9月 222014
 

「そんな勉強は役に立たない」とか,「使わないことは勉強しなくていい」とか,そういう類の発言をそれなりの地位にある人がする.教育現場の片隅にいる人間としては,それは違うんじゃないかなと思ったりする.また,自分の正義を振りかざして相手を傷つけるような言動が蔓延する.閉塞感からなのか,今の日本では,そんな状況もあるようだ.

もし,そういうことに思いを巡らせることがあるなら,黒田先生の挨拶に耳を傾けるのもいいかもしれない.こんな挨拶だ.

「もう,これでおわかれなんだ.はかないものさ.実際,教師と生徒の仲なんて,いい加減なものだ.教師が退職してしまえば,それっきり他人になるんだ.君達が悪いんじゃない,教師が悪いんだ.じっせえ,教師なんて馬鹿野郎ばっかりさ.男だか女だか、わからねえ野郎ばっかりだ.こんな事を君たちに向って言っちゃ悪いけど,俺はもう,我慢が出来なくなったんだ.教員室の空気が,さ.無学だ! エゴだ.生徒を愛していないんだ.俺は,もう,二年間も教員室で頑張って来たんだ.もういけねえ.クビになる前に,俺のほうから,よした.きょう,この時間だけで,おしまいなんだ.

もう君たちとは逢えねえかも知れないけど,お互いに,これから,うんと勉強しよう.勉強というものは,いいものだ.代数や幾何の勉強が,学校を卒業してしまえば,もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが,大間違いだ.植物でも,動物でも,物理でも化学でも,時間のゆるす限り勉強して置かなければならん.日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ,将来,君たちの人格を完成させるのだ.何も自分の知識を誇る必要はない.勉強して,それから,けろりと忘れてもいいんだ.覚えるということが大事なのではなくて,大事なのは,カルチベートされるということなんだ.カルチュアというのは,公式や単語をたくさん暗記している事でなくて,心を広く持つという事なんだ.つまり,愛するという事を知る事だ.学生時代に不勉強だった人は,社会に出てからも,かならずむごいエゴイストだ.

学問なんて,覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ.けれども,全部忘れてしまっても,その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ.これだ.これが貴いのだ.勉強しなければいかん.そうして,その学問を,生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん.ゆったりと,真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ,俺の言いたいのは.

君たちとは,もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね.けれども,君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ.君たちも,たまには俺の事を思い出してくれよ.あっけないお別れだけど,男と男だ.あっさり行こう.最後に,君たちの御健康を祈ります.」

この黒田先生は,太宰治の「正義と微笑」に登場する人物だ.勉強の意味についてちょっと考えてみるのもいいかもしれない.

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