6月 272011
 

佐藤一斎「言志四録」を読む
神渡良平,致知出版社,2003

「言志四録」を遺した佐藤一斎は,岩村藩に生まれ,後に学問所昌平黌(しょうへいこう)の儒官にまでなった人物である.昌平黌の儒官と言えば,現代で言えば東京大学総長に喩えられる.昌平黌儒官の方が遙かに凄いのではないかと想像してみたりもするが.

佐藤一斎の弟子には佐久間象山らがおり,勝海舟,吉田松陰,坂本竜馬,西郷隆盛ら幕末の志士も多大な影響を受けたとされる.例えば,西郷隆盛は「言志四録」を座右の書とし,「南洲翁遺訓」に佐藤一斎の影響を見ることができる.

本書「佐藤一斎「言志四録」を読む」は,神渡良平氏が様々なエピソードを交えながら,言志四録に収録されたいくつかの条を解説したものである.そのエピソードや解説が実に素晴らしい.心に響く.

講説はその人にありて,口弁にあらず.

(講義で説くことが聞く人を納得させ得るかどうかは,講義をする人の人物いかんにあるのであって,決して口先の説明にあるのではない.)

佐藤一斎「言志晩録」

この言葉を地で行くようだ.偉人の生き様を研究し,人間が立派に生きるためには志が欠かせないとする著者らしい.

まず,その志に関する言葉をいくつか紹介したい.

凡そ学をなすの初めは,必ず大人たるを欲するの志を立てて,しかるのちに書読むべきなり.しからずして徒に聞見を貪るのみなれば,則ち恐らくは傲りを長じ,非を飾らん.これいわゆる寇に兵を仮し,盗に糧を資するなり.虞るべし.

佐藤一斎「言志耋録」

命を知らざれば,以て君子たること無きなり.

孔子「論語」

そもそも人間が志を立てるということは,いわばローソクに火を点ずるようなものです.ローソクは火を点けられて初めて光を放ちます.同様にまた人間は,志を立てて初めてその人の真価が現れるのです.志を立てない人間というものは,いかに才能がある人でも,結局は酔生夢死の輩に過ぎないといえます.

森信三「修身教授録」

志というものは,充実した虚無的自覚に立つものでなければ,本物とはいえない.

安岡正篤「東洋人物学」

強烈だ.志を立てることの重要性が緊緊と伝わってくる.教育に携わる者として,学生にもこのことを伝えたいと願っているのだが,それこそ「講説はその人にありて,口弁にあらず」であって,私ごときではまだまだと痛感する.(四書の)大学には修身斉家治国平天下とあるが,(日本の最高学府である)大学について論ずる以前に,一身を修めないと話にならない.

学生に人生の夢を聞いてみた: 金儲けは人生の目的に値するか」や「京都大学新入生に夢を聞いてみた」などにも書いたように,今時の学生に夢を尋ねてみると,彼らが京大生であるということを意識したとき,落胆させられる回答も少なくない.試験勉強に明け暮れても,明け暮れなくても,人は放置しておいたら大志を抱くようになるものではないのだろう.「夢を叶えるための勉強,夢を形づくるための勉強」にも書いたように,「夢」をくだらない欲望にしてしまわないために,勉強する必要がある.

その勉強も,今すぐに取りかかる必要がある.明日からではない.

あすがある.あさってがあると考えている間は,なんにもありはしない.かんじんの「今」さえないんだから.

自分をつくっていくということは,一秒一分でもだいじにすることだ.

東井義雄(卒業生に贈った色紙)

しかし残念がながら,若くしてこのことに気付くのは難しい.本書「佐藤一斎「言志四録」を読む」でも四十歳という年齢があちこちに登場する.その齢に達しないとなかなか気付けないということだ.「十有五にして学に志す」などというのは,やはり尋常ではない.しかし,その孔子にしても,「四十にして惑わず.五十にして天命を知る」であって,天命を知るのは並大抵のことではないとわかる.果たして凡人に為すべきことがわかるのだろうか.あるいは,どうすればわかるのだろうか.

そのような問いを投げかける訪問者に対する森信三の答えが引用されている.

問い尋ねる姿勢がまだ曖昧だから,心が決まらないのです.

本当に,時間を無駄にしている場合ではない.ましてや,人の欠点に目を向けている場合ではない.

他人の欠点はだいぶんバカにでも見える.しかし自分の欠点はバカや怠け者には決して見えない.自分の欠点が見えるだけでなく,それに挑み,改めていける人となると,もう大したものだ.

東井義雄(卒業生に贈った色紙)

本書「佐藤一斎「言志四録」を読む」では,人の品格を判断するための基準が示されている.

第一に,その人がいかなる人を師として仰いでいるか.

第二に,その人がいかなることを人生の目標としているか.

第三に,その人が今まで何をしてきたか.

第四に,いかなる書を愛読書としているか.

最後に,その人の友人を見ること.

これらは,まさに,私が担当講義で学生に対して質問(アンケート調査)していることだ.

  • 自分の人生で成し遂げたい「夢」は何ですか.
  • 将来,どのような仕事をしたいと考えていますか.
  • その仕事に就くために,どのような努力をしていますか.あるいは,何を心掛けていますか.
  • 座右の銘は何ですか.それは誰の言葉ですか.
  • 歴史上の人物(現在生きている人も含む)で,私淑する,または親炙に浴する人は誰ですか.
  • 過去1年間,平均して1ヶ月に何冊本を読みましたか.
  • 自分の人生に大きな影響を与えた,あるいは最も印象に残っている本は何ですか.

つまり,このような問いに答えてみることで,自分が果たしてどの程度の人物であるのかを意識してもらおうというわけだ.もちろん,大学新入生が大人物であることなど期待していない.自分の生き方について考えてみるという行為がありうることに気付いてもらう切っ掛けを与えようとしている.その効果は定かでないが,毎年,確実に若干名は衝撃を受けてくれているようなので,無駄ではないと信じている.

しかし,自分をつくるためには,どうすればよいのだろうか.神渡良平氏はこう説いている.

人間には「みんなで渡れば怖くない」という群集心理がある.物陰に隠れ,匿名でいようとする.その方が安心だからだ.しかし,その一方では,「その他大勢の一人ではありたくない」と,自己の絶対性を主張するものがあり,自己実現を図ろうとする.座禅,静坐,瞑想,内観を実習すると,後者の「自己の絶対性」が育まれるのだ.

ほら,そこのTwitterでつぶやきまくっている,あなた.それだけではダメなんじゃないの?ということだ.

とりあえず,佐藤一斎が「凡そ学をなすの初めは,必ず大人たるを欲するの志を立てて,しかるのちに書読むべきなり」と言っているのだから,志の一つでも立てて,本を読んでみたらどうだろう.もちろん,読む本は慎重に選ばなければならない.

書はみだりに読むべからず.必ず択びかつ熟するところありて可なり.ただ要は終身受用せば足ると.

佐藤一斎「言志後録」

これを一生をかけて実践した人達がいる.

例えば,幕末から明治にかけて住友総理事を務めた広瀬宰平は,生涯一冊の本しか読まなかったという.彼が唯一読んだ本は,あの二宮尊徳が二度も買い求めた本でもある.その本とは,経典余師.儒学古典の入門書だ.このように,読むべき本というのはおおよそ決まっているものだ.だからこそ,それらは古典と言われる.

最後に,ノーブレス・オブリージ(noblesse oblige)について触れておきたい.そう,またこれだ.「感謝することと責任を果たすこと」などにも散々書いてきたが,これこそがエリートの条件だと思う.辞書的には「高い地位に伴う道徳的・精神的義務」ということになる.高い地位に就く人はそれなりの道徳的・精神的義務を負っていると考える人は少なくないだろう.この義務に関連して,本書で神渡良平氏が次のような指摘をしている.

上に立つ者にはそれ相応の責任もついてまわる.人間が万物の霊長だとすると,自分が稼ぐことだけではなく,万物の長,あるいは地球環境の長としての務めも忘れてはならない.

こういう視点で地球環境問題を捉えたことがあるだろうか.政治家の責任だとか,社長の責任だとか,そんなことは言えない.人間の責任だ.その責任を負うのが嫌だと言うのなら,人間をやめてしまうか.他人を批判するのは簡単だ.「他人の欠点はだいぶんバカにでも見える」.しかし,それで自分が偉くなったりすることは絶対にない.よく考えよう.

目次

  • 第一章  『言志四録』に鍛えられた人々
  • 第二章  志を養う
  • 第三章  自己を鍛える
  • 第四章  人生、二度なし!
  • 第五章  運命を切り拓く