7月 062013
 

明治15年(1882年)1月4日,明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭で,正式には「陸海軍軍人に賜はりたる敕諭」という.名将として世界にその名を馳せた乃木希典は,この五ヶ条に生涯忠実であったという.後に,昭和23年(1948年)6月19日,教育勅語などと共に,この軍人勅諭も国会にて失効が確認されている.

この「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」に記された五ヶ条は下記の通り.

一.軍人は忠節を尽すを本分とすへし
一.軍人は礼儀を正くすへし
一.軍人は武勇を尚(たふと)ふへし
一.軍人は信義を重んすへし
一.軍人は質素を旨とすへし


陸海軍軍人に賜はりたる勅諭(軍人勅諭)

我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ゐ中國のまつろはぬものともを討ち平け給ひ高御座に即かせられて天下しろしめし給ひしより二千五百有餘年を經ぬ此間世の樣の移り換るに隨ひて兵制の沿革も亦屢なりき古は天皇躬つから軍隊を率ゐ給ふ御制にて時ありては皇后皇太子の代らせ給ふこともありつれと大凡兵權を臣下に委ね給ふことはなかりき中世に至りて文武の制度皆唐國風に傚はせ給ひ六衞府を置き左右馬寮を建て防人なと設けられしかは兵制は整ひたれとも打續ける昇平に狃れて朝廷の政務も漸文弱に流れけれは兵農おのつから二に分れ古の徴兵はいつとなく壯兵の姿に變り遂に武士となり兵馬の權は一向に其武士ともの棟梁たる者に歸し世の亂と共に政治の大權も亦其手に落ち凡七百年の間武家の政治とはなりぬ世の樣の移り換りて斯なれるは人力もて挽回すへきにあらすとはいひなから且は我國體に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき降りて弘化嘉永の頃より徳川の幕府其政衰へ剩外國の事とも起りて其侮をも受けぬへき勢に迫りけれは朕か皇祖仁孝天皇皇考孝明天皇いたく宸襟を惱し給ひしこそ忝くも又惶けれ然るに朕幼くして天津日嗣を受けし初征夷大将軍其政權を返上し大名小名其版籍を奉還し年を經すして海内一統の世となり古の制度に復しぬ是文武の忠臣良弼ありて朕を輔翼せる功績なり歴世祖宗の專蒼生を憐み給ひし御遺澤なりといへとも併我臣民の其心に順逆の理を辨へ大義の重きを知れるか故にこそあれされは此時に於て兵制を更め我國の光を耀さんと思ひ此十五年か程に陸海軍の制をは今の樣に建定めぬ夫兵馬の大權は朕か統ふる所なれは其司々をこそ臣下には任すなれ其大綱は朕親之を攬り肯て臣下に委ぬへきものにあらす子々孫々に至るまて篤く斯旨を傳へ天子は文武の大權を掌握するの義を存して再中世以降の如き失體なからんことを望むなり朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親は特に深かるへき朕か國家を保護して上天の惠に應し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を盡すと盡さゝるとに由るそかし我國の稜威振はさることあらは汝等能く朕と其憂を共にせよ我武維揚りて其榮を耀さは朕汝等と其譽を偕にすへし汝等皆其職を守り朕と一心になりて力を國家の保護に盡さは我國の蒼生は永く太平の福を受け我國の威烈は大に世界の光華ともなりぬへし朕斯も深く汝等軍人に望むなれは猶訓諭すへき事こそあれいてや之を左に述へむ

一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし凡生を我國に稟くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき况して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報國の心堅固ならさるは如何程技藝に熟し學術に長するも猶偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同かるへし抑國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ其操を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ

一 軍人は禮儀を正くすへし凡軍人には上元帥より下一卒に至るまて其間に官職の階級ありて統屬するのみならす同列同級とても停年に新舊あれは新任の者は舊任のものに服從すへきものそ下級のものは上官の命を承ること實は直に朕か命を承る義なりと心得よ己か隷屬する所にあらすとも上級の者は勿論停年の己より舊きものに對しては總へて敬禮を盡すへし又上級の者は下級のものに向ひ聊も輕侮驕傲の振舞あるへからす公務の爲に威嚴を主とする時は格別なれとも其外は務めて懇に取扱ひ慈愛を專一と心掛け上下一致して王事に勤勞せよ若軍人たるものにして禮儀を紊り上を敬はす下を惠ますして一致の和諧を失ひたらんには啻に軍隊の蠧毒たるのみかは國家の爲にもゆるし難き罪人なるへし

一 軍人は武勇を尚ふへし夫武勇は我國にては古よりいとも貴へる所なれは我國の臣民たらんもの武勇なくては叶ふまし况して軍人は戰に臨み敵に當るの職なれは片時も武勇を忘れてよかるへきかさはあれ武勇には大勇あり小勇ありて同からす血氣にはやり粗暴の振舞なとせんは武勇とは謂ひ難し軍人たらむものは常に能く義理を辨へ能く膽力を練り思慮を殫して事を謀るへし小敵たりとも侮らす大敵たりとも懼れす己か武職を盡さむこそ誠の大勇にはあれされは武勇を尚ふものは常々人に接るには温和を第一とし諸人の愛敬を得むと心掛けよ由なき勇を好みて猛威を振ひたらは果は世人も忌嫌ひて豺狼なとの如く思ひなむ心すへきことにこそ

一 軍人は信義を重んすへし凡信義を守ること常の道にはあれとわきて軍人は信義なくては一日も隊伍の中に交りてあらんこと難かるへし信とは己か言を踐行ひ義とは己か分を盡すをいふなりされは信義を盡さむと思はゝ始より其事の成し得へきか得へからさるかを審に思考すへし朧氣なる事を假初に諾ひてよしなき關係を結ひ後に至りて信義を立てんとすれは進退谷りて身の措き所に苦むことあり悔ゆとも其詮なし始に能々事の順逆を辨へ理非を考へ其言は所詮踐むへからすと知り其義はとても守るへからすと悟りなは速に止るこそよけれ古より或は小節の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守りあたら英雄豪傑ともか禍に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まて遺せること其例尠からぬものを深く警めてやはあるへき

一 軍人は質素を旨とすへし凡質素を旨とせされは文弱に流れ輕薄に趨り驕奢華靡の風を好み遂には貪汚に陷りて志も無下に賤くなり節操も武勇も其甲斐なく世人に爪はしきせらるゝ迄に至りぬへし其身生涯の不幸なりといふも中々愚なり此風一たひ軍人の間に起りては彼の傳染病の如く蔓延し士風も兵氣も頓に衰へぬへきこと明なり朕深く之を懼れて曩に免黜條例を施行し畧此事を誡め置きつれと猶も其悪習の出んことを憂ひて心安からねは故に又之を訓ふるそかし汝等軍人ゆめ此訓誡を等閑にな思ひそ

右の五ヶ條は軍人たらんもの暫も忽にすへからすさて之を行はんには一の誠心こそ大切なれ抑此五ヶ條は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ條の精神なり心誠ならされは如何なる嘉言も善行も皆うはへの裝飾にて何の用にかは立つへき心たに誠あれは何事も成るものそかし况してや此五ヶ條は天地の公道人倫の常經なり行ひ易く守り易し汝等軍人能く朕か訓に遵ひて此道を守り行ひ國に報ゆるの務を盡さは日本國の蒼生擧りて之を悦ひなん朕一人の懌のみならんや

明治十五年一月四日

御名

7月 062013
 

「士規七則」は,甥の玉木彦介の元服祝いとして,安政2年(1855年)に吉田松陰が野山獄でまとめたといわれている.日露戦争の旅順攻囲戦や奉天会戦で武勲をあげ,明治天皇の信任が最も篤く,後に学習院長も務めた名将乃木希典も,この士規七則を座右の銘とした.


「士規七則」

冊子を披繙すれば,嘉言林の如く,躍躍として人に迫る. 顧ふに人読まず,即し読むとも行はず,苟くも読みて之を行はば,則ち千万世と雖も得て尽す可からず. 噫,復た何をか言はん.然りと雖も知る所有りて,言はざること能はざるは,人の至情なり.古人は諸れを古に言ひ,今我は諸れを今に言ふ,亦た詎ぞ傷まん.士規七則を作す.

一,凡そ生まれて人たらば,宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし.蓋し人に五倫有り,而して君臣父子を最も大なりと為す.故に人の人たる所以は忠孝を本と為す.
二,凡そ皇国に生まれては,宜しく吾が宇内に尊き所以を知るべし.蓋し皇朝は万葉一統にして,邦国の士大夫,世々に禄位を襲ぐ.人君は民を養ひて,以て祖業を続ぎ,臣民は君に忠して父志を継ぐ.君臣一体,忠孝一致たるは,唯だ吾が国のみ然りと為す.
三,士道は義より大なるは莫し.義は勇に因りて行はれ,勇は義に因りて長ず.
四,士道は質実欺かざるを以て要と為し,巧詐文過を以て恥と為す.光明正大,皆な是に由りて出づ.
五、古今に通ぜず,聖賢を師とせずんば則ち鄙夫のみ.読書尚友は君子の事なり.
六,盛徳達材,師恩友益多きに居り.故に君子は交遊を慎む.
七,死して後已むの四字は言簡にして義広し.堅忍果決,確乎として抜く可からざる者は,是を舎いて術無きなり.

右,士規七則は,約して三端と為す. 曰く,立志を以て万事の源と為し,選友を以て仁義の行を輔け,読書を以て聖人の訓を稽ふ.士,苟くも此に得る有らば,亦た以て成人たる可し.


以下,原文.

披繙冊子 嘉言如林 躍躍迫人 顧人不讀 即讀不行 苟讀而行之 則雖千萬世不可得盡 噫復何言 雖然有所知矣 不能不言 人之至情也 古人言諸古 今我言諸今 亦詎傷焉 作士規七則 
一 凡生為人 宜知人所以異於禽獣 蓋人有五倫 而君臣父子為最大 故人之所以為人忠孝為本 
一 凡生皇國 宜知吾所以尊於宇内 蓋皇朝萬葉一統 邦國士大夫世襲禄位 人君養民 以續祖業 臣民忠君 以継父志 君臣一體 忠孝一致 唯吾國為然 
一 士道莫大於義 義因勇行 勇因義長 
一 士賢以質實不欺為要 以巧詐文過為耻 光明正大 皆由是出 
一 人不通古今 不師聖賢 則鄙夫耳 讀書尚友 君子之事 
一 成徳達材 師恩友益居多焉 故君子慎交遊 
一 死而後已四字 言簡而義廣 堅忍果決 確乎不可抜者 舎是無術也 
右士規七則 約為三端 曰立志以為萬事之源 選交以輔仁義之行 讀書以稽聖賢之訓 士苟有得於此 亦可以為成人矣