7月 262011
 

日本人の英語
マーク ピーターセン(Mark Petersen),岩波書店,1988

日本文学に造詣の深い著者が,日本人の英語にありがちな問題を指摘している.対象は,英語の苦手な一般日本人だけではない.その日本人が使っている英文法の教科書の説明も全く不可解だとバッサリやられている.これでは,中学高校で英語を6年間勉強してもダメなわけだ...

ともかく,本書「日本人の英語」を読んで,何度も顔面蒼白になった.「そんな英語はない!」と断じられている表現を,一体どれだけ平気で使用してきたことか...

例を挙げよう.

thereforeという言葉は,非常に堅い論理的関係を表し,学術論文には大切なものである.thereforeは,書き言葉のaccordinglyやconsequentlyより,さらに改まった印象がある.「その理由で」という意味で,推論の正確さや精密さを示し,特に数学や法律などの形式ばった文章に目立つ言葉である.

日本人の書いた英文には,センテンスの冒頭に”Therefore,”がいやに多い.thereforeに関してもっとも勧めたいのは,原則として冒頭にコンマで区切った”Therefore,”を一切使わないことである.どんなことを書こうとしても,この書き方だけは使う必要はないのである.

告白するが,”Therefore,”のない論文を書いた記憶がない...

その他の「べからず」集も見ておこう.

現実問題として,日本人の書いた学術英語論文を見ると,受身の単なる使いすぎが実に目立つ.単純な例であるが,

The following results of this experiment were obtained:

のような弱々しい英文もよく見かける.それをまずもう少し慣用語法にかなった順序に直せば,次のようになる.

I this experiment, the following results were obtained.

これで形が英語らしくなってきたが,この受身には,虚弱な雰囲気がまだある.同じ内容で,もっと自信を持った,迫力のある表現はいくつも考えられるが,それは

We obtained the following results in this experiment:

とか,

The experiment yielded the following results:

とか,あるいは

The results of this experiment are as follows:

という文章のように,すべて能動態である.

この「離れすぎ問題」は実に多い.さまざまな形で現れるけれども,私個人のもっとも嫌いなのは”… was investigated.”である.その表現をもう二度と見かけなければと常に思う.誰が調査したかを隠すことが別になければ,やはり主体を明白にし,能動態にした方がはるかに現代学術論文らしくなる.他にも”… was determined”や”… was reported”なども.

日本人の書いた英文には,センテンスの冒頭に”Especially, …”という言葉をよくみかける.いうまでもなく,それは日本語のセンテンスの冒頭によくでてくる「特に,」あるいは「とりわけ,」のつもりで書かれたものにすぎないであろうが,英語にはそういう表現はない.「特に,」あるいは「とりわけ,」という意味をもつespeciallyは確かに単語としては存在するけれども,上の形でセンテンスの冒頭にでてくる”Especially, …”は,英文をいくら探しても,見つかるはずがない.この言い方はないのである.上のセンテンスを直す方法はいくつも考えられるが,早い話が”Especially, …”を”In particular, …”にする.

英語のネイティブ・スピーカーの書いた英語論文より,日本人の書いた英文には”Accordingly, …”や”Consequently, …”が圧倒的に多い.それは必ずしも間違いではないかもしれないが,私の見てきたかぎりでは,半分以上は不自然な言い方で,添削を経て生き残るものは少ない.

英語論文を書くとき:

  1. “…, so”は「だから」と「だからさ」の中間くらいで,論文には口語的すぎるので,一切使わない.
  2. sinceとbecauseの堅さはちょうど論文にふさわしい程度で,そういう意味で自由に使ってよい.ただし,因果関係を示すのにいかにも「素朴」という感じで,ソフィスティケーションの足りないような印象を与えかねない.
  3. becauseという意味をもつasという言い方は,学術論文,とりわけ科学論文には使わない方がよい.
  4. 文学や恋文などを書いていないかぎり,”…, for”を使わない.

「それは当然だよね.フン」と鼻であしらえるような指摘もあるが,耳が痛すぎる指摘もある.本当に本書「日本人の英語」を読んで良かった.

大学で研究なんてものをしていると,英語で論文を書かずにはいられない.このため,下手は下手なりに,英語で文章を書くことには慣れてくる.何度も添削をしてもらっていると,初歩的な文法ミスなどは防げるようになる.一方,なかなか使い方を習得できないのが,冠詞と前置詞だ.特に,冠詞は酷い.a,the,無冠詞,複数形をどう使い分けたらいいか判然としないことが少なからずある.この点については,本書では以下のように指摘されている.

少なくとも「冠詞を名詞につける」というような非現実的な考え方を避けるだけでも,作る英語は大分よくなると思う.英語で話すとき-ものを書くときも,考えるときも-先行して意味的カテゴリーを決めるのは名詞でなく,aの有無である.glassという名詞の意味は不定冠詞のaに「つけられた」ことによって決まってくる.あるいは,これは文脈にもよるが,”a glass”に対して,たとえば,定冠詞の”the glass”は「例の一杯」という意味に,無冠詞の”glass”は「硝子」という意味になることもある.一つの形の決まった,単位性をもつ物ならば,a chicken(ある1羽の鶏),a song(ある1つの歌),a man(ある1人の男),単位性のない,何の決まった形もない,材料的な物,集合的な概念ならば,chicken(鶏肉),song(詩歌という芸術,歌うこと),man(人類そのもの)となる.

英語を勉強し始めてから今まで,「冠詞を名詞につける」というような非現実的な考え方を教え込まれてきたような気がするのだが,気のせいか...

日本の英字新聞に掲載されたエッセイの冒頭センテンス:

The international understanding is a commonly important problem in both the West and Japan.

英語として冒頭センテンスが与える印象は支離滅裂である.

なんと言っても,”the”という言葉があるために,筆者の考え方が確実でないような不安に駆られ,主旨を理解するのが困難になるのである.theはaと同じく,名詞につけるアクセサリーのようなものではなく,意味的カテゴリーを決め,その有無が英語の論理の根幹をなすものである.”the international understanding”になると,読者は,まずいらいらして,”What!?!”と聞かずにはいられない.上のセンテンスは”The”から始まるので,ある特定のa certain specifically identified international understandingを指しているかのようにみえる.

さらに,上述の”a commonly important problem in both the West and Japan”という表現も,通常の英語では意味がとれない.英語の理解では「国際理解」はproblem(困ること)ではなく,issue(課題)である.problemというのは「国際理解の足りないこと」である.

残る問題は”commonly important”という,具体的な意味のない英語をどう考えたらよいかという問題である.大ざっぱにいえば,ふつう常識で考えられる解釈は二つある.一つは,”commonly considered to be important”(重要と一般に思われている)という意味でとる.しかし,そういう意味だったら,英語ではそうはっきりといわなければならない.もう一つの解釈は,”commonly important”は「幅広くいろいろな面で重要」という意味にとる.それだったら,

International understanding is an issue of wide importance to both Japan and the West.

に直せばよい.

これまで,支離滅裂な文章を大量生産してきたに違いない.振り返るのが恐ろしい.

冠詞theについては,次のような指摘もなされている.

本当はU.S.A.にtheがつくのは固有名詞だから,あるいは国名だからではなく,普通名詞のstatesがあるからである.The Mississippi Riverも同じである.川の名前だからではなく,普通名詞のriverがあるからtheがつくのである.

まだまだ続く.

英語では,いきなり”her cat”で紹介した場合,それはher one and only catという意味になる.もしそうでなければ,つまり,彼女の家に猫が数匹いるとすれば,猫のことを最初に言い出すとき,英語では”one of her cats”と言う.むろん,一度その猫を紹介しておけば,それ以後,「例の,その猫」という意味でher catあるいはthe catというのもあるけれども,それは日本語の「は」と「が」の使い方と同じようなものである.

日本人の中には,このように「文脈がtheが使えるほど十分に限定しているかどうか」であるという点についての混乱が多少あるようである.私の英文添削に対して,”Notes on the Writing of Scientific English”という題名に対して,「scientific Englishのwritingのことを一般的にいっているから,別にtheがなくてもよいのではないか」ときかれたことがある.

このポイントは非常に大事で,”~ing+of+名詞”のパターンもよくあれば,ofなしの”~ing+名詞”もよくあり,しかも,前者はtheのカテゴリーに入るが,後者は入らないというポイントである.つまり,”on the writing of scientific English”も,”on writing scientific English”も正しいが,on writing of scientific Englishも,on the writing scientific Englishも正しくないのである.

実は,この理屈というのはまた上述の「文脈がtheが使えるほど十分に限定している」かどうかに基づいているのである.前者の場合は,of scientific Englishのofがあるから,writingとscientific Englishの関係が修飾関係であえる.つまり,どのwritingかというと,writing of scientific Englishである.他ではなく,of scientific Englishがwritingの意味の範囲を限定している.それに対して後者の場合は,scientific Englishがwritingの「目的」にすぎず,修飾関係ではないので,十分な限定にならないのである.だから,”on the writing scientific English”という言い方はありえないのである.

以上は,本書「日本人の英語」に記載されている指摘のほんの一部である.このレベルの指摘が耳の痛いなら,とにかく本書を読んでみるべきだろう.

最後に,昨今話題の日本(人)の国際化についての指摘に耳を傾けてみよう.

英語だからといって,人の名前を逆さまにする時代はとっくに終わっている気がする.アメリカのニュースでは中国人や韓国人の名前は,Mao Tse Tung(毛沢東)とか,Kim Dae Jung(金大中)といっているのであって,けっしてTse Tung MaoとかDae Jung Kimとはいわない.ところが,日本人の名前になると,おかしなことにYasuhiro NakasoneとかNoboru Takeshitaとなってしまうのである.これは日本人自身が順序を逆さまにしてきたから,そうなっているにすぎないのである.しかし,そのために,ふつうのアメリカ人は,これが日本人のほんとうの名前だと思い込んでしまっているのである.日本の国際化のためには,このような明治時代からの考え方をこのあたりでやめてもよいような気がするが,どうであろうか.

目次

  4 Responses to “日本人の英語”

  1. こんにちは.
    先日論文の英文校正が帰ってきたのですが,(予想通り)真っ赤になって帰ってきました.今まで支離滅裂な英語文を生産してきた私としては非常に勉強になる指摘です.「日本人の英語」を私も読んでみようと思います.ご紹介ありがとうございます!

  2. 英文校正のエナゴと申します。
    日本の著名な研究者の方でも英語論文の執筆には苦労されたようです。
    弊社ウェブサイトで養老先生はじめ著名研究者の皆様の英語にまつわる
    インタビュー記事を掲載しておりますので、ぜひ一度ご覧になってみてください。
    著名研究者インタビュー: http://www.enago.jp/interviews/

    著名人でも英語にはいやな思い出も多いようです。

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