.
    摘み食いのような書き方なので分かりにくいと思います.すみません.

    対角線論法が凄いのは,ゲーデルの不完全性定理で登場するだけでなく,その前のカントールのパラドクスもラッセルのパラドクスも全部ひっくるめて,対角線論法で説明できてしまうところだと思います.

    自然数論として語るための道具は,ゲーデル数化です.メタ数学の言葉を数字に置き換える方法ですが,これはこれで凄いようです.詳細は,ここで取り上げた本にも説明されていません.

    命題P=『命題Pは証明できない』 を考えるというのは,その通りです.ただ,これだけでは,無限集合論と何の関係もなく,自然数論とも結びつきません.ゲーデル数化と対角線論法によって結びつけられることになります.

    なお,
     命題P=『命題Pは証明できない』
    について考えるのは,誰かが「私は嘘吐きです」と言ったときに,そいつが嘘吐きなのかどうか?を考えるのに似ています.

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