11月 192010
 

怒りについて 他二篇
セネカ(著),兼利琢也(訳),岩波書店,2008

著者のルキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca)はローマ帝国の政治家であり,またストア派の哲学者である.キケロに続く哲人政治家といえよう.ドロドロの政争に巻き込まれ,一時は流刑の憂き目にあうが,ローマ皇帝ネロの養育係として宮廷に戻り,皇帝即位後もネロを支え,絶大な権力を手にした.しかし,最後には,ネロに自殺を命じられる.

セネカの著作を読むのは,「人生の短さについて 他二篇」(岩波書店,1982)に続き二作目.いずれからも,教訓を得まくりである.セネカは偉い.

摂理について

副題は「摂理が存在しながらも,なぜ善き人に災厄が起きるのか」.

「ルーキーリウス,君は私に尋ねた.いったいなぜ,世界が摂理によって導かれているのに,善き人々に数多の悪が生じるのか,と」で始まるのが本作「摂理について」.その答えを短く一言で言い表すなら,「労苦は最善の者を呼び求める」となる.

持てる能力を発揮する場が与えられなければ,能力の有無はわからない.善き人々を試し,その能力を発揮させるために,苦難が善き人々に与えられる.

本作「摂理について」は,要するにこれだけのことを言っている(と私は解釈した)のだが,非常に長い.長ったらしい.どうしてこんなにダラダラと書かないといけないのかと思うくらいに.誰がどうした,何を言ったというエピソードが数多く挿入され,表現は仰々しい.修辞パフォーマンスの行き過ぎかと思う.

もう一点気になるのが,剣闘士の比喩だ.

剣闘士は,劣った相手との組み合わせを屈辱とみなし,危険なく勝てる相手を負かしても栄光にならないことを知っている.運命のふるまいも,またしかり.みずからの相手に勇猛果敢な男子を求め,ある者たちは顔を背けて素通りする.そして,大胆不敵にして正義にあふれる者に対し,己が暴威をぶつけようと突進する.ムーキウスに火を,ファブリキウスに窮乏を,ルティーリウスに追放を,レーグルスに拷問を,ソークラテースに毒を,カトーに死を試す.凶運以外が偉大な模範を見出せたためしはない.

このように,至る所で剣闘士や兵士を例に挙げて説明しており,わかりやすくはあるが,どうも平和的でないのが気になる.それはともかく,苦難を乗り越えるに相応しい人々に苦難が与えられるのだと人生を解釈すれば,苦難に満ちた人生をも積極的に受け入れようと鼓舞されるのではあるまいか.

賢者の恒心について

副題は「賢者は不正も侮辱も受けないこと」.なお,最古の写本では,こちらが本題らしい.

だが,「賢者は不正も侮辱も受けない」というのは俄には信じがたい.ソクラテスに死刑の判決が言い渡され,彼が毒杯をあおいだことを例に挙げれば十分だろう.このストア派のパラドックスに答えるのが本作「賢者の恒心について」である.

セネカは「賢者は安泰である.いかなる不正にも侮辱にも動じない.」と言う.そう,賢者は動じないのだ.不正や侮辱を働くような人達とは,精神的には別の次元に暮らしているから.そう解釈すれば,納得できもする.

本作において,最もグサッときたのは,次の言葉だ.

われわれは,途方もない浅薄さに至った結果,苦痛はおろか,苦痛の想念に悩まされている始末である.実に幼稚だ.

怒りについて

怒りとは何か.広辞苑には「おこること。はらだち。立腹。」とあるが,これらは怒りを同義語に言い替えているにすぎない.怒りとは何か.怒りとは欲望であるとセネカはいう.

怒りとは,不正に対して復讐することへの欲望である.

そして,怒りは不要なもの,手放すべきものであるとする.「賢者は誤っている人々に怒らない」と.禁欲的なストア派らしい.その上で,怒らなくなるための心掛けについて述べている.ただ,セネカ以前の哲学者が必ずしも怒りを不要と見なしていたわけではない.例えば,アリストテレスの言説について,こう書かれている.

アリストテレースは言う.「怒りは必要である.それなくして戦闘は不可能である.それが心に充満し,精神と意気に火を点けるのでなければ無理だ.ただし,指導者ではなく兵士として用いられなければならない」.これは誤っている.

怒りはどれほど悪いのか.贅沢,悪意,嫉妬よりも悪いのだとセネカはいう.

怒りは贅沢より悪い.なぜなら,贅沢が堪能するのは自分の快楽であるのに対して,怒りが楽しむのは人の苦しみだからだ.怒りは悪意と嫉妬を打ち負かす.それらは相手が不幸になるのを欲するのに対して,怒りは不幸にするのを欲するからだ.

その上で,怒りを遠ざける最良の方法は遅延であると,繰り返し述べられている.

  • 怒りに対する最良の対処法は,遅延である.怒りに最初にこのことを,許すためではなく判断するために求めたまえ.
  • 遅延こそ,怒りの最良の治療である.そうすれば,怒りの最初の沸騰が弱まり,心を覆っていた靄がなくなるか,薄くなる.
  • 怒りの原因は不正を受けたという思い込みであるが,容易にこれを信じてはならない.明々白々な場合ですら,ただちに受け入れてはならない.偽りの中には,真実の姿を装うものがあるからだ.いつでも時間を与えるべきである.一日が真理を明らかにしてくれる.

遅延の他,怒らないための心得として,以下のようなことが述べられている.

  • たいていの人間は,犯された罪にではなく,罪を犯した者のほうに怒る.われわれは,みずからを振り返って自分自身に考察を向ければ,ずっと穏健になれるだろう.「はたしてわれわれ自身も,何かこうしたことを犯しはしなかったか.こんなふうに間違わなかったか.そんなことを罰して,われわれのためになるのか」.
  • われわれを怒りっぽくしているのは,無知か傲慢である.悪人が悪事をしでかしたところで何の不思議があるか.敵が害をなす,友人が傷つける,息子がぐれる,奴隷がへまをやることの,どこが目新しいというのか.ファビウスは,将軍にとって最も恥ずかしい弁解は「思っていなかった」だ,と言ったものである.私は,人間にとって最も恥ずかしい言い訳だと思う.あらゆる事態を思い,予期しておきたまえ.
  • デーモクリトスのあの健全な勧告がわれわれに役立つだろう.われわれが私的公的を問わず,多くの仕事を,あるいは実力以上の難事を背負うのをやめれば,平静な境地が現れる.数多の世事に忙殺される者が,人からであれ,仕事からであれ,心を怒りへ向かわせる厄介事が何も起きずに一日を過ごせるような,そんな幸運に恵まれることはありえない.
  • まずは不正を受けないように努めよう.われわれはよく耐える術を心得ていないのだから.ごく穏やかで気立てがよくて,神経質でも気難しくもない人とともに暮らすべきである.性格は日頃付き合う仲間から取り込まれる.
  • すべてを目にし,すべてを耳にするのは当を得たことではない.多くの不正は,われわれを通り過ぎるに任せよう.たいていの場合,気づかない人には不正にならないものだ.あなたは怒りっぽくなりたくはないだろう.詮索好きにならないことだ.
  • われわれはわれわれのものを比較せずに喜ぼう.より幸せな人間に苦しめられる者は幸せになれないのだから.
  • 他人のものを眺めると,誰でも自分のものが気に入らなくなる.それでわれわれは神々にも怒りを向ける.自分より先を行く人がいるから,というわけだ.だが,われわれは,後ろにどれほど大勢がいるか,わずかな人を嫉んでいる者がどれほど大きな嫉みにあとをつけらえらているか,気がつかないでいる.とにかく人間のずうずうしさは限度を知らない.

いやぁ,耳が痛い.仰せごもっともである.

自分のことを棚に上げて,自分の無知や傲慢のために,他人に怒りをぶつけるようなことがないようにしよう.

仕事を抱え込みすぎて,ストレスでイライラしないようにしよう.

付き合う仲間を選び,自分に関係のないことを野次馬根性で見聞きして,めくじら立てることがないようにしよう.

今の自分,今の環境に満足しよう.感謝しよう.

もう1つ,怒らないということではないが,心に留めおくべき教訓が書かれていた.

これまで何も学んでこなかった者は,学ぶことを欲しないものだ.彼には必要以上に自由に説教した.そのせいで,君は彼を改善できず,気持ちを傷つけた.今後は,君の言っていることが真実かどうかだけでなく,聞かされる側が真理に耐えられるかどうか,気をつけるがいい.善き人は注意されるのを喜ぶが,だめな人間ほど教導者の言葉を悪く受けとるものだ.

肝に銘じたい.私は注意されるのを喜べるだろうか.

目次

  • 摂理について
  • 賢者の恒心について
  • 怒りについて