3月 312011
 

ビジネスを主たるテーマにしている「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン,日本経済新聞出版社)においても,教育の重要性が強調されている.印象的な部分を引用しておこう.

「賄賂を使ってIITに入学することはできない・・・受験者は厳しい入学試験を経て入学する.政府はカリキュラムに干渉せず,勉学は過酷だ・・・おそらくハーバードやMITに入学するよりも難しいだろう・・・サン・マイクロシステムズの共同創設者でIIT卒業生のビノド・コスラはいう.『IITデリー校を卒業して,修士号を取るためにカーネギー・メロンに行ったら,たいして勉強しなくてもいいと思った.IITでの教育に比べたら,ずいぶんと楽だったから』」

(ウォール・ストリート・ジャーナル,2003年4月16日付)

昨今,中国,韓国,インドなどアジア諸国から米欧の大学・大学院への留学生が増えているのに対して,日本からの留学生は減少していることが問題視されている.グローバル化した世界において,世界に目を向けず,内向きな人達が増えるような国に明るい未来があるとは思えないという危機感のあらわれだろう.なお,個別的な具体例として,米国ジョージア工科大学のことを「アメリカの大学院を目指してみよう」に書いてあるので,読んでもらうといいだろう.

しかし,留学生の数だけが問題なのではない.上記の記事をよく読んで欲しい.世界トップクラスの大学院に対して,「たいして勉強しなくてもいいと思った.IITでの教育に比べたら,ずいぶんと楽だったから」という感想をインド人学生は持つのだ.もはや彼らは必ずしも米欧に留学する必要性を感じない.自国で教育を受け,グローバルに戦えると思っている.

ところが日本では,教育改革が遅々として進まず,学力低下だけは明らかになってきている.世界が,英語もできず,ろくな人材も育たない日本を相手にする必要はないと感じてもおかしくはない.中国やインドは優秀な博士を大量に育成できるようになりつつある.その数は日本とは桁違いだ.そのような状況下での今回の大震災だ.諸外国は人道的な観点から日本を援助してくれるが,ビジネスは別の話だろう.教育を疎かにしてきたツケはいずれ払わないといけない.覚悟しておいた方がいい.

「東欧は目を覚ましかけているし,中国もサービス産業で時流に乗っていろいろなことをやろうと手ぐすね引いて待ちかまえています.インフラが整備されているおかげで,今日では世界各地のどこからでも最高の製品やサービスや能力を調達できます.あとはインフラを利用しようという意思さえあればいい.だから,さまざまなビジネス,さまざまな人々が,このインフラを楽に使いこなせるようになれば,大爆発が起きますよ.五年ないし七年後には,英語ができる優秀な中国人学生が大量に大学を卒業する.ポーランドやハンガリーは地理的にヨーロッパ西部にも近く,関係も非常に深い.文化も大差ない.いまインドは一歩先んじていますが,その位置を守るためには,相当な努力が必要です.立ちどまることなく自分を変え,さらに変え続けなければなりません.(中略)世界はサッカー場のようなもので,そこでプレイするチームとして残るためには,鋭敏でないとだめです.実力がなかったら,ベンチを温め,ゲームを眺めるはめになります.しごく簡単でしょう」

(ゲーム会社ドゥルバ・インタラクティブを設立したラジェシュ・ラオ)

日本はこれからどのようなプレイヤーになるのか.それ以前に,あなたはこれからの世界でどのようなプレイヤーになるのか.真剣に考えた方がいいだろう.他者には置き換えられない個人になれるかどうか.これが重要になる.置き換えがきくなら,あなたに任せる必然性は何もない.このような状況下で,勉強しないのは勝手だが,そのツケは自分が払うしかない.

どうも馬鹿親が増殖しているようなのが気になるが,もはや日本の中でどうこうという段階ではない.ぬるま湯に浸かってボケーッとしている日本人と違って,猛烈に勉強し,仕事をする外国人がいくらでもいる.これからもっと増えていく.そういう世界になったことを認識する必要がある.

  8 Responses to “「フラット化する世界」における大学教育の国際競争”

  1. 教育における競争原理や市場システムの導入については、多くの批判も出ています。参考までにChomskyの意見の一部をあげておきます。

    Barsamian:教育システムの大部分は成績、他の生徒をテストで打ち負かすこと、教室の前に出て先生から褒められることに基づいた報酬システムのまわりに築き上げられています。

    Chomsky:そうです。それは特別な種類の訓練です。それは非常に反社会的な行動の訓練で、人間にとって非常に有害です。それは教育には必要ありません。

    Barsamian:どんなふうに有害なのですか?

    Chomsky:その人間を、他人の業績を喜ぶのではなく、他人の敗北を見て喜ぶような人間にしてしまいます。

    (中略)

    Bersamian:教育システムを通り抜けるあいだに、競争原理、ナンバーワンになること、人より前に出ることを内面化してしまうと、職場にたどり着く頃にはほとんど元に戻せなくなってしまうような気がします。

    Chomsky:そうかもしれません。もしそうなら、気の毒なことです。職場では手を取り合って働くべきなのに。たとえば、すくなくとも学部の科学研究講座などでは、そんなふうになることもあり、そうなるとまったく破壊的です。ましな講座ではそうはなりません。反対にみんな一緒に勉強します。共通の目的があるからです。ほかの人の実験を失敗させようなどとはしません。

    『グローバリズムは世界を破壊する』(明石書店)より

    • 現行の教育実態と,それを支配している価値観は,根本的におかしいと感じています.
      現状のままではダメなのですが,だからと言って,
      教育を,低俗な意味での社会の一サービスとみなす風潮には我慢がなりません.
      そういう発想で,教育「産業」に競争原理や市場原理を導入しろという主張にも反対です.
      そういう主張をする人にとって,理想の教師とはどんな人なのでしょうね.

      ちなみに,教育への競争原理の導入には反対ですが,
      運動会で順位をつけないとかいう馬鹿げた話とは別ですよ.

      • >教育を,低俗な意味での社会の一サービスとみなす風潮には我慢がなりません.

        教育が『低俗なサーヴィス』であっていいわけがありません。しかし教育がサーヴィスであることは明らかです。

        学生、生徒が学校で教育を受けることは憲法で補償された『権利』であって断じて『義務』ではありません。『義務教育』などといって子どもに教育を押し付ける教師や親がいらっしゃいますが、それは大間違いです。憲法や教育基本法を見ればわかりますけど、『義務教育』の『義務』とは『子どもが教育を受ける権利を保障するために親(保護者)に課せられた義務』なのです。これは世界の常識です。

        サーヴィスをする立場である教師がサーヴィスを受ける立場である学生、生徒に対して説教をやることは、レストランでコックが客に説教するのとたいして変わらないと思いますね。

        大学に限らず、あらゆる教育機関で、学生、生徒の『権利』が『義務』に転落しているのが現実です。

        日本でやってるのは教育でなくて『調教』ですね。そして先生は教師ではなくて『調教師』です。

        だって、Chomskyの指摘するように、教室や実験室で学生、生徒に求められていることは、ひたすら先生に従順であること、先生が言うとおりにやるり、実験室では教授が気に入った実験結果を出すことが正しいこととされ、そのような生徒や学生が立派な学生、生徒なのです。

        教育の問題を解決するのは、学生、生徒ではなくて、サーヴィスを提供する側の教師、教官です。レストランで料理に問題があるのでしたら、客のせいにしないで、コックは自分の腕を問題にすべきですよね。

        受験校や塾、大学の研究室などを見ていますと、学生にサーヴィスする立場であるはずの教師や教官が猛威を振るい、サーヴィスを受ける立場である学生、生徒が学校や大学教官の名誉の道具になってしまっているところがたくさんあります。本当におかしいと思いますね。

  2. しきちゃんさんの意見については,賛成する点と反対する点があります.

    <賛成する点>
    ・義務教育の義務について.
     ところが,「義務教育だから学校が面倒みろや!誰が給食費なんて払うか!」と
     いう馬鹿親の存在が話題になりましたね.
    ・学生の権利が不当に扱われているケースがあるという指摘.
     教員の資質が問われますね.

    <反対する点>
    ・教員がコックで,客が生徒というレストランの例.

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    反対する点についての私見:

    「サーヴィスをする立場である教師がサーヴィスを受ける立場である学生、生徒に対して説教をやることは、レストランでコックが客に説教するのとたいして変わらないと思いますね」という立場は,私が考える教育とは全く異なります.仮に,レストランみたいな学校があったら,自分の子供をそんなところへは決して行かせません.

    レストランで客が好き嫌いを言うのは許されるでしょう.どうぞ好きなものだけを注文して下さいとレストランは言うでしょう.食べ残しても,ウェイターかウェイトレスがきちんと後片付けしてくれるでしょう.

    つまり,教育機関はレストランみたいなものだということは,学生が心地良くなるような,美味しく食べられるメニューだけを揃えろということですか.好き嫌いするな!(○○実験は必修だ!)なんて指導は,お客様である学生にしてはならないということですか.お客様が望まない料理を強制する(宿題を出す)なんてもってのほかであり,もちろん,挨拶できないのはけしからんとか,態度がなってないなんて,そんな耳障りな説教は論外ということですか.だって,そんなことをしたら,お客様の気分を害してしまうから.そういうことですか?

    いやそうではないはずですよね.
    しきちゃんさんが,そのように考えておられるとは思いません.
    だとしたら,教育現場をレストランと一緒くたにするのはやめて,その喩えを撤回して下さい.
    その例は必ずしも適切ではないと思います.

    率直に言うと,私は,こういう喩えが嫌いです.
    議論をミスリードしやすいですからです.
    正確な喩えというのは,本当に難しいと思います.
    ですから,喩えは使わずに,正面切って問題を議論するのが良いと思っています.
    それが,「教育を,低俗な意味での社会の一サービスとみなす風潮には我慢がなりません」と書いたことの意図でもあります.
    ご理解いただけると嬉しいです.

    ちなみに,「料理に問題があるのでしたら、客のせいにしないで、コックは自分の腕を問題にすべきですよね」には同意します.
    日本の大学も,学生による授業評価を本格的に導入したらいいと思います.
    もちろん,勉強しない学生に単位と卒業証書を無暗に与えるのもやめなければなりません.

  3. 補足ですが,Chomskyの指摘に登場するような先生と学生の関係はいけないと考えています.そんなものは,まともな教育ではないと思いますから.

    > だって、Chomskyの指摘するように、教室や実験室で学生、生徒に求められていることは、ひたすら先生に従順であること、先生が言うとおりにやるり、実験室では教授が気に入った実験結果を出すことが正しいこととされ、そのような生徒や学生が立派な学生、生徒なのです。

  4. ところで,しきちゃんさん.
    教育はこうすべきだ!と具体的な提案はお持ちですか?
    もしあれば教えて下さい.
    色々な意見を聞いてみたいのです.

  5. >教育はこうすべきだ!と具体的な提案はお持ちですか?

    わたしのような薄学な人間に教育のあるべき姿を断言することはできませんがいくつかの点を述べたいと思います。

    教育は社会における人間の営みの一部であるので、現在の人間社会の考察ぬきには教育を語ることはできないと思います。

    人間社会の理想は『自由、平等、民主主義』だと思います。しかし、歴史や現代の資本主義社会を考察すれば、人間社会はあまりにも理想から乖離しれおり、人間はあまりにも不完全です。

    Albert Einsteinが雑誌Monthly Reviewの創刊号に寄稿した『Why Socialism?』(日本物理学会の『科学、社会、人間』94号2005/9/10に翻訳が載っています)は1949年の小論文ですが、現在見ても人間社会の問題点を歴史的、社会科学的考察をもとに鋭く穿った点で非常に印象的です。

    http://monthlyreview.org/2009/05/01/why-socialism

    Einsteinは資本主義社会における教育者が調教師にすぎないことを見抜き、資本主義の害毒を取り除くためには社会主義以外にはないと述べています。

    ベネズエラのHugo Chavezはcapitalismはimperialismの政治的表現に過ぎず、socialismこそdemocracyであると喝破しましたが、人間がまともであり民主主義が完全に機能すれば社会主義国家になると思います。しかし現実は、人類はあまりに未熟で愚かであるため、差別、貧困、戦争、環境破壊などの社会悪を克服できないのではないでしょうか。

    私は『自由、平等、民主主義』を教室で実践することが教育に求められていくべきではないかと思います。

    近年、フィンランドは覇権主義や事大主義の元凶となる競争や市場原理的なものをできるだけ排除した先進的な教育を行ってPISAの学力評価で最高評価を得て着目されています。『競争やめたら学力世界一(朝日新書)』をはじめフィンランドの教育に関する書物は日本でもかなり出版、翻訳されていますが、Noam Chomskyの教育に対する考え方と共通するものが多くあると思います。日本の教育学者では佐藤学さんが同様な哲学のもとで教育改革を実践しています。

    Chomskyの教育に関する書物では、『チョムスキーの教育学(明石書店)』は実に驚くべき内容です。

  6. “Why Socialism?”の紹介,ありがとうございます.
    読んでいませんでしたので,早速目を通します.

    昨今の教育が,今の社会(特に産業界)に近視眼的な観点から貢献できるかどうかが主に問われて,本来どうあるべきかという視点が欠けているのは,ご指摘の通りと思います.PISAの学力評価結果にしても,日本では「順位が落ちた」ことばかりが注目され,一位になったフィンランドの教育のテクニカルな面が取り上げられ,本質的なことが議論されないことが多いように思います.在野には優れた取り組みも多いので,私も勉強します.

    「人間がまともであり民主主義が完全に機能すれば社会主義国家になる」という点については,人間がまともであり民主主義が完全に機能すれば,自由競争が反社会的活動にはならないのだと思っています.

    『チョムスキーの教育学』も読んでみます.

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