7月 152011
 

文明の生態史観
梅棹忠夫,中央公論社,1998

文明について考えるとき,日本人の多くは,西洋(欧米)vs東洋(日本を含むアジア)という構図で捉えるようになっているのかもしれない.あるいは,日本以外のアジアになんて興味はなくて,西洋vs日本なのかもしれない.ところで,アジアとは何なのか.

梅棹忠夫は次のように指摘している.

だいたい,アジア州などという観念はだれがきめたのだ.地理的な名まえとしも,ユーラシア大陸からヨーロッパをのぞいたものを,アジアとよんでいるにすぎないのである.それを平気で踏襲して,文化的にも歴史的にも,本気で「アジアは一なり」などとかんがえることは,アジアに関するおどろくべき無関心と思考の粗雑さをしめすものといわなければならない.

梅棹忠夫は,西洋かぶれの日本にありがちな,西洋と日本を対比させ,世界のそれ以外の部分には注意を向けない,底の浅い文明論を突き放す.中央アジアや東南アジアに調査旅行に行き,自分の目で現地の人々,その生活様式や文化を見て,自分の肌で感じ,そのようにして得た見聞に基づいて,世界の様々な文明がどのような関係にあるのかを自分の頭で考え,そして自分の言葉で語っている.

そうして生まれたのが,「文明の生態史観」その他の論説だ.

一世を風靡した「文明の生態史観」では,西洋vs日本という文明の捉え方を否定し,むしろ旧世界全体を視野に入れて文明を比較すれば,西欧と日本は極めて類似していると主張する.そして,西欧と日本を第一地域とすれば,ユーラシア大陸の西端にある西欧と東端にある日本とに挟まれた広大な地域が第二地域であり,大きな違いが見られるのは,第一地域と第二地域の間においてであるという.

第一地域として同じカテゴリーにまとめることができるほどに,西洋と日本の文明は酷似している.だからこそ,細かい点において,西洋vs日本という比較・考察が成立するというわけだ.西欧と日本の差異に比べれば,第一地域と第二地域の差異は甚大である.ここに着目したのが,梅棹忠夫の比較文明論と言えるだろう.

もちろん,梅棹忠夫は,明治維新以降の近代化した日本と,その範とされた西欧が似ていると言っているのではない.もっと歴史を遡ったところに立ちかえり,その長い歴史のなかで日本と西欧が経験してきたことが似ていると指摘している.例えば,中国,メソポタミア,インドなど第二地域で古代文明が栄えた昔,第一地域の日本や西欧は辺境の地でしかなかった.あまりに辺境にあったため,帝国の支配を免れた.その後,第二地域の帝国は内外での領土争いに明け暮れて,ついには滅んだが,第一地域は封建制を経て,植民地政策をとる列強となっていく.

鎖国のために,東南アジアに対する日本の侵略と植民地化のうごきは,200年以上おくれることになってしまった.(中略)もし鎖国がなかったら,東南アジアのかなりの部分は,はやくから日本の属領になっていたかもしれぬ.そして,領土のとりあいから,イギリスやフランスと,ずっとはやくに一戦をまじえていたかもしれぬ.

鎖国なんかして,おしいことをした,といっているのではない.日本という国は,歴史のすじがきからいうと,東南アジアにとっては,しょせんイギリス,フランス,オランダなどとおなじ役わりをはたすような国なのだ,ということである.それはかならずしも,明治以来の軍国主義のもたらした結果ではない.それは,本来的には,日本と東南アジア諸国との,文明史的なシチュエーションのちがいによるものであり,また,日本と西ヨーロッパ諸国とのシチュエーションの類似にもよることである.

興味深いのは,地理的には極めて離れた,西端の西欧と東端の日本とが類似した文明史を経ていることだろう.しかも,梅棹忠夫は,そこには必然があるのだという.それが生態史観である.

このような壮大な比較文明論を創り出す才能には驚かされるが,あくまでもそれは,現地調査を土台としている.自分の目で見て,自分の肌で感じて,自分の頭で考えて,自分の言葉で語る.このことの重要性を痛感する.

それでは,この文明の生態史観によれば,今後の世界はどのようになるのであろうか.

現代は,ひとくちにいえば,第二地域の勃興期だ.おそらくまだ革命の波はつづくだろう.そして,つぎつぎ,強力に近代化,文明化の方向にすすんでゆくだろう.人民のくらしは楽になり,第一地域の人たちの生活に接近するだろう.そこでどうなるか.

生活水準はあがっても,国はなくならない.それぞれの共同体は,共同体として発展してゆくのであって,共同体を解消するわけではない.第二地域は,もともと,巨大な帝国とその衛星国という構成をもった地域である.帝国はつぶれたけれど,その帝国をささえていた共同体は,全部健在である.内部が充実してきた場合,それらの共同体がそれぞれ自己拡張運動をおこさないとは,だれがいえるだろうか.現に,われわれは,第二地域の各地において,その兆候らしきものを観察することができるように思う.

第二地域は,将来四つの巨大なブロックの併立状態にはいる可能性がかなりおおいとおもう.中国ブロック,ソ連ブロック,インド・ブロック,イスラーム・ブロックである.それぞれは,たしかに帝国ではない.しかし-こういうところでトインビー氏の用語を採用するのは,いささかわたしの自尊心にそむくのだが-それらはかつて,かれらが属し,革命によって破壊したところの,むかしの帝国の「亡霊」でありえないだろうか.それぞれ,清帝国,ロシア帝国,ムガル帝国,およびスルタンのトルコ帝国の亡霊たち.

もし,そういうふうになってきたとき,そのほかの第二地域に属するたくさんのちいさな国ぐに,および,巨大なる亡霊のふところにのみこまれた多数の異民族,こういう人たちがどんなふうにとりあつかわれてゆくだろうか.それは,われわれ第一地域に属して,単一の民族で共同体を形成しているものには全然ない問題だ.それは,かれら,第二地域の人たちの課題である.

このことは指摘しておくべきだろう.「文明の生態史観」と一連の著作は,梅棹忠夫がアジア諸国を調査旅行した1950~1960年代に書かれたものである.

驚くべき考察だ.

目次

  • 東と西のあいだ
  • 東の文化・西の文化
  • 文明の生態史観
  • 新文明世界地図—比較文明論へのさぐり
  • 生態史観から見た日本
  • 東南アジアの旅から—文明の生態史観・つづき
  • アラブ民族の命運
  • 東南アジアのインド
  • 「中洋」の国ぐに
  • タイからネパールまで—学問・芸術・宗教
  • 比較宗教論への方法論的おぼえがき

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