4月 292011
 

今回の東日本大震災や福島原子力発電所事故の被害は確かに甚大だが,しかし,それも終わりの始まりにすぎないかもしれないという現実を直視できる人は一体どれだけいるのだろうか.今を生きている人類の行動は全体として全く持続可能なものではなく,人類は絶滅危惧種,それも他に類を見ない自殺しつつある種であるという現実から目を背けている余裕はない.

現在の地球の状態を考えれば,そして人類の過去を振り返り,その未来に目を向ければ,今望まれる日本の復興というのは,決して以前の姿に戻ることではないように思われる.日本人の叡智を集め,新しい社会を作り上げていくべきなのだろう.そうでなければ,復興というよりも,むしろ元の木阿弥ではないかと危惧される.

残酷なことを言っているのかもしれない.人間なんて弱いものだ.どうしようもない危機を前にすると,立ちすくんでしまう.目を閉じて,耳を塞いで,これは現実じゃないと自分に言い聞かせたくなる.そこまでしなくとも,無関心を装う.危機が黙って通り過ぎてくれることを祈りながら.

自分が住んでいるところだけは地震が来ないし,原発も事故を起こさないといった幻想を抱くのも,そういうことだろう.しかし,それでは何も解決しない.危機は黙って通り過ぎてくれそうにない.

少なくとも,無関心であってはいけないのではないだろうか.震災にしても,原発にしても,地球環境のことにしても,そして何より自分自身の生活の仕方,あるいは生き方についても.まず気付くこと,目を逸らさないこと,それが大きな意味のある第一歩になるだろう.

今,我々は価値観の大きな転換を求められているのではないだろうか.自然や他人を犠牲にしても金儲けができればいい,自分さえ良ければ,自己保身さえできればいいという考え方は時代錯誤も甚だしい.今回の原発事故で,国や企業や大学で重要な地位にいる人達が必ずしも善良ではないと改めてわかった.「そんなこと昔からわかっている」と言われるかもしれない.全くその通りだが,では,なぜ,そのような状態がずっと放置されてきたのだろうか.結局,我々の無関心がそうさせてきたのではないだろうか.今回のような自然及び人的災害が起きて,被災した人達の苦悩には心が痛むが,それでもなお無関心な人達もいる.その現実は,端的には,震災後に行われた地方選挙の投票率を見れば明らかだろう.

道徳の時間に子供たちは説教される.「いじめはダメ.いじめを見て見ぬふりするのもダメ」と.でも,考えてみれば,その説教には説得力の欠片もない.ちょっと社会を見てみれば,いたるところに,いじめと無関心が蔓延しているとわかるのだから.

まずは,今起こっていることに関心を持つこと,そして考えてみること.それが大切なのではないだろうか.

「関心を持っても,考えても,どうしたらいいかなんて分からないし,世の中は変わらない」と言われるかもしれない.人は,いつから,こんな諦観に支配されてしまうのだろうか.たとえ世の中は変えられなくても,自分は変われる.自分が変われば,何かが変わるだろう.

とても残念なことだが,原発問題で不正直な対応を繰り返す政府や役所や企業は海外から全く信用されていない.日本人として実に情けないことだが,しかし今回の震災で海外の注目を集めているのは,そのような不正直さだけではない.被災した人達も,その人達に関わろうとする人達も含めて,一般の名もない日本人が自然と示す態度に,日本人が受け継いできた精神に,世界から驚きと賞賛が送られている.

もちろん道程は険しいだろう.それでも,人類の未来はかくあるべしという範を,日本が世界に示せるといいなと思う.それが日本人にはできると思う.