7月 172011
 

現代における知識人の文明史的地位を要約するならば,それは,現代の高度産業社会の展開によってもたらされた一種の不適応グループであり,現代社会における一種の後進地帯を形成するものという見かたもできないわけではありません.その言論は,しばしば,いわゆる進歩的ないしは急進的な形を取りますが,そのはたす機能は,じつは,文明の進歩に対しては,しばしばブレーキとして作用することがおおい.意外に,保守的あるいは場合によれば反動的役わりをはたすグループであろうとおもいます.

「文明の生態史観」(梅棹忠夫,中央公論社)において,梅棹忠夫はこのように述べている.現代知識人が不適応グループであるのはなぜだろうか.この見方も,知識人の言説についての経験から導かれている.梅棹忠夫が発表した「文明の生態史観」は大きな反響をよんだが,文明史の一つの見方を提示したと考える氏の予想に反して,そこから,だから日本はこうあるべきであるというような主張を導き出そうとする知識人が非常に多かった.

わたしは,日本の知識人の「べき」ごのみに,たじたじとなったのであります.それほどまでに,実践的姿勢がつよいとは,じつはあまりおもっていなかったのであります.わたしはもともと,理論というものは,そのような実践的立場からいちおう自己をときはなつことによって,はじめて成立しうるものであると信じてきたのでありますが,じつは,よく気をつけてみていますと,日本のいわゆる論壇における議論というものは,ほとんどが,実践的立場の表明であり,当為の主張であるということを発見したのであります.一般には,わたしが信じてきたのと反対に,「論」あるいは「理論」というのは,じつは「べき」の指針をあたえることであったのかと,あらためて感心したのであります.

この「べき」好みは一体どういうわけなのか.梅棹忠夫は次のように分析してみせる.

わたしは,日本の知識人の主流は,やはりできることなら政治家になるはずの人たちであったのではないか,とかんがえています.はじめから,つよい政治的志向性をもって人間形成をおこなったのであるが,たまたま条件がゆるさなかったので,じっさいの政治家にはならなかった.いわば,なれなかった政治家なんです.あるいは,挫折した政治家なんです.だから,状況さえゆるせば,いつでも政治家に横すべりできるような人間,あるいは横すべりしたいとのぞんでいる人間が,官僚群のなかだけではなく,言論界にも,教育界においてさえ,たくさん存在するのであります.

確かにその通りであるように思われる.とにかく政治談義をしていたい人達は多そうだ.

しかしながら,じっさいには,大多数の知識人には,政治家への横すべりの条件はととのわないし,政権担当の機会はおとずれてこないものです.かれらは,しょせん政治家にはなれない人たちなのです.しかし,それにもかかわらず,その意識は一種の為政者意識というべきものになっている.(中略)ところが,いつまでたっても政権はまわってこないのですから,かれらはそこでフラストレーションをおこす.じつは,現代インテリの政治談義というものは,-こういう表現はいささか暴論めいて恐縮でありますが-一種の欲求不満の表明であるといえないこともない,とおもうのであります.

まあ,それでも,しょせん政治家にはなれないことがわかっているからこそ,お気楽に適当臭いことを言っていられるのだろう.政治談義は欲求不満の捌け口として悪くないのかもしれない.むしろ,政治家になってしまった場合が恐ろしい.

ところで,どうして日本では,欲求不満だらけの,政治家にはなれない知識人が量産されることになったのか.梅棹忠夫の考察はその原因へと向かう.

江戸時代における政学一致については,さきにいったとおりですが,そのときには,人口的にもほぼ固定された為政者階級に,高等教育をほどこしているのですから,その場合は分裂がおこりようがない.ところが,明治以降は階級のわくをはずして教育が進行しはじめるから,必要な為政者の人口わくを超過して,知識人が量産されてくる.必然的に,じっさいの為政者と,意識だけの為政者とに分離してくる.後者が,フラストレーテッド知識人として,もっぱら政治論議を展開する役をする,というわけです.

なるほど.原因の1つは教育の普及にあるというわけだ.

もうひとつの原因は,日本の産業化の進行にともない.治国平天下的な学問ではとうてい政治が運営できなくなってきます.そこで,伝統的な政と学とのからみあいよりも,むしろ,産業あるいは実業と政治とのからみあいのほうが,はるかに重要になってくる.さらにのちには,技術と政治とのからみあいも,ひじょうに重要となってくる.実業あるいは技術は,伝統的な型の知識人の,いわば盲点になっている.そこで,文化的インテリにかわって,実業インテリ,技術インテリともいうべきグループが頭をもたげてきて,それが政治とむすびついて,現代の社会を運転しはじめる.そうなると,文化人的インテリはますます疎外されて,ますますフラストレーションの度をくわえてくる,ということになります.

こういう視点で政治談義をしている巷間の知識人を眺めると,彼らの言説や行動を理解しやすいのかもしれない.

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