1月 132015
 

Book

修身教授録第6講:人生の始終

二十歳までには志を確立し,四十歳までは修業時代と心得て自己を磨くことに専念しなければ,真に国家社会のお役に立つ人間にはなれないでしょう.自惚れが強いと場所ふさぎにすぎないことになります.一日一日の歩みが四十歳の関所をいかに超えるかを決定しつつあるのです.

論語の「吾十有五而志于学.三十而立.四十而不惑.五十而知天命.六十而耳順.七十而従心所欲,不踰矩」に,四十にして惑わずとある.私みたいな凡人は四十にして前半生の歩みが疎かであったことに気付くわけです.それを若者に繰り返させないという一念から真の教育の一歩は始まると森信三氏は仰る.

修身教授録第7講:志学

人生の根本は真の志,身を修め国家社会に貢献するという志を打ち立てるところに始まります.その志を生涯をかけて必達するという人間をつくる教育が学校には乏しいのです.自分が天から受けた力を出し切るには,偉人の伝記を読み,その内面的動力を突き止めるのがよいでしょう.

孔子が十有五にして志したのは,身を修めることを中心として,ついには天下国家を治めるに至る大学の道です.ただ勉強を始めたのではありません.こういう話を聞いて一時的に感激しても,受身の状態で生じた感激は長続きしません.そんなことを繰り返していたら長生きしても大したことはできないでしょう.

大学の道は,明徳を明らかにするに在り,民を親しましむるに在り,至善に止まるに在り.物格(いた)りて后(のち)知至(きわ)まる.知至まりて后意誠(まこと)なり.意誠にして后心正し.心正しくして后身脩(修:おさ)まる.身脩まりて后家斉(ととの)う.家斉いて后国治まる.国治まりて后天下平らかなり.

修身教授録第8講:学問・修養の目標

学問修養が必要なのは自分が天から受けた本性を十分に実現する道を見出すためです.自己を錬磨しない限り,豊かな素質や才能も朽ち果てるほかありません.常に世界における我が国の位置を見,我が国の使命に想いを馳せつつ,自分がいかに貢献しうるかを深省せねばなりません.

修身教授録第9講:読書

読書は心の食物です.人生に重大な意味を持つ経験は心の養分となりますが,その意味の深さは読書の光に照らして初めて見出せるのです.真に志を抱く人は昔から分陰を惜しんで読書したものです.「一日読まざれば一日衰える」と覚悟し,心の養いとなる良書を読むことが大切です.

人から奨められねば読まぬという程度の人間は結局大したことはなく,大志を抱くならば人から読書を奨められているようではいけません.忙しさに口実を求めて自発的な読書をしないのは心が劣化しつつある証拠です.などと先生は手厳しい.

将来ひとかどの人間になろうとしたら,単に学校の教科書だけを勉強すれば事すむような姑息低調な考えではいけません.学校の教科は基礎知識として軽んずることはできませんが,それは土台程度のものでしかなく,人の特色というものは自ら進んで積極的に研究したものによって初めて出てくるのです.

この講義「読書」で森信三氏が紹介した本は,報徳記(二宮尊徳翁の伝記),二宮翁夜話(門人福住正兄が二宮尊徳の言行を記した書),講孟余話(吉田松陰の主著),学校教師論(三浦修吾著),国語教育易行道(芦田恵之助著),茶味(奥田正造の茶の湯思想の集大成)などであったらしい.

修身教授録第10講:尚友

尚友とは友を尚(たっと)ぶという意味で,吉田松陰先生の士規七則にも使われています.友とは師を共にする同門の友であり,友に大いに尊敬すべきものを認める時,初めて友を尚ぶわけです.「その人を知らんと欲すれば,まずその友を見よ」と言われるのにも真理があります.

人を知る基準とは,1)いかなる人を師匠としているか,2)いかなることをもって自分の一生の目標としているか,3)今日までいかなる事をしてきたか,4)愛読書がいかなるものか,5)友人いかん,であると先生は仰っている.この五点を調べれば,その人物も将来も見当はつくと.

1月 102015
 

Book

修身教授録第1講:学年始めの挨拶

自分の身に降りかかる事柄のすべてを,好悪の感情を交えることなく,天命として謹んで受け入れることが,我々にとっての最善の人生態度です.諸々の因縁を辱(かたじけな)く思い,疎かにしてはなりません.ここに修養の根本目標があり,真の人間生活はここから出発します.

第1講の後,「先生が僕らの組を受け持つことが天命とは思えない」という生徒に,先生は「若くてまだ人生の苦労をしていないのだから信じられなくても構いません.ただ,そう信じられる人と信じられない人との生き方は将来どう違ってくるかは考えてみて下さい」と答えたとある.

修身教授録第2講:人間と生まれて

人生の根本目標は人として生をこの世に受けたことの真の意義を自覚して,これを実現する以外にありません.意義を知らなければ,人の形をして生まれても,真に生き甲斐のある生き方はできません.人間として生を与えられたことに感謝してこそ,人生も真に厳粛となるのです.

第2講を受けた生徒が「今日も先生静かに入って来られて,丁寧に礼をされる.こんなに丁寧に礼をされる先生は初めてなので,みんなが不思議な感じを受ける」という感想を残している.

修身教授録第3講:生をこの国土にうけて

我々が日本民族の一員としてこの国土に生まれてきたことは無量の因縁の重なり合った結果です.我々が日本を愛するのは,外国と比較して日本が優れているからではなく,深い因縁があるからです.ここに腰を据えなければ,口先だけで「愛国」と言っても,真の力を持ちません.

第3講の冒頭で,歌人赤彦の「髙山の頂にして親と子の心相寄るはあはれなるかな」という歌を板書して,「なかなか良い歌でしょう」と先生は言われたとある.

修身教授録第4講:生を教育に求めて

諸君らは,この二度とない人生を教育のために生きようとしています.各人は名もない捨石として果てるとも,国を支える一支持点となることに人生の意義があります.次代を双肩に担う国民を創り出す教育者の責務は重大です.教育にて安心立命できる境涯に達しなければなりません.

第5講:教育者の道

卒業を目当てに形式的な勉強で十分と考え,自己を人間的に成長させることを考えないなら,内面的には既に下り坂です.教科を教えるのみならず相手の魂に火を点け全人格を導くのは至難中の至難事であり,教師自身が常に自ら学び続けるのでなければ真に教えることはできません.

第5講の後,「諸君も今から気を付けて,弾力のある人間にならなければ駄目です.ところで弾力のある人間になる最初の着手点は,何と言ってもまず読書でしょう.ですから,若いうちから務めて良書を読むことです.また,若いうちは,文学や詩歌など大いに読むがよいでしょう」と先生が言われたとある.

1月 052015
 

Papers

大学や大学院で研究を始めるにあたり,まずは自分がやってみようと思う研究分野の最先端を知っておく必要があります.自分で研究テーマを決める場合でも,教員から研究テーマを与えられる場合でも,同じです.最先端の研究について知るには文献調査が不可欠です.文献には,学術論文や特許など色々な資料が含まれますが,ここでは,論文と呼ぶことにしましょう.

論文を読むという作業は,特に最初の3報程度を読む作業は,泣きそうになるくらい困難なものでしょう.見たこともない単語だらけであるばかりか,英和辞典で日本語に直しても意味がわからない単語だらけであることは普通です.その上,頑張って読んでみても,研究の背景がわからないし,内容がわからないし,とにかく難しすぎてもう嫌だと感じるかもしれません.それが普通です.

それでも,論文に書かれている内容を理解するために,いっぱいテキストや事典や辞典を読み漁って,わからないところを一つ一つ潰していけば,論文の表現はパターン化されているので,スラスラと読めるようになります.挫けずに頑張ってみましょう.

研究室に配属されて,生まれて初めて研究なるものに着手する学部4回生であれば,まず,上記の状態(論文がそこそこスラスラと読める状態)になることを目指しましょう.もちろん簡単なことではありません.それだけでも膨大な勉強が必要になります.本気で論文を読み始めたら,すぐに大学3年分の勉強量を超えることでしょう.それくらい勉強しないと,最先端に追いつけるはずがありませんよね.でも,間違いなく実力が付きます.そうすれば,修士課程で,仮に研究テーマが全く違うものになったとしても,あるいは将来,自分で新しいプロジェクトを立ち上げることになったとしても.研究の立ち上げは劇的に速くなります.

大学院に進学して本腰を入れて研究をするようになったなら,修士課程1年目では,たくさんの講義に加えて,ガンガン論文を読んでいく必要があると思います.ここで,文献を調査する癖,論文を読む癖をつけておかないと,文献調査もせずに我流で時代遅れな問題解決を図る技術者なんかになりかねません.折角,大学院にまで行ったのに,それでは勿体ないですよね.

世の中には途方もない数の論文が存在しますが,文献データベースなどをうまく活用して,読むべき論文を短時間で掘り出し,短時間で読んで理解する力は,とても重要です.そういう力を学生のうちに是非とも身に付けておいて欲しいと思います.独創的な研究もそこからです.

読むべき論文数が決まっているわけではありませんが,私の個人的な感覚では,学部4回生なら少なくとも5報,修士課程なら数十報,博士後期課程なら100報以上が目安です.斜め読みではなく,きちんと読む論文の数です.論文を読んでいない,あるいは自分でよく考えていない学生の卒業研究発表や修士論文発表は,仮にスライドの体裁が何とかなっていたとしても,自分の研究の位置付けすら曖昧になっているので,すぐにボロが出ますよね.痛々しい質疑応答になります.そうならないのは当然ですが,大学院で研究するなら,「この分野のことなら私に聞け!」と言えるくらい,論文を読んで欲しいなと,一教員としては願うのです.

主要アドバイス一覧

勉強,レポート作成/論文執筆,研究発表/プレゼンテーションについて,主に卒業や修了を目指す学生へのアドバイスの一覧

(2015年1月15日リンク追加)

1月 042015
 

先に書いた通り,京都市内,しかも碁盤の目の中で積雪が20cmにもなるという誠に珍しい状況だったので,金閣寺を観た後,昼ご飯も食べずに雪遊びに没頭した.

最初に取り掛かったのが「アナと雪の女王」(FROZEN)でお馴染みのオラフ.今冬に雪だるまと言えば,当然,オラフですよね!というわけだ.

“長女と作ったオラフ(Olaf)”
長女と作ったオラフ(Olaf)

ちゃんと人参と小枝も用意して,上手にオラフができたねと長女(小3)と一緒に自画自賛した.家の前を通りかかる通行人や写真を見た人にも好評で,長女もご機嫌だ.

オラフが完成した後に取り掛かったのが,カマクラ.長男が一人で作り始めていたので,長女と一緒に手伝う.

“長男長女と作ったカマクラ”
長男長女と作ったカマクラ

自分が幼少の時分には京都市内でも結構積雪があったものだが,この20年程はたいして雪が積もった覚えもなく,まさか,自宅でカマクラを作れるほどに雪が積もるとは想像してもいなかった.長男は念願のカマクラを作ることができて大喜びだ.

“長男が作った天使の雪だるま(カマクラ用)”
長男が作った天使の雪だるま(カマクラ用)

カマクラ用の飾りにと,長男が天使の雪だるまも作っていた.

本当に雪遊びを満喫した一日だった.とても幸せな年始である.

1月 042015
 

あけましておめでとうございます.

三箇日は京都市内も大雪で,なんと61年振りに積雪が20cmを超えたそうです.

1日と2日はそれぞれの実家に帰省していたのですが,2日の夜も雪が降り続いたため,3日に金閣寺まで散歩してきました.自宅からは徒歩数分なので,大渋滞に巻き込まれることもありません.

昼前に出掛けたので,既に凍った池面の雪は解けつつありましたが,美しい冠雪の金閣寺を観ることができました.前回観たのは,既に小学5年生になった長男を抱っこしながらだったと思うので,随分と前のはずです.

“雪の金閣寺”
雪の金閣寺

“雪の金閣寺”
雪の金閣寺

本年もよろしくお願いいたします.