12月 022012
 

本の話をする前に,博士課程進学という決断について自分自身を振り返って,まとめておきます.

私自身の場合,もう20年近くも前のことになりますが,修士課程在学中に博士後期課程に進学する決断を下したのは,「この研究室で,このスタッフの下で,あと3年間頑張って勉強や研究をして実力をつけたら,後は自分で何とかなる」と判断したからです.もちろん,友人も含めて,ほとんどの学生は誰でも名前を知っているような大企業に就職していくわけで,給料が貰える彼らと比べれば,給料がないばかりか入学金や授業料すら支払わなければならない進学者は全く経済的に不利なわけです.それでも,どこで何をしないといけないかわからない就職よりも,進学の方がローリスクハイリターンだと判断したわけです.この「リターン」は経済的報酬のみを意味していませんが,長期的に見れば,生涯収入は自分の実力に依存するのだから,経済的にも問題ないと考えていました.甘かったのかもしれませんが,それだけ,レベルの高い研究室スタッフを信頼していたということです.

結局,修士課程を修了した直後に助手として採用していただいたので,博士後期課程の入学試験合格後に辞退届を提出して,進学はしませんでしたが.

大学院修士課程に進学するとき,希望通りの研究室に配属されました.そのときには,博士後期課程進学も含めて,大学に残るつもりは全くありませんでした.親に経済的な負担をかけたくなく,他の学生と同様に,サッサと給料が欲しかったからです.加えて,大学入学以降,京大も全く大したことがないと舐めきっていたこともありました.

そんな私が改心したのは,4回生で研究室に配属され,世の中には凄い人がいるものだと驚嘆してからです.なお,当時は学部と大学院で研究室を変えなければならないという規則がありました.既にこの規則はなくなりましたが,様々な研究分野を経験するという観点から,素晴らしい規則であったと思います.大学院進学後は,上述の通り,研究室のスタッフに非常に良く面倒を見てもらい,この人達に指導してもらえるなら,博士後期課程に進学する価値があると考えたわけです.それが,修士1年の終わりのことでした.

ここで,当時の教授に,どれほど親身に面倒をみていただいたかという話をしておきます.

それまで遊び呆けていた私でしたが,修士2年になるとすぐに,直接指導していただいていた助手の先生が海外の大学に9ヶ月ほど滞在されることになり,「じゃ,後はよろしく!」とだけ言い残して,去って行かれました.そのときから,研究グループを1つ任されることになりました.正直,「いやいや,指導してくれるんじゃなかったんですか!?」と驚きましたが,このときから,教授の指導下で研究を本格的に始めることになりました.

その後しばらくして,教授と他大学の先生と私の3者ゼミが始まりました.マンツーマンどころか,2人の大先生が学生1人のために家庭教師をやってくれているようなものです.その他大学の先生は教授の友人でもあり,物凄く優秀な先生でした.このときから10年以上にわたって,研究で大変お世話になることになりました.私の恩師の1人です.

さて,修士2年の夏,数ヶ月にわたって毎週土曜日に開催されたゼミで私に与えられた課題は,毎週論文1報を手渡されて,1)全文日本語訳する,2)式変形も含めて内容を完全に把握する,3)すべての計算(数値例やケーススタディなど)を追試する,4)ゼミで検討した内容を発表する,といったものでした.繰り返しますが,博士後期課程に進学すると言っているのに,それまで遊び呆けていたので蓄積はほぼゼロでした.このため,論文を読み始めても理解できないことだらけです.そこで,理解できない内容について調べるために専門書を漁りました.ところが,基礎学力がないため,専門書の内容が理解できません.そこで,数学を中心に基礎的な教科書を読みまくりました.すぐに研究室の机は,右に専門書の山,左に数学書の山で埋め尽くされました.土曜日のゼミ終了後から,土曜日のゼミ開始前まで,その2つの山に挟まれながら,死に物狂いで勉強しました.その時期は私が日本一勉強したと思っています.そのおかげで,勉強の仕方が身に付きましたし,その頃勉強した内容が現在の研究の基盤になっています.

そんな濃密なゼミを実施してもらっていた修士2年の夏(博士後期課程入学試験前)のある日,教授室に呼び出されました.教授の「○○先生(留学中の助手の先生)は他大学に移られるので戻ってこられない」という話に「???」となっている私に対して,教授は「助手になる気あるか?」と尋ねられ,「はい」と私は答えました.それだけのことで,実にアッサリと劇的に大学教員として研究の道で生きることが決まりました.

当然,論文0報どころか,国際会議に行ったこともなく,国内の学会発表ですら1回やったかやっていないかという状態です.そのような状態でよくもまあ助手(当時は誰でも任期なし)のポストを1つ埋める決心ができたものだと今でも感心します.それから(修士課程を修了してから)5年をかけて論文博士制度を利用して博士(工学)の学位を取得しました.

学位取得後すぐに,ボスが留学に行けと言ってくれたため,文科省の在外研究と学内の派遣制度に応募しましたが,いずれも不採択でした.そんな私に対して教授は「海外留学は若いうちに行かないと意味がない.必要なだけ研究室のお金を使っていいから,すぐに行け.300万円で足りるか?」と檄を飛ばし,私が「はい」と答えると,それだけで留学することが決まりました.実際に援助していただいた金額は覚えていませんが,米国オハイオ州で10ヶ月間,リッチな海外勤務企業人に紛れて貧乏大学人生活を送りつつ,貴重な経験をさせていただきました.当然ながら,助手である私が不在の間,教育や事務の負担を教授と助教授で分担して下さっていたわけです.何も文句を言わずに快く送り出すどころか,研究室の軍資金まで費やしたという教授の話は他に聞いたことがありません.

このような経緯で今の研究者・教育者としての私があるので,その教授には本当に感謝しています.このため,学生には,「縁を大切にしろ」,「最高の研究室を探せ」と繰り返して言うわけです.たとえ伝わらなさそうであったとしても.

心の底から,学生には良い教員に巡り会って欲しいと思っています.それに尽きます.そして,どのような教員が良いかは学生によって異なると思いますが,学生には,良縁・勝縁を手繰り寄せられる人物になる努力を怠らないで欲しいと思っています.

このような背景があって,学生に読むことを勧めているのが,安岡正篤氏の「青年の大成―青年は是の如く」です.

青年の大成―青年は是の如く
安岡正篤,致知出版社,2002

本書は,如何に生きるべきかということを,多くの実例を交えながら,わかりやすく説いています.きっと,心に響くことが見付かるでしょう.もちろん,何が心に響くかは,人によって,読むときによって,それぞれ異なるに違いありません.「一燈照隅・萬燈遍照: 足下を見つめ直す」にも書いた通り,私も大いに学ぶことがありました.

本書では,人間にとって最も大切なのは「徳」であり,徳性を身に付けるために修練しなければならないと説かれています.

大体,人間内容には,本質的要素と属性と二つある.つまり,本質と属性とに分けることができる.

我々の才智・芸能というものは,もともと属性である.どんなに立派であっても,どんなに有効であっても,要するに付属的性質のもので,決して本質ということができない.

人間たることにおいて,何が最も大切であるか.これを無くしたら人間ではなくなる,というものは何か.これはやっぱり徳だ,徳性だ.徳性さえあれば,才智・芸能はいらない.否,いらないのじゃない,徳性があれば,それらしき才智・芸能は必ずできる.

では,人間として自己を錬成するために必要なものは何か.それは3つあるといいます.寸暇を惜しむこと,私淑する師と良い友人を持つこと,そして,愛読書を持つことです.

第一に,寸陰を惜しむということです.

その次に心得べきことは,やはり「良き師・良き友」を持つということであります.

平生からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物,何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには,できるだけ縁を結んでおくことです.これを勝縁といい,善縁といいます.

良い師友と同時に,人間はどうしても愛読書がなければならない.座右に愛読書を置いておきたいものです.

なるべく精神的価値の高い,人間的真理を豊かに持っておるような書がよい.

ということは,たえず心にわが理想像を持つ,私淑する人物を持つ,生きた哲学を抱くということであります.これは,我々が人間として生きてゆく上に最も大切なことです.

現代人の一般的缺陥(けっかん)は,あまりに雑書を読み,雑学になって,愛読書,座右の書,私淑する人を持たない.一様に雑駁・横着になっている.自由だ,民主だということを誤解して,己をもって足れりとして,人に心から学ぼうとしない.これは大成するのに,最も禁物であります.

この他にも本書では様々なことが述べられています.日本の教育の失敗についても厳しく指摘がなされていますが,その中から,次の文章を引用しておきます.世間体の良い大学に通う学生には,肝に銘じて欲しいからです.

大学を出た人は偉いというように理解されまして,なるほど大学を出た者は頭も良く才気もありますが,人間の本質的な修行をしていない秀才という人々が沢山卒業しまして,そういう人々が指導者となって,近代の組織を動かしましたからその支配制度は,諸事にわたってまことにスマートで器用でありますが,人間として最も大切なことをとり残しております.これは日本の深刻な教育の失敗であります.

先に紹介した「人を動かす」(デール・カーネギー)などと比べると,かなり癖のある本なので,好き嫌いはあると思います.

後日談

さて,私の恩師であるその教授が停年退官されてもう随分になります.なにしろ,私が教授になるくらいですから.京都大学教授ともなると,定年退官後は私立大学などの教授として再就職される方も多いのですが,恩師は,

「事業の進歩発展に最も害するものは,青年の過失ではなくして,老人の跋扈である」 (伊庭貞剛)

という,第二代住友総理事を務めた伊庭貞剛の言葉を引用して,研究・学会活動などからは一切身を引くと宣言し,実際にそうされています.あまりにも鮮やかな身の引き方には,卒業生にも驚く人が多いです.国益という観点から,それが良いかどうかという議論は脇に置くとして,そんな身の処し方もあるのだと感心させられます.一般に,自分自身も含めて大学の研究者というのは非常に功名心が旺盛なものだと思うのですが,恩師は世俗的な名誉に執着する様子もありませんでした.退官前,そんな恩師が

「省りみて 栄華の日々を 持たざりし 我が人生を 自画自賛する」 (岡本文弥)

という境地までは達することができないと仰っていました.結局,受賞とか受勲とか,そんなものに意義を見い出すのではなく,人として如何に生きるべきかという問いに自分の人生をかけて自分なりの答えを出す,ということなのでしょう.そんな思いは,

「人を取り除けてなおあとに価値のあるものは,作品を取り除けてなおあとに価値のある人間によって創られるような気がする」 (辻まこと)

を格言とするところに見て取れます.また,印象に残っている言葉として,

Ultimately, we’re all dead men. Sadly we can not choose how. But we can decide how we meet that end in order that we are remembered as men. (Proximo, “Gladiator”)

を挙げられるていたことからも察することができます.

いま,私がこうして大学で教育や研究に携われているのは,偏に恩師のおかげです.遊び呆けて頭の使い方すら忘れていた学生に,教授みずから,論文の読み方,レポートの書き方,論文の書き方,学会発表の仕方を教えて,学生を正気に返らせるだけにとどまらず,研究者への扉を開き,その論文すべてをチェックし,数多くの国際会議に参加させ,一流の研究者と出会う機会を与え,さらには海外留学までも経験させていただきました.

時々,このことを思い出しては憂鬱になります.今の私はその期待に応えられているだろうかと.

進路に迷う

不思議の国で,アリスとチェシャ猫がこんな会話をしています.覚えていますか.

アリス「どちらに行ったらよいか教えていただけませんか」

チェシャ猫「おまえがどこへ行きたいかによるね」

アリス「どこだってかまわないんですけど」

チェシャ猫「それなら,どっちに行ってもいいさ」

アリス「どこかに着きさえすれば」

チェシャ猫「そりゃ,きっと着くさ.着くまで歩けばね」

幸運と健闘を祈ります.

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