3月 312011
 

ビジネスを主たるテーマにしている「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン,日本経済新聞出版社)においても,教育の重要性が強調されている.印象的な部分を引用しておこう.

「賄賂を使ってIITに入学することはできない・・・受験者は厳しい入学試験を経て入学する.政府はカリキュラムに干渉せず,勉学は過酷だ・・・おそらくハーバードやMITに入学するよりも難しいだろう・・・サン・マイクロシステムズの共同創設者でIIT卒業生のビノド・コスラはいう.『IITデリー校を卒業して,修士号を取るためにカーネギー・メロンに行ったら,たいして勉強しなくてもいいと思った.IITでの教育に比べたら,ずいぶんと楽だったから』」

(ウォール・ストリート・ジャーナル,2003年4月16日付)

昨今,中国,韓国,インドなどアジア諸国から米欧の大学・大学院への留学生が増えているのに対して,日本からの留学生は減少していることが問題視されている.グローバル化した世界において,世界に目を向けず,内向きな人達が増えるような国に明るい未来があるとは思えないという危機感のあらわれだろう.なお,個別的な具体例として,米国ジョージア工科大学のことを「アメリカの大学院を目指してみよう」に書いてあるので,読んでもらうといいだろう.

しかし,留学生の数だけが問題なのではない.上記の記事をよく読んで欲しい.世界トップクラスの大学院に対して,「たいして勉強しなくてもいいと思った.IITでの教育に比べたら,ずいぶんと楽だったから」という感想をインド人学生は持つのだ.もはや彼らは必ずしも米欧に留学する必要性を感じない.自国で教育を受け,グローバルに戦えると思っている.

ところが日本では,教育改革が遅々として進まず,学力低下だけは明らかになってきている.世界が,英語もできず,ろくな人材も育たない日本を相手にする必要はないと感じてもおかしくはない.中国やインドは優秀な博士を大量に育成できるようになりつつある.その数は日本とは桁違いだ.そのような状況下での今回の大震災だ.諸外国は人道的な観点から日本を援助してくれるが,ビジネスは別の話だろう.教育を疎かにしてきたツケはいずれ払わないといけない.覚悟しておいた方がいい.

「東欧は目を覚ましかけているし,中国もサービス産業で時流に乗っていろいろなことをやろうと手ぐすね引いて待ちかまえています.インフラが整備されているおかげで,今日では世界各地のどこからでも最高の製品やサービスや能力を調達できます.あとはインフラを利用しようという意思さえあればいい.だから,さまざまなビジネス,さまざまな人々が,このインフラを楽に使いこなせるようになれば,大爆発が起きますよ.五年ないし七年後には,英語ができる優秀な中国人学生が大量に大学を卒業する.ポーランドやハンガリーは地理的にヨーロッパ西部にも近く,関係も非常に深い.文化も大差ない.いまインドは一歩先んじていますが,その位置を守るためには,相当な努力が必要です.立ちどまることなく自分を変え,さらに変え続けなければなりません.(中略)世界はサッカー場のようなもので,そこでプレイするチームとして残るためには,鋭敏でないとだめです.実力がなかったら,ベンチを温め,ゲームを眺めるはめになります.しごく簡単でしょう」

(ゲーム会社ドゥルバ・インタラクティブを設立したラジェシュ・ラオ)

日本はこれからどのようなプレイヤーになるのか.それ以前に,あなたはこれからの世界でどのようなプレイヤーになるのか.真剣に考えた方がいいだろう.他者には置き換えられない個人になれるかどうか.これが重要になる.置き換えがきくなら,あなたに任せる必然性は何もない.このような状況下で,勉強しないのは勝手だが,そのツケは自分が払うしかない.

どうも馬鹿親が増殖しているようなのが気になるが,もはや日本の中でどうこうという段階ではない.ぬるま湯に浸かってボケーッとしている日本人と違って,猛烈に勉強し,仕事をする外国人がいくらでもいる.これからもっと増えていく.そういう世界になったことを認識する必要がある.

3月 302011
 

Who Moved My Cheese?: An Amazing Way to Deal with Change in Your Work and in Your Life
Spencer Johnson,Vermilion,1999

日本語版の「チーズはどこへ消えた?」(スペンサージョンソン,扶桑社)を読んだのは,もう随分と昔のことだ.ふと,もう一回読んでみようと思い,図書館で原作を借りてきた.

「Who Moved My Cheese?」はイソップ物語みたいな感じの寓話で,2匹のネズミと2人の小人が登場する.この2匹と2人は巨大迷路の中でチーズを見付けては食べて暮らしている.あるとき彼らは大きなチーズを見付け,来る日も来る日もそのチーズを食べられる快適な生活を手に入れた.ところが,ある日,そのチーズが消えてなくなってしまう.2匹のネズミがサッサと新しいチーズを求めて出掛けていったのに対して,2人の小人は自分のチーズが取り上げられたと怒り,チーズは戻ってくるべきだとして,そこに立てこもる.チーズは現れない.遂に,一人の小人が意を決して迷路に向かう.不安と戦いながら.しばらくすると,見込みのない場所に固執していた自分が可笑しく思えてくる.迷路を探索する方がずっと気持ちを明るくしてくれることに気付く.そして遂に,新しい美味しいチーズを見付ける.そこには2匹のネズミがもう来ていた.もう1人の小人は快適だった場所から離れることを頑なに拒んだ.彼は新しいチーズを見付けることができるだろうか.

まあ,これだけの話だ.チーズというのが我々を幸せにしてくれる何かということがわかる.それは仕事上のものでも人間関係でも何でも構わない.大切なのは,変化は起きるということ,だから変化に備える必要があり,変化に適応していかなければならないということ.自分が変化すること,そして変化を楽しむことだ.

  • Change Happens
    They Keep Moving The Cheese
  • Anticipate Change
    Get Ready For The Cheese To Move
  • Monitor Change
    Smell The Cheese Often So You Know When It Is Getting Old
  • Adapt To Change Quickly
    The Quicker You Let Go Of Old Cheese, The Sooner You Can Enjoy New Cheese
  • Change
    Move With The Cheese
  • Enjoy Change!
    Savor The Adventure And Enjoy The Taste Of New Cheese!
  • Be Ready To Change Quickly And Enjoy It Again & Again
    They Keep Moving The Cheese

自分が古いチーズにしがみついていないか,時々はチェックしてみるといいだろう.

もし自分が組織のリーダーなら,組織が古いチーズにしがみついていないか,時々はチェックしないとダメだろう.

ウサギとカメの話やアリとキリギリスの話は誰でも知っている.しかし,カメやアリになれる人は多くない.だからこそ,なれる人は強い.

本書「Who Moved My Cheese?」にも同じことが言える.自分が変わらないなら意味はない.

目次

  • Parts of All of Us
  • The Story Behind The Story
  • A Gathering: Chicago
  • Who Moved My Cheese?: The Story
  • A Discussion: Later That Same Day
3月 292011
 

日曜日に,京都府相楽郡精華町の華やぎ観光農園にイチゴ狩りに出掛けた.ここでのイチゴ狩りは,一昨年の「イチゴ狩り@華やぎ観光農園」に引き続き,二度目になる.

華やぎ観光農園
華やぎ観光農園

華やぎ観光農園の苺栽培の特徴は,高設栽培だ.大人の腰の高さでイチゴが育てられているため,しゃがんでイチゴを取る必要がなく,大人でも立ったままでイチゴ狩りができる.

イチゴの高設栽培@華やぎ観光農園
イチゴの高設栽培@華やぎ観光農園

イチゴは2種類あり,ビニールハウスの手前側と奥側で違う種類のイチゴが栽培されていた.手前側のイチゴの方が柔らかかったが,甘いのは奥側のイチゴだった.

イチゴの高さは子供の胸くらいになる.子供達は全く意識していないが,実に快適なイチゴ狩りだ.

イチゴを狩る長男7歳@華やぎ観光農園
イチゴを狩る長男7歳@華やぎ観光農園

イチゴを狩る長女5歳@華やぎ観光農園
イチゴを狩る長女5歳@華やぎ観光農園

制限時間は約40分.30分くらい食べまくった.結局,私は大小様々な苺を50個くらい食べて,お腹一杯になった.子供たちも「もう,いらない!」というまで食べた.大満足のイチゴ狩りだった.

真っ赤なイチゴ@華やぎ観光農園
真っ赤なイチゴ@華やぎ観光農園

3月 282011
 

京都宝ヶ池プリンスホテル内にある中華料理「桃園」のランチバイキングに行った.大人1名¥2,500で,料理は色々とあるのだが,特筆すべき料理はなかった.まあ,値段相応と言えば,そういうことになるだろう.

ホテル内の中華料理店ということで言えば,個人的には,ホテル日航プリンセス京都にある翡翠苑の方が好みだ.

グランドプリンスホテル京都 中国料理 桃園 北京料理 / 国際会館駅木野駅

昼総合点★★☆☆☆ 2.5

3月 262011
 

この度の事故後.東京電力福島第二原子力発電所で働く女性社員の電子メールから.(asahi.com「過酷労働もう限界、両親は不明…原発の東電社員がメール」)

1F(福島第一原発)、2F(第二原発)に働く所員の大半は地元の住民で、みんな被災者です。家を流された社員も大勢います。私自身、地震発生以来、緊急時対策本部に缶詰めになっています。個人的には、実家が(福島県)浪江町の海沿いにあるため、津波で町全体が流されました

実家の両親は津波に流され未(いま)だに行方がわかりません。本当なら、すぐにでも飛んでいきたい。でも、退避指示が出ている区域で立ち入ることすらできません。自衛隊も捜索活動に行ってくれません。こんな精神状態の中での過酷な労働。もう限界です

被災者である前に、東電社員としてみんな職務を全うしようと頑張ってます。特に2Fは、自分たちのプラントの安全性の確保の他に、1F復旧のサポートも同時にやっていた状況で、現場はまるで戦場のようでした。社員みんな心身共に極限まできています。どうかご理解下さい

今回の地震は天災です。でも、原発による放射性物質の汚染は東電がこの地にあるせいです。みんな故郷を離れ、いつ戻れるかどうかもわからない状況で、不安を抱え怒りを誰にぶつけてよいのか分からない! それが今の現実です

この現実を社内外に届けてください

この度の事故前.北海道泊原発に近い共和町に住む女子中学生の発言から.(平井憲夫「原発がどんなものか知ってほしい」)

今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?

原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ

何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている

二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない

この度の事故前.福井県敦賀原発の近くに住む女性の手紙から.(平井憲夫「原発がどんなものか知ってほしい」)

東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか

コメントは何もしないけれども,ご参考までに.

3月 262011
 

地震が起こる前,短期で中国から来てくれた教授と,もう長く研究室に在籍している中国人のポスドクの二人を夕食に招待した.折角の機会なので,日本らしいお店で日本らしい食事がいいだろうと思い,先斗町の余志屋(よしや)を選んだ.8500円のコース.

店は先斗町から脇へ入ったところにあり,最初,看板に気付かず,通り過ぎてしまった.引き返して,店に入る.予約したのは,小上がり席.掘り炬燵なので,暖かいし,外国人にもよい.

突出し,お造り,蛸と浅つきの黄身酢,鴨ロース,鴨まんじゅう,出汁巻き玉子,ずわい蟹,牡蠣と帆立貝柱のフライ等々を食べて,きのこ釜飯と牡蠣釜飯.その後,デザートのアイスクリーム.それにしても,ボリュームが凄い.釜飯を食べきることができず,おにぎりにして包んでもらった.

お店のサービスは,スマートとは言えないが,とても良い.楽しい食事を満喫させていただいた.

余志屋 割烹・小料理 / 三条駅祇園四条駅三条京阪駅
夜総合点★★★★ 4.0

3月 252011
 

半年程前から,礼状ネタを結構書いている.

今月初めに「礼状を書ける人達.いや,本当に嬉しい.」で,3回生の工場見学の後に個人的に御礼のメールを送った学生がいることに感心したと書いた.その工場見学では,参加した学生をいくつかのグループに分けて,グループごとにレポートを書くように指導している.お世話になった企業に,そのレポートを送付するつもりで.

問題はそのレポートなのだが,あるグループのレポートが酷い.しかも,その酷さが並大抵ではない.呆れ果てるというか,言語道断というのか,何というのか.言葉で表現しようがないほどだ.しばし絶句した.

学部3回生の工場見学と車内クイズ」に書いたように,今回のJFEスチール株式会社西日本製鉄所の見学では,私は学生と別行動になった.特別に極秘工場を見学させていただき,その後で講演をし,関係者と討議をした.それから改めて学生と合流したのだが,その際,工場見学をした小学生が書いた手紙を見付けた.児童が一人一人書いた手紙を先生が製本して送られたようだ.迫力ある鉄鋼製造設備を見学した興奮が生き生きと描写されている.カラフルに色を塗ったりして,非常に良くできた文集のように仕上がっていた.それを見た後で,学生に言った.「レポートを書いてもらうけど,まさか小学生には負けないよな」と.

冗談で言ったつもりだったが,まさか,本当に小学生以下,いや失礼,小学生未満のレポートした書けない京大生がいたとは...

恐らく,まともに報告書を書けないような学生はこのブログの読者ではないのだろうが,「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」(ティナ・シーリグ,阪急コミュニケーションズ)から,礼状に関する部分を再度引用しておこう.

あなたのために何かしてくれた人に対して感謝の気持ちを示すかどうかで,あなたの印象は大きく変わります.あなたのために何かしてくれたということは,機会費用がかかっているという事実を忘れてはいけません.(中略)お礼状は書いて当たり前で,書かないのはよほどの例外だと思ってください.残念ながら,実際にそうしている人は少ないので,マメにお礼状を書けば目立つこと請け合いです.

正直,かなり気分が悪い.

3月 222011
 

これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル(Michael J. Sandel)(著),鬼澤忍(訳),早川書房,2010

正義には大きく3つの立場がある.第一は,正義とは功利や福利を最大にすることだという功利主義の立場.第二は,選択の自由を尊重する自由至上主義や平等主義の立場.そして第三は,正義とは美徳を涵養することと共通善について判断することだという立場.それぞれの立場がいかなるものかを吟味し,いずれの立場が現代を生きる我々にとって最善であるかを考えてみる.

これが,本書「これからの正義の話をしよう」の主旨だろう.本書を読んで色々なことを考えさせられた.非常に刺激的だ.以下では,本書で議論されている内容をまとめてみよう.

功利主義

功利主義の原理を確立したジェレミー・ベンサムは,誰もが快楽を好み,苦痛を嫌うという事実を認め,苦痛に対する快楽の割合,すなわち効用を最大化することが道徳の至高の原理であると説く.

わかりやすいが,なんだか俗っぽい考え方だと思う.

自由至上主義

リバタリアン(自由至上主義者)は,人間の自由の名において,自由市場を支持し,政府の介入に反対する.ロバート・ノージックによれば,「契約を履行させることおよび,暴力,盗み,詐欺から国民を守ることに権限を限定された最小国家だけが,正当な存在である.それ以上の権限を持つ国家は,何かを強制されないという個人の権利を侵害するため,正当な存在とは言えない」そうだ.リバタリアンは,富の再分配は富者の基本的権利を侵害していると主張する.

よく耳にする意見だが,これに与したくはないと思う.

功利主義と自由至上主義の共通点と問題点

兵役を題材にして,功利主義と自由至上主義について考えてみる.

功利主義者は,社会全体の効用を最大化するためには,全員を機械的に徴兵するよりも,兵役に従事したくない者は兵役を免れ,何らかの見返りを受けて兵役に従事したい者は従事する制度をよしとする.極論すれば,少数の者に兵役を強要しても,社会全体の効用が最大化されるのであれば構わないという立場だ.

リバタリアンはもちろん徴兵制に反対する.それは強制であり,個人の自由を侵害するからだ.

このように,功利主義者もリバタリアンも徴兵制よりも志願兵制が望ましいと主張する.しかし,志願兵制は公平なのだろうか.近年,アメリカ上流階級の子弟は兵役に就かないらしい.志願兵の多くは低所得者層に属しており,経済的な事情から入隊を希望していると指摘されている.これは一種の強制であり,不公平ではないだろうか.

さらに,市民の義務という観点からも疑問が湧く.兵役なんて他人事だという圧倒的多数のアメリカ人は,恵まれないアメリカ人を雇って戦争をさせる一方で,自分のことだけにかまけている.これは正しいことなのだろうか.

ジャン=ジャック・ルソーは「社会契約論」において,「公共への奉仕が市民の仕事ではなくなり,彼らが自分の体ではなく金銭で奉仕するようになると,国家の滅亡は近い.戦場に赴く必要があるときに,彼らは金で軍隊を雇い,自分たちは家に引っ込んでいる」と述べている.

功利主義への批判

イマヌエル・カントは,普遍的人権の基盤となっている「道徳形而上学原論」において,道徳とは幸福やその他の目的を最大化するためのものでなく,人格そのものを究極目的として尊重することだと論じ,功利主義を徹底的に批判した.当然だが,多数派に快楽を与えるものが正しいとは限らない.

人間には理性の能力と自由の能力があり,この二つが組み合わさることで,人間は動物と一線を画する.ただし,カントの言う自由は,個人の好き勝手ではない.快楽を求め,苦痛を避けている人間は,生理的欲求と欲望の奴隷であり,真に自由ではない.自由な行動とは自律的な行動であり,自然の命令や社会的な因習ではなく,自分が定めた法則に従って行動することである.この自律的に行動する能力こそが,人間に特別な尊厳を与える.カントによれば,ある行動が道徳的であるかどうかは,行動の結果ではなく,行動の意図,すなわち動機で決まる.

功利主義者にとって,理性の役割は,欲望を満たして効用を最大化する方法を見つけることである.トマス・ホッブスは理性を「欲望の偵察者」,デイヴィッド・ヒュームは「情熱の奴隷」と呼んだ.しかしカントは,道徳に関わる実践理性は,道具としての理性でも情熱の奴隷でもなく,「いっさいの経験的目的にとらわれずに,ア・プリオリに法則を定める純粋実践理性」であると述べている.

平等とは何か

社会契約(共同体の生活を律する原理)を公正に定めるためには,どうすればよいのだろうか.ジョン・ロールズは,全員が「無知のベール」をかぶらなければならないと「正義論」で主張している.無知のベールをかぶると,自分の人種,性別,宗教,階級,貧富,学歴などがわからなくなるため,誰もが平等の原初状態で選択を行うことになり,公正な仮説的同意に至るはずだと考える.

この平等の原初状態では,功利主義的な原理もリバタリアンが信奉する自由市場の原理も選択されない.なぜなら,自分が少数派になって多数派に権利を侵害されたり,自分が恵まれない人となって社会から切り捨てられたりしたくはないからだ.つまり,平等の原初状態で選択されない功利主義や自由至上主義は公正とは言えない.

では,仮説的社会契約で選択される原理とは何だろうか.ジョン・ロールズは2つの原理を掲げる.第一原理は,言論や信仰などの基本的自由を全員に平等に与えること.第二原理は,社会で最も不遇な人々の利益になるような不平等,つまり富の再分配のみを認めること.

さらにジョン・ロールズは実力主義にも異議を唱える.「社会のどこに生まれるかを自分では決められないように,生来の資質も自分では決められない.能力を開花させるために努力するという優れた性質を備えているからと言って,それは自分にその価値があるからだと考えるのも問題だ.このような性質は,恵まれた家庭や幼少期の社会環境など,自分の功績とは呼べないものによるところが大きいからである」.個人が持つ才能だけでなく,ある時代に社会が重視する資質もまた道徳的に恣意的である.

現実には,成功している人々は,自分の成功が偶然の産物であることを見逃しがちだ.

不平等で何が悪い!

ミルトン・フリードマンと妻のローズは「選択の自由」において,「人生は公平でない.自然がもたらした結果を政府が修正できると信じたい気持ちもわかる」と平等主義者の主張を認めた上で,「しかし嘆かわしい不公平さから,われわれがどれほどの利益を得ているかに気付くことも大切だ」と自由市場経済を擁護している.

こうも臆面もなく自己中心的な見解を開陳できる根性は大したものだ.このような独善的主張を,ジョン・ロールズは「正義論」で批判している.「このような考え方は,折に触れて不正を見逃す口実となっている.まるで不正を黙認するのを拒むのは,死を受け入れられないのと同じことだとでもいうように.自然による分配は公正でも不公正でもない.人が社会の特定の場所に生まれることも同じだ.どちらも自然の事実にすぎない.公正か公正でないかは,組織がこうした事実をどのように扱うかによって決まる」.

美徳の涵養

アリストテレスは,国家は善の促進という目的に邁進しなければならず,法は市民を善良で公正な者とするための生活の掟であるべきだという.

政治の目的を美徳の涵養とするアリストテレスは,「理想的な国制がどのようなものか検証する前に,まず最も望ましい生き方とはどのようなものかを決める必要がある」と述べている.

労働の正義について考えるとき,リバタリアンにとっては,労働者が労働と賃金を自由に交換したかどうかが決め手になる.自由に交換していれば,その労働は公正だ.ジョン・ロールズはさらに,労働の自由な交換が公平な条件の下に行われることを要求する.アリストテレスにとっては,それでも不十分であり,その労働がその人の本性に適していなければならない.やりがいがない労働は正義ではないというのがアリストテレスの立場だ.

正義は中立であるべきか

美徳の涵養が目的だとして,果たして,全員が同意できるような美徳というものは存在するのだろうか.イマヌエル・カントとジョン・ロールズにとって,善良な生活に関する特定の考え方に基づく正義の理論は,価値観の押し付けであり,自由とは相容れない.このため,カントとロールズはアリストテレスの目的論を退ける.善良な生活の概念に対して正義は中立であるべきとする考え方は,道徳的個人主義の自由観を反映している.

確かに,私の責任は私が引き受けたものに限られるという道徳的個人主義は,私自身の自由な選択に基づく同意(約束)のみが義務の根拠となることを主張するものであり,解放感がある.しかし,このような考え方からは,連帯責任も,前の世代が犯した歴史的不正の道徳的重荷を背負う義務も発生しない.生まれる前の戦争に同意していないからだ.

個人の権利と選択の自由のために社会保障制度を擁護する平等主義者にとっても,自分の金は自分のものという理屈で自由市場を擁護するリバタリアンにとっても,多元的社会における道徳的・宗教的論争に政治を巻き込まなくて済むため,中立を求める正義論は非常に魅力的だ.

この独善的な道徳的個人主義の自由観は現代社会の至るところで姿を現すが,選択の自由は正しい社会に適した基盤ではない.

物語る存在

アラスデア・マッキンタイアは「美徳なき時代」において,人間は物語る存在だと説いている.我々は誰しも特定の社会的アイデンティティの担い手として自分の置かれた状況に対処する.私はある人の子供であり,ある国の国民であり,ある民族に属する.その私にとっての善とは,そうした役割を生きる人達にとっての善であるはずだ.こうして,我々は,自分の家族,国,民族の過去から様々な負債,遺産,正当な期待,債務を受け継ぐ.それらは私の人生に与えられたものであり,私の道徳的出発点となる.

あるアメリカの議員は,自分は奴隷を保有したことはないという理由で過去の奴隷制度への補償に反対した.あるドイツ人は,戦後生まれの自分はナチスの行為と何の関係もないと信じる.マッキンタイアは,これらの態度に道徳的な浅薄さを見てとる.マッキンタイアの物語的な考え方は,道徳的個人主義の自由観と対照的である.

多元的社会では最善の生き方について意見が一致しないが,道徳的・宗教的問題から目をそらせて正義や権利について議論することはできない.達成不能な中立性を装いつつ重要な公的問題を決めるのは,反動と反感をわざわざつくりだすようなものだ.本質的道徳問題に関与しない政治をすれば,市民生活は貧弱になってしまう.偏狭で不寛容な道徳主義を招くことにもなる.リベラル派が恐れて立ち入らないところに,原理主義者はずかずかと入り込んでくるからだ.

ここまでのまとめ

正義には3つの立場がある.第一は,正義とは功利や福利を最大にすることだという功利主義の立場.第二は,選択の自由を尊重するリバタリアンや平等主義の立場.そして第三は,正義とは美徳を涵養することと共通善について判断することだという立場.

功利主義的な考え方には欠点が2つある.1つは,正義と権利を計算の対象としていること.もう1つは,あらゆる善を唯一の基準で評価し,その質的な違いを考慮しないこと.

自由に基づく理論は,権利や正義を単なる計算対象とは見なさず,その尊重を訴える.しかし,尊重に値する権利を選び出すことはせず,人々の嗜好をあるがままに受け入れる.

しかし,公正な社会は,効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは達成できない.公正な社会を実現するためには,善良な生活の意味を我々が考え,避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなければならない.

結論

最後に,マイケル・サンデル教授の結論を引用しておく.

多元的社会の市民は,道徳と宗教に関して意見が一致しないものだ.(中略)この数十年で我々は,同胞の道徳的・宗教的信念を尊重するということは,それらを無視し,それらを邪魔せず,それらに−可能なかぎり−関わらずに公共の生を営むことだと思い込むようになった.だが,そうした回避の姿勢からは,偽りの敬意が生まれかねない.(中略)そこから反発と反感が生じかねないし,公共の言説の貧困化を招く恐れもある.言説の貧困化とは,1つのニュースから次のニュースへと渡り歩きながら,スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄にもっぱら気を取られるようになることだ.(中略)我々は,同胞が公共生活に持ち込む道徳的・宗教的信念を避けるのではなく,もっと直接的にそれらに注意を向けるべきだ−ときには反論し,論争し,ときには耳を傾け,そこから学びながら.(中略)道徳に関与する政治は,回避する政治よりも希望に満ちた理想であるだけではない.公正な社会の実現をより確実にする基盤でもあるのだ.

言説の貧困化.なるほど,これが昨今の日本人の状態をよく言い表している.

目次

  • 正しいことをする
  • 最大幸福原理─功利主義
  • 私は私のものか?─リバタリアニズム(自由至上主義)
  • 雇われ助っ人─市場と倫理
  • 重要なのは動機─イマヌエル・カント
  • 平等をめぐる議論─ジョン・ロールズ
  • アフォーマティブ・アクションをめぐる論争
  • 誰が何に値するか?─アリストテレス
  • たがいに負うものは何か?─忠誠のジレンマ
  • 正義と共通善
3月 212011
 

後世への最大遺物・デンマルク国の話
内村鑑三,岩波書店,1976

昨日の続き.昨日は「デンマルク国の話」について書いたので,今日は「後世への最大遺物」について.こちらも内村鑑三の講演をまとめたものである.

内村鑑三は何を後世に遺そうとしたか,また何のために遺したいと考えたのか.

私に五十年の命をくれたこの美しい地球,この美しい国,この楽しい社会,このわれわれを育ててくれた山,河,これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない,との希望が起こってくる.ドウゾ私は死んでからただに天国に往くばかりでなく,私はここに一つの何かを遺して往きたい.それで何もかならずしも後世の人が私を褒めたってくれいというのではない,私の名誉を遺したいというのではない,ただ私がドレほどこの地球を愛し,ドレだけこの世界を愛し,ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである.

内村鑑三は後世への遺物として,まず,3つを挙げている.金,事業,そして思想だ.

後世へわれわれの遺すもののなかにまず第一番に大切のものがある.何であるかというと金です.(中略)金を儲けることは己れのために儲けるのではない,神の正しい道によって,天地宇宙の正当なる法則にしたがって,富を国家のために使うのであるという実業の精神がわれわれのなかに起こらんことを私は願う.(中略)

それでもし金を遺すことができませぬならば,何を遺そうかという実際問題がでてきます.それで私が金よりもよい遺物は何であるかと考えて見ますと,事業です.事業とは,すなわち金を使うことです.(中略)

それでもし私に金を溜めることができず,また社会は私の事業をすることを許さなければ,私はまだ一つ遺すものを持っています.何であるかというと,私の思想です.もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ,私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる.

しかし,金を遺すことも,事業を遺すことも,そして思想を遺すことも,誰もができることではない.ある種の天才でなければならない.それは内村鑑三も認めている.その上で,誰もが遺すことができ,しかも何に対しても害を与えようがない最大遺物は何であるかについて語っている.

私はそれよりもモット大きい,今度は前の三つと違いまして誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う.(中略)それならば最大遺物とは何であるか.私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる,ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で,利益ばかりあって害のない遺物がある.それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います.これが本当の遺物ではないかと思う.他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います.しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと,(中略)失望の世にあらずして,希望の世の中であることを信ずることである.この世の中は悲嘆の世の中でなくして,歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して,その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります.

この世界が喜びに満ちていることを自らの行動で示し,その生涯を自分を生かしてくれた世界への贈物とする.確かに,それは勇ましく高尚な生涯であると思われる.

内村鑑三がそのような勇ましい高尚なる生涯を生きた人物として挙げているのが,二宮尊徳である.恐らく,二宮尊徳に加えて,「代表的日本人」(内村鑑三,岩波書店)で世界に紹介した西郷隆盛,上杉鷹山,中江藤樹,日蓮上人らもそのような生涯を生きた人と内村鑑三は見なしたのであろう.

これだけ書くと毒のない普通の良書のように思えるのだが,文学に関して,かなり辛辣な批判も展開している.

なるほど『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかも知れませぬ.しかし『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか.何もしないばかりでなくわれわれを女らしき意気地なしになした.あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい.

内村鑑三は,「日本語をもって世界語にしようとした太閤の高い志は,なお実現をはかられなくてはなりません」と述べたり,豊臣秀吉の朝鮮出兵や西郷隆盛の征韓論といった他国侵略を肯定したりしており,その言説はナショナリズムが強い.源氏物語批判もその流れなのだろう.それにしても,根コソギに絶やしたいとは豪快だ.

もう1つ.話の本筋からは離れるが,教育者の資質について言及されていた部分があるので引用しておきたい.

よい先生というものはかならずしも大学者ではない.大島君もご承知でございますが,私どもが札幌におりましたときに,クラーク先生という人が教師であって,植物学を受け持っておりました.その時分にはほかに植物学者がおりませぬから,クラーク先生を第一等の植物学者だと思っておりました.この先生のいったことは植物学上誤りのないことだと思っておりました.しかしながら彼の母国へ行って聞いたら,先生だいぶ化の皮が現われた.かの国のある学者が,クラークが植物学について口を利くなどとは不思議だ,といって笑っておりました.しかしながら,とにかく先生は非常な力を持っておった人でした.どういう力であったかというに,すなわち植物学を青年の頭のなかへ注ぎ込んで,植物学という学問にInterestを起す力を持った人でありました.それゆえに植物学の先生としては非常に価値のあった人でありました.ゆえに学問さえすれば,われわれが先生になれるという考えをわれわれは持つべきでない.われわれに思想さえあれば,われわれがことごとく先生になれるという考えを抛却してしまわねばならぬ.先生になる人は学問ができるよりも−学問もできなくてはなりませぬけれども−学問ができるよりも学問を青年に伝えることのできる人でなければならない.

大学の一教員として,心に刻んでおこう.

目次

  • 後世への最大遺物
  • デンマルク国の話
  • 解説
3月 202011
 

後世への最大遺物・デンマルク国の話
内村鑑三,岩波書店,1976

昨日「復興に向けて,日本は何で立国するか」と題するメモで,内村鑑三が新聞に寄稿した短文を紹介した.その短文で内村鑑三は,デンマークと上杉鷹山の実績を引用しつつ,植林これ建国と唱えた.内村鑑三がデンマークについて言及したのは,かつてプロシヤとオーストリアに戦争で敗れ,豊かな2州を割譲せざるをえずに困窮したデンマークが,ダルガス親子の植林事業を通して世界随一の豊かな国になった歴史をふまえてのことである.

このデンマークの近代史を,内村鑑三は1911年(明治44年)の講演で「デンマルク国の話」として語った.この話から我々は何を学ぶことができるのか.内村鑑三自身がこの質問に答えている.

今,ここにお話しいたしましたデンマークの話は,私どもに何を教えますか.

第一に戦敗かならずしも不幸にあらざることを教えます.(中略)国の興亡は戦争の勝敗によりません,その民の平素の修養によります.善き宗教,善き道徳,善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません.(中略)

第二は天然の無限的生産力を示します.(中略)小島の所有者かならずしも貧者ではありません.善くこれを開発すれば小島も能く大陸に勝さるの産を産するのであります.(中略)エネルギーは太陽の光線にもあります.海の波濤にもあります.吹く風にもあります.噴火する火山にもあります.(中略)

第三に信仰の実力を示します.(中略)宗教,信仰,経済に関係なしと唱うる者は誰でありますか.宗教は詩人と愚人との佳くして実際家と智者に要なしなどと唱うる人は,歴史も哲学も経済も何にも知らない人であります.国にもしかかる「愚なる智者」のみありて,ダルガスのごとき「智き愚人」がおりませんならば,不幸一歩を誤りて戦敗の悲運に遭いまするならば,その国はそのときたちまちにして滅びてしまうのであります.国家の大危険にして信仰を嘲り,これを無用視するがごときことはありません.私が今日ここにお話しいたしましたデンマークとダルガスとにかんする事柄は大いに軽佻浮薄の経世家を警むべきであります.

「デンマルク国の話」

代表的日本人」(内村鑑三,岩波書店)もそうであるが,キリスト教徒としての立場が色濃く表れているため,必ずしもすべての主張に首肯できるわけではない.しかし,「代表的日本人」では明治時代に英語で西洋人を啓蒙しよう(日本人の良さをアピールしよう)とし,本書「デンマルク国の話」では国賊と罵られながらも日本が「戦争に勝って滅びた国」となりつつあるという危機感から警鐘を鳴らした内村鑑三の愛国心は立派である.

引用した結論部分を読んでみると,今の日本にも通用することが書かれてあるように思う.

目次

  • 後世への最大遺物
  • デンマルク国の話
  • 解説