2月 192011
 

昨日,「世界級キャリアのつくり方―20代、30代からの“国際派”プロフェッショナルのすすめ」(黒川清,石倉洋子,東洋経済新報社)について書いた.「若者にとっては,つい内向きになりがちな自分の目を世界に向けてくれる啓蒙の書となるだろう.自分も国際的に活躍してみたいと思わせてくれるはずだ」と書いた.読後感想文としては普通っぽいだろう?

ここで改めて,私が抱いた感想を書いておこう.むしろ,こちらが本物だ.

.....

まず,自分自身に問いかけて欲しい.

国際派プロフェッショナルなんて目指す価値があるのか? あるとしたら,なぜ?

確かに著者である黒川氏と石倉氏の活躍は見事だし,ひとつの生き方であるに違いない.でも,そのような生き方を「わたし」がしなくてはならない理由があるのだろうか.あるとしたら,それはどのようなものなのか.

著者らは,日本のために国際派プロフェッショナルとして活躍する人材が増えなくてはならないという言い方をしている.「わたし」は日本のために尽くしたいのか.だから国際派プロフェッショナルになりたいのか.

では,日本のためとは何なのか.何が日本のためなのか.

例えば,まともな子育てをしている母親や教師を考えてみよう.英語なんてできないし,ダボス会議なんて言われても「えっ,かぼす?」かもしれない.それでも間違いなく日本のためになっているだろう.

「わたし」がいう日本のためとは何なのか.それは本当に日本のためなのか.日本のためと曖昧に言っておけば何でも許されると甘えているだけではないか.「日本のため」なんてことは政治屋でも口にできる.

「わたし」は国際派プロフェッショナルになって,何がしたいのか.

黒川氏と石倉氏に刺激を受けるのはいい.だが,そのコピーを目指すようでは,彼らが言う国際派プロフェッショナルには程遠いだろう.

自分で考えて,自分の意見を持て.たとえ間違っていようが,その意見を主張しろ.批判されたっていい.そもそも自分では何もしないで批判だけしている評論家(それで飯を食っている人達だけでなく,社会の何処にでもいる大勢も含む)の批判なんて建設的でないなのだから.そんなもので社会は良くならないのだから.それが「世界級キャリアのつくり方」に書かれてあることではないのか.

.....

もちろん,日本なんて関係ない,わたし個人の問題だってことでもいい.では,そうしよう.個人的な理由で構わない.

「わたし」が国際派プロフェッショナルになりたいのは,なぜ?

黒川氏と石倉氏は,読者に自分たちのようになって欲しいという.それはそうだろう.アメリカで学び,厳しい競争社会で揉まれ,普通の日本人よりも遙かに苦労してきたし,国際的に活躍しているとの自負もある.そんなものに価値はありませんと言われるなんて想像もしたくない.それは当然だ.しかし,それは彼らの価値観・ものの考え方でしかない.彼らの生きてきた人生が,彼らの考え方をそのように形作ったのだ.異なる人生を生きている「わたし」は異なる価値観・ものの考え方を持っているはずだ.異なっていて当然なのであって,同じだったら気味が悪い.

その「わたし」は国際派プロフェッショナルになりたいのか? なりたいとしたら,なぜ?

名誉・名声のためか.お金のためか.それが良いとか悪いとか言っているのではない.自分の価値観・ものの考え方を意識できているかと問うているのだ.

「わたし」の価値観・ものの考え方は,「わたし」の両親や友人,先生,本やテレビ,その他これまでに経験してきたあらゆることを土台に形成されている.好き嫌いや善悪の判断などは,あまりにも当然のことであり,あまりにも自分の深いところにまで染みついているため,普段は意識できない.

そのような価値観・ものの考え方には,「わたし」の家の中でしか通用しないものもあったはずだ.しかし,幼稚園児くらいになって家の外に出るようになると,その価値観・ものの考え方が揺らぐ.そして,場合によっては,変更を余儀なくされる.

そのような価値観・ものの考え方には,「わたし」と同じ日本人の中でしか通用しないものもあるはずだ.しかし,大学生くらいになって海外に出るようになると,その価値観・ものの考え方が揺らぐ.そして,場合によっては,変更を余儀なくされる.

だが当然ながら,海外に出ない人はいつまでたっても気付かない.ピューリタンの流れを組む,正統なキリスト教原理主義的なアメリカ人を見るといい.彼らにとっての常識が世界の非常識だと認識できないのは,外に出たことがないからだろう.それでも,彼らにはハードとしての軍事力がある.日本にはない.遺憾ながら,ソフトパワーもない.それでも経済大国になれたわけだが,その原動力となった国民性はもはや解体された感がある.それで,これからの日本を担う人材が必要だと叫ばれるわけだ.本書「世界級キャリアのつくり方」もそういう著者らの危機感が現れているのかもしれない.

でも,それは彼らの危機感であって,「わたし」のものではない.

「わたし」は何がしたいのか.「わたし」は何者なのか.

.....

ちなみに,私は社会に貢献したい.非常に恵まれた環境で生きているのは明らかなのだから,その感謝の気持ちの一部でも社会に還元しなければ人間としてダメだと思っている.そして,自分にできることとして,教育こそ最大の社会貢献だと認識している.もちろん,教育は学校教育に限定されるものではない.さらに,大学に在籍している一研究者として,研究を通して社会に貢献したい.そのため,徹底的に産業応用を意図した研究を実施している.社会に貢献しているという実感を得たいからだ.それに,そもそも工学とはそういうものだろう.ただ,研究というのは世界で唯一でなければならない.楽に唯一になる方法は,蛸壺に引きこもることだ.だが,それでは社会に貢献できない.結局,研究を通して社会に貢献したいなら,世界トップを目指すことになる.そういう意味で,国際派プロフェッショナルを目指しているとも言える.というか,研究者で国際派プロフェッショナルを目指していないという状態が想像できない.その達成度はそれぞれであるとしても.

ただ,このような考え方は私個人のものであって,真似してもらうようなものではない.

言えるのは,自分で考えろ,それも普段意識すらしない自分の価値観・ものの考え方のルーツまで考えろ,ということだ.それができれば,人生の見え方も変わるだろう.

その先にあるのが国際派プロフェッショナルであるかどうか,そんなことはどうでもいい.自分が信じる道を歩むだけだ.