11月 302013
 

医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法
近藤誠,アスコム,2012

「病院に行く前に、かならず読んでください」で,100万部突破したとのこと.みんな医者や病院が嫌いなんですね.

本書のメッセージはタイトルの通りで,無暗に病院に行くなということ.特に,ガンの検診と治療には注意しろということ.

ここで内容を紹介するつもりはないが,1つ断っておきたいのは,近藤氏の主張に対しては賛否両論あるということ.この本を読んで病院に行かないのは勝手だし,治療を拒否するのも勝手だが,重大な問題だけに異なる意見にも耳を傾けておきたい.例えば,本書「医者に殺されない47の心得」を直接的に攻撃している本としては,長尾和宏氏の「「医療否定本」に殺されないための48の真実」がある.

本書「医者に殺されない47の心得」に腹を立てる医療関係者は多いだろうと想像するが,本書で紹介されている業界の実態なるものを読むと,医療不信になる人が出てくるのも頷ける.例えば,下記のような製薬業界と大学病院との関係.

その結果、製薬業界はホクホクです。1988年の国内の降圧剤の売り上げはおよそ2千億円だったのが、2008年には1兆円を超えています。基準値をササッといじって、薬の売り上げ6倍増。血圧商法、大成功です。また基準値作成委員会の多くが、製薬会社から巨額の寄付金を受け取っているのも問題です。たとえば2005年に作成された、高血圧の基準も含む日本版メタボ診断基準の作成委員会メンバー。その内の国公立大の医師11人全員に、2002~2004年の3年間の間に高血圧などの治療薬メーカーから合計14億円もの寄付金が渡っています。

あるいは,下記のような過剰医療?の話.

冗談のような、本当の話があります。1976年、南米コロンビアで医者が52日間ストをやり、救急医療以外の診療活動がすべてストップしました。その奇妙な副作用として新聞が報じたのは「死亡率が35%も下がった」というニュース。「偶然かもしれないが、事実は事実である」と、国営葬儀協会が、キツネにつままれたような気分が伝わるコメントを発表しています。同じ年に米ロサンゼルスでも医者のストライキがあり、17の主要病院で、手術の件数がふだんより60%も減りました。すると全体の死亡率は18%低下。ストが終わって診療が再開されると、死亡率はスト前の水準に戻りました。イスラエルでも、1973年に医者のストが決行されました。診察する患者の数が1日6万5千人から7千人に激減。するとどうなったか。エルサレム埋葬協会は「死亡率が半減した」と伝えています。人がいかに、行く必要もないのに医者にかかって、命を縮めているかがわかります。

ちなみに,人間ドックにもお世話になっている一研究者としては,異常検出の方法に興味がある.本書には,検査項目が多くなればなるほど,病気・異常と判定される人が増えると指摘されているが,これはその通りで,製造設備における異常検出でも同様の問題がある.この問題をうまく解決したい.

病院のランクが高いほど、メンツにかけて病気を見逃すわけにいかない。すると患者は、どういう目に遭うか。行ったら最後、徹底的に検査されます。 検査項目の多くに「基準値」があり、健常人でも5%が「基準値外」になる設定です。すると10項目検査すると、少なくとも1項目が「基準値外」と診断される人が40%も生じます。30項目検査したら、少なくとも1項目が「基準値外」と診断される人は78%。8割が「病気」「異常」になってしまう。

コーヒーを飲むとガンにならない?それとも死にやすい?」に書いたが,軽率な行動をしないためにも,情報を偏りなく集めるようにしたい.それが情報リテラシーであり,騙されないためには必要なことだろう.

目次

  • 第1章 どんなときに病院に行くべきか
  • 第2章 患者よ、病気と闘うな
  • 第3章 検診・治療の真っ赤なウソ
  • 第4章 100歳まで元気に生きる「食」の心得
  • 第5章 100歳まで元気に生きる「暮らし」の心得
  • 第6章 死が恐くなくなる老い方
11月 292013
 

担当している大学院生向けの講義前半が最終回を迎えるにあたり,それまでの技術経営(MOT)の話も踏まえて,「なぜ組織の改善活動は失敗するのか?」というテーマで話をした.紹介したのは,MIT教授の研究成果で,失敗する組織は”Capability Trap”に陥っているというものだ.無理矢理日本語にすると,「能力の罠」となるだろう.

製品に欠陥があって顧客からクレームが来たとか,事故が起こったとか,何でも構わないが,何か問題が発生したとき,あなたが所属している組織はどのように対応しているだろうか.もちろん,その問題を解決する必要がある.そのために,上司は部下に「何とかしろ!」と叫ぶだろう.部下は必死になって問題を解決する.その結果,上司は胸を撫で下ろし,自分の指導力に満足する.

しかし,これこそが問題だというのがMIT教授らの指摘だ.確かに,問題は解決された.しかし,目の前の問題を解決するために全力を傾けてばかりいると,人・金・時間といった資源は有限であるため,長期的に組織能力を改善する余裕がなくなる. つまり.短期的な成果はあがっても,長期的に組織が凋落してしまうというわけだ.主に米国の企業が対象だが,多くの企業が失敗した事例を丹念に調査して,その共通点として,このような現象があることが判明した.そして,これを「能力の罠」と名付けた.

要するに,”Capability Trap”あるいは「能力の罠」というのは,みずからを追い込んだり,あるいはマネジャーに強制されたりすることで,担当者がより賢く働く(work smarter)よりも,より一生懸命に働く(work harder)ようになってしまう状態である.あるいは,仕事をする方法を改善するためにではなく,従来のままの方法でより一生懸命に働くような方向に経営資源が継続的に振り向けられることで発生する問題である.

では,この”Capability Trap”あるいは「能力の罠」を回避して,組織能力を高めるためにはどうすればよいのか.第一に,改善活動で成果をあげるためには時間がかかること,しかも改善効果は逆応答を示すことを認識する.第二に,現場に懸命に働くことを求めるのではなく,賢明に働くことを求める.第三に,そのための時間と自由を与える.これが解決策だと述べられている.

この”Capability Trap”あるいは「能力の罠」は身近なところにも沢山事例がありそうだ.昨今の国立大学改革も他人事ではない.研究室運営においても,当然,この問題に陥ることは避けなければならない.目先の研究成果のみにとらわれて,「懸命に研究しろ!」と怒鳴るばかりで,学生に時間と自由を与えないのはまずいだろう.懸命なだけでなく,賢明に研究しなければならない.

学生が就く職業は様々だが,何らかの組織に所属するだろうし,その組織を指揮する立場にもなるだろう.そのとき,私が述べたことが少しでも役立てばと思い,講義を担当した.飛躍を期待しています.

11月 262013
 

私はコーヒーを飲んでもすぐに寝ることができる.でもまあ,そんなことはどうでもいい.

コーヒーについて調べると,コーヒーをよく飲む人のガン発生率は低いという研究結果を見付けたので紹介しよう.独立行政法人国立がん研究センターによる全国11保健所管内14万人の地域住民を対象とした長期追跡調査(多目的コホート研究)の成果だ.多目的コホート研究の成果紹介ページには以下のように記載されている.

コーヒーをよく飲んでいる人で肝がんの発生率が低い

調査開始時には、対象者の33%はコーヒーをほとんど飲まず、一方37%はほぼ毎日コーヒーを飲んでいると回答していました。調査開始から約10年間の追跡期間中に、334名(男性250名、女性84名)が肝がんになりました。調査開始時のコーヒー摂取頻度により6つのグループに分けて、その後の肝がんの発生率を比較してみました。なお、コーヒーをよく飲む人では喫煙者が多い、野菜やお茶の摂取が少ない、男性では飲酒量が少なく、女性では飲酒量が多いなどの傾向がみられ、これらの要因自体が肝がんの発生率と関連する可能性がありますので、あらかじめその影響を考慮して分析しています。

コーヒーをほとんど飲まない人と比べ、ほぼ毎日飲む人では肝がんの発生率が約半分に減少し、1日の摂取量が増えるほど発生率が低下し、1日5杯以上飲む人では、肝がんの発生率は4分の1にまで低下していました。発生率の低下は男女に関係なく見られていました。

なお,この研究成果は”Influence of coffee drinking on subsequent risk of hepatocellular carcinoma: a prospective study in Japan“というタイトルで,学術雑誌J Natl Cancer Inst.に報告されている.

この研究成果を見れば,毎日コーヒーを飲もうかという気にもなる.肝がんの発生率が約半分にまで減少するのだから.

でも肝がんだけですよね,とコーヒー効果に懐疑的な人もいるかもしれない.では,別の研究成果も紹介しよう.同じく独立行政法人国立がん研究センターによる多目的コホート研究の成果で,成果紹介ページには以下のように記載されている.

コーヒーは女性の浸潤結腸がんを予防

今回の研究では、女性の特に結腸浸潤がんにおいて、コーヒー摂取によるリスク低下がみられました。コーヒーを飲用による結腸がん予防のメカニズムとして、腸内の胆汁酸や中性ステロールの濃度が抑えられることがまず挙げられます。その他にも、腸の運動を活発にしたり、高血糖を防ぎ糖尿病を予防したりする作用があります。また、コーヒーの成分には、抗酸化作用を持つカフェインやクロロゲン酸の他にも、ヘテロサイクリックアミンなどの発がん物質に対抗する作用を持つ成分も知られています。

なお,この研究成果は”Coffee consumption and risk of colorectal cancer in a population-based prospective cohort of Japanese men and women“というタイトルで,学術雑誌Int J Cancer.に報告されている.

コーヒーが凄い作用を持っていることは明らかだ.これはもう飲まずにはいられない.

さて,ここまで読んで,あなたはどう判断するだろうか.

コーヒーを毎日飲んでガンを予防しよう!と思うだろうか.

それとも,こんな研究成果は眉唾.コーヒーなんて飲みませんよ!と思うだろうか.

結論を出してしまう前に,もう1つ,コーヒーに関する研究成果を紹介しよう.

1日4杯超コーヒー飲む人は早死にする? 米研究

米ルイジアナ州ニューオーリンズの心臓専門医、カール・ラビー博士らが専門誌「メイヨー・クリニック紀要」に報告したところによると、同博士らは20~87歳の男女4万人を16年間にわたって追跡調査した。その結果、55歳未満でコーヒーを1週間に28杯(1日平均4杯)より多く飲むグループは、飲まないグループに比べて死亡率が男性で56%高く、女性では2倍に上ることが分かったという。

これは2013年8月19日にCNN.co.jpで紹介された記事だが,コーヒーをたくさん飲むと死亡率があがるという研究成果が紹介されている.この記事を読めば,コーヒー党は心穏やかではいられないだろう.悟りの境地に達していれば別なのかもしれないが...

さて,改めて尋ねよう.

ここまで読んで,あなたはどう判断するだろうか.

コーヒーを毎日飲んでガンを予防しよう!と思うだろうか.

それとも,コーヒーなんて飲みませんよ!と思うだろうか.

このコーヒーの例からも分かるとおり,衝撃的な部分だけを切り抜いて伝えるような週刊誌やテレビなどの健康情報を鵜呑みにして,軽率な行動をしてはいけない.情報は偏りなく集めるようにしたい.それが情報リテラシーであり,騙されないためには必要なことだろう.

また,完全食品などというものはないと考え,何でも程度の問題だと捉えるのがよいだろう.中庸が大切だ.

最後に,これは非常に大切なことで,是非とも覚えておいてもらいたいのだが,相関関係があるからといって因果関係があるとは限らない.この2つは全く異なるものだ.これが理解できていない人は騙されやすい.

実際,コーヒーの話にしても,ちゃんと論文を読めば慎重な物言いになっている.例えば,肝がんに関する多目的コホート研究の場合,次のような解説が付されている.

現在コーヒーをたくさん飲んでいる人からの肝がん発生率が低いというのは、おそらく事実でしょう。しかしながら、現在よりもコーヒーを多く飲むようにすると肝がんの発生率が低くなるか否かについては、さらなる研究により確認しなければなりません。特に、肝がんになる人の多くがかかっているウイルス性慢性肝炎や肝硬変などのように肝機能が悪い状態では、カフェインを代謝する機能が障害されるために、コーヒーを飲む量が減るという報告もあり、結果として、あたかもコーヒーをよく飲んでいると肝がんになりにくいかのように見えているだけなのかもしれません。

このような分析をきちんとしているのが研究者だ.研究者の説明は概して歯切れが悪い.それは観測された事実から何が言えて何が言えないかを冷静に判断し,正しく伝えようとしているからだ.しかし,煽り記事は衝撃的な部分だけしか伝えない.そういう雑な情報を欲しがる読者や視聴者がいるかぎりは.また,そういう読者や視聴者がいるから,研究成果もないのに研究者を名乗る有名人が登場するのかもしれない.

さて,私はコーヒー(正確にはエスプレッソ)が好きなので,今からエスプレッソを飲みます.もちろん,飲み過ぎにならない程度に.

11月 252013
 

137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史
クリストファー・ロイド,文藝春秋,2012

楽しく読めた.実に面白い本だ.この本は小学校や中学校の副読本としてすべてのクラスに置いたらいいと思う.小学生だと漢字が読めないだろうけど,それでも置いたらいいと思う.

本書の内容は歴史なので,ここで紹介するまでもないだろう.それよりも,著者であるクリストファー・ロイド氏がなぜこの本を書くことになったのかという経緯の方が興味深い.インタビュー記事「東京大空襲なんて初めて知りました」から抜粋して紹介しよう.

本を書いた最初のきっかけは、当時7歳だった私の娘が学校嫌いになってしまったことでした。・・・

7歳の子供が、世の中つまらない、人生退屈、なんて感じるとは、大変なことですよ。転校しようとあちこち学校を探しましたが、どこも似たりよったりでした。そこで、自分で教育しようと決めたのです。・・・

最初は1年だけ休学させるつもりだったんですよ。そして、学校のカリキュラムに沿って、学校の時間割通りに過ごしてみた。3か月経っても娘が興味を見せる様子はない。そこで、改めて娘に聞いてみたんです。「何が面白いと思う」って。そうしたら、「ペンギン」と答えた。

そこで、私と妻は娘に言いました。「よし。じゃあ、ロンドンの動物園にペンギンを見に行こう。それから、ペンギンが住んでいる場所について一緒に勉強しよう」。娘は、ペンギンが南極に住んでいることを知りました。そこから、ペンギンが暖を取るために集団生活をしていることを発見します。そこで私は「この大きなグループのペンギンにこの小さなペンギンが加わったら、全部で何羽になるかな?」と自然に算数の勉強に持っていきました。娘の目はキラキラしていました。それから、我々は南極の氷について学びました。氷は水が固まってできます、水は蒸気が液体になったものです。すべて同じ物質です。そう、理科の勉強ですね。

そして、今度は氷山について話をしながら、氷山にぶつかって沈んだ豪華客船「タイタニック号」の話に持っていったりしました。ペンギンにまつわる詩や歌について学んだこともありました。試行錯誤する中で、私たちは、子供が興味を持ったものを使えば、学校のカリキュラムに盛り込まれていることなどすべて教えられることに気づいたのです。娘はまるで旅をしているかのような感じで、冒険と発見に満ちた学習をとても楽しんでいました。

私は教育系出版社に勤めていましたが、退社して子供の教育に全力を注ぐことに決めました。・・・

仕事を辞めて、最初にしたことは、キャンピングカーを買って、欧州を旅することでした。これは、家族全員にとって大きな学びとなりましたね。旅の途中で、科学と歴史を結びつけて教えられる本をあちこちで探し回ったのです。でも、そんな本はなかった。どうしてもっと、自然科学の歴史と人類の歴史を一緒に語りながら、誰でも理解できるような本がないのかと。世界で一番重要なのは、「この地球で一体、何が起こってきたのか?」なのです。出来事の羅列ではなくて、今、我々が生きている世界の長い歴史です。

そこで、自分で本を書くことにしました。娘に教えつつ、出版するための本を。

これだけ知れば,もう,この本を読むしかない.少なくとも私はそう思ったので読んだ.

本書はタイトル「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」の通り,宇宙史をまとめたものだが,ビッグバンから現在までの137億年を24時間で表している.人間の歴史なんて最後の1秒だけだが,その説明が500頁中の400頁を占める.うちの子供たちは,たった1秒の出来事が本のほとんどを占めることに興味津々だった.将来,自分で読ませたいと思う.

目次

  • 第1部 母なる自然ー137億年前~700万年前
    ビッグバンと宇宙の誕生/生命はどこからきたか/地球と生命体のチームワーク/化石という手がかり/海は生命の源/生命の協力体制/進化の実験場/恐竜戦争/花と鳥とミツバチ/哺乳類の繁栄
  • 第2部 ホモ・サピエンスー700万年前~紀元前5000年
    冷凍庫になった地球/二足歩行と脳/心の誕生/人類の大躍進/狩猟採集民の暮らし/大型哺乳類の大量絶滅/農耕牧畜の開始
  • 第3部 文明の夜明けー紀元前5000年~西暦570年ごろ
    文字の発明 シュメール文明/王は神の化身 エジプト文明/母なる大地の神/金属、馬、車輪/中国文明の誕生/仏教を生んだインドの文明/オリエントの戦争/ギリシア都市国家の繁栄/覇者が広めたヘレニズム文化/ローマ帝国の繁栄と衰退/先住民の精霊信仰/コロンブス以前の南北アメリカ大陸
  • 第4部 グローバル化ー西暦570年ごろ~現在
    イスラームの成立と拡大/紙、印刷術、火薬/中世ヨーロッパの苦悩/富を求めて/大航海時代と中南米の征服者たち/新大陸の農作物がヨーロッパを変えた/生態系の激変/ヨーロッパ人は敵か味方か/自由がもたらした争い/人類を変えたテクノロジー/白人による植民地獲得競争/資本主義への反動/世界はどこへ向かうのか?
11月 212013
 

生きる意味
上田紀行,岩波書店,2005

本書の出発点,現在の日本社会に関する問題意識は「生きる意味」の喪失にある.

「人生の意味」「幸福」に関しても,私たちはいつの間にか「他の人が欲しがるような人生をあなたも欲しがりなさい」という人生観を植え付けられてしまったのではないか.

実際,自分が何をしたいか明確でないけれども,とりあえず,なるべく有名な大学に進学して,なるべく有名な企業に就職したいと思うのは,他人が欲しがるような人生を自分も欲しがっておけば無難だろうという,言ってしまえば思考停止状態に他ならない.確かに,自分で考えなくて済むのだから,楽ではある.ただし,そういう人生を送ることが非常に難しくなってきているのが現実だろう.

本書では,様々な例を挙げながら,効率ばかりを追い求める現代社会の風潮や世間からの無言の圧力を憂い,特に「数字信仰」の問題を指摘し,自分なりの「生きる意味」を持つことの重要性を説いている.例えば,ガンと診断された場合,医者に勧められるままに延命のための治療を受けるのかどうか.仮に,ある治療によって寿命が1年延びるとして,死ぬまでの2年を副作用に苦しみながら病院で過ごすのだとしたら,それは本人にとって幸せなことだろうか.残された時間をどのように生きたいかが大切なはずだ.

病気を叩くために,数字を改善するために,患者の人間としての側面が犠牲にされる.患者の「生命力」にダメージが与えられる.患者の「生活の質」「人生の質」が低下する.こうした,医療における侵襲性の問題は,しかし医療だけの問題だと言えるだろうか.それは実は私たちの社会全体に蔓延している構造なのではないか.

大学人としては,教育の問題が気になるところだ.実際,入学試験でも単位認定でも「数字」が重視される.このことは当然だと思うが,それが人生のすべてではありえない.

「誰でも数学は八〇点を取らなければならない.一〇〇点を目指さなければならない」という教育は,非常に侵襲性の高い教育だと言えるだろう.とにかく点数を取らせるために,生徒がひとりの人間であることが無視される.その子がいまどんなことにワクワクし,どんなときに一番その若者の「生命力」が輝くのかを全く無視して,「高い点数を取る」という「数字」に邁進する.

(中略)

彼女は毎日絵を描きたいところを断念して,来る日も来る日も塾と予備校に通いだす.もちろんそれは多大な費用がかかるから,それは彼女の親に大きな負担をもたらす.そして,そうやって努力して,何とか八〇点とは言わないまでも,六五点まで数学の点数は上がり,私たち教師は「指導の効果があった!」と喜び,親たちも「高いお金を払って塾に行かせて良かったわねえ」と喜ぶ.しかし,その生徒はそうやって「まあまあの優等生」になった代償に,いのちの輝きを失ってしまう.出来上がったのは,どこにでもいそうな「ちょっと勉強ができる子」である.しかし,彼女の目は以前のように輝いてはいない.そして「私なんかどこにでもいそうな女の子ですから」と醒めた表情で語るのだ.

著者はさらにこう続ける.

生徒ひとりひとりの「生きる意味」を無視して,とにかく良い成績を取れればいいといった場からは,人生を生きる意味も感性も育むことはできない.「ワクワクすること」を抑圧する侵襲性の高い教育からの転換が必要だ.

生徒ひとりひとりを固有の「生きる意味」を生きている存在として見る.教師にしても生徒相互にしても,そうした感受性へのシフトが必要である.しかし「内的成長」を育む教育とは,いわゆる「道徳教育」とは全く異なるものだ.人間としての「正しい生き方」をすべての若者に注入するといった教育が「心の教育」だと思っている人は多い.しかしそういった,ひとりひとりの姿を見ない,画一的な教育の対極にこそ,「内的成長」を育む教育はあるのだ.

昨今の「道徳教育」に関する議論に通ずる指摘だが,政策はあくまで画一的な教育を志向しているようにも思える.事故を起こした原子力発電所の汚染水問題などでもそうだが,現場に権限を与えることをしないのが,様々な階層の組織に共通した特性だろうか.私に身近なところで言えば,大学では,むしろ,現場から権限を取り上げて学長の権限を強化しようという流れになっている.しかしそれも「数字(大学ランキングなど)」を良くするためにはそうした方が良さそうだからという発想ではないだろうか.「そもそもどうあるべきか」を顧みることのない狂騒は避けたいものだ.

本書が刊行されてから随分と経つ.その間,さらに生きづらい社会になっているようにも見えるが,まずは自分を大切にするところが出発点だろうか.自分を大切にしないで,他人や社会を大切にできるとも思えない.自分なりの「生きる意味」を見いだし,その意味を大切にしよう.本当に,かけがえのない自分の人生なのだから.

私たちの出発点は,自分自身が「交換可能」な存在であり,「かけがえのない存在」であると感じることができないという「生きる意味の病」であった.そして私たちの到達点は,自分自身で自らの「生きる意味」を創造していく社会である.それはひとりひとりがオリジナリティーのある生き方を獲得する社会だと言ってもいい.

目次

  • 「生きる意味」の病
  • 「かけがえのなさ」の喪失
  • グローバリズムと私たちの「喪失」
  • 「数字信仰」から「人生の質」へ
  • 「苦悩」がきりひらく「内的成長」
  • 「内的成長」社会へ
  • かけがえのない「私」たち
11月 192013
 

小便飛散問題、科学的に解明される:便器をキレイに使うには?」という記事を読んだ.元記事は”Science Addresses The Problem Of Pee Splashback”で,副題が”Brigham Young University’s Splash Lab looks into the dynamics of the male urine stream.”となっている.ネタではなく,流体力学の真面目な研究で,成果は米国物理学会で発表されているそうだ.

結論から述べると,「男も座れ!」となるようだ.どんなに工夫しようとも,高所から液体を流せば,跳ね返りは避けられない.専門的には「プラトー・レイリー不安定性」と呼ばれる現象が原因なのだそうだが,そんなことは,トイレを汚して奥さんに怒られる男性には関係ない.あるいは,ズボンが汚れて悲しくなる男性にも関係ない.

では,座らずに小用の飛散でトイレを汚さないためには,そして家庭円満を実現するためには,どうすればよいのだろうか.これがここでの問題だ.

トイレの水溜まりを標的にすると,直感的に跳ね返りが多いような気がするので,小用が便器に当たるときの入射角が小さくなるように発射角度を調整している男性諸氏もいるだろう.しかし,この重大問題をトイレメーカーが放置しているはずはなく,研究者や技術者が既に徹底的に研究しているに違いない.そして,跳ね返りが小さくなる設計を採用しているに違いない.

そこで,トイレメーカーに質問してみた.質問した翌日,とても丁寧な回答をいただいたので,ここで紹介したい.

<質問>

腰掛便器(洋風便器)で男性が小便をするときの尿の飛散による汚れが気になるのですが,便器の水面ではなく便器の側面に当てるとよいという記事を見掛けました.普通に小便をすると,水面にあてることになると思うのですが,腰掛便器は,水面にあてたときに飛散が抑えられるような設計にはなっていないのでしょうか.

<回答>

腰掛便器においてはお申し越しのように水面に小水がかかったときに、はねが生じることがございます。

小水はねは、重要な課題点であると当社も認識いたしており、便器清掃の負荷軽減の一環として、汚れ源のひとつである小水はねを抑制するべく鋭意研究を進め、水深やボウル形状の最適化検討などで得た改善成果を、製品に反映させているところでございます。

しかし残念ながら現時点では、はねを撲滅させるまでの解決策が見出されていない状況です。引続き研究は進めて参りますが、目下のところ小水はねの低減手段として、放水ポイントとして比較的はねの生じにくい便器前方のボウル喫水部を狙われることなど、ご使用者のご工夫をお願い申し上げていることや、また、男性座位による小用がはね防止の効果大ということで、そのようなご使用者が昨今増加しているところから、積極的にお奨めするものではございませんが、一方案としてご一考賜っている状況でござます。

ご理解のうえご了承賜りますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

本当に丁寧に,かつ詳しく回答していただき,お客様相談室の担当者の方には篤くお礼申し上げます.ありがとうございました.

ともかく,結論はやはり「男も座れ!」だ.どうしても立ちたい場合には,ゴルゴ13並みの精確さで「便器前方のボウル喫水部」を狙おう.

えっ,「ボウル喫水部」がどこかわからない? ググれ!

11月 192013
 

11月17日(日)に,滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの大ホール(1848席)にて「滋賀県立石山高等学校創立50周年記念式典」が,続いて琵琶湖ホテルにて「滋賀県立石山高等学校創立50周年記念祝賀会」が開催された.びわ湖ホールは今年オープン15周年を迎えた滋賀県随一の劇場で,実に盛大な式典だった.

  • 【第1部】記念コンサート
    三浦一馬と京都フィルハーモニー室内合奏団
  • 【第2部】記念式典
  • 【第3部】記念講演
    「幾多の出会いに感謝しつつ,自分流の社会貢献を志す」
    加納学 京都大学大学院情報学研究科 教授(石山高等学校 第23回卒業生)
  • 【第4部】記念祝賀会

第1部は,バンドネオン奏者である三浦一馬氏と京都フィルハーモニー室内合奏団とによるコンサートで,久しぶりに素晴らしい音楽を聴かせていただいた.コンサート前半がタンゴ,後半がシネマ音楽で,ジェラシー,リベルタンゴ,ブエノスアイレスの冬,uno,フーガと神秘,現実との3分間,ラ・クンパルシータ,ブルータンゴ,(休憩),風と共に去りぬ,エデンの東,ミッションインポッシブル,ニューシネマパラダイス,ライムライトというプログラム(どれか一曲が変更になっていたはずだが覚えていない)だった.

“三浦一馬と京都フィルハーモニー室内合奏団@記念式典”
三浦一馬と京都フィルハーモニー室内合奏団@記念式典

第2部は記念式典で,粛々と進行.来賓として滋賀県議会議長から挨拶があり,場数を踏まれているからだろうが,とても上手だと感じた.また,来賓の県議会議員8名のうち5名が女性で,女性率の高さに驚いた.近年,大学でも女性研究者を増やせと言われるが,その前に女子学生を増やす必要がある.というわけで,女子高校生の皆さん,是非京都大学工学部へ来て下さい.この記念式典で一番感心したのが生徒代表挨拶だ.1800人の聴衆を相手に,実に堂々とした生徒会長(女子生徒)からの挨拶で素晴らしかった.

久しぶりに国歌や校歌も歌ったが,県内唯一の音楽科を擁する石山高校だからか,ホールの音響が良いからか,素晴らしかった.先生方も感心されていた.

“滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの大ホール”
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの大ホール

第3部は記念講演で,石山高校の一卒業生として,「幾多の出会いに感謝しつつ,自分流の社会貢献を志す」という演題で講演させていただいた.創立50周年という記念の場で講演するのが私で大丈夫かと思いつつも,これほど光栄なことはなく,在学中に大変お世話になった母校への恩返しができるならということで,校長先生からの依頼を引き受けさせていただいた.

講演内容については別の機会に紹介するつもりだが,記念式典の記念講演という堅い場なのに魔法少女ネタ(ヴァルプルギスの夜vsほむら)を挿入したりして大丈夫かと心配していたが,講演を聴いてくれた在校生から「めっちゃ面白かったです」など好意的なメンションをもらい,ミッション成功だと満足しつつ京都へ戻った.それにしても,ツイッターの威力は凄い.

“記念講演@石山高等学校創立50周年記念式典(友人撮影)”
記念講演@石山高等学校創立50周年記念式典(友人撮影)

第4部は,会場を琵琶湖ホテルに移して石山高等学校創立50周年記念祝賀会が催された.祝賀会のオープニングは,石山高校卒業生でもある歌手(メゾソプラノ)の福嶋あかねさんとピアニストの松田千夏さんによるコンサートだった.同じテーブルに座っていた学校関係者も言っておられたが,祝賀会に卒業生である歌手とピアニストが来てくれるとか,音楽科がある高校というのはやはり格別だ.

“開会コンサート@石山高等学校創立50周年記念祝賀会”
開会コンサート@石山高等学校創立50周年記念祝賀会

プログラムは,ハバネラ(G.ビゼー),野バラ(F.P.シューベルト),この道(山田耕筰),学生時代(平岡精二),糸(中島みゆき).石山高校が創立50周年ということで,50年前に流行していた歌を調べてみると「学生時代」だったそうだ.また,最後の歌には,色々なご縁に感謝して「糸」を選びましたというコメントがあった.これもまた素晴らしい.

“石山高等学校創立50周年記念祝賀会の設営”
石山高等学校創立50周年記念祝賀会の設営

記念式典では,高校3年のときにお世話になった担任の先生と話をすることができ,また,記念式典終了後には,高校1年のときにお世話になった担任の先生が楽屋まで来て下さり,久しぶりにお会いすることができた.お二人には私の成長を喜んでいただけて,本当によかった.でも,私が卒業して20年以上経つのだから当然だとはわかっているが,年を取られたものだ.担任の先生方の他にも,先生や先輩から良い講演だったと声をかけていただき,一卒業生としての役目を何とか果たせたかなと安堵している.

記念式典や記念祝賀会の事前準備や当日の運営では多くの方々にお世話になりました.個別にご挨拶できませんでしたが,ありがとうございました.

そして,石山高校生へ.講演を聴いてくれて,ありがとう.自由な石山での高校生活を満喫して下さい.ただし,自分で自分の可能性に限界を設けないこと.私には無理とか,そういう発想をする必要なんて何もないのだから.夢を掲げて,やりたいことを決めて,突き進んで下さい.

11月 162013
 

おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状
中条高徳,小学館,2002

本書「おじいちゃん戦争のことを教えて」は,アサヒビール名誉顧問の中条高徳氏が,ニューヨークの高校に通う孫娘から送られてきた手紙に対して書き送った返書である.その手紙には,高校の歴史の授業で太平洋戦争を勉強することになった孫娘から,戦争を体験した祖父への質問がまとめられていた.旧敵国かつ戦勝国であるアメリカで戦史を学ぶ孫娘に,敗戦国で軍人を目指した者が何をどう伝えるべきか.本書には,陸軍士官学校に入学し,そこで終戦を迎えた中条氏の苦悩や誇り,そして現代日本への憂慮が詰まっている.

いきなり戦争の話に入るのではなく,当時の社会や教育の状況についての説明から始まる.戦前教育の根幹は「教育勅語」に述べられているが,当時の教育を受けた著者は次のように述べている.

この「教育勅語」には,教育とは何か,何のために教育をするのか,その理念と目的が簡潔な言葉で余すところなく表現されている.戦前の教育は義務教育から高等教育まで,この「教育勅語」が示す理念と目的に基づいて行われたということだ.(中略)まさに教育とはここに示されているとおりであり,このような目的で行われなければならない,ということがわかるに違いない.

明治天皇が山縣有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に与えた教育勅語では,明治天皇が日本国民に日本人にとって大切なものが何であるかを,以下の12の徳目を示して語りかけている.目を通してみれば,日本人に限らず,そりゃそうですよねと思えることが書かれていることがわかる.

  • 父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
  • 兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
  • 夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
  • 朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
  • 恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
  • 博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
  • 學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
  • 以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
  • 德器ヲ成就シ (人格の向上につとめましょう)
  • 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
  • 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
  • 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ (国に危機があったなら正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう)

著者は迷うことなく陸軍士官学校に入ったというが,当時,陸軍士官学校や海軍兵学校は学費無料で,優秀な子供たちはこぞって,これらの軍人養成学校に入学したという.それが,誰もが羨むエリートコースであり,日本社会が子供たちに推奨したキャリアパスであったからだ.

おじいちゃんが子どものころは,勉強ができて健康な子どもは,陸軍士官学校(陸士)か海軍兵学校(海兵)に入るのが当然という雰囲気が,全国隅々まで行き渡っていた.陸士や海兵は学費などは一切無料で,能力があり健康であるなら経済力などに関係なく,だれでも進むことができたのだ.

景子はそういう雰囲気は理解できない,というだろうか.だが,いまでも勉強ができる子は東大から一流企業や官庁への道を目指すじゃないか.それが当然という空気が全国をおおっているだろう.それと同じことだよ.もっとも,東大から一流企業や官庁を目指すいまの志向は,いい暮らしができて高い社会的地位が得られるからという,自分一人だけの欲求から出ている傾向があるが,おじいちゃんが子どものころの,優秀な子は陸士か海兵に入って軍人にという志向には,公的使命感が大きな比重を占めていた.これが,もっとも違う点だ.

いつの頃からか日本では,有名大学を卒業して有名企業に就職することが,誰もが羨むエリートコースであり,大人が子供たちに推奨するキャリアパスになった.当の本人がそれを切実に願っているわけではなく,そういう日本社会の雰囲気(著者がいう空気)の中で特に何を疑うわけでもなく,進学し就職するようになった.その点では戦前も戦後も大差ないわけであるが,ただ,戦後のキャリア志向には公的使命感がないと著者は厳しく指摘している.

しかし,現実に戦争は起こる.過去の歴史がそうだったし,いまでも戦争が絶対に起こらないという保証はどこにもないのが現実だ.だからこそ,公のために身を捧げる行為は平和を守るために尊ばれなければならない.公に己を捧げる使命感こそが戦争という愚行を防ぐ力になるのだ.(中略)公に身を捧げる使命感.国民にその心が失われたとき,その国家が危うくなることは歴史が教えているとおりである.おじいちゃんが陸士で教えられたものは,詰まるところ,国家という公に尽くす使命感,公に身を捧げる心構えだったのだ.

そのような公的使命感を持って陸軍士官学校の厳しい訓練を受けた中条氏だったが,在学中に終戦を迎える.学校は解散となり,故郷へ戻ることになったが,みんなが歓んで送り出してくれた故郷はなくなっていた.そこには,軍人や軍人を目指した子供たちを,日本を敗戦に導き,国民を酷い状態に突き落とした張本人と見なす人々がいた.本書には,そのときの様子が次のように書かれている.

だが,やはり日本が負けたとは信じられないのだ.といって,敗戦の事実が日に日に明確になってくる.私は何をどう考えていいのか,わからなかった.同期生のみんなも同じだった.実際,同期生のうち三人は,発狂してしまったのだ.

国家のために命を投げ出す覚悟を決めて,日々精進してきた.だが,世間の価値観は大きく転換し,そういう生き方は愚かなことだだった,間違いだった,ということになっている.そんな価値観を容易に受け入れることはできない.では,どうすればいいのか.死んでしまえば,かえって楽ではないか.そんなことも考えた.実際,死を思ったのは,一度や二度ではない.

本書では,戦争について様々な観点から語られているが,東京裁判に関する著者の考えも明確に示されている.

いまある法律を信じ,それを守っていれば,生命,安全,財産といった生活のすべては保障される,というのが近代法の基本的精神である.

ところが,アメリカをはじめとする連合国は戦争中にはなかった「平和に対する罪」というのを突如つくって,過去にさかのぼって戦争中のことを裁いたのだ.

こういうのを法に対する冒涜といい,野蛮という.まさに東京裁判は蛮行中の蛮行である.

東京裁判のすべては否定されなければならない.

そして,裁判の当事者であったパール博士の言葉を引用している.

パール博士は東京裁判を批判し,要約次のような意見を述べた.

「東京裁判は,裁判の名を借りた復讐であり,占領政策のプロパガンダにすぎない.真の平和と人道を確立する絶好の機会でありながら,それをなさず,法的根拠もないのに日本を侵略者と決めつけ,多数の個人を処刑することは,二十世紀文明の恥辱である.後世の歴史家は必ずこれを再審するであろう」

また,後日,ポツダム宣言受諾が決められた御前会議の様子,つまり戦争終結派と継続派が対立する中で鈴木貫太郎首相が評決に参加せずに天皇陛下の判断を仰いだこと,について聞いたときのことを次のように振り返っている.

「この陛下のご聖断がなければ君たちはあばれ,陸軍は絶対に納得しなかったであろう」と壇上から睨みつけられた迫水さんの鋭い眼が忘れられない.

日本にとっての天皇とは何かの答えは,この一事に余すところなく示されている.

本書には,ある1人の日本人の目から見た太平洋戦争が描かれているが,アメリカで教育を受けている孫娘からの質問に答えるという形になっているので,様々な観点が含まれ,また全体として落ち着いた調子になっていると感じる.最後に,孫娘へのメッセージとして書かれている部分をいくつか引用しておこう.

景子,人間の一生にとって師と仰ぎ,心から尊敬できる人にめぐり会うことは,とても大切なことだよ.師の大きさについて考え,そこに少しでも近づこうと研鑽することで,人間は大きく成長し,人格を形成していくものだ.そのようにして培われた人間性は本物なのだ.

景子は日本にいたときの授業で,日本の近現代史を教わったことがないそうだね.これなどもまさに東京裁判史観の影響だと言えるだろう.人間は悪いことにはなるべく触れたくないものだ.できることなら目をつぶっていたい.そういう気持ちが日本の近現代史に禁忌めいた気分を持ち込み,教えずにすませる結果になっている.

私がこれからやるべきこと.それは「日の丸」を心の底から誇りを持って掲揚できる日本人,「君が代」を喜びを持って歌える日本人を,一人でも増やしていくことだ.

目次

  • 生い立ちと陸軍士官学校
  • 終戦、そしてルネッサンス
  • 戦争の本質について
  • 失われしもの
  • 日本人の心