8月 142011
 

知的生産の技術
梅棹忠夫,波書店,1969

京大式カードで有名な,梅棹忠夫の「知的生産の技術」.本書が発行された1969年と言えば,私が生まれた年でもある.既に40年がたっているわけで,本書で紹介されている技術は,当然ながら,パソコンやスマートフォンなんてものが現れる以前の時代に,どのように情報を収集し,整理し,蓄積し,活用し,アイディアを創造するかということになる.

今や,情報収集はEvernoteでという時代だ.まったく隔世の感を禁じ得ない.だが,同時に,情報の収集,整理,蓄積,活用という点について,その核心は不変であったことにも気付く.実際,「改訂版 EVERNOTEでビジネスを加速する方法」(中嶋茂夫,浅井達也,ソーテック社,2011)で紹介されている,最新のテクノロジーを駆使した情報管理術と40年以上前の「知的生産の技術」を比べてみると,基本は同じであることを痛感する.

というか,『Evernoteは京大式カードのクラウド版』だと思う.

例えば,いつでもどこでもカードを持ち歩き,見聞きしたことや思い付いたことは,その場で何でもカードに書き付ける.写真もカードに貼り付ける.名刺もカードに貼り付ける.資料もカードに貼り付ける.何もかもカードに貼り付ける.

こうして作成したカードには,日付とタイトルを必ず書き込む.それらのカードは,大きなテーマごとに分類して箱に入れておく.

完璧にEvernoteと同じだ.カードがノート,箱がノートブックに対応している.カードにつけるタイトルはダグだ.自分が書いた文章だけでなく,写真,名刺,ネットで見付けた資料などを全部Evernoteに取り込んでおくという作戦も,京大式カードの使い方を踏襲したものだ.ツールは劇的に進化したが,「知的生産の技術」は驚くほど何も変わっていない.ここで心に浮かぶ疑問は,現代人の創造力はツールの進化に見合うほど増してきたかということになる.

本書「知的生産の技術」で梅棹忠夫は,カードという道具に行き着くまでの経緯も紹介している.氏が何もかもを書き付けたのは手帳だった.

わたしたちが「手帳」にかいたのは,「発見」である.まいにちの経験のなかで,なにかの意味で,これはおもしろいとおもった現象を記述するのである.あるいは,自分の着想を記録するのである.それも,心おぼえのために,みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく,ちゃんとした文章で書くのである.(中略)「発見の手帳」をたゆまずつけつづけたことは,観察を正確にし,思考を精密にするうえに,ひじょうによい訓練法であったと,わたしはおもっている.

しかし,手帳に情報を記録することはできても,その後の活用が難しい.そこで行き着いた先がカードというわけだ.カードの大きさや仕様についても試行錯誤がなされ,最終的に京大式カードとして世に知られるものが誕生する.

つまり,京大式カードは元々そういうカードが文房具屋にあったわけではなく,梅棹忠夫とその友人らが作り上げたモノだ.本書「知的生産の技術」を読んでわかるのは,カードのみならず,原稿用紙にしろ,便箋にしろ,とにかく何でも手作りして,自分が最も使いやすい形を追い求め,その上で業者に作らせていたということだ.知的生産のための道具への執着が凄まじい.

ただ,京大式カードへの誤解も少なくないようだ.梅棹忠夫は次のように書いている.

カードについてよくある誤解は,カードは記憶のための道具だ,というかんがえである.英語学習の単語カードなどからの連想だろうが,これはじつは,完全に逆なのである.頭のなかに記憶するのなら,カードにかく必要はない.カードにかくのは,そのことをわすれるためである.

カードは,蓄積の装置というよりはむしろ,創造の装置なのだ.

カードをEvernoteに読み替えてもよい.その蓄積能力は素晴らしいが,使用者として興味があるのは新しいアイディアを生み出すことだろう.そのための方法論が必要となるはずだ.京大式カードであれば,カードを自由自在に並べ替えることから創造の作業が始まる.

まさに,今,ここに書いている通り,私は本を読んだ記録をブログに書くようにしている.もちろん,梅棹忠夫は読書記録をカードに書いた.

年末には,その一年間に蓄積された読書カードをめくって,自分の勉強のあとをふりかえってみるのだが,そのあまりの貧弱さに,われながらあきれてしまうのだ.

よむことには,かなりの努力をはらっているのだが,それでも,一年間に読書カードは100枚とはたまらない.

実は,この一文を読んで,ホッとした.私も年間100冊は読んでいないからだ.

最後に,2つほど,印象に残った部分を書いておこう.

1つは,ローマ字だ.かつて,平仮名や漢字なんてやめて,日本語を全部ローマ字にしてしまえという運動があったことは知っていたが,梅棹忠夫らは,ローマ字だけの学術雑誌を発行している.

戦後まもないころ,わたしは河根君たちといっしょに,ローマ字の雑誌をだしはじめた.1947,8年のころであった.雑誌の名は”Saiensu”といい,全文ローマ字がきの専門的な学術雑誌だった.ローマ字がき日本語を,実践面においていっきょに確立しようというのであった.

馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが,相応の理由があった.それは,和文タイプライターがなかったことだ.英文タイプライターが開発されて,誰でも綺麗な文字で高速に英文を打てるようになった.ところが,和文は手書きのままだ.作業効率が全く異なる.この格差を埋めるための方法として,ローマ字の採用と和文タイプライターの開発が進められたというわけだ.パソコンで自在に和文を操れる我々がいかに恵まれているかということを感じずにはいられない.

もう1つは,大学人の忙しさについてだ.梅棹忠夫は次のように書いている.

今日のようにいそがしい世の中では,ながい論文など,だれもよんでくれないぞ,とおしえられたのであった.わたしたちは,論文をいかにみじかくするかに苦心した.

昨今の(まともに教育と研究をしようとする)大学人の忙しさは常軌を逸していると思う.もちろん,これは大学に限ったことではなく,先進国を中心に人間全体がそうなってきたのだろう.ところで,それは幸せなことなのだろうか.

目次

  • はじめに
  • 発見の手帳
  • ノートからカードへ
  • カードとそのつかいかた
  • きりぬきと規格化
  • 整理と事務
  • 読書
  • ペンからタイプライターへ
  • 手紙
  • 日記と記録
  • 原稿
  • 文章
  • おわりに

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